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雨音

「変な刑事さんだね」

 部屋に入ると、綾がつぶやいた。

「そうね、なんかゲームに出てくる刑事みたい」

 桃香は以前プレイしたアドベンチャーゲームに登場する、勘は鋭いが、どこか組織の一員としての警察官とズレたところがあり、スタンドプレーが目立つ刑事を思い出していた。

「ゲームじゃわかんないよ、ほとんどやらないもん」

 綾は読書と映画鑑賞が好きで、テレビゲームには疎い。

「ね、買ってきたDVD観ていい?」

 桃香は頷いた。綾は早速DVDのビニールの包装を剥がし、ディスクをプレーヤーにセットした。

 映画の内容は海外ホラーだった。奇妙なマスクをかぶった殺人鬼が次々と人間を殺害していくというよくあるものだった。身の回りで殺人があったというのに、そう思い桃香は少し気が塞いだ。

「こんなの好きだったっけ?」

「別に、普通。でもさ、今騒ぎになっているレインマンて、こういうスプラッターに通ずるよね。だからちょっとだけ興味出てきた」

 桃香は綾の神経の太さを少々おかしいと感じ始めていた。あんなに間近で他人が死んだのに、どうしてスプラッター映画を平気で見られるのだろうと思った。作り物など、既に何とも思わなくなっているのだろうか。

 それに、あの三吉とかいう刑事の態度も気になっていた。どうも綾を疑っているように見えた。もしかしたらあの刑事が何か掴んでいるのかもしれない。

 桃香はもしかしたらという考えをどうしても拭いきれなくなっていた。そして、レインマンが本当なら、次の雨の日に、どこかで他人が殺されればいいのに、そんなことを考えていた。それまでずっと綾と一緒にいて、自分が綾のアリバイ証人になればいいのだ。そう思った。

 桃香は見知らぬ誰かの死をこの時は半ば本気で願っていた。


 それから数日待ったが雨は降らなかった。また、犯人が捕まったという報道もなかった。いくらか冷静になった桃香は、綾がいないところで殺人が起きるのよりも、犯人が捕まるほうがいいに決まっているということに気付き、なかなか犯人が捕まらないことに苛立ち、思い切って三吉刑事の携帯に電話を掛けてみた。

「どちら様?」

 電話に出るなり不機嫌そうに尋ねる。

「石井桃香と言いますけど」

「ああ、どうも。何かありました?」

「いえ、平和そのものです」

「そいつは結構。で、なんの用でしょう」

「その……犯人ってまだ捕まらないんですか?」

「どうでしょう。もう逮捕状が請求されているかもしれないし、まだ目星がついていないかもしれないし」

 三吉ははぐらかす。捜査状況は漏らせないということだろうか。

「ちょっとくらい、教えてくださいよ。刑事さん、組織のルールに従うタイプには見えませんでしたよ」

 電話の向こうで三吉は沈黙した。自分がどんな警察官か言い当てられて困惑しているのだろうか。

「……雨の日に事件が起こると困る。証拠が流れちまうから」

 それだけ言って切ってしまった。

 桃香は唇を噛んだ。警察の捜査は難航している。三吉はそう言いたいに違いなかった。


 三吉と通話したその翌日、雨が降った。強い雨だった。三吉が言う、証拠を流すような。桃香と綾は朝にコンビニで食料を買い込んで、以降は部屋にこもって一日を過ごした。

 オカ研のチャットは大いに盛り上がっていた。

「雨だ!」

「レインマン来るか?」

「やべえ、ドキドキする」

「お前ら戸締りしっかりしろよ」

 相変わらず能天気なオカ研のメンバーに桃香は呆れたが、自身も心臓が忙しく働くのを封じ込めるのに必死になっていた。綾からは今日5分も目を離していない。これでレインマンが出れば、自らが持つ綾への疑いは晴れる。

