二十話:悪役令嬢の来襲と、主人公の驚愕
自分を見て騒いでいる四人組のグループの中に見覚えのある姿を見つけて、まつりは声をかけた。
「お久しぶりです。高志くん。あの日以来ですね」
背後から声をかけたせいか、高志は背筋を震わせ、振り返るとちょっと驚いたような顔をした後破顔した。
「おう。久しぶり。友達は元気か?」
「ええ。私が転校してもう学校が違ってしまったので、離れ離れでちょっと寂しいけれど」
返答にはまつりの願望も篭められている。悲しまれるよりも、やはり元気でいて欲しい。
「どこの学校に通ってたんだ?」
何気ない秀隆の質問に、さらりと何でもないことのように答えた。
「杉並学院です」
「ちょ、杉並学院って、ブルジョワが通う超お嬢様学校じゃない! え、あなたっていいとこの子なの!?」
まつりの答えに、凄い勢いで翔子が食いついた。思い切り好奇心に支配されている。
「母方の援助のおかげで通わせて貰っていたんですが、両親の離婚で援助が無くなってしまったので……」
最後は言葉を濁し、まつりは事情を匂わせる。両親の離婚は嘘ではないし、御香月家の娘であるという肩書きがあったから通えていたのも嘘ではない。原因が原因なので、そこはぼかして説明した。いわゆる、嘘ではないが本当でもないというやつである。
「何か浮世離れしてると思ってたけど、正真正銘のお嬢様だったんだな。じゃあ、前に会った子もそうなのか?」
「ええ。神宮路財閥の一人娘ですよ」
「え! あの神宮路グループの!?」
高志に対してのまつりの返答に、翔子が驚く。
神宮路グループは某コンビニチェーンに始まり、ショッピングモールやデパートなどの買収を重ねて近年急激に大きくなった財閥グループだ。新興である神宮路の名前は知らなくとも、経営しているコンビニやデパートの名前を知らない人間はいない。
ただ、綾野の祖父の代に強引な吸収合併を繰り返し、短期間で勢力を拡大したため、神宮路グループの歴史はそれほど古くなく、敵も多い。
「凄いわねぇ。私たちには想像もつかない世界だわ」
話を聞いた翔子がため息をつく。
「私にはもう、関係のない世界ですけどね」
まつりは軽く肩を竦めた。
確かに煌びやかな世界であることに違いは無かったが、御香月ではなくなったまつりにはもう関係の無い世界だ。
「ねえ、皆さん。良かったら、私と友達になってくださいませんか?」
まつりの発言に、高志を除く三人がぎょっとした顔をした。
「ああ、いいぞ。っていうか、俺はもっと前から友達のつもりだったしな」
あっさりと承諾する高志の頭を翔子がはたく。
「いてえ! 何するんだよ!」
抗議の声を上げる高志に、翔子はまつりが歩いてきた方角に指を向けた。
「即決してないで、ちょっとは考えなさいよ!」
「どういうこと、だ、よ……」
高志の言葉は尻すぼみになって消えた。
「ね、ねえ、なんだか睨まれてるように見えるのは、気のせい?」
同じように気付いたのか、由紀がおどおどと隣の秀隆に視線を送る。
「いや、気のせいじゃないな。転校生とお近付きになりたかった奴らが、思惑が外れて機嫌を損ねたらしい」
「男の子ばっかりで、なんだか怖い……」
怖気を感じたのか、由紀は身体をぶるりと震わせた。
最初のまつりを囲んだ人だかりにはそれなりに女子も混じっていたが、今睨んでいるのは男子生徒ばかりだ。彼らの視線は、主に高志と秀隆に注がれている。
「見ての通り、転校生は見目が良い。家柄も良いだけあって、立ち居振る舞いも洗練されている。下半身で物事を考える奴らには、さぞかし魅力的にうつるだろうよ」
言葉に含まれた嘲笑に気付かず、由紀は暢気に首を傾げた。
「……? よく分からないけど、確かに可愛い子だよね」
「……お前はそのままでいろよ」
高校生にもなって純真なままの由紀から、秀隆は半笑いで顔を逸らした。
「いいけど。友達になりたいっていうんなら、その他人行儀な態度、止めてよね。一線引かれてるみたいで不愉快だわ」
「おい、翔子、言い過ぎ」
翔子を窘めようとした高志を、まつりは遮った。
「高志君。庇ってくれなくてもいいわ。確かに彼女の言葉にも一理あるし。そうね。今のは私の失敗かな」
それまで儚げな深窓のお嬢様のように微笑んでいたまつりが、微笑を消してがらりと態度と口調を変えたのを見て、高志の口が開いた。
