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四話:悪役令嬢が居ない日と、主人公の休日

 次の日の朝、まつりはパンが焼ける匂いでまどろみから目覚めた。

 寝起き特有のぼうっとする頭で、まつりは起き上がって辺りを見回す。

 窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。

 枕元の目覚まし時計を見れば、見事に予定時刻を過ぎていた。


「……寝坊しちゃった」


 まつりはあまり朝が強くない。

 のそのそとした動きで布団を畳んで押入れに仕舞うと、おぼつかない歩みでリビングへ向かう。


「おはよう。もうすぐ朝ごはんできるから、顔でも洗っておいで」


「起こしてくれれば、私が作ったのに」


 不満そうに唇を尖らせて拗ねるまつりに、台所から顔を覗かせた父親は苦笑した。


「いいんだよ。たまには父親らしいことさせてくれ」


 よく考えたら、まつりは父親の手料理を食べたことがないことに気がつく。

 御香月家には専属の料理人がいるし、両親が離婚して父親のマンションにこうして通うようになってから、まつりは好んで父親の世話を焼いていた。

 そうすることで父親の喜ぶ顔を見るのは好きだったし、何も知らずに非がある母親についていってしまった負い目もあるからだったが、逆を言えばそれは、父親に娘として甘えたことはないということでもある。


「うん。分かったよ。お父さんが作るご飯を食べるのは初めてだね。楽しみ」


「そこまで期待されると困っちゃうな……」


 それほど料理が得意ではない父親は、娘の寄せる期待に顔を引き攣らせた。

 待っている間にちゃぶ台でも拭いておこうかと思ったまつりが腰を浮かすと、父親が慌てて制止してくる。


「ほら、座って待ってて。すぐできるから」


「待ってるだけなのもなんだし、ちゃぶ台くらい拭かせてよ、お父さん」


 仕事を取られたまつりは、むっとして文句を言った。

 ご機嫌斜めになる娘に、父親が休んでいるように諭す。


「それも僕がやるからいいってば。休日くらい、甘えていいんだよ」


「むー」


 あまり甘えている自覚がなかったまつりは、しぶしぶ座布団の上に座り直してまつりの代わりにちゃぶ台を拭く父親を眺める。

 父親はすぐに料理を運んできた。

 料理とはいっても、本人が言った通りシンプルなものだ。目玉焼きと焼いたウインナーの横にレタスにトマトが添えられ、もう一つの皿にはパンが一枚。それがまつりの分で、父親の分は同じ献立にパンが一枚追加されている。


「パンは一枚で良かったかい? もっと食べたければ追加で焼くけど」


「一枚でいいよ、お父さん」


 いそいそと半腰になって今にも立ち上がりそうだった父親をまつりは宥めた。


「そうかい?」


 どこか残念そうな顔で、父親が再び腰を下ろす。

 父親の気遣いは嬉しいが、まつりは父親ほどたくさんは食べられない。性別の違いのせいもあるし、体重が増えるのを気にしているせいもある。女の子たる者、日々の食生活にも気を使わなければいけない。

 たまに自制がきかなくて食べ過ぎる時もあるが、それはご愛嬌である。


「いただきます」


「いただきます」


 父娘向かい合って食事を始める。

 最初にレタスを口にしたまつりは顔を顰めた。まつりはあまりレタスが好きではない。よりはっきりと言えば嫌いだ。それでも買ったのは好き嫌いはいけないとまつり自身が分かっているし、父親には食べてもらいたいからである。


「まつりは昔からレタスが嫌いだよね。あの家に住んでいた頃も、自分からは絶対に食べようとしなかったし」


「やだ。そんなことまで覚えてるの?」


 自分の記憶すら定かではない昔話をされ、まつりは赤面する。


「覚えてるさ。あの頃に比べたら、まつりの好き嫌いは良くなってる方かな。こうしてレタスもちゃんと食べてるしね」


「もう。さては、私がレタス嫌いなこと知っててわざと盛ったでしょ」


 苦み走った表情で苦手な野菜を頬張るまつりへと、父親は済ました笑顔で微笑みかけた。


「もちろん。好き嫌いしちゃいけないよ」


「……お父さんのいじわる」


 頬を膨らませるまつりに、父親は声を上げて愉快そうに笑う。

 朝食を済ませたまつりは後片付けをしようとしたが、またしても父親に止められた。いつも父親の世話をする側で世話をされるのに慣れていないまつりは、手持ち無沙汰になって困ってしまう。

 時計を見ると意外と時間が経っていて、十時になろうとしていた。

 洗い物を済ませた父親が出かける準備をしている。


「お父さん、これから買い物に行ってくるけどまつりも来るかい?」


 尋ねる父親はそわそわしていて、父親が求める答えが透けて見えたまつりは、父親の誘いに乗っかることにした。


「うん。私も行く。ちょっと待ってて」


 手早く出かける支度を整えたまつりは、父親と並んでマンションを出た。



■ □ ■



 横を歩く父親の機嫌は良い。


「何か買いたいものはあるかい? 普段世話されてばかりだし、欲しいものがあれば買ってあげるよ」


 買い物に行くというのは口実で、父親の目的は娘に何かを買い与えることであった。父親として、娘に親らしいことをしてあげたかったのである。

 それを知ってか知らずか、まつりはうーんと考え込んだ末に、笑顔でねだった。


「私、新しい服が欲しいわ。お父さん、買ってくれる?」


 承諾する前に、父親は何気なく娘の服装を見た。よく見たら全身ブランドもので固めている。


「うん、いいよ」


 答えながらも父親は密かに不安だった。さすがに安売りされているような既製品では済まないだろう。金が足りなかったらどうしようと思っていた。

 だが意外なことに、まつりが告げた行き先は、父親もよく知る安さが売りの衣類量販店だった。父親は何度も利用しているが、まつりが普段着ているような服は置いていないはずだ。


