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レインマン

 その日の夕方のワイドショーで例の事件が報道された。

 殺害されたのは31歳の会社員で、刃物で首を切られたことによる失血死だということだった。大学のほうでも事件を把握しており、夏季休業中の無闇な外出を控えるよう通達する一斉メールが届いた。

 もともと桃香は読書とテレビゲームが好きなインドア派で、それからというもの食料の調達以外で部屋から出ることは無かった。

 綾のことが気がかりではあったが、連絡がないということは、変わりないということにして、気にしないよう努めた。

 そのような単調な日々は過ぎ去るのが早く、後期の授業開始日の前日、9月30日には、その日の講義が終了したら、すぐに帰宅することとしたうえで予定通り授業を開始するという連絡があり、翌10月1日朝、昨日から降り続く雨の中を桃香は大学へと出かけた。

 授業開始の10分前に講義室に到着した。同じ時間割の綾の姿はまだ見えなかった。そわそわと綾が来るのを待ったが、ついに講師が現れるまで綾は来なかった。

 一限、二限とこなした昼休み、空いた講義室でコンビニで買ったパンを食べていると。スマートフォンが鳴った。

 加藤がオカルト研究会の連絡グループにメッセージを投稿していた。

 今朝、殺害されたものとみられる死体が発見されたという内容だった。場所は以前死体が発見されたあのアパートの一つ隣のアパートとのことだ。

 桃香は慌てて講義室を飛び出し、人気がない場所を選んで綾のスマホに電話をかけた。5回のコールの後、応答があった。

「……もしもし?」

「綾? 加藤君がまた事件があったって……」

「うん、うちのアパート。ちょうど私の部屋の真上」

 何気ない風に綾は説明する。

「怖くないの?」

「怖いよ、部屋から一歩も出たくない」

 桃香は窓とカーテンを閉め切った部屋で恐怖に震える綾を想像した。

「そこの部屋めっちゃ危険だよ。私の部屋に来なよ」

 桃香と綾のアパートは歩いて5分しか離れていないのだから、危険に変わりはないはずである。しかし、事件現場の真下にいるよりはるかにましだろうと桃香は考えた。

「……うん、じゃあ、そうする」

「今から迎えに行くから、必要なもの、まとめておいて」

 桃香は電話を切り、講義室に置いたかばんと傘を回収し、綾の部屋に向かった。3限目の講義はさぼりだ。

 雨は止んでいた。桃香はスニーカーに水が染みるのもお構いなしに、水たまりを踏み抜きながら早足で歩いて行った。


 綾のアパートの周りには何台ものパトカーらしき車両が止められていた。なかには強面の男が車内にいる車両もあった。桃香は突き刺さる鋭い視線に耐えながらアパートの前に張られた規制線の前に立ち、綾に電話をかけた。3コールで綾は電話に出た。

「お待たせ、準備できてる?」

「うん、すぐ行く」

 綾は間もなくスーツケースを持って出てきた。

 桃香のアパートに向かおうとしたところ、30代ぐらいの目つきの鋭い男に声を掛けられた。男は懐から警察手帳を取り出し開いて見せた。

「失礼ですが、あなたは?」

「彼女の友人ですけど。こんな場所には住めないから、私の部屋に来てもらいます。いけません?」

「いけなくはないですけどね。一応、彼女の所在は把握しておきたいので、住所、教えてもらえます?」

 桃香は黙って学生証を渡した。刑事は桃香の氏名と住所を手帳に書き写し、学生証と一緒に、自分の名刺を渡した。

 名刺には「中央署捜査課 巡査 三吉遼」という肩書と名前が印刷され、携帯電話の番号が手書きで加えられていた。

「なにか変わったことがあったら、こちらまで連絡ください」

 桃香は軽く頭を下げ、綾を伴って建物を離れた。アパートからの死角に入る前にちらりと振り返ると、三吉は突き刺すような視線をこちらに向けていた。それは桃香を、やましいことはないというのに、何か悪事を働いているような気にさせた。


 三吉の視線が背中に突き刺さったままのような不快感を抱えながら、桃香の部屋に帰り着いた。

 綾を座らせて、テレビの昼のワイドショーを順に見ていく。問題の事件はまだ報道されていないみたいだった。

 続いてスマホでオカ研のグループ連絡を開いた。授業後に集まるわけにはいかないだろうと加藤がチャットでの会議を発案したらしい。授業時間だというのに、彼らは事件の考察に花を咲かせていた。

「そういえば事件の三回とも雨が降っているときに起こっているんですよね」

 加藤がこんなことを切り出す。

「猫の死骸はずぶぬれだったって言うし、最初の殺人も、今日の殺人も雨の中で行われているんです」

「偶然じゃない? 秋雨の時期だし」

「雨が降ると殺人衝動が抑えられなくなる?」

「雨の時だけ活動する化け物とか」

「じゃあ、そいつはレインコートを着ている」

 桃香と綾を蚊帳の外に、活発な議論が交わされていく。

「じゃあさ、仮に雨の日に限って殺人が起こっていることとして、その怪物に名前を付けようよ」

 都市伝説専門の高木が提案して、それぞれアイディアを出す。

 様々なひねった案が提出されたが、高木の「こういうのはかえってダサいほうがそれっぽい」という声により、この街に巣食う殺人鬼は「レインマン」と、オカ研の内では呼ばれることになった。

