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七話:悪役令嬢の楽しみと、主人公の駄目出し

 それからというもの、綾野は傍から見ても挙動不審だった。

 人目がある場所では辛うじて堪えているものの、二人きりになるとすぐに顔が笑み崩れ、浮かれ始める。

 機嫌が良いおかげか他人にも優しく鷹揚で、普段なら厳しく叱りつけるような無礼を働いた相手にも、寛容に接する。


「ほほほ、あと一日、あと一日ですわ……」


 綾野は今も、まつりにちらちらと視線を送っては、慌てて顔を逸らしてにやにやと悦に浸ることを繰り返している。傍から見ていてとても気持ちが悪い。

 今日は金曜日。綾野は月曜日にまつりと約束を取り付けてから毎日ずっとこんな調子なのだ。


「ねえ、綾野。いい加減あなたの態度がウザいんだけど」


 米神をひくつかせながら、まつりが綾野を睨んだ。

 友人のことを慮って耐えていたまつりだが、我慢にも限界というものがある。


「え? 何か仰って?」


 舞い上がっている綾野は聞いていなかったようで、きょとんとした顔でまつりを振り返る。

 悪意が感じられない無邪気な綾野の表情を見て毒気を抜かれたまつりは、深いため息をついて苛立ちを消化した。

 変わりに、呆れた口調で綾野に問いかける。


「そんなに明日が待ち遠しいの?」


「当然ですわ!」


 胸を張る綾野は、今日も平常運転で令嬢らしさをどこかに置き忘れているらしい。前世の記憶に目覚めるまでの綾野が薔薇と形容するなら、今の綾野は薔薇の振りをしたぺんぺん草である。なまじ表面上には威厳とか優雅さとか、元の綾野を構成する部品が残っているから性質が悪い。

 綾野はガッと拳を握り叫んだ。


「よく考えたら、御香月家にはよく遊びに行っていますから、まつりさんのお母様とはお話したこともありますけれど、まつりさんのお父様と現実でお会いしたことは一度もございませんもの。わたくし、今から楽しみで仕方ありませんわ! ゲームに出てきたまつりさんのお父様は、とても素敵な方でしたのよ! ですから、現実のまつりさんのお父様も、さぞかし素敵な殿方なんでしょうね! そう、きっとゲームのおじ様をさらに渋くダンディーにしたような素敵なおじ様が……」


「はいはい戻ってきて戻ってきて」


 興奮するあまり、ハイソだとかお淑やかだとか、そんな淑女らしさをどこかへ投げ捨ててしまった綾野を、まつりは嗜める。

 何やらまつりには全く分からぬ幻想を抱いている綾野には悪いが、まつりの父親である芳樹は、人生に疲れた風の、痩せぎすで若白髪な、実年齢よりも老けて見える冴えない男性である。

 もし綾野のいう前世の記憶が本当だとしたら、ゲームとの落差が酷い。


「あら嫌だわ、わたくしったらはしたない」


 我に返った綾野は楚々とした所作で扇子を取り出し広げると、恥ずかしそうに顔を隠すが、いまさらである。


「それで、私が言った注意事項、ちゃんと覚えてるんでしょうね?」


 半眼になった目で綾野を睨みつけながら、まつりは事前に教えておいたことを綾野がまだ覚えているかどうか、確認する。こう見えても、綾野は忘れっぽいのだ。当然覚えているだろうと思うようなことでも、平気で忘れていることがある。

 返答には間が空いた。


「もちろんですわ!」


「なら言ってみなさい!」


 怪し過ぎる空白の時間をいぶかしんだまつりがなおも深く切り込むと、とたんに綾野の目が泳ぎ出す。


「……ももも、もちろんですわ! 少し待ってくださいまし! わたくしだって、学習してますのよ!」


 綾野は自分の鞄の中身を漁ると、豪華な装丁の施された、革張りの手帳を取り出す。


「一、道の真ん中を誰かが歩いていても、脇に退くよう命令しない! 二、家柄をひけらかさない! 三、無礼を働かれたからといってむやみに平手打ちしない! 四、無銭飲食しない! 五、服装と態度を周囲に合わせるよう心がける! ほら、覚えていましてよ、言われたその日にきちんとメモしておきましたの!」


 読み上げられた内容は明らかに非常識なものばかりであったが、世間の非常識は杉並学院では常識なのである。同じ派閥の中でも家柄などによる力関係は明確に存在するし、良家の子女が集まる学校であるだけに、誰もが礼儀には厳しい。

 しかも、恐ろしいことに基本的には学院の食堂や購買は、学院生が利用する分には基本的に全て無料である。生徒たちの家から授業料などの他に毎年莫大な寄付金があるので、それでも学院の運営は黒字になるのだ。

 ただ例外として、外部から一般受験で入学した特待生は一般家庭で育った場合が多いので、その場合は寄付金や授業料などの諸経費は免除される。文字通り、完全に無料で学院に通える。その分、一般生徒と違い特待生は要求される学力も半端ではないのだが。

 ちなみにまつりにはあずかり知らぬことだが、ゲームで主人公だったまつりもまた、完全無料で学院に通う特待生だった。特待生であり続けられるだけの好成績を維持するだけでも難しいのに、それに加えて緻密なスケジュール管理の元に老若男女から獣に至るまで、様々な恋愛対象と恋に落ちるゲームのまつりは、紛うことなきビッチである。

 ビッチではなく恋多き女性なのよ、と綾野なら反論するかもしれないが、このゲーム、好感度管理とフラグ管理さえしっかりしておけば、ルートの途中であろうと別ルートに突入することができるという仕様だった。やはりビッチである。しかもルート変更してからでしか見れない攻略キャラのイベントや専用スチルまであったりする。いわゆるヤンデレルートである。

 さらにルート変更を繰り返しフラグを積み重ねると、ゲームは悪役令嬢と主人公の役割が入れ替わる通称「悪女ルート」へ突入する狂気の沙汰っぷりを見せるのだ。このルートに突入すると、主人公が断罪されるという誰得エンディングを迎える。しかもこのルートのバッドエンドが、何故か逆ハーレムエンド。もはや訳が分からない。

 メモを読み上げた後の綾野は自身有りげな表情をしているが、もちろん綾野が読み上げた数々は、メモするまでもなく普通の人間であれば弁えていることなので、全く自慢にはならない。


「まあ、自覚してメモしておくあたり、進展があったと見るべきね。やるじゃない」


 ドヤ顔で手帳を見せ付けてくる綾野に生温い視線を向けながら、まつりは綾野を褒める。


「ほほほ、当然ですわ!」


 腰に手を当て、綾野は高笑いをした。完全に調子に乗らせてしまったらしい。

 恥ずかしくなったまつりは素早く辺りを見回した。同じようにティータイムに興じていた生徒たちが、笑い声が気になるのかちらちらと視線を向けてくる。その誰もが、まつりと視線が合うと気まずそうにさっと素早く視線を逸らした。

 周りの生徒たちはまつりの派閥でも綾野の派閥でもないが、それでも家柄というのは明確な力の差を生むもので、彼ら彼女らの対応は、迷惑で注意したいが、余計なことをして目をつけられてはたまらないという思惑が透けて見える。


「うるさいわよ、綾野。回りの迷惑になってるわ。少し声を落として」


 だから、こういう時は家柄が同等以上で、友人でもあるまつりが注意するしかない。

 神宮寺家と御香月家は財力はほぼ同等でも、歴史では御香月家の方が圧倒的に家格が上なので、総合的に見れば権力の高さはまつりに軍配が上がる。神宮路家の息女である綾野に面と向かって言うことを聞かせられるのはまつりだけだ。あとは綾野の婚約者くらいである。彼の家も神宮路家と同等の権威を誇る家柄なので、綾野も比較的婚約者の前では猫を被る。


「うふふ、早く明日にならないかしら」


 素直に声量を落としても、変わらず綾野の顔は始終笑み崩れっぱなしだ。

 これは処置無しと、まつりは匙を投げた。



■ □ ■



 土曜日の朝。

 御香月家に神宮路家の送迎用リムジンが到着した。綾野が乗る車である。いつも登下校に使っている車だ。

 運転手が先に外に出て、後部座席のドアを開けると、中から綾野がしずしずと出てくる。

 綾野の服装を一目見たまつりは、即座に綾野に命じた。


「はい、着替え直し」


「どうしてですの!?」


 いきなり大変なことを言われた綾野が目を剥いた。


「その格好でお父様のマンションに行ったら浮くわよ、間違いなく。途方に暮れるあなたが目に見えるようだわ」


 まつりは完全に断言口調であった。

 何しろまつり自身が一度通った道である。経験者は語るというやつだ。

 だが綾野はまつりの忠告に異論があるらしく、ふんぞり返って自信満々に言った。


「そんなことありませんわ。わたくしだって周囲に合わせられるように服装に気を使いましたのよ? 既製品の、しかも持ってる服装の中で、一番の安物を着てきましたのよ。これでわたくしも見た目は一般市民ですわ。ばっちり溶け込めますわよ」


