六話:悪役令嬢のお茶会と、主人公の誘い
杉並学院では、午後三時から四時までお茶会の時間が設けられている。
各々の生徒たちがグループを作り、お茶やお茶菓子を持ち寄って交友を深めるのだ。もちろん、そのどちらも家柄に比例して高級品となっていく。
いつ誰が始めたのかはまつりにも分からないが、今ではこのお茶会は半ば学院の公認となっていた。
学院の教師たちから指導が入らないのは、つまりそういうことなのだろう。今ではわざわざお茶会のために、午後の授業の時間すら調整されているほどである。
まつりと綾野は特に両派閥内の予定がない限り、二人きりでお茶会をする。
必要ならば人数を集めて大人数のお茶会を開くこともあるが、まつりと綾野はこの二人きりのお茶会を好んでいた。親友と二人、水入らずで過ごせる貴重な時間だからだ。
両派閥のトップの仲が良いので、全体的に旧家派閥と成金派閥の仲はそれほど悪くなく、まつりと綾野以外でも派閥をまたがってのお茶会は珍しくなかった。
「実は、まつりさんに相談がありますの」
神妙な顔で綾野がまつりの手を取って相談を持ちかけてきたのは、そんなお茶会の最中だった。
「何かしら」
ティーカップを傾けて紅茶を一口飲んだまつりが聞き返すと、綾野は手を離して視線を下げてチーズケーキにフォークを入れながら、口を開く。
「実は最近、贅沢が辛くなってきまして」
深刻そうにしていたから、どんな話が飛び出してくるかと内心戦々恐々となって身構えていたまつりは、気が殺がれた様子で見るからにやる気を無くして足を組んだ。
「……えーと、それは新手のギャグか何かかしら」
冷めた目でまつりが見つめる先で、綾野が不思議そうな顔で首を傾げる。
「どういう意味ですの?」
「私たちが食べてるこれ、一切れいくらか覚えてる?」
まつりはにこりと微笑むと、フォークを一度置いて、食べかけのケーキを手で示してみせた。
フォークを持ったままだったり、指差すのは無作法なのでやらない。一応これでも、まつりはお嬢様なのだ。
父親のところにいる時は父親に合わせてまつりもマナーを相応に崩すが、杉並学院ではそうはいかない。まつり自身も御香月家での生活の延長線上と捉えているので、基本的には御香月にいる時と同じ態度を取っている。
対する綾野は、よくぞ聞いてくれたとばかりに表情を輝かせ、声を弾ませて美咲にケーキの説明を始めた。どうやら誰かに話したくて仕方がなかったようだ。
「当たり前ですわ。今回のお茶菓子を用意したのはわたくしですもの。一切れ三千円ですわ。わざわざ人をやって、飛行機で遠方の老舗店まで買いに行かせましたのよ。もちろん取り寄せなどしませんわ。現地で買ってこそ、本場の味を楽しめるというものですもの。すぐさま飛行機でとんぼ返りさせましたの。実はそれが一時間前ですわ」
そこまで一気に言って、綾野は自慢するかのように胸を張った。豊かな双球が自己主張するかのように盛り上がる。
相変わらず非常識な綾野に、まつりは頭痛を堪えて告げる。
「世間ではね、同じ値段でホールケーキが買えるのよ。これが贅沢じゃなければ何なのかしら」
「な、なんですって──!」
雷に打たれたかのように身体を仰け反らせた綾野は、愕然として食べかけのチーズケーキを見つめる。
「せ、世間ではそんなに安くケーキが買えますの……?」
「味に差はあるかもしれないけど、端的に言えばその通りよ」
「わたくしったらなんてことを……! 前世ではケーキを買うことなんてほとんどなかったですから、知りませんでしたわ!」
慄く綾野に、まつりは生暖かい視線を向けて提案した。
「じゃあ、次私が持っていく時は安いお茶菓子にしましょうか」
「いいえ、普段通りでお願いしますわ」
きっぱりと綾野はまつりの提案を却下する。それとこれとは話が別らしい。
「それで贅沢が辛いっていうのはもうジョークでしょう。自分の発言を思い返してみなさいな」
まつりの指摘に、綾野の視線がものすごい勢いで泳ぎ出す。
やがて肩を落とした綾野は、まつりに事情を話した。
「実は、庶民の生活が恋しいんですの」
「……私の思い違いでなければ、あなたの家は、あなたが生まれた時からお金持ちだったと記憶しているのだけれど。家族ぐるみで節約でもしていたの?」
「いいえ。むしろ散財していましたわ」
