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海の狐

「はい、村田です」

「今どこだ?」

「どこって……自宅ですが」

「そうか、今から言う物をすぐに用意しろ、五分後にもう一度かける」


 要件だけ告げると電話が切れ、慌てて自室に向かうが……


「水着?」


 イヤな予感しかしないというか……遊びに行ったときのものとスク水、どちらを持っていけばいいんだろう……とりあえず両方持っていくか。




「狐火の浮遊!」


 砂浜の保全を意識してフワリと着地すると、支給されているスマホで方角を確認。目的地はここから沖合百二十キロほどの海上への緊急出動。

 海上保安庁の管轄ではあるが、高速で走る巡視船すら間に合わない可能性があるため、「以前の()びも込めて」と幹隆が出張ることになった。

 もちろん今回はちゃんと話を通してある。


「八木さん、今から海を行きます。さすがに通信しづらいので」

「わかった。さっきも言ったとおり、まずは巡視船に合流してくれ」

「わかりました」


 電話を切り、もう一度方角を確認すると水面を走り出した。巡視船はこの先九十キロほど。事態は一刻を争う。急ごう。




 海上保安庁は海の安全を守ることを目的としており、陸上の警察と消防を合わせたような性格の組織である。現在、緊急の連絡を受け、船長高橋の指揮で、巡視船が現場へ急行しているが、現場への到着はあと一時間はかかる上、巡視船の装備だけでは十分な対応は困難と判明。手配はかけているが、正直なところ間に合うと言えない状況の中、本部から妙な連絡が入った。


「警視庁が助っ人を送ることになったので対応よろしく」


 もう少し、詳しく情報を送れと思ったが、本部も詳細を捉えていないというか、


「信じられない情報だから、実際に目で見て確認してくれ」


 というこれまた意味不明なコメントが返ってきた。

 決して警視庁を軽んじるつもりはないが、海の上では文字通り海上保安庁に一日の長がある。


「警視庁がどんな助っ人を送ってくるのかわからんが、我々の足を引っ張るようなら海に突き落とせ」


 冗談交じりに部下に伝えたが、そもそもどうやって巡視船まで来るというのだろうか。




「あの、船長」

「何だ?」

「レーダーに妙なものが」

「は?」

「高速でこちらに向かってくる小型の物体です」

「高速?」

「おそらく百ノット以上。正確な速度は算出出来ませんが」

「小型?」

「全長二メートル未満」

「は?」


 現時点で通常運用されている船の最高速度は概ね三十ノット程。

 水の抵抗というのはとにかく大きく、速度を上げようとすればするほど燃料を食うし、恐ろしく揺れるようになるため、人を乗せ、それなりの物資を乗せて移動となると(おの)ずと、このくらいの速度が良い、という数字があり、実際そうして設計、運用されている。

 勿論スピード重視のレース用スピードボートになると三百ノットという異次元の速さもあるのだが、外洋を百ノット以上で安全に航行というのはあり得ない。ましてや全長二メートル以下などと。


「右後方から接近中です」


 思わずそちらを見てしまう。前面にしか視界を確保していない操舵室では意味が無いのに。


「注意しろ」

「はっ」


 一刻も早く現場に急行したいというのに、一体何がどうなっているんだ、そう思っていたら、ダン!と揺れがありすぐに新しい報告が入った。


「あの……警視庁から来たって人が乗船しました」

「意味がわからんのだが?」


 海の真ん中で乗船?

