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二十六話:悪役令嬢の密かな嗜みと、主人公の知らない世界

 帰ってきた芳樹は、まつりと仲良く寛いでいる綾野の姿を見て、にっこりと微笑んだ。


「おや、綾野ちゃんも来てたのかい」


「お邪魔しています、おじさま。こんな夜遅くまでお邪魔してしまって、申し訳ありません」


 綾野は芳樹に向き直り、行儀良く頭を下げる。

 こういうのをどんな時でもおざなりにしないあたりに、綾野の育ちの良さが出ている。


「いやいや、気にしないでくれ。転校した後もこうして友達付き合いを続けてくれるなんて、こちらから娘に代わって礼を言いたいくらいだ。ありがとう」


「……わたくしが、したくてしていることですから」


 綾野は嬉しそうにはにかむ。

 芳樹に接する綾野の態度は殊勝だ。

 普段は高飛車で傲岸不遜である綾野といえでも、四六時中そうであるかといえばもちろんそんなわけはない。

 対等な相手や格下の相手なら綾野も我を貫くが、そうでなければ綾野は淑女として振舞う。それが可能になるだけの教養を綾野は身につけているし、できなければそもそも学院内だけとはいえ、派閥の長など務まらない。もちろん、同じ長であったまつりにだってできることだ。

 猫を被る綾野にちらりと目をやり、まつりは父親に尋ねた。


「お父さん、お夕飯とお風呂、どっち先にする?」


「じゃあ、風呂にしようかな。先に食べてて構わないよ。お友達を待たせるのも悪いだろう」


 父親の返答を聞いて、まつりは綾野にもう一度振り返る。


「だってさ。どうする? 先に食べちゃう?」


「別にわたくしは待っていても構いませんわ。皆で食べた方が美味しくいただけますもの」


 遠慮してか、はたまた本当にそう思っているのか、綾野はにっこりと微笑んだ。


「そ。分かった。綾野がいいならそうしようか。お父さん、お風呂から出てきたらお夕飯にしよう。あ、でも、ゆっくり入ってきてね。カラスの行水は駄目よ」


「ははは。まつりには敵わないな。分かった、ゆっくり入らせて貰うよ」


 娘と会話のやり取りをかわした芳樹は、スーツの上着を脱ぐとハンガーにかけた。続いてスーツのズボンまで脱ごうとしたのを慌ててまつりが止める。


「ちょっと、お父さん。ここでズボン脱がないで。今日は綾野もいるんだから」


「ああ、ごめんごめん」


 頭をかいた芳樹が、着替えを持って脱衣所に消える。

 再び二人きりになったとたん、やり取りを見ていた綾野がきらきらと目を輝かせた。


「何だかとても、一般家庭って感じがしますわね! とてもよろしいですわ! 懐かしいですわ!」


「そ、そう?」


 上がった綾野のテンションとは逆に、まつりは大げさな綾野の反応に驚き戸惑い、テンションは下がり気味だ。


「まつりさんの気持ち、とてもよく分かりますわ。わたくしも昔は、父親の下着を自分の下着と一緒に洗われるだけで我慢なりませんでしたもの」


「いつの時代の話よ、それは」


「もちろん前世の話ですわ」


 綾野は実に迂闊である。

 せっかく煙に撒けた話題を、自分から穿り返すのだから。

 話題に出たことで先ほど追求しかけて断念したことを思い出したまつりは、面白がって悪戯っぽく笑顔を浮かべた。


「ふうん。そういえばさっき聞けなかったし、お父さんがお風呂から出てくるまで聞かせてよ。ゆっくり入るように言ったから、それなりに時間はあるわ」


「まっ、まつりさん!? わたくしを嵌めましたわね!?」


「それはさすがに穿ち過ぎよ」


 驚愕の表情を浮かべて自分を見てくる綾野に、まつりは済ました顔で答えた。


「で、綾野の前世ってどんなだったの?」


 興味津々な表情のまつりに尋ねられ、たっぷりの沈黙の後、綾野は重々しい声で搾り出すように告げた。


「……腐っていましたわ」


 今度はまつりの方が戸惑う。

 首を傾げて考えてみる。綾野の顔をよく見てみる。穴を空くほど見つめてみる。

 綾野が顔を赤くしてそっぽを向いたが、それはどうでもいい。

 何かの比喩だろうかと考えてみるものの、まつりの知識には綾野が言っていることに該当する情報が見当たらず、まつりは諦めて白旗を掲げた。


「ごめん。ちょっと言ってる意味がよく分からないわ」


 まつりの目の前の綾野は血色も良いし、健康そのものだ。前世も同じとは限らないとまつりは理解しているが、いったいどういうことなのか。

 一応、芳樹とゲームしたことで得た、僅かな知識を頼りに、まつりは綾野に質問した。


「綾野の前世ってゾンビだったの?」


「知らないならそれでいいんですのよ! この話題はもう終わりですわ!」


 どうやら違ったらしい。

 疑問符を頭に浮かべるまつりを他所に、綾野は会話を強引に打ち切る。

 反応から見るに、字面そのものの意味ではないようだが、そうなるとまつりには余計意味が分からない。


(明日、学校で誰かに聞いてみようかしら)