「訳が分からないわ……」
次々に明らかになる矛盾点に、まつりは首を横に振った。お手上げである。
「前世では庶民でしたのよ。ですから、普通にゲームをしたり、漫画を読んだり、ジャンクフードを食べたりしていましたわ」
まつりは頭の中で、縦ロールを靡かせた綾野がジャージ姿でゲームをしたり、漫画を読んだり、ジャンクフードを食べる様子を思い浮かべた。違和感しかなかった。
「そのどれも、今生では一度も手に取ったことすらありませんの。ですから、懐かしくなってしまって」
「ああ、そういうことね」
ようやく納得できたまつりは、呆れたようにため息をつく。
「……なら、これでも食べる?」
まつりは休日にスーパーで買ったお徳用パックのおつまみあられを一袋取り出し、綾野に差し出した。余ったもののほとんどは父親である芳樹のマンションに置いてきたのだが、一袋だけ自分の鞄に紛れ込んでいたのだ。家で食べているところを誰かに見つかると面倒くさいことになるので、鞄の中に入れっぱなしになっていたのである。
差し出されたあられのパッケージを、綾野は口を開けて見つめていた。完全に目が吸い寄せられている。
震える手を伸ばしながら、綾野が呟いた。
「どうしてまつりさんがそんなものを持っていますの……?」
「私の両親が離婚しているのは綾野も知ってるでしょ。私のお父様は庶民の家柄なのよ。だから、こういうものも手に入るってわけ」
あられの袋を受け取ると、興奮した面持ちで綾野はまつりを見つめてきた。
「た、食べてもいいんですの!?」
「どうぞ。好きにして頂戴」
感極まったようにあられの袋を胸に抱くと、綾野は微笑んで一筋の涙を流す。綾野の表情はまるで色鮮やかな色彩画に描かれたヴィーナスのように美しかったが、あられの袋が全てを台無しにしている。
袋を開けて、中身のあられを一つ摘んで齧った綾野は、ぽつりと感想を漏らした。
「……ああ、懐かしい味。わたくしはこれを求めていたのですわ」
穏やかな笑みを浮かべ、ぽりぽりと綾野はあられを食べていく。
浮世離れしたやんごとなき身分の令嬢が感極まった表情であられを食す。意味不明な光景であった。
見ているだけで頭が痛くなる光景に、まつりは耐える。まつりは父親が庶民ではあるが、綾野とはちがって前世の記憶などない正真正銘のお嬢様であり、こんな意味不明な展開で取り乱すなど論外なのである。
本当は思い切り突っ込みたい。いかに綾野の行動が奇怪なのか、こんこんと本人に語って聞かせたい。だがそれは優雅とは言えない。お嬢様らしくない。だからまつりは我慢する。
「今週の土曜日と日曜日、お父様の家に泊まりに行くんだけど、良かったら綾野も来る? 庶民らしい生活、体験できるわよ」
不毛な耐久レースに疲れたまつりが何気なしに誘うと、綾野は目を見開いてあられを摘む手を止めた。綾野の顔には大きな文字で行きたいと書いてあったが、綾野本人は気まずそうに目を逸らした。
「でも、まつりさんにとってもお父様と過ごす貴重な時間なのでしょう? 邪魔したら悪いわ」
そんなことを言っても、綾野の視線はちらちらと未練がましそうにまつりに向けられているので、説得力がない。
まつりはため息をついた。
何だかんだいって今の綾野を受けて入れてしまっているまつりは、結局のところ綾野の変化を歓迎しているのだ。何しろ敵に対する超攻撃的な態度が消え、性格的にとても丸くなった。それでいて、友人や、己が守るべき者と定めた者に対する優しさは変わっていない。
まあ、ちょっと、いやかなり、性格的に抜けた部分も新たにできてしまったが、それくらいならまつりは許容できる。むしろ、欠点のない完璧超人よりも、かえって親しみ易くていいかもしれない。
そう考えたまつりは、綾野に向けて微笑みを浮かべた。
「構わないわ。お父様の所に行くのは毎週のことだし。たまにはお友達を連れていくのも一興よ。もちろん、綾野が良ければの話だけれど。それで、どうする?」
「……是非、お願いしますわ」
手で顔を覆った綾野が喜びでにやける表情を隠しながら頷いた。
■ □ ■
捜した結果、『藤園まつり』という女子生徒は見つからなかった。
「別の学校の生徒なのか……? それとも、俺が気付いてないだけか?」
公立高校の中では生徒数が多い方なので、特定の生徒を見つけ出すのは簡単ではない。
