雪原を駆ける狐
やや風が強いがよく晴れた空の下。
大きな桜の下にシートを敷いた清水がちょっと洒落たグラスについだ酒をクイッと飲み、「ふう」と息をつきながら空を見上げる。
「やー、いい天気だね」
「本当ね」
絶妙なバランスで枝に腰掛けた茜のそばに、負けず劣らずのバランス感覚で越智がトッと近づき、チンとグラスを鳴らし合う。
「あら、皆さんこちらにいらしたのね」
「ふふ、楽しそう」
そこへ荷物を提げた日野と米山がやって来て、そっと桜の木に触れるとぼんやりと全体が光り、ふんわりと花が開いていく。
「「もうすぐ桜!」」
「「お祭り!」」
「お祭りと言ったら?」
「はい、カット!」
ロコドル「e世界ガールズ」の活動は大学卒業までという契約ではあったが、コアでディープなファンからの再開を望む声に久々の再結成。地元で開催される春祭りのCM撮影をどうにか終えた。もちろん、治癒術を応用してちょっと強引に咲かせた花は元のつぼみに戻している。
「絵は……とてもいいのです。ただ、どうしても」
「そうよねえ」
「神社、桜の木、綻ぶ花」
「巫女成分が足りないのよね」
ドワーフである清水は成人して酒を解禁。異世界では赤ん坊の息すら酒臭いとまで言われるドワーフだけあって、酒を飲む姿はなかなか様になっている。
ハーフエルフである茜と猫獣人の越智が木の上にいる姿も、その日本人離れした顔立ちとあり得ないほど細い枝がしなることすらないせいで現実味がない。治癒術を得意とする日野と米山が桜を咲かせるシーンも合わせると完全にCG合成だが、こんな観光資源に乏しい地方の市に、そんな予算はない……と見る物が気付くだろうか?
「巫女成分か」
「村田君、やっぱりダメだって?」
「うーん……もう一回頼んでみる」
「無理」
「まだ何もいってないんだけど?」
「撮影だろ?」
「う……」
図星かよと思いながら、幹隆は着替えをバッグに突っ込んでいく。狐火の収納があると言っても、それはそれ、だ。
「明日から出張なんだよ」
「また?」
「仕方ないだろ。そういう仕事なんだし」
「もう……私と仕事、どっちが大事なの?」
「仕事」
スパッと言い切った幹隆は、全ての男性の憧れ……ではないだろう。
「誘拐された日本人の救出?」
「そうだ」
「それ、外務省の案件」
「なんだが、手に負えないらしい」
外務省の公表している危険情報には載っていない、安全な国。有名な観光地でこそないものの、好きな人は好きという街並みが多く、そう言うのが好きな男女が新婚旅行で訪れた。が、国を一つまたいだところから色々と過激な活動で知られる連中がやって来て、駅前広場を爆破。大騒ぎとなったところに銃の乱射も交えながら誘拐した三日後である今日、身代金を要求する動画が配信されたのであった。
「武装組織という次元を越えているんだよ。連中、戦車もあるし武装ヘリも持ってるんだぞ」
「ええ……」
そこへ幹隆を送り込んだところでと思うが、公務員である彼は上司の命令には逆らえないのだ。
「寒っ!話は聞いてたけど寒っ!」
「マジで寒いな」
冬になると雪が積もる国とは聞いていたが、今年は例年よりも積雪が多く、まだ寒い日が続いている。
「お待ちしていました。外務省の佐塚です」
「警視庁警備部警護課、新井です」
「同じく村田です」
「寒いので、こちらへ」
「ありがとう」
暖房の効いた車に乗り込むとすぐに現場へ向けて移動を開始。これまでに外務省が収集できた情報を教えてもらう。
「連中のアジトの場所は当初の情報より北東に三十キロほど修正。衛星画像はこちらで、軍がドローンで空撮した最新映像はこちらです」
「思いっきり夏の映像……」
「警戒が厳重で飛ばしたドローンがアジトを撮影するより前に撃墜されるらしくて」
「なるほど」
