大学生は見守ることを至上とす
大学も入学して二ヶ月、六月を過ぎると講義を受けるときも気の合う友人同士で近い席に座り、開始のチャイムが鳴るまで歓談しているのが通常である。
だが、今年の法学部一年は例年と違う雰囲気であった。
開始五分前になると、ガチャリとドアを開けてその人物が入ってくる。そして、二列目真ん中という絶妙な位置に座ると、本人がすっぽり入ってしまうほどの大きさのバッグを置き、中から色々と取りだして机の上に並べ始める。
中身を広げ終える頃に教授が入ってきて、室内を一瞥し「では始めます」と『民法基礎』の講義が始まる。時折わかりやすい日常の出来事を例に挙げ、法律上の解釈を説明していくと、学生たちは「ほー」「へー」と感心したり、教授のくだらない親父ギャグに苦笑したりしながら進んでいく。だが、二列目真ん中に座った人物は一心不乱にノートをとっており、笑みの一つも浮かべない。やがて、終了のチャイムが鳴り、「ではまた来週」と教授が出ていく。すると、机の上に広げた本やノートを片付けて、大きなバッグを肩にかけて部屋を出て行く。そして、そのあとを学生たちがゾロゾロと着いていく。
「またか……」
いつものことに、少しあきれたように幹隆が呟く。何が楽しいのか、同じ学部の学生たちは幹隆の一挙手一投足を観察している。それ以上のことが何もないからいいのだが、動物園のパンダになった気分で少し居心地が悪い。
「SP……か」
異世界から還ってきて、高校三年の夏が近づいた頃、将来をどうしようかと思っていたところに唐突に法務省から大きな封筒が届いた。内容は……なんと法務大臣の名で、「是非ともSPに」というものであった。
幹隆の身体能力は正直なところ、限界がよくわからない。軽く走るだけで百メートルを数秒で駆け抜け、フルマラソンも数分。数十キロのバーベルを数十メートル投擲し、垂直に跳べばビルの十階程度――それ以上の高さになると地面にクレーターが出来るので一応自重している――を軽く飛び越える。そして、息が切れることもないし、手を抜いている感があるので、実際どこまで出来るかはわからない。そんな身体能力を活かせる職場というと、鳶職位しか思いつかなかったのだが、誰かを護る、と言うのもアリか、と思った。実際、この体は、刃物を突き立てられても傷一つつかない。時に体を張って護衛対象を護るSPというのは天職かも知れない、と思った。
だが、いかに法務大臣のお墨付きと言っても、それなりの体裁は必要。警視庁の採用試験合格は当然だが、法務大臣は即戦力として欲しいため、追加の条件を出してきた。それが指定の大学・学部を好成績で卒業すること。つまり、身体能力は申し分なしとして学力面でもそれなりの物があることを示せというわけだ。一覧の中には東大法学部なんてのもあったのだが、幹隆は川合家から通える地元の国立大学の法学部を選択した。理由は簡単。学業に専念するためである。
受験勉強は大変だったが、どうにか合格。そして学生生活がスタート。そして、すぐに気付いた。そもそも法律自体興味がなかったために、普通に勉強していたのでは全く頭に入らないと。好成績での卒業のために、サークル活動は眼中になく、文系学部にしては珍しいほどに勉強漬けの生活となっていた。
だが、その必死な勉強の姿が、他の学生のツボにはまった。幹隆は全く意識していないのだが、ノートを取り、教科書をめくり、という動作の度に尻尾がゆらゆらと揺れ、耳がピコピコ動く。ケモナー属性の有無に関係なく、誰もが目を離せない存在になってしまった。
「今日は何食うかな」
学食の入り口で今日の日替わりセットを確認する。
Aセット:ヒレカツ定食
Bセット:ナポリタンとサラダのセット
Cセット:きつねうどんと稲荷寿司
「Aだな」
還ってきたばかりの頃、有名メーカーのインスタントきつねうどんを食べていたら茜が大爆笑した。三十分ほど笑い続けて痙攣するほどに。
稲荷寿司を食べていたら、コレもまた爆笑された。一時間ほど痙攣しながら。
それ以来、きつねうどんも稲荷寿司も人前では絶対に食べまいと誓った。どちらも好物なのだが、仕方ない。と言うことで、Cセットは無し。そしてBセットもボリュームが少なそうなので無し。見た目はともかく中身は大学生男子。食欲旺盛なので、ガッツリ系のヒレカツ定食一択だ。
ちなみに学食メニューを決める栄養士は四月初めに幹隆の姿を見て以来、何とかしてきつねうどんや稲荷寿司、せめて油揚げを食べさせたいと願っていたのだが未だ叶わず。とうとう今日はなりふり構わない組み合わせの直球を投げてみたが見送られてしまった。
「難しいわね」
新たな油揚げのレシピを求め、試作を繰り返し、数年後に油揚げのレシピ本を出してちょっとしたヒットを飛ばすことになるのだが、今はただひたすら、狐耳の美少女にどうやって油揚げを食わせるかを悩む変態である。他人に迷惑をかけていないと言う点ではまだ常識人の範囲かも知れないが。
「いただきます」
Aセットのトレイをテーブルに置くと軽くソースをかけて箸を動かす。この体、エネルギー消費がそれなりに多いため、量を食べることが出来るのだが、口が小さいので端から見ると小動物が大急ぎで食べているそれにしか見えない。
「癒やされる……」
「尊い……」
幹隆の周囲五メートル以内には誰もいない。いつの間にか結成された幹隆を見守る同志がこれ以上近づいてはならないという暗黙のルールを作り、全員がそれに従っている。通常、ここまで来るとファンクラブが結成され、会員証やらオリジナルグッズやらが作られてもおかしくないのだが、全員がそれを良しとせず、その集団はただ「会」と呼ばれ、一定の距離を保って見守るだけという実に尊い精神で結びついていた。
Yes狐っ娘、Noタッチ
あえて口にはしないが、彼らの理念であり、写真や動画も禁止。本人の姿をそっと見守り、時折その声を聞く。
それが彼らの幸せ。
ただの変態集団と言う自覚は無い。
大きなバッグを抱えている狐耳美少女という絵は、入学当初は毎日のように多くの男子学生が声をかけてきた。幹隆は男と付き合うつもりは毛頭ないのだが、どうやって断ればいいのかわからず、当初は目にも止まらないほどの速度で逃げていたのだが、学生課から呼び出しがあった。床を壊さないようにと。そこで、茜のアドバイスで対処を変えた。
「このバッグ、持って着いてこれるなら」
幹隆は軽々運んでいるが、総重量は三十キロを超える。教科書、参考書、ノートに六法全書に辞書が五冊。ありとあらゆる物を詰め込んだらこうなった。置くだけで、ズンと音がしそうなそれを見ても、挑戦する者は数名いたのだが、すぐに断念。重さもそうだが移動速度が競歩のスピードではとても着いていけない。
こうして幹隆は勉強に専念出来る環境を手に入れ、どうにか成績を維持出来るよう頑張っていたのである。
一時間おきの予約投稿にします……