 とにかく、と甲板へ向かうとそこにはスーツにコートで背中にリュックを背負った女性が一人、電話で何やら話をしていた。

 そしてこちらに近づくと、電話を示してくる。


「えーと、船長の高橋さん?」

「そうです」

「警視庁警備部警護課の村田です。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

「こちら、警視庁警備部警護課課長からです」

「あ、ああ……」


 思わず受け取り電話に出てしまった。


「は?」


 簡潔に言われた内容に素っ頓狂な声しか出ない。

 だが、相手は「続きはあと。すぐに対応を」それだけ言って電話が切られた。

 言ってることが色々おかしいが、こちらのリソースはほとんど消費しないのならと頭を切り替え、すぐに指示を出す。




「こちらでどうぞ」


 着替え用にあてがわれた部屋に入り少し考える。考えても結論が出ないときは相談だ。


「八木さん」

「何だ、トラブルか?」

「遊び用の水着とスク水、どっちがいいですかね?」


 どっちでもいいから急げと言われた上、あとで反省文だと言われた。解せぬ。

 だが、ヒラヒラしたものがない方がいいだろうとスク水に。付けたままだったゼッケンがちょっと恥ずかしいが贅沢は言っていられない。

 珍獣を見ているとしか言いようのない視線を意識しないようにしながら甲板を進み、


「これを」


 と渡された物を背負う。スイッチ一つで簡単に開く、小型の救命ボートだ。


「では行きます」


 そう言って、船から飛び降り、海上を駆けていく。


「俺たち……何を見せられてたんだろうな」

「さあ……尻尾ですかね」




 日本の沖合を航行中の貨物船が転覆。乗員十七名の多くが船内に閉じ込められており、完全に沈没するまであと僅か。かろうじて脱出できそうな位置にいた乗員たちも、簡単に仲間を見捨てるなどできず、必死に助けようとしていたが、流れ込んできた海水の水圧により扉はびくともせず、そろそろ自分たちも脱出しないと危険な状況だ。


「お前たちだけでも逃げろ!」

「できるか!」

「一緒に死ぬことはない!」

「見捨てられるか!」


 何とかできないかとあがいていたところに場違いな者が現れた。


「大丈夫ですか?助けに来ました」

「はい?」

「警視庁の村田です」


 太平洋の沖合、今まさに沈没しようとする貨物船の中で、バシャバシャと水をかき分けて狐の耳と尻尾を生やしたスク水の女性がやってきた。非日常もここまで来ると、実は既に自分たちが全員死んでいて、あの世に行く途中で良くわからん物を見せられているのではと思わず頬をつねる。

 痛い。

 どうやら現実らしい。


「この向こうに?」

「あ、ああ……そうです」

「わかりました。これを」


 引っ張ってきていたロープを渡された。


「無理矢理開けますので、これを辿って先に脱出を。この先に救命ボートを開いてあります」

「しかし」

「急いでください。時間がありません」

「……わかった」


 ここまで粘っていた五人がロープをたぐりながら外へ向かうのを確認するとすぐにドアに向き直る。

 船が完全に横倒しになり、扉は水深一メートルほど下に完全に水没。

 しかも手前側に開く扉。さすがの幹隆もこれを短時間で開けるのは難しい。

 室内に繋がるインターホンを掴み、中に告げる。


「ドアの前から離れてください。破壊します」


 インターホンからざわついた声が聞こえてきたが、時間が無いので放置。水の中に潜るとドアに拳を軽く当ててから後ろに引く。


「おりゃ!」


 どうせ沈む船である。ドアの一枚や二枚、壊したところでどうと言うことも無いと、ぶち抜いた。

 ゴオンという音と共にドアが吹き飛び、中の僅かな空間にドアが落下する。水柱が上がるよりも早く水が流れ込んでいく中に、迷うことなく飛び込んだ。




「狐火の探知……こっちか」


 ほぼ真っ暗な上に、流れ込む水のせいで気泡がひどく、ほとんど視界がないが探知を使えば場所はわかる。


「大丈夫ですか?」

「……誰?」

「警視庁の村田です……一応警察官です」


 普通の警察官は「3-1 村田」と書かれたゼッケンのついたスク水は着ていないはずだが、今は信じてもらうしかない。

 部屋の隅に固まっていた船員たちは特に怪我もなかったのですぐにでも脱出したいのだが、


「無理かぁ」

「さすがにアレは……」


 入り口は一つだけ。大量の水が流れ込んでいるドアのみ。さすがにあの水流は幹隆も泳いで上るのは難しい。


「えーと……ここがここだから……」


 巡視艇で見せてもらった船内見取り図を頭の中で思い浮かべながら現在位置を確認。これで行こう。


「これを持って下さい」


 掴みやすいように結び目をたくさんつくっておいたロープを収納から取り出す。どう見ても不自然な出来事だが船員たちは既にもうどうでも良くなっていた。船の転覆、沈没で死を覚悟しているところにやって来た狐の耳と尻尾の生えたスク水の美少女。非日常もここまで来ると理解が追いつかない。