「レインマン、だってさ」

「うん」

 綾もスマホを見ており、そっけなく相槌を打った。

「綾はどう思う? 雨の日にだけ殺しをするのってホントかなあ」

「あるんじゃない? 雨の時ってなんか暗い気分になるし」

「そっか」

 二人の間でレインマンの話は弾まず、その後はブルーレイで洋画を見たり、テレビゲームをしたりして過ごした。

 夕食の間だけテレビを点けた。オカ研が言うところのレインマン事件のことをどこの局も報道していた。亡くなったのは桃香たちと同じ大学に通う男子大学生で、前回の事件と同様、首を刃物で切られての失血死で、警察は二つの事件の関連を調べているらしい。

 ついに大学側も事態を重く捉えたようで、事件解決までは全面休講とするという内容のメールが送られてきた。

「レインマン、とっとと捕まるといいね」

 桃香は自然とレインマンという呼称を使い始めていた。

「そうね、いつまでもびくびくしたくないし」

 綾は桃香に同意しながらも、どこか素っ気なく返した。

ここまでの綾の様子を見て、恐ろしい考えが桃香の頭をよぎった。その考えとは、綾こそがレインマンなのではないかというものだ。

 3つの事件はいずれも綾の住処の間近で起きている。それにもかかわらず綾からは少しも恐怖心というものが感じられないのだ。口では怖いと言っているが、その言葉は空虚なものに聞こえた。なぜ怖がっていないのかというと、それは綾がレインマンだから、ではないかという考えが、桃香に突如襲い掛かったのだ。

「……なんてね」

 桃香が集めた少年漫画を読んでいる綾に聞こえない程度の声で呟いた。綾は穏やかな性格で他人の陰口も言わない。大の男2人の命を奪うような殺意を秘めているとはとても思えなかった。

 次第に夜が更けていき、明かりを消して床に就いた。やはり神経をすり減らしてくたびれていたのだろう。間もなく綾の寝息が聞こえてきた。

 桃香も目を閉じて、やがて意識は薄らいでいった。


 激しい雨の中で桃香は突っ立っていた。目の前には鼠色のぶかぶかのレインコートを着た人物が立っている。フードを深くかぶっており、顔は分からない。身長は桃香と同じくらいで、体型はコートで隠れて見えない。

 そいつは袖から隠れていた右手を出した。握られていたものを見て桃香は全身が凍り付いた。刃物だった。刃渡り20センチメートルぐらいの大ぶりなナイフで、銀色の光沢を放っていた。

「ひぃっ」と桃香は情けない声を上げた。その次の瞬間そいつは桃香の喉元をナイフで切り裂いていた。

 飛び散った血が鼠色のコートを鮮やかに染め上げたが、打ち付ける雨があっという間にそれを洗い流していくのが、光を失った桃香の目に映った。


 がばっと桃香は跳ね起きた。その目に映ったのが見慣れた自分の部屋だったことで、夢を見ていたことが分かった。

「びっくりしたあ」

 思わず、そう呟く。

 するとちょうど綾が「んー」と唸って体を起こした。

「おはよー」

 声を掛けると半開きの目で桃香のほうを見て「おはよ」と返し、こしこしと目をこすった。

 ベッドから降り、カーテンを開けると朝日が差し込んだ。昨日一昨日と続いた雨は過ぎていったらしい。

「どこか出かけようか」

 桃香は提案する。

「そうしよ、学校がないと退屈だもん」

 二人はたっぷりと時間をかけて身支度をし、よく二人で買い物に出かける駅前の通りに向かった。

 衣料品店を何件かひやかした後、桃香は家電量販店でテレビゲームのソフトを、綾はCDショップで映画のDVDを何枚か購入した。歩き疲れてコーヒーショップでだらだらと時間を過ごしてから帰宅した。桃香のアパートに着いたのは、午後3時頃となった。

 棒になった脚を引きずり歩いていた桃香はやっと一息付けると思ったが、部屋の鍵を開けようとしたとき、声を掛けられた。

「お買い物ですか?」

 見ると刑事の三吉だった。音もたてずにすぐそこまで近づいていた刑事に桃香は悲鳴を上げそうになった。

「ええ、まあ。刑事さんは? 何か御用ですか?」

「いや、用って程でもないんですが、どうしているかなって思って、現場のすぐ近くに住む、香川綾さん」

 そう言って、綾を見据える。

「何かお変わりはありません?」

 綾を気遣っているようなことを言うが、彼の目つきはまさに刑事が獲物を見る目のように、桃香には思えた。

「何ですかその目、綾を疑ってるの?」

 とんでもない、と三吉は体の前で手を振った。

「私たちはすべての人間を疑ってますから。油断すると石井桃香さん、あなたも犯人にされちまいますよ」

 笑えない冗談だったが、三吉はふっふっふと笑いながら消えていった。

twitterアカウントを開設しました。(@Enoki_Kosetu)

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