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最後までどうぞよろしくお願いします。
一方、涼子は店舗の中にいた。
涼子は以前、横浜の店舗にいたが、引っ越しとほぼ同時に人事異動があり、今は世田谷にある店舗に勤めている。ここは以前のビジネス街にある店舗とはちがって、買い物客も地域住民が多い。
お年寄りの来店も多く薬の箱の字が細かくて読めないから教えてほしいから始まり、長々と世間話の相手をさせられるもある。
花粉の季節ともなると、どこの耳鼻科も待合室が花粉症患者で溢れかえっているのと比例して、涼子のいる店舗もアレルギー用の点眼薬や鼻薬の処方を求めてやってくる顧客も目立つ。
涼子が目薬の在庫を確認していると後から、こもった男性の低い声がした。
「すいません、ちょっと」呼びかけられたので「はい」と振り返るとそこには男性の姿は見えなかった。
一瞬あれっと思い、きょろきょろすると、涼子はぎょっとして悲鳴を上げそうになってしまった。
顔の半分が大きなマスクで覆われ、黒いキャップをかぶった、小学生並に小さなおじさんが、目薬を持って立っていたのである。
「花粉ですごい目が痒いんだけど、どれがお薦めなの?」
牛乳瓶の底のように見える花粉よけのグラスのせいで、どこを見ているのかわからないそのおじさんの目は、昨日から編みタイツの件で怯えている涼子をいっそう恐ろしく感じさせた。都市伝説で語り継がれている“小さなおじさん”のようなその出で立ちは、今日の涼子にとっては刺激が強過ぎだと思った。
涼子は目をパチクリし、固まってしまった。
「花粉症のコーナにある目薬は、どれもほとんど変わりがありません。もっと効果の高い目薬をご希望の場合は耳鼻科を受診されることをお薦め致します」と、ぎこちない調子で肩には力が入っていた。
小さなおじさんは、まだこの人は仕事に慣れていないのかという顔をして
「あぁ、そう。じゃあ、耳鼻科に行って受診してくるかな」
それ以上は何も質問をせず、最初手にした目薬だけを持って、レジの方へ消えて行った。
涼子はお化け屋敷からでも出てきた後のような顔をして
「勘弁してよ!もう」と、思いっきり深呼吸をついてしまった。
それを見ていた副店長が
「どうしたの?白い顔しちゃって」と涼子の顔を覗きこんだ。
「なんでもないです。やぁ、ちょっと寝不足気味なだけです」とやりかけていた在庫チェックを続行し出した。
仕事をしていれば気が紛れて、心配事からも解放されるだろうと思っていた涼子の頭の中は、相変わらず止まることのない心配と不安が漂い続けていた。
アルバイトで来ている学生にも
「先生、今日はなんだか表情がいつもと違いますね?」と心配そうに声をかけられてしまった。
「今日はちょっと月のものが来ちゃって、気分が重いの」ということにして涼子は、調剤室の裏に引きこもり、人に会わなくても済むように軽作業をして、一日の仕事を終えることにした。
いつも自分は楽観的な方と思っていたのに、こんなに小さな鑿のような、心臓の持ち主だったとは以外な感じがした。この出来事が起こらなかったら、小心者だと言うことは、気が付かなかったかもしれないと思うほどだった。以前、個人情報の流失を気にして、ネットショッピングなど一切しないと言っていた同僚がいたが、今ようやっとその気持ちが分かるような気がしてきた。
涼子がPCの画面に向かっていると、携帯メールの着信音が流れた。
「俊介だ」涼子がメールを開けてみると、今朝の車内で窃盗事件が起こったことが書いてあった。
それを読んで、涼子は更に血の気が引いた。
「やっぱり、いるんだ。そういう軍団」
「スキャンニングって何?そんな機械あったんだ!」
それを聞いて、また新たな不安材料が増えてしまった。
「まずい、どんどん不安の渦に嵌って行く」
涼子は潰れたカエルのように力なく、デスクの上に項垂れた。
定時に仕事を終了させると、涼子はどこも寄らずに電車に乗った。
あのドトールの隣にいた男がいないかどうか、周りを見渡して見たが、いなかった。
こうなったら何がなんでも、あの男が白か黒なのか、正体を知りたい。
続く
ありがとうございました。