表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

上:


 外は震えるほど寒くて、ぼくは思わずぶるりと身を震わせた。同じ地方支局に配属されたばかりの湯田も、顔を顰めてジャンパーのポケットに両手を突っ込んだ。


 場所は頭に入っていた。

きらびやかな看板と立ち並ぶビル群から漏れ出る光の下、ぼくらも信号を待って、横断歩道を渡った。


「どういう意向なんでしょうかね。こんな出まかせにわざわざ俺たちを走らせるなんて」

 植木のそばのバス停を通り過ぎるせつな、湯田は皮肉をこめて苦々しげに呟いた。入社して間もなくこんな仕事を振られれば憤るのも仕方ないかもしれないが、長年ここに務めてきたぼくにはわかる。デスクはどんな小さな件だろうが後先構わずキャップに命じてぼくら記者を向かわせるのだ。大手新聞社ならまだしも、細々と発行される地方紙ではそれくらいに原稿の不足は深刻な問題で、ぼくが取材して書いた原稿や同じく端くれの報道カメラマンが撮影した写真はろくに手直しされることなく編集局へ送られ、形だけの検査を経て本紙に掲載される。


 それでも、このご時世だ。

結局ぼくらはこうしてデスクにしがみつき、指示されるまま汗をかいて走り回るしかないのだ。それがぼくの生まれてきた意味であり、生きる価値だ。


 その後ぼくらは千葉駅でカメラマンの伊東と合流し、件の一軒家へと向かった。











 人気の少ない路地にぽつんと佇む一軒家。周囲は垣根と石垣で囲まれており、裏手には小さな庭と木造の母屋がかいま見えた。


 湯田がインターホンを二、三度押すと、例の彼の母親と思われる女がにゅっと顔を出し、ああお待ちしておりました、と低く呟いた。

 貧相な顔立ちの女で、もう初老といってもいいくらいの年頃だった。女は幸恵と名乗ると、擦り切れたスリッパを用意してぼくらを家の中に案内した。

 

 家の中は埃っぽくて、ぼくはわずかに顔を顰めた。

それに何かが発酵したような酸っぱい臭いがする。居間にあがり、三人並んでテーブルについたところで、幸恵が盆にのせた茶を持ってきた。


 ぼくは何となく嫌悪感を感じて飲まなかった。湯田も、すこし口をつけただけで盆に戻してしまう。それくらいに、この家はどこか妙だった。外から見れば何の変哲もない一軒家だが、言葉では言い表せない不快感や嫌悪感を抱かせるいやな何かが家中に漂っていた。


 湯田が早く終わらせようとでもいうように、早速幸恵に用件を持ちかける。


「で、その、息子さんの様子がおかしいということで、一報を頂いたのですが」


「はい」幸恵は言った。「一応、警察にも相談したのですが、取りあってもらえなくて」


 なるほど、それでぼくらのところへ相談に来たのか。


「とりあえず、件に至るまでの経緯を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」

 馬鹿馬鹿しい、といった顔で湯田がそう問う。幸恵はがうなずき、口を開きかけた時、突然ぼくの視界の端で何かが動いた。遅れて物音。


 その場にいる全員が顔を向けた。埃をかぶって古びた黒電話。その受話器が落下して、ぷらぷらと揺れているところだった。続いて、受話器から擦れた声が流れ出した。


『母さん、誰か来てるのかい』


 ぼくらはぎょっとして、受話器を、黒電話を眺めやった。誰も触っていないのに突然受話器がずり落ちたことよりも、件の息子が電話をかけてきたことの方が、ぼくに何ともいいようのない気味の悪さのようなものを抱かせるようだった。


「すいません、息子が」幸恵はそう言って、席をたった。ぼくらの座るテーブルをまわり、黒電話の受話器を掴む。「ほら、このまえ電話した、新聞社の人たちが来てるのよ。あんたのことを相談しようと思って」


『どこにいるの』

 息子の声はノイズで途切れていて、ひどく聞き取りづらかった。やたら幼い物言いをするものだな、という印象が残った。


 幸恵が居間と答える。

しばらく問答が続き、女はがちゃんと受話器をおろした。

「その、息子が、直接話をしたいとおっしゃっているのですが」


 湯田も伊東も、明らかに警戒を含んだ表情で幸恵を見た。幸恵は視線を伏せて、じっと下を見ている。


「行きましょう」


 ぼくは言った。

湯田がぎょっとしたようにぼくを見やった。お前本気か、と心の声がきこえるようだった。幸恵は何度もすいませんと平謝りしながら、階段を登って二階の息子の部屋へとぼくらを案内し始めた。


 後ろで階段を登る湯田が、顔を近付けて話しかけてくる。


「どういうつもりなんですか、小沼さん。もうとっとと帰りましょうよ」

「何でだ」

「何でって……。おかしいじゃないですか明らかに。何で、同じ家にいる息子がわざわざ一階に電話をかけてくる必要があるんです」

「何も撮らずに帰ったら、部長にこってり絞られる。形だけだ、形だけ。適当に取材しとけば、あとは編集局が水増ししてくれるさ」


 湯田は納得できない、といった表情で不愉快そうに首をまわした。











 部屋の真ん中にそれはいた。

最初に視界に飛び込んできたのは、文字通り床に根をはったそれの頭部だった。つるりとはげあがった頭は額から上を残して床に埋没しており、ぼくはなんとなく聳え立つ東京ドームを連想した。