「いいのかい?」


 尋ねた父親に、まつりは自分の服装を見て苦笑した。


「うん、いいの。だって、私が持ってる中で一番安い服でもこれだもの。目立って仕方なかったわ」


「ああ、そういうことか」


 得心がいって、父親が思わず笑う。

 確かに一般人の中にいかにも上流階級然とした服装の女子が混ざっていたら否応なく目立つだろう。余計なトラブルを避けるという意味でも、新しい服を見繕うのは悪くない。

 まつりは店内をじっくり見て回り、父親や店員の助言を参考に手ごろな値段の服を数点見繕った。



■ □ ■



 どうせならと、まつりは買った服に着替えて帰ることにした。

 着替えたまつりは服装のせいもあり、少々品が良いだけの少女にしか見えない。あえてまつりが普段よりも行儀を意識しないで振舞っているせいもあるが、上手く風景の中に溶け込めている。


「藤園さん?」


 マンションの近くまで来たところで、見知らぬ女性に話かけられ、まつりは父親と一緒に振り向いた。

 女性はまつりと同年代の少年を連れており、まつりの父親と親しげな様子で話し出す。


「ああ、新井さんじゃないですか。こんにちは」


「こんにちは。藤園さんは、今お帰りですか?」


「ええ。ちょっと買い物に出かけてまして、今帰ったところです」


 まつりは困惑して父親を見上げた。女性は父親とどういう関係なのかと疑問に思ったのだ。

 眉を顰めるまつりの視線に気付いた父親は、まつりに女性を紹介する。


「そういえば、会うのは初めてだったね。隣の部屋に住んでる新井良子さんと、息子の高志くんだよ。新井さん、娘のまつりです」


 得心がいったまつりは、父親の紹介に合わせて前に出て、ふかぶかとお辞儀する。


「始めまして。娘のまつりです。父ともども、よろしくお願いいたします」


「あらまあ、今時珍しい、礼儀正しい子ですね。ほら、高志も挨拶なさい」


 高志と呼ばれた少年は、穴が開くほどまつりを凝視していた。

 そこまで見つめられる理由が分からず、居心地悪さにまつりが愛想笑いを浮かべたまま身動ぎすると、高志はぼそりと呟いた。


「……新井高志です。よろしく」


「もう、無愛想なんだから。まつりちゃん、ごめんね?」


 苦笑する良子は視線をまつりに合わせたまま、高志の頭に手を置き、ぐりぐりと撫で回す。


「やめろよ、恥ずかしい」


 顔を顰めた高志が乱暴に良子の手を振り払った。


「もう、この子ったら」


 痛そうに手を押さえる良子だが、息子を見つめる目は慈しみに満ちている。仲が良さそうな母子の光景を、まつりは憧憬を感じ目を細めて見つめた。


「実は、これから息子とお昼を食べに行く予定なんです。もし良かったら、芳樹さんも娘さんと一緒にご一緒しませんか?」


「喜んで。まつりもそれでいいかい?」


 慣れた様子で即答した父親と当たり前のように父親を誘った良子に、まつりは唖然とした顔になった。

 離婚済みである父親はまだしも、良子は息子がいるのだから、既婚、つまり夫がいるはずだ。夫がいる人間が隣に住んでいるとはいえ、そう簡単に夫以外の男性をプライベートで食事に誘うものなのか。


「まつり?」


「あ、うん。私はいいけど。高志くんはどうなのかな」


 父親に話しかけられ、我に返ったまつりは判断がつかず、愛想笑いのまま決定権を高志に投げた。


「……俺は別に、構わない」


「それじゃあ、決まりですね。行きましょうか、芳樹さん」


 るんるん♪ と擬音が着きそうな足取りで、良子はまつりの父親の腕に自分の腕を絡めた。対する父親は良子の行動に苦笑こそすれ、嫌そうな顔はしていない。

 良子の息子である高志の横に、まつりは並んだ。


「な、何だよ」


 横に並ばれた高志は何故か挙動不審になった。


「私のお父さんと高志くんのお母さん、ずいぶんと仲が良さそうですね。高志くんは、何も思わないんですか?」


「別に何も。ってか、母ちゃんの恋愛に口は出さねーよ。小さい頃に親父が死んでから、今まで女手一つで育ててくれたんだ。賛成こそすれ、反対なんかするもんか」


「……ああ、なるほど。そういうことですか」


 父親が不倫に巻き込まれていないかと密かに心配だったまつりは、高志の話を聞いておおよその事情を理解し、胸を撫で下ろした。

 不倫でなければ、父親が誰と再婚しようがまつりにどうこういう筋合いはない。

 今度は高志の方からまつりに話しかけてくる。


「なあ、お前、何年生だ?」


「二年生ですけど」


 きょとんとした顔で答えたまつりに、高志はぶっきらぼうに話を続ける。


「俺と同じなんだな。誕生日はいつだ? 俺は四月十日」


「三月二十九日です」


「ってことは、同年代だけど限りなく一歳差に近いのか……」


 勝手に自己完結してしまった高志だが、まつりは質問の意図が分からず、疑問符を飛ばす。

 しばらくしてレストランに着いた。

 入ったレストランの料理は、良い意味でも悪い意味でも値段相応だったというのが、学院や御香月家の食事で舌が肥えているまつりの感想である。

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