 まつりが見る限り、確かに綾野の服装は普段に比べれば明らかにランクが下がっている。綾野のお気に入りの服は全て海外で活躍する有名デザイナーにオーダーメイドで作らせた一点ものだし、そもそも普段なら綾野は高級ブランドであろうと、誰でも買えるような既製品を着たりはしない。


「それよりも、まつりさんこそどうなさいましたの、その服装は。まるで下賎な民ですわよ。まつりさんには似合いませんわ。早く着替えた方が宜しくてよ」


 逆に、綾野は眉を顰めると、まつりの格好に苦言を呈してきた。

 まつりの服装は、父親の芳樹が住むマンションの近くにいる衣類量販店で購入したブラウスにスカートという、シンプルかつカジュアルなものである。

 確かに、普段のまつりならば周囲の目があるので絶対に着ない服だが、これくらい落とさなければ回りに溶け込めないことも確かなのだ。

 もちろん服装だけでも駄目なので、まつりは髪型も普段とは変えている。


「私達は、これくらいにしないと目立ちすぎるのよ。綾野も恥ずかしい思いをしたくなければ、悪いことは言わないから着替えなさい。それに、その縦ロールも止めた方がいいわね」


 髪型にまで駄目出しをされた綾野は唇を尖らせた。上目遣いに、不満そうな表情でまつりを見つめる。


「そんなこと言われましても、これ以上ランクを落とせる服は持っていませんわ。先ほども言いましたでしょう? これが一番安い服ですもの。あと、この髪型だけは譲れませんわ」


 綾野やまつりにとっては安い服でも、一般人にしてみれば十分に高価である。そして綾野は己の縦ロールにこだわりがあるらしい。


「……仕方ないわね。お父様の家に行く前に、まず服だけでも買いに行きましょう。私が着てる服もそこで買ったのよ」


「まあ、庶民のお買い物ですわね! 楽しみですわ!」


 興味が刺激されたか、綾野が急に乗り気になった。


「なら早速出かけましょう。青原さん、綾野をお借りしますね」


「はい、気をつけて行ってらっしゃいませ、お嬢様方」


 綾野の運転手に見送られ、まつりは綾野を連れて駐車場に向かう。

 駐車場ではまつりの運転手である赤峰がすでに車を回して待っていた。


「あら? 登下校に使う車ではありませんのね」


 普段の高級車ではないことに気がついた綾野が目を丸くする。


「服装を変えても車がそのままだったら片手落ちでしょう。お父様の所に行く時は、いつもこの車を使わせてもらってるのよ。赤峰の自家用車ですって」


 御香月家令嬢の運転手を勤める赤峰は高給取りだが、それでも贅沢三昧できるほどではないし、先日待望の第一子が生まれたばかりで何かと物入りだ。暮らしぶりや金銭感覚は一般人とそう変わらない。


「どう、赤峰。私たち、ちゃんと一般人に見えるかしら」


 まつりに尋ねられた赤峰は返答に窮した。

 服を新調したまつりは、まだまつり自身の品の良さが目立ってはいるものの、違和感を覚えるほどではない。

 問題は綾野の方である。服装のせいか綾野自身の気質のせいかは定かではないが、綾野からはこれ見よがしに高飛車な良家のご令嬢オーラが溢れ出ている。綾野のお気に入りの、縦ロールの髪型もいつも通り激しく自己主張していた。髪型まで変えるつもりはないと断言した結果である。


「……お嬢様はとにかく、神宮路様はもう少し工夫が必要かと」


「ですって。綾野、やっぱり目立ってるわよ、あなた」


 くすりと笑うまつりに、綾野は頬を膨らませる。

 笑われた綾野は、ジト目でまつりを睨むとまつりの手を取り、車の後部座席に乗り込んだ。


「分かってますわよ。だからお店に行くんでしょう」


 早く乗れと言わんばかりに繋いだ手を引っ張ってくる綾野に、まつりは手で口を押さえて今度こそ笑い声を上げた。


「そうね。その通りだわ。じゃあ早速行きましょうか。赤峰、出して頂戴」


 後部座席にまつりと綾野を乗せて、赤峰が運転する車はゆっくりと御香月家の門を出て行く。

 まつりにとっては普段と同じ、綾野にとっては初めての、そしてどこか懐かしい体験に溢れた休日が始まった。

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