 その日の夜、桃香は眠ることが出来なかった。いつもは迷惑だが、加藤が新たな殺人の報せをもたらすのを今か今かと待っていた。そのうち綾は眠ってしまった。

 そして深夜2時頃、スマートホンが鳴った。加藤がチャットにメッセージを投稿したことを通知する音だった。

「誰か見てます?」

「どうしたの?」

 桃香が返信する。

「また、人が殺された。この街で」

 それだけ確認して、アプリを閉じた。続いて忍びないと思いつつ、思い切って三吉に電話を掛けた。

「何です? こんな時間に、夜更かしは美容の天敵だぜ」

「あの、殺人があったって」

 笑えない冗談を無視して尋ねる。

「詳しいな、どこで聞いた?」

 途端に刑事の口調は鋭くなる。

「友人に。その人は多分ネットの掲示板で知ったんじゃないかな」

「……そうか。12時頃、人が死んでると通報があった。場所はあんたの大学のほど近くだ。さっきまで現場検証していたところだが雨なもんでかなわん。言えるのはそれくらいだな」

 そう言ってさっさと電話を切ってしまった。

 桃香はほっと溜息をついた。綾はずっとここにいたのだ。これで綾がレインマンだというセンは無くなった。

 安心して布団に潜り込み、何日かぶりにぐっすりと眠ることが出来た。


 この街に平穏が訪れることは無かった。その次に雨が強く降った日にも人が殺された。

 例によって加藤からそれを知らされ、桃香は愕然とした。綾がレインマンではないことがわかっただけで安心しきっていた自分が甘かったと感じた。まだレインマンの脅威は過ぎ去っていなかったのだ。

 その次の雨の日も、その次も、そのまた次も、人が殺されていった。一向に犯人を捕まえられない警察はバッシングを受けた。一度三吉に連絡を取った。こうも殺しが多くちゃ、人手が全く足りない、とぼやいていた。一つの街で起きたあまりにも多い殺人は連日ワイドショーを賑わせている。

 

そして月日は流れ12月に入った。

 その日桃香と綾はいつも通り一緒に夕食の材料の買い出しをした。綾が調理を担当したが、切れていた醤油を買い忘れたことに気付いた。桃香は綾にその他の用意を任せて、コートを着込みコンビニエンスストアに醤油を買いに向かった。コンビニを出たタイミングでちょうど雨がぽつぽつと降り出した。

「予報は晴れだったじゃん」

 桃香は気象予報士を胸の内で呪った。急ぎ足でアパートに戻る。


 アパートとコンビニの距離は徒歩で2,3分程だが、この時はその距離がやけに長く感じた。

 やっとのことでアパート前の駐車場に足を踏み入れたところ。

 後ろからコートの襟のあたりを掴まれ、強い力で引っ張られた。バランスを崩した桃香はその場に尻もちをつく。襲撃者は前に回り込み、桃香を押し倒して馬乗りになった。左手で桃香の顎を掴み、頭を地面に押さえつける。

「らえ!?」

 顎を抑えられているせいで、うまく口が動かなかった。

 襲撃者はレインコートを着用し、フードを目深にかぶっていたため、夕暮れの中では顔の判別が不可能だった。

「誰かって? 俺だよ」

 襲撃者は桃香を掴んでいた手を放し、フードを外した。フードの下から現れたのは城田の無表情な顔だった。

「そんな……」

「おっと騒ぐなよ」

 城田は右手に持っていたナイフを桃香の首元に突き付けた。

「あなたがレインマンだったの?」

 恐る恐る尋ねた。

「レインマンか、ああそうかもな」

「なんでこんなこと」

「俺はね、君に一目ぼれしたんだ。けどすぐオカ研に来なくなっちまっただろう。会えなくって寂しくてさ、いっそ死んでもらおうかなって、今この街で雨の日に殺しをしたら警察に捕まらないしさ」

「い、意味が分からないです」

「君が死ねば一緒になれるんだ」

 繰り返されても意味が分からないものは分からなかった。殺した後に死体に乱暴するつもりだろうか。想像して、桃香は吐き気を覚えた。

「嫌っ! 離れて!」

 桃香は足を踏ん張って逃れようとした。しかし大の男にのしかかられているのだからそれは叶わなかった。めちゃくちゃに腕を振り回した。それでも城田の表情は変わらない。桃香は自分の運命を呪い、涙を流した。

「ああ、泣いている顔も可愛いよ。さて、じゃれあうのも楽しいけどそろそろおしまいにしようか」

 城田は再び桃香の顔を掴み、地面に押さえつけた。桃香はもごもごと唸り抵抗する。

「動くなよ? 楽に死なせてやるから」

 城田が右手に力をこめるのを感じた。

 桃香はきつくまぶたを閉じる。


「かはっ」

 そんな声がしたかと思うと、顔に生温かい液体がかかるのを感じた、そして城田による拘束が解かれる。

「あ、れ?」

 桃香は目をゆっくりと目を開けた。

 城田は目を剥いて桃香の顔を見ていた。両手で自分の首の右側を抑えていた。指の間からだらだらと血―黄昏時だとほとんど黒く見える―が流れている。そして力なく前方に倒れた。

 桃香は咄嗟に横に転がりそれを避けた。アスファルトに倒れた城田はピクピクと痙攣し、やがて沈黙した。

 上半身を起こして正座崩しの体勢になった桃香は、先ほどまで桃香の足があったあたりに誰か立っていることに気付いた。

 それは綾だった。右手には血の付いた包丁を握っていた。先ほどまで野菜を切るのに使っていた、桃香のものだ。ついさっきまで城田だったものに冷たい視線を注いでいる。

「綾? どうして」

「なんか桃香の声が聞こえた気がしたから、様子を見に来たの。で、襲われてたみたいだから助けてあげた。友達だし」

「だからって殺すことは……」

「いいよ、今更1人増えたって」

「どういうこと? ほかにも殺したの?」

「隣のアパートの人と、上の階の人。あと猫もか」

 綾は事も無げに自らの殺人を告白した。

「綾がレインマンだったの? ほかの人たちも綾が殺したの?」

「私はふた……3人と1匹だけ、他は知らない。けど多分オカ研の人たちがレインマンの噂を言いふらしたんじゃないかな。それで雨の日の殺人ならレインマンのせいにできると思い込んだ誰かが雨の日にムカつくやつを殺した。誰だって殺したい人間の1人くらいいるんじゃない?」

「綾は? その人たちを殺したかったの?」

「うん、野良猫を餌付けするおばあさんがいたんだ。野良猫なんて害獣なのにね。で、その猫は近くを人が通るとミーミー鳴くわけ。それがうるさかったから殺しちゃった」

 綾は物音に敏感だった。道を歩いていて横を通る車のエンジン音にも嫌悪感を示す。講義室で学生たちがぺちゃくちゃ喋っている声も気に入らないと言っていた。

「だからって……そんなひどいこと」

 無視して綾は続ける。

「隣のアパートの人はね、バイクがうるさかった。エンジン吹かしたまま駐輪場まで入っていくの。道路で切って入って来いよって思った。で、我慢できなくなって殺した。

 上の階の人は足音がうるさかった。どんな生活してるか知らないけど時間を選ばずドスドス、ドスドスってさ。あの時は4時くらいに物を落とす音かなんかで起こされて頭にきて殺した」

「そのくらい管理会社にでも言えばいいじゃん!」

 桃香は綾に飛び掛かりたい気持ちだった。しかし、腰が抜けていて情けなくへたりこんだままだった。

「うん、そうかもね。自分でもなんで殺したか不思議に思う。でもね、たぶん雨のせいだったんじゃないかな」

「雨?」

「そう、私、都会の雨の音って大嫌いなんだ。田舎の雨が土とか草むらとか、田んぼとかに落ちる音は素敵だと思うんだけど、コンクリとかアスファルトとか、ビルとかに落ちる雨の音はなんか下品で嫌い」

 綾は農村の出身だと言っていた。桃香も綾ほどの田舎ではないが、そこそこに自然が近い場所に住んでいた。だからその気持ちは桃香にも理解できる気がした。

「わか、るよ」

「そう? で、雨音を聞くと心に余裕が無くなって、うるさいものはすぐ止めたくなっちゃうんじゃないかな?」

「わからないよっ!」

 桃香は叫んだ。

「おかしいよ! なんでそんなことで人が殺せるわけ? わかってるの? あんた、人殺しになったんだよ! どうしてそんなに平気でいられるのよ? このバカ! 加藤君は正しかったみたいだね? あんたいかれちゃってるよ! なんで? なんで……」

 あまりの出来事が襲ってきたため桃香の精神力は限界に達し。ついに子供のように声を上げて泣き出した。雨の勢いは激しくなっていた。流れる涙が雨と混ざって落ち、顔についた血を洗い流す。

 綾は桃香が泣きわめくのを黙ってみていたが、次第にその顔が歪んでいった。舌打ちのような音が聞こえた。綾は一言呟いた。

「うるさいな」


 その日の深夜、降っていた雨は雪に変わり、初雪が観測された。

twitterアカウントを開設しました。(@Enoki_Kosetu)

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