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八話:悪役令嬢の買い物と、主人公の食事

 土曜日ということもあり、開店直後でも店はそれなりに混んでいた。

 まつりと綾野がやってきたのは、父親のマンションの近所にあるショッピングモールに入っている服屋である。


「ここが庶民が利用する服飾店ですのねっ!」


 店を前にしてハイテンションになった綾野が、まつりの腕を取って振り回しながら我慢しきれずに叫んだ。

 近くを歩いていた通行人たちがぎょっとして振り向き、綾野と傍にいるまつりを見た。

 足がもつれて転びそうになるのを、まつりはたたらを踏んで堪え、自分の腕から綾野の手を引き剥がす。


「恥ずかしいから叫ばないで。中に入るわよ」


「ああん、まつりさん、待ってくださいまし!」


 さっさと店内に入っていくまつりに、綾野が慌てて後を追いかける。


「青春ですねぇ」


 荷物持ち兼保護者代わりとして着いてきたまつりの運転手である赤峰が、微笑ましい光景に相好を崩して二人に続いた。

 初めて来た場所に興味津々の目を向けていた綾野は、ふと顔を上げると訝しげな表情でまつりを見た。


「まつりさん、わたくしの思い過ごしかしら。何だか、方々から視線を感じますわ」


「思い過ごしじゃないわよ。来る前にも言ったでしょう。目立つのよ、あなた」


 綾野から飛び火して、視線は綾野だけでなく傍にいるまつりにも注がれている。

 まつり自身も気付いていないことだが、一人なら違和感がなくとも、綾野と一緒にいることで、綾野と同様の品のよさが浮き彫りになり、まつりが上流階級であることを匂わせてしまっているのだ。

 自分にまで視線が注がれる理由を敏感に察したまつりはため息をついた。後悔しても文字通り後の祭りである。まつりなだけに。


「どれがいいかしら。下々の服装はよく分かりませんから、迷ってしまいますわ」


 言葉の割には楽しそうな表情の綾野に、まつりも苦笑して助言をする。


「あなたの好みは高級志向だから、好みの逆を選べばいいんじゃない?」


「なるほど。好みでない服を着るのは不本意ですけど、確かに一理ありますわね。ではそういたしましょう」


 吟味の末に綾野が選んだのは、七分丈のシャツとジーパンに、薄手のパーカーだった。まつりが知る綾野の好みとはかけ離れているが、一般人に混じるために着る服装の選択としては、確かに間違っていない。

 支払いに当たり前のように杉並学院のカードを出した綾野は、困惑した店員に丁重にカードを返された。


「このお店、学院のカードが使えませんの!?」


 驚愕する綾野にまつりはやっぱりこうなったかと苦い気持ちになった。何せ初めは自分も通った道である。


「当たり前でしょう。このお店は学院と何の関係もないんだから。現金で払いなさい、現金で」


「で、でもわたくしがいつも服を注文するお店では使えますわよ」


 綾野は訳が分からない様子で、自分のカードとまつりの顔を見比べている。

 前世の記憶があるっていう設定はどこに行ったと思いつつ、まつりは綾野に説明した。

 設定などと思っているあたり、まつりはまだ綾野が主張する、この世界が乙女ゲームの世界であるという事実を信じ切れていないらしい。当たり前である。


「そりゃ、私たちが普段利用するような店は、どこも大抵学院と提携結んでるからね。客層も上流階級ばかりだからほとんどのカードに対応してるけど、普通の店は違うわ」


「どうしましょう。現金はあまり持ってきていないのよ。手持ちで足りるかしら……?」


 慌てて財布を取り出す綾野の横で、まつりはレジに表示されている金額を指差す。


「心配ないわよ。ほら、値段見てみなさい」


「四千円……二つ合わせて、たった四千円ですの?」


 ちなみに綾野の財布の中には一万円札が七枚入っていた。綾野の感覚ではこれでも少ない方である。

 綾野とまつりの突っ込みどころ満載な会話は店員にも聞こえていただろうが、プロ意識が高い店員は営業スマイルを崩さずに綾野から一万円札を一枚受け取ると、マニュアル通りの口上を述べ、お釣りとレシートを綾野に渡した。


「どうせなら、着替えていったら? ちょうどよく試着室もあることだし」


「そうね。そういたしますわ」


 まつりの提案に従い、試着室に入った綾野は買ったばかりの服に着替え、今まで来ていた服を代わりに袋に詰めて戻ってきた。


「お荷物をお持ちいたしましょう」


 気を利かせたまつりの運転手である赤峰が、自然な動作で綾野から袋を取り上げる。綾野も戸惑わず当たり前のようにそれを流した。

 改めて綾野の姿を見たまつりは、思わず額を手で覆った。

 やはり、服装を変えても縦ロールが悪目立ちしている。


「ねえ、その髪型は変える気はないの?」


「ありませんわ」


 よほど拘りがある髪型らしく、いつになく綾野はきっぱりと返答する。

 意見を翻らせることは無理と悟ったまつりは、これ以上突っ込まずに妥協することにした。

 今の状態でも、服装が変わっただけマシなはずだ。

 再び車上の人となったまつりたちは、今度はスーパーに向かった。いつも父親のマンションに行くたびに寄っているスーパーである。

 案の定、ここでも綾野は大はしゃぎした。


「ここがあのスーパーですのねっ! 安いですわ! 何もかも安いですわ! やっぱり、記憶にあるだけと実際に体験するのでは、全然違いますわっ!」


 いつも通り赤峰が買い物籠を取りにいく。

 戻ってきた彼の手には、買い物籠が二つ置かれたカートが引かれていた。


「ありがとう。綾野の分も持ってきてくれたのね」


「本当ですの!? 感謝いたしますわ!」


 無邪気に目をキラキラと輝かせた綾野は、いつも以上にまつりの知る綾野に比べてキャラが崩壊している。

 もし元の綾野が今の綾野を見れば、顔を真っ赤にして怒り狂い、存在その物を抹消して全て無かったことにしようとするに違いない。

 元の綾野のことを良く知るまつりがそう考えるくらい、現在の綾野は変わっていた。


「いえいえ、当たり前のことをしたまでです。お嬢様方は、どうぞこのままゆっくりとお買い物をお楽しみください」


 赤峰はそのままカートを手に荷物持ちに徹してくれるらしい。どこまでも気が利いた男である。


「まつりさん、わたくし、お菓子コーナーに行ってみたいですわ!」


 綾野がまつりの手を引いて早足で歩き出した。

 まるで子どものような綾野だが、まつりは今の綾野がそれほど嫌いではなかった。



■ □ ■



 お菓子コーナーにずらりと並んだお菓子を見たとたん綾野のテンションが振り切れ、店員を呼び止めて全て買い占めようとするなど一騒動はあったが、お昼になる頃には何とかまつりは買い物を終えることができた。


「お昼ですわね」


 胸を張った偉そうな態度で、綾野が腰に手を当ててふんぞり返った。


「そうね」


 対する綾野は相槌を打って買い物袋を二つ赤峰に手渡している。一つは野菜や調味料等のまつり自身が買ったものが入っているエコバッグだが、もう一つは綾野が買った菓子がたっぷり詰まったビニール袋である。


「お腹が空きましたわね」


 綾野は悲しそうな顔で自分の腹に手を当てた。


「そうね」


 さりげない主張に気付いていながら、まつりは綾野の言動をさらりと流し、腕時計を確認する。確かにもう昼過ぎだ。


「わたくし、牛丼というものを食べてみたいですわ」


「言うと思ったわ。こっちよ」


 外食したいと言い出す綾野の反応を予想していたまつりは、迷わず足を牛丼屋へと向けた。

 とはいっても、さすがのまつりも牛丼というチョイスは予想外だったので、場所を知っていたのは本当にたまたまだったりする。父親と一緒に昼食をそこで食べたことがあっただけだ。