アジトの周囲は山で囲まれているが、人が通れそうなルートはもれなく監視カメラがあり、徒歩での接近は困難。では山間の道はというと、当然監視されていて、人や車両の通過があると、戦車砲と武装ヘリがお出迎え。
航空機による接近も対空ミサイルがあるらしく、音速を超える戦闘機ならなんとかなるが、アジトの様子を見るには通過時間が短すぎてぶれた写真の撮影がせいぜい。
「どこの軍隊だよってレベルの組織か……」
「未確認情報ですが、どこかの国の軍隊崩れが集まってできた組織らしいですからね」
「それにしたって武装が立派すぎないか?」
「一年ほど前に近隣の軍事基地を襲撃して盗んでいったとか」
「盗まれた方は機密事項だからニュースにすることも無し、か」
「面倒な地域だな」
宗教、民族、貧困、色々な問題を「○○のせいだ!」と声高に叫び、「これは聖戦!正当な戦いである!」とやった結果、この国にも一定の支持者がいるという。
「そうでもなきゃ国境越えて誘拐なんて出来るわけないか」
愚痴っても始まらないし、諸々の問題はこの国を始めとした周辺各国の問題であって、警察官である幹隆にとってはどうでもいい話だ。
「日本人を狙った理由も公表してますよ」
「聞きたくないけど聞いておくか」
「数年前、どこぞのテロ組織に誘拐された日本人の「聞きたくないからいいや」
日本政府が身代金を払ったかどうかは機密だが、「日本政府は身代金を払うらしい」という噂が流れてしまえば、ということ。
「で?救出作戦は?」
「陸軍の支援が受けられますが、救出後の脱出の支援くらいしかできません」
「だと思ったよ」
近づけば気付かれるということは、下手なことをしたら人質が殺されると言うこと。逆に人質の安全が確保された後ならば総攻撃を仕掛けることも吝かではないと。
「国内にいるテロ組織の壊滅なんて、完全に内政問題だよな。干渉していいの?」
「日本人を誘拐した時点で日本国にとっての問題、と言う理屈だそうです」
こねくり回される理屈に不平不満を言っている間に軍の基地に到着した。
「ここから一キロ先がテロ組織の警戒ラインだそうです」
「つまり、ここからは徒歩か。アジトまでは?」
「直線で約三十キロ」
「道のりでなくて直線距離なのはどうしてだろうね」
どうでもいいことを言いながら用意された部屋に入り、準備を調える。
雪の中を移動するため、服装は白を基調。赤外線センサーなどに引っかかりにくくするために断熱性の高い素材でできている。そして吐く息でバレるのもつまらないという理由で鼻と口元を覆うマスク。
「新井、これの形が狐っぽいのは誰の趣味だよ」
「気のせいだろ?」
そして人質は抱えて脱出することになるが、背負うこともあるだろうと言うことで、背負った上からも着られるような大きめのコート。もちろん色は白一色。
「完成形、ほぼ真っ白だな……行くか」
外に出るとここに駐留している部隊の隊長以下、数名が待ち構えており、幹隆を見て鼻で笑う。
「おいおい、こんな小さいのがアジトまで行けるのか?」
「日本政府は「できる」と判断したから俺を派遣したぞ」
「フン……お手並み拝見といこう」
文句を言う偉そうな男にブリーフィングルームへ案内され、軽く最終確認。
「とにかく俺が潜入して人質を保護するのが最優先。脱出の可否は状況次第として、とにかく連絡は入れる。脱出できる場合、合流地点は南に五キロのここか」
「ああ。脱出の連絡を受け次第武装ヘリ三機で護衛した輸送ヘリを向かわせる」
「俺がアジトを脱出後、五分以内に空爆開始か」
「ほぼ確定している情報だが、日本人の人質確保はデカい成果らしくてな。組織のトップが集まっているらしい」
「一網打尽にする絶好の機会か」
もう一度周辺の地図を確認すると、幹隆は席を立つ。
「じゃ、行くか。新井、こっちでのバックアップはまかせた」
「おう」
コツンと拳をぶつけ合ってから外へ。
「行くぞぉぉぉ!」