「ここの壁、ぶち抜きます」

「え?」

「現在水深……五メートルほど。外に出られれば何とかなるでしょう」

「そ、そうだな」


 壁をぶち抜くって……貨物船の分厚い鉄板をどうやって?

 船員たちの思考は完全に停止した。


「私は最後に出ます。気にせずにドンドン出て下さいね!」

「「は、はいっ」」


 コンコン、と壁を叩いて具合を確認。よし、ここだ。


「ていっ」


 貨物船の船体は大きな鉄板一枚を曲げて作るのではなく、何枚もつなげて作る。勿論隙間の出来ないように精密に加工しながら。だが、逆に言えば、その一枚を固定しているビスなり溶接箇所なりを破断すれば大きな穴……脱出口が開けられる。

 ドゴン!と派手な音をさせて壁がぶち抜かれる。


「行って下さい!」


 先頭にいた一人の手を掴み、外へ誘導。幸い水圧のバランスはどうにか保たれており、外へ出るに支障はない。全員が順次息を大きく吸い込んで外へ抜けていくのを見送る。


「念のため探知……よし、大丈夫」


 逃げ遅れた船員がいないことを確認し、幹隆も外へ向かう……が、


「あ、しまった……」




「ぶはあっ」

「ばっ」


 どうにか脱出出来た船員たちが次々と海面に顔を出し、大きく息をする。


「ハアッ、ハアッ……無事か?」

「な、何とか……」

「助かった……のか……?」


 互いに顔を見合わせながら全員が無事かどうか確認しようとしたところに


「おーい、無事か?生きてるか?」

「ん?」

「おーい、こっちだこっち!」


 声のする方を見ると三角錐型の救命ボートの上で五人が手を振っている。ドアの外にいた五人だ。


「今行くぞ!」


 必死にオールを漕いでこちらに来ているが、ここにいるのは十二人。そのサイズのボートに乗ったら沈むだろと思っていたら、その向こうに巨大な船、海上保安庁の巡視船が追いついてきていた。


「全員無事ですか?」

「乗っていたのは十七人。全員無事です」

「そうか……よかった」

「あ」

「どうしました?」

「お、俺たちを助けてくれた……」

「あ、あの子が」




 無事に救助出来たとホッとした高橋は青ざめた。よくわからんあの女が救助したのだろうが……二次遭難だと?


「い、急いで探すぞ」

「船長!」

「機関始動」

「船長!」

「沈没地点へ急げ」

「船長!」

「何だ!」

「その……何とも説明しづらいことが」

「は?」


 巡視船右舷前方の海面に顔だけ見せて幹隆は浮いていた。


「無事だったのか」

「ええ……まあ……」

「よし、今引き上げる。ロープを下ろすから」

「待って!」

「え?」

「その……あのですね……」


 船から出るときに、小さな突起に引っかかり水着が破けて脱げましたという説明をするのにたっぷり五分を要し、その後女性保安官により無事に収容された。




「はあ……」


 どうにか落ち着いたが、もう色々と……穴があったら入りたいというか、今すぐどこかに穴を掘ってしばらく埋まっていたいと頭を抱える。


 コンコン


「どうぞ」

「失礼します」


 礼儀正しく巡視船の高橋船長が入ってきたので慌てて立ち上がり姿勢を正す。


「この度は、救助の協力ありがとうございました」

「い、いえ……その……締まらない最後ですみません……はは」

「とんでもない。我々では間に合わなかったところ、全員無事に救助出来たのですから!」




 すぐに来たときのように走って帰りたいが、巡視船で帰ってくるように言われた。




 今度は漁協から苦情が来たらしい。

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