「さすがまつりさん、わたくしの言いたいことが分かりますのね!」


 見るからにうきうきとはしゃいでいる綾野と、そんな様子を微笑ましそうに眺めながら赤峰が荷物を持ってついてくる。


「まあ、そこまで言われればね」


 横に並んだ綾野に、まつりは目を向けた。

 よほど楽しみなのか、綾野の足取りは踊るように軽やかだ。

 牛丼屋の前に着くと、特徴的な看板を見上げ、綾野が感嘆の声を上げた。


「こ、これが下々の人間が利用するという、牛丼屋ですのねっ!」


「いいからさっさと中に入りましょう。恥ずかしいわ」


 自分たちが目立っていることを自覚しているまつりの顔は、羞恥心で僅かに赤くなっている。


「ああ、まつりさん、お待ちになって」


 一足先に店に入ったまつりを、慌てて綾野が追いかけた。その後を赤峰が落ち着いた歩調で続く。


「な、なんですのこの人数は!?」


 店内に入るなり、お昼時特有の混雑ぶりに綾野は圧倒された。

 勝手を知らない綾野が行列ができている券売機を無視してカウンターまで行こうとするのを、まつりが手を引いて引き止める。


「こういうところでは、先に券売機でチケットを買って店員に渡すのよ。っていうか、覚えてないの?」


「忘れていましたわ。前世の記憶といえども、不便ですわね」


 不承不承といった様子で、綾野はまつりと一緒に券売機に並ぶ列の最後尾に並んだ。

 まつりは己の運転手にお願いをする。


「赤峰、悪いけど先に行って席を取っておいてくれる? もしかしたら、待ってるうちにテーブル席が無くなっちゃうかもしれないから」


「承知いたしました」


 荷物を持って、赤峰がテーブル席を確保しに行く。

 一部始終を不思議そうな顔で見ていた綾野に、まつりは説明した。


「注文は順番を守るのがマナーだけど、席は早い者勝ちなのよ。どうせならいい席で食べたいでしょ?」


「よく分からないルールですわね……」


 綾野は首を捻っている。

 ゆっくりとだが確実に列は縮まっていき、やがてまつりたちの番が来た。


「ねえ、まつりさん! わたくし、何を選べばいいのかしら!」


 おろおろする綾野に、まつりはいくつかのメニューを指差す。


「好きなものを頼めばいいわよ。あ。私は牛丼並盛りでいいわ」


 慣れた様子で券を買い込むまつりを、綾野が唖然としながら信じられないものを見る目で凝視してくる。

 視線に気付いたまつりは、綾野の手元を覗き込んだ。


「何にするか決めた?」


「ず、ずいぶんと手馴れていますのね」


 呆けた様子の綾野に、まつりは苦笑してみせる。


「週末は大体いつもこっちに来てるから、忙しい時はこういうお店でお昼にすることも多いのよ」


「なら、まつりさんのお勧めはどれかしら?」


「そうね……。オーソドックスに私と同じ牛丼の並盛りでいいんじゃないかしら。牛丼屋で牛丼を頼まないっていうのもなんだしね」


 綾野に勧めながら、まつりは心の中で舌を出す。

 実は、言うほどまつりは牛丼屋を利用したことはない。男性客が多いし、一般人でも女子高校生が一人で入るという時点で浮くからだ。

 だから、まつりも密かに食べるのが楽しみだったりする。


「なるほど。一理ありますわね。ではわたくしもそれにいたします」


「了解。つゆだくにする? 卵はどうする?」


「え? え?」


 自信満々にまつりに告げた綾野は、まつりの切り替えしに目を白黒させた。


「あー、知らないならどっちもなしでいいか。残しても勿体無いし、無理して食べても贅肉になるだけだわ」


 すぐにまつりは発言を取り下げた。


「も、もちろん覚えてますわよ! わたくしもまつりさんと同じものを買いますわ」


 しどろもどろになりながらも何とか綾野は券売機から券を買い込んだ。

 まつりは綾野を連れてカウンターの中の店員に渡し、赤峰が取っておいた席に座る。


「出来上がるまでは待っていましょうね」


 綾野は待ち時間があることに、嫌そうな顔をした。


「要らないところだけは共通しているんですのね」


 正直な綾野にまつりは苦笑する。


「ちゃんとした店と違ってそんなに待たされないから大丈夫よ。ほら、さっそく出来上がったわ」


「もうですの!? 早すぎですわよ!」


 騒ぐ綾野をなだめながら、まつりは店員から丼を受け取った。


「まあ、注文してすぐ出てくるのは美点ですわね」


 これは、食べ終えた綾野の感想である。

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