 埋没しているのは頭だけではなくて、四つん這いの体勢で床についた手足もまた沈んでいた。床の表面縁には得体の知れない蔓のようなものが巻きついていて、どうやらそれが沈んだ手足と頭部を固定しているようだった。


 四つん這いで蹲る全裸の男。

それが、ぼくの見たものだった。最初はみんな呆気にとられていたが、驚愕がおさまると好奇心が芽をだしたのか湯田が幸恵に問うた。


「何なんですか、これは」

「その、つまり、息子が床にくっついてしまったんです」


 と、幸恵が経緯を語り出すのを制するかのように床から声が響いた。


『もう、いいよ。母さんは下がっててくれ』


 床の下から発せられているようだが、音源は確かめられなかった。幸恵がほっとしたように肩を落とし、そさくさと部屋を立ち去って行く。伊東がおいおい、と止めたが、幸恵は振り向きもしなかった。


「まさか本当だったとは……」

 ぼくも、とても信じられない思いで床にめり込んだ男の頭頂部に顔を近付け、しげしげと眺めまわした。蔓のように見えたのはどうやら角質化した皮膚のような物体らしく、男の体から染み出るようにして床面に広がっていた。


『ようこそ、お客さん。僕はあなたたちの取材を歓迎しよう』


 声が響くやいなや、どこからか三枚の汚い座布団がするすると這い寄ってきて、ぼくらの足元に並んで静止した。ぼくがこわごわと座布団に腰をおろすと、湯田と伊東もおっかなびっくりそれに従った。


「わ、わたしたちは○○新聞社の者です。あなたを取材させて頂きに来たのですが」

 喋っている途中で馬鹿馬鹿しくなったが、とりあえず定型文を一通り口喋った。男は微動だにせずそれを聞いている。


「その、まずなぜそのような姿に?」ぼくは言って、伊東に目配せした。適当に写真を撮っておけ、という意味だ。


『特に、何も。気付いたらこうなっていた』男は淡々と答えた。『そうだな、今思えば、僕がニートになったのは、あ、ニートってのは就労についてない非労働力人口のことをいうんだけど。そう、高校に入って、クラスにうまく溶け込めなくてね……まったく、あの頭の悪い連中めが、僕を仲間外れにしやがて、疎外しやがって、恨んでるよ、今でも。恨んでるに決まってるだろ、あんなDQN連中、死んじまえばいい。あ、DQNっていうのは、まあその、所謂知能の欠けてる人のことをいうんだよ。ほら、いただろ。よく教室に。突然騒ぎ出したり……』

「ちょ、ちょっと、いいですか」

 ぼくは慌てて制止した。このままだと延々と語り続けそうな気配を感じたからである。湯田はといえば、心底軽蔑するような顔で男の頭を眺めていた。


「なぜそのような体になってしまったか、それをお聞きしたいんですけど」

『だから、気付いたら、って言ってるだろ。』段々と男の語気が荒くなり始めて、湯田は苦虫を噛み潰したような顔になった。『学校辞めて、毎日部屋に引きこもってて、その内ゲームもオナニーも飽きて、それからずっとこの体勢でうずくまってたんだ。色んなことを考えたよ。生きることについて、人生の意義。なぜ僕は産まれてきたのか。人間はどこへ行くのか。飯も食わずに考えて考えて、そして気付いた。結局僕はほんのわずかな一面だけを見て物事を判断していたに過ぎなかったのだ。狭い視野で、狭い一部分だけを見て決めつける。そりゃ考え方も偏るわけだ。だから僕は知ることにしたんだ。勿論、世界は広いからすべてのものを知ることなんてできない。でもまずは、一番身近なもの―とりあえず、この家について隅から隅までそれこそ万遍なく調べることにした。何せ生まれてからずっと付き合ってきた中だ。調査は再確認に過ぎなかった。彼は僕を理解してくれた。そして僕らはひとつになった』


 男の体がびくんと波打ち、エアコンがぴっと音をたてた。どうやら暖房がオンになったようだ。


『僕は僕の全てが染み付いたこの部屋と、家と合体して一つになった。僕が家で、家が僕だ』


 はーはっはっは、という笑い声が響いて、家がゆらゆらと軋み始めた。


 ぼくらは唖然としながら、笑う男を眺めていた。


『僕は人間の限界というものに到達して、悟ったんだ。この世に分かり合えないものなんてない。だから、君たちも僕とひとつになってくれないか』


 ぼくの背筋を寒気が走り抜けた。

直感的に、逃げようと思った。ぼくと湯田は座布団から腰をあげ、一目散に部屋のドアへ向かった。そして結果的にはそれが功を奏した。一足遅れて逃げようとした伊東の悲鳴が聞こえたのだ。


 やばい、こいつは。

ぼくはどたどたと廊下を駆け抜けて、階段に一歩足を踏み出した。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