寒いので気合いを入れるべく叫んだら走り出す。アジトに向かって一直線に。
それを見送っていた、基地司令官のジョンソン・キースは後にこう語った。
「積雪一メートル弱の山をあっという間に登っていった。あれは本当に人間か?」
『村田、そこはもう少し右だ』
「はいよ」
GPSで幹隆の位置を確認しながら、新井が監視カメラの範囲外になるルートを指示していく。とても人が上り下りできないような急斜面――一般的に崖という――をものともせずに幹隆が進んでいく様子は野生動物のそれより速い。
「直線で三十キロ……これならあと五分で到着だな」
雪の積もった比高二百~三百メートルの山を三つ超えていくのに時速五十キロは出ているという計算になるのだが、それ以上突っ込もうという者はここにはもういなかった。
「アジトが見える位置に到着。映像を送る」
『了解……届いた』
「人質、どこにいるんだ?」
二階建てのコンクリートの建物が数棟ならんでいるそれはアジトと呼ぶには立派すぎるだろというのが幹隆の正直な感想だ。
「ここから見えるだけで戦車が一、二、三……あっちはヘリだな……二、三。それから……って完全に小さめの軍事基地だろあれは」
『だな。日本じゃ考えられん規模だ』
「周囲を囲む塀は高さ五メートルってとこか」
とりあえず建物の形から人質の居場所を探るのは不可能と判断し、少しずつ近づいていく。
「狐火の探知……うわ、ざっと五十人はいるぞ」
『マジか』
「ここから人質を探す……ん?」
『どうした?』
「多分あれだ」
『見つけたのか?』
「もう少し近づけば……うん、多分当たりだ」
狐火の探知は幹隆にしか見えないので説明しづらいのだが、一つだけある四階建てくらいの建物の最上階に、不自然に倒れている者が一人、そのそばに体育座りしている者が一人。他は元気よく動き回っているか、ベッドに寝転がっているように見えるので、これが当たりだろう。
「よし、行ってくる」
『了解。気をつけてな』
ザザッと雪をかき分けて進み塀のそばへ。普通なら気付かれそうなものだが、道が通じる門とは反対側ということで警戒が薄い。険しい山プラス積雪を乗り越えてやってくるとは思ってもいないのだろう。
それに高い塀もそこら中にトゲが生えていて、簡単には登れないようになっている。そう、幹隆のように軽々飛び越える者がいるなんて、普通は想定しないのだ。
かるく狐火の浮遊を使いながら静かに着地すると、目的の建物まで一直線。とっかかりになりそうなものもない壁を一気に駆け上がり、最上階の窓を開ければ潜入は無事成功だ。
探知には二人以外の反応は無かったが一応警戒。問題なしと判断すると、鉄格子の向こうにいる二人にそっと声をかける。
「大丈夫ですか?」
「だ、誰?」
「桑木さんですね?日本政府の者です」
正確には警察の犬、いや狐か。
「あ、あのっ!」
「静かに。今そちらに入ります」
「え?入るって……え、ダメです!」
「ん?」
メキッと鉄格子をこじ開けて中へ。ちょっとビリッとしたけど問題なし。
「ええ……それ触ると気絶するほどの電流が流れてるって聞いてたんですけど」
「故障してたんでしょ?」
とりあえず桑木琴美は細かいことを気にするのは止めた。
「こちらは旦那さん?」
「はい」
「ちょっと失礼……うわ」
ここまでの会話の間にも何の反応も無い男性の裾をまくり、幹隆はドン引きした。人間の体ってこんなに痣だらけになるんだな、と。何もしないよりマシだと狐火の癒やしをかけながら二人の様子を観察。ロクに食事も与えられていないのか、日本で見せられていた写真より痩せて、いややつれている。
おまけに足には拘束のための金具にゴツいリベットのような物がはめ殺しになっている。
「これ、解放する気ゼロだろ」
「はい……だから、その」
涙声の琴美に幹隆が憶測を口にする。
「せめてあなただけでもと、旦那さんが抵抗してこんな目に?」