それによく考えたら、私服姿を見たことはあっても、制服姿を見たことは一度もないのだ。隣同士なのだから同じ学校に通ってるかもしれないと高志は思ったのだが、中学ならともかく、高校ではあまり関係なくなってしまうことを、高志は失念していた。
チャイムが鳴り、授業が終わった。先生が出て行き、とたんに教室内が賑やかになる。
「しまった。板書してねぇ」
考え込んでいたので、そもそも授業の内容すら頭に入っていない。
「仕方ねー。飯だ、飯」
机の脇に提げた鞄から、弁当箱を取り出す。
いつもの面子に声をかけようとしたところで、逆に向こうから声がかけられる。
「高志、お昼だよ。一緒に食べよう!」
快活な声で話しかけてきたのは、幼馴染の飯島翔子だった。活発な性格で、誰に対しても態度を変えることなく分け隔てなく接するが、その実何も考えていないだけなので、それを好意と考えてしまうと素で引かれて酷い目に遭うトラップ系女子である。ちなみに一部で囁かれるあだ名は洗濯板。どこが洗濯板なのかはお察し。実に恨みが篭ったあだ名だ。
翔子は隣にもう一人女子を連れていた。翔子の友人の倉本由紀である。翔子の背中に隠れているうえに俯いているので表情は見えないが、それ以外で分かるのは、全体的にちんまりとした女の子だということ。ただし、一部を除く。
「おう。秀隆、行くぞー」
「了解。今行くよ」
声をかけた高志に返事を返したのは、高志の友人の寺尾秀隆だった。やたらと古風な名前に似合った堅物で、容貌もいかにもなインテリ眼鏡なのだが、運動神経も良い文武両道を地で行く男である。真面目な性格で、教師の受けも良い。生徒会に所属している。
この三人に、高志を加えた四人でいつもよくつるんでいる。
元々は高志と翔子、秀隆と由紀が疎遠気味な幼馴染同士で、さらには高志と秀隆、翔子と由紀が中学校からの友人という、少々こんがらがった間柄だったのだが、いつの間にか四人で仲良しグループとして定着していた。
「ねえ、今日はどこで食べよっか?」
先頭を歩く翔子が振り向いて、後ろの三人に尋ねた。
「中庭なんていいんじゃないか? 今日は良い天気だし、気持ちいいぞ、きっと」
窓の外から中庭を眺めた高志が発言すると、由紀が気後れしながらも反対意見を出す。
「私は出来れば、屋内がいいな。外だと日焼けしちゃうから」
「なら、生徒会室はどうだ。今なら誰もいないから、独占できるぞ」
秀隆は生徒会長なので、生徒会室の鍵を持っている。それ故の発言だ。
「じゃあ生徒会室にしよっか。あそこならポットがあるからお湯が使えるし」
翔子の一声で生徒会室で昼食にすることにした一行は、早速移動する。
「あれ、翔子はパン食なのか」
他の三人が弁当を広げる中、翔子だけがコンビニのビニール袋からパンを取り出したので、高志は何気なく呟く。
「そうなのよう。今日お母さんも私も寝坊しちゃってさー。どっちも作る暇が無かったのよねー。かわいそうに、お父さんも今日は弁当ナシで出かけたわ」
パンの袋を開けながら、翔子は苦笑する。
「翔子ちゃんも、翔子ちゃんのお母さんも、朝弱いもんね……」
ちまちまと小さな口で弁当の中身を口に運びながら、由紀が翔子に相槌を打った。
「遺伝か。そういえば、翔子の母ちゃん、お前に似てるよな」
「お母さんが私に似てるんじゃなくて、私がお母さんに似てるのよ。親子なんだから当然でしょ」
ぽろりとこぼれた高志の感想に、翔子はしっかりと言い返してきた。実に耳聡い娘である。
しばらくして、思い切って高志は皆に聞いてみた。
「……なあ、藤園まつりって子、知らないか?」
「知らんな。誰だ?」
弁当を食べる手を止めて、秀隆が高志に聞き返す。
「いや、俺ん家の隣に住んでる子なんだけどさ。週末によく会うからちょい気になって」
「うーん、私も知らないなぁ。ねえ、由紀は知ってる?」
首を傾げた翔子は、隣に座る由紀に話を振った。
由紀は申し訳なさそうに微笑み、首を横に振る。
「ううん、知らない。私、翔子ちゃんたち以外とはあまり喋ったことないから。ごめんね、力になれなくて」
「いや、いいさ。気にすんなって」
結果は芳しくなく、友人への聞き取り調査も空振りに終わる。
申し訳なさそうな表情の由紀に礼を言う高志だが、内心ではとてもがっかりしていた。