 追求を退け胸を撫で下ろす綾野を見つめながら、まつりはそんなことを思った。



■ □ ■



 まつりがその話題を持ち出したのは、まつり、綾野、高志、翔子、秀隆、由紀のいつものメンバーで、昼休みに弁当を食べていた時だった。

 昼休みになってからまだそう時間が経っていないので、誰の弁当も中身が半分以上残っている状態だ。


「ねえ、女の子が腐ってるって、どういう状態なの?」


 首を傾げて尋ねるまつりの横で、綾野の箸から今まさに摘み上げようとした弁当のおかずの芋の煮っ転がしがぽろりと転がり落ちる。


「い、いきなり何を仰るんですの、ま、まつりさんは!」


 運よく弁当箱の中に落ちた煮っ転がしを再び取り上げ、今度は何事も無かったかのように租借する綾野だが、思い切りどもっているところに彼女の動揺が現れている。

 微妙な沈黙が流れた。


「えっと……それはどういう意味で?」


 怪訝な顔をしつつも、一同の疑問を代表して高志がまつりに尋ねる。


「……ゾンビでも出たのか?」


 真剣な表情の秀隆だが、彼の問いは根本的なところで何かがずれていた。


「馬鹿。ゾンビなんか現実にいるわけないでしょ。女が腐っているっていったらアレでしょ。男同士の絡みが大好きな女のことよ」


 ホモよホモ、と翔子は某単語を連呼した。


「はっきり言いすぎだよ……」


 さっそく食いついて自信満々に言う翔子とは対照的に、由紀は話題の内容に若干引き気味だ。

 皆の回答を聞いたまつりは、思わず眉を寄せた。まつりにとって、腐っている=ホモ好きという方程式など想像の埒外である。


「はあ。つまりは男色を好む女性、ということですか。それは一般的なことなんですか?」


 不思議そうに首を傾げるまつりに、翔子は苦笑し、手をぱたぱたと横に振って否定する。


「いやいや、そんなわけないでしょ。どちらかといえば間違いなくマイノリティに入ると思うわよ。まあ、興味はあるけど一歩踏み出せない、みたいな潜在的なタイプも含めればそれなりにいるかもしれないけどさ」


「翔子ちゃん……」


 嬉々としてまつりとしたり顔で会話する翔子に、由紀はジト目を送った。


「それを友達に明かすっていう心境は、どういうものなんでしょう」


 さらに質問を重ねるまつりの横で、何故か綾野が身悶えた。耳まで真っ赤になった綾野は、挙動不審にまつりを見ては、視線を彷徨わせる。

 おかしな綾野の態度を怪訝そうに見つつも、翔子はまつりの質問に答える。


「うーん……可能性としては、その人と同じ趣味を分かち合いたいか、自分の秘密を明かすほどその人を信頼しているって感じじゃないかしら」


「なるほど。よく分かりました。ありがとうございます」


 にっこりと笑ったまつりは、無言のまま綾野の服の袖を掴んだ。

 掴まれた綾野がびくりと震える。


「では、私は綾野と少し話があるので、これで」


「え!?」


 そのまま綾野を引き摺る勢いで、まつりは足早に教室を出て行く。


「お、おう」


 止めるタイミングを逃し、成り行きで返事をした高志が呆気に取られた顔で見送る。


「……なんだったんだ、今の。弁当も食べかけだし」


 まつりと綾野がいなくなった後で、高志がぽつりと呟く。


「さあ? でも置きっ放しなんだからすぐ戻ってくるでしょ」


 ざっくばらんな性格のためか、翔子は二人の珍行動を気にも留めていない。


「……さっきの話と関係あるのかな?」


 さすがに翔子ほどは割り切れないらしく、由紀はまだ気になるようで、席を立ちこそしないが、しきりにまつりと綾野が出ていった廊下を伺っている。


「関係があるとしても、あのどちらかが腐っているとは到底思えんな。いや、でもだからこそ、という可能性もあるのか? ううむ、分からん」


 秀隆は混乱している様子で、どうでもいいことで深刻に悩んでいた。


「そういう趣味を持ってるには到底見えないわよ。っていうか、見るからに住む世界からして違うし。綾野さんとか見るからにブルジョワじゃない」


「家がお金持ちってことと、そういう趣味を持つのは関係ない別の話じゃないかなぁ」


 廊下に向けていた顔を戻した由紀がそう言いながら、弁当に入っていたウインナーを思い出したように一口齧った。


「藤園さんは一見すると普通に見えるけど、神宮路さんは隠す気ゼロにしか見えないもんな」


 高志のぼやきに、他の三人の頷きが一致する。


「縦ロールだからね」


「縦ロールだもんね」


「縦ロールのせいだな」


 四人とも、綾野の縦ロールを気にしすぎである。


「そういえば、まつりちゃんは家から持ってきたお弁当みたいだけど、神宮路さんは今日も売店の特製幕の内弁当だったね」


「そうね。一食二千円もするうえに、完全予約制で数量限定のお高い奴でしょ。教師以外で食べてる人、初めて見たわ」


 いったん途切れた話題を由紀が別の話題に繋ぎ、翔子がそれに乗っかる。

 二人とも、まつりと綾野のことを見ていないようでしっかりと見ている。


「神宮路さんの親御さん、作ってくれないのか」


 自分の弁当をつつきつつ、高志は首を捻る。

 高志の弁当は、毎日高志の母親である良子が拵えてくれている。仕事に出かける父親の分も同時に作らなければならないのでそれなりに大変なはずなのだが、良子は毎朝の弁当作りを欠かしたことはない。


「まあ、今時弁当じゃない奴も珍しくないだろう。持ってきてないからといって、詮索するようなことじゃない」


「それもそうだ」


 秀隆が興味本位で首を突っ込もうとする皆を諌め、落ち着かせる。

 元よりたまたま話題の種として都合が良かっただけで、本気で心配していたわけでもない。

 高志たちの話題はまた別の話へと摩り替わっていった。

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