「はい」
まったくヤレヤレだ。
「よし、痣は消えたな」
「え?」
「さてと……こんなのはこうして、と」
足にはまったゴツい金具を事も無げにバキッと砕けば脱出準備は一段階進む。
「さて、ここから脱出します」
「は、はい」
「ですが、旦那さんは動けそうにないし、あなたもこんな雪の中は走れないでしょう?」
「え、ええ」
「少し手伝ってください」
狐火の収納からベルトを出して旦那、弘則の体に括り、コートを脱いだ幹隆が背負ってから上にコートを掛ける。
「では失礼して」
「え?ひゃっ?!」
「うん、動けますね……あ、どこか痛いところとかありますか?」
「い、いえ」
脱出時に銃で撃たれる可能性があるので肩に担ぐわけにはいかないのでお姫様抱っこの形。そんな経験のない琴美が顔を真っ赤にしているが、今は気にしている場合ではない。
「こちら村田、人質二人を確保。これより脱出する」
『了解。こちらからは総攻撃を開始するよう伝達する』
では、と壁のそばまで。なかなか立派な建物だがどうせこの後全て破壊されるなら、幹隆がぶち抜いたところで問題はない。
「とうっ」
「へ?」
どう見ても軽く蹴ったようにしか見えないのに簡単に大穴が開き、冷たい風が吹き込むと琴美がブルッと体を震わせる。
「舌噛むとマズいので、口、閉じてて下さい」
「んぐっ」
トンッと幹隆が飛び出すと、バンジージャンプ――ノーロープタイプだ――よろしく落下。すぐ傍の建物の屋根をダンッと蹴って跳ねながらアジトの外を目指す。そして壁を破壊するような音がすれば、幹隆の侵入に気付かなかった間抜けな連中もさすがに様子を見に外へ飛び出してくる。
「撃て!撃て!」
「クソッ、速いぞ!」
幹隆がいくら速いと言っても人を二人抱えた安全走行ではどうしても数発は当たる。ケプラー繊維を編み込んだコートは防弾だし、狐火の癒やしを常時展開しているため、一般人の桑木夫妻に当たっても問題はない。
そして、当たっても効果がないと見た数名が撃ち殺すのではなく、追跡しやすくするべしと切り替えて、訓練用のペイント弾を込めた銃に替えるが、数発当てるのが限度。
アジトが蜂の巣をつついたような騒ぎになる中、幹隆は無事にアジトを脱出し、そのまま駆けていく。
「追え!逃がす……な……?」
「なんだあれは?!」
彼らはある程度は除雪された道を駆けて逃げていくだろうと予想していたのだが、その予想を大きく裏切り、すぐ近くの急斜面を苦も無く駆け上がっていく。幸い、命中したペイント弾のおかげで遠くからも位置はわかるが、あれを追うにはヘリが必要。そう思った直後、幹隆が駆け上がった辺りが崩れ始め……アジト全体を雪崩が襲った。
「こちら合流地点。まだ来ないぞ。本当に来るのか?」
『もうすぐ到着するはずだ』
「全然見えない「お待たせ!」
ヘリのそばで幹隆が来ないと愚痴ろうとした分隊長マートンの目の前にドスンと幹隆が着地し、その勢いにマートンが腰を抜かす。
「すぐに離脱を!」
「お、おう」
ヘリはそのまま国際空港へ向かい、待ち構えた佐塚ら外務省職員らに二人を引き渡し、ようやく一息ついた。そこへ、軍の基地から戻ってきた新井が合流する。
「村田、お疲れ」
「おう」
「……一応言っておくが、お前、すごい格好になってるぞ?」
「え?」
真っ白だったコートは腰から下にペイント弾を食らったせいで真っ赤に染まっており、
「巫女装束?」
気付いたら日本に着いていた新井は「口は災いの元」という格言を身をもって体験したのであった。
なお、幹隆が脱出したときの姿をテロ集団の数名がカメラに収めていたが、それがどういう経路なのか流出。一部の好事家に渡り、まことしやかに噂が流れた。
「日本には巫女装束の狐美少女がいて、人々を救っている」
なお、あまり大っぴらにならなかったので、この噂を幹隆が知ることはなかったという。