今見せたのは、高志にも見せたことのない、まつりが綾野と接する時の地である。
「へえ。それがあんたの地なの? ふてぶてしいのね、転校生」
「ごめんね。でも、これでいいんでしょ?」
にっこり笑いながら見詰め合ったまつりと翔子の睨み合いは、しばらくして翔子が目を逸らしたことで終わった。
「まあ、いいんじゃない? 悪い子じゃなさそうだし。秀隆たちは?」
「俺も構わんぞ。反対する理由もないしな」
「うん。私もいいと思うよ」
秀隆はともかく、由紀は何か言いたそうだったが、空気を呼んだのかはんなりと微笑む。
「ねえ、俺たちとも友達になってよ」
まつりを取り巻いていたうちの、制服を着崩した男子生徒の三人が薄笑いを浮かべながらまつりに話しかけてくる。
即座にまつりは猫を被り直した。
「申し訳ありませんが、あなたたちは高志君のお友達ですか?」
「そ、そーだよ。俺たち親友だよな、新井!」
「いや、ほとんど話したことないだろ」
馴れ馴れしく肩を組もうとした男子生徒の腕を、高志は一歩横に動いて避ける。
「ならお断りします。あなたたちのことはよく知りませんので」
「いやいや、友達になれば分かるって! 俺らゼンニンだから!」
断られても男子生徒たちはしつこく食い下がる。
「重ねてお断りします。あとあまりじろじろ胸ばかり見ないでいただけますか。流石に不愉快です」
遠巻きにしていた女子たちから「サイテー」と声が漏れた。
「わ、私とも友達になってくれないかな!?」
「はい、喜んで」
遠巻きにしていた女子の一人が思い切ったように切り出したのを、まつりは快諾する。とたんに「私も!」という声が次々に上がり、まつりは女子たちに囲まれてその対応に追われた。
「……なんで、あいつらはダメで女子たちはいいんだ?」
不思議がる高志に、翔子は半笑いで言う。
「そりゃ、あいつらから下心が透けて見えるからでしょ。仲良くなって、あわよくばヤリたいっていう」
「おい。いくらなんでも短絡的過ぎないかそれ。何か色々抜けてるぞ」
「性欲を持て余す年頃ならそんなもんでしょ。あいつら、女遊びも慣れてそうだし。世間慣れしてなくてホイホイついていかないか心配だったけど、杞憂だったみたいね。あ、まつりって呼んでいい?」
「いいけど、私も翔子って呼ばせてもらうわよ。ああいう人たちは杉並にもいたから大丈夫よ。将来ビジネスのパートナーになる可能性もあった分、断り方にも気を使わなきゃいけなくてむしろ面倒だったわ。それに比べてここは楽ね」
微笑むまつりは、御香月とはもう完全に縁を切ったつもりでいた。
綾野に目撃される数日前の話である。
■ □ ■
その日、やってきた少女は、紹介しようとした教師から白墨を奪い取ると、黒板に綺麗な字で自分の名前を書いた。
当たり前のことであるかのように極自然な態度で担任の厳島京子女史を押し退け、我が物顔で教卓の前に立つ。
京子は少女を嗜めようとするものの、少女の視線と傍に控える複数の視線に射抜かれ、ため息を着くと処置なしとばかりに何も言わずに引き下がった。
あっという間に京子から権力を奪い取った少女は、にっこりと大輪の花のように艶やかに微笑む。
「神宮路綾野と申しますわ。短い付き合いになると思いますが、よろしくお願いしますわね」
まつりは目の前の光景が信じられなかった。
今の状態は、まさしく、開いた口が塞がらない状態である。
興味深そうに軽く教室内を見回していた綾野の目線が、目的の人物を見つけてぴたりと定まった。
綾野の瞳が笑みの形に細まる。
獲物を前にして舌なめずりしているようにしか見えない。
生徒たちは騒ぎもせずに凍り付いている。
それも仕方ないだろう。
よりにもよって、綾野は杉並女学院の制服のまま、完璧にセットされた縦ロールを靡かせて、あまつさえ体格がいかつい黒服のボディーガードを複数伴って教室にやってきたのだ。
「本当に来ちゃった……」
久しぶりに頭痛を感じて、まつりは机に突っ伏す。
「ね、ねえ、なんだかあの子ずっと私たちの方見てない?」
まつりの後ろの席の翔子が、恐る恐るまつりの肩を叩いた。
「見られてるわね。正確には私たちではなくて、私を、だけど」
背後を振り向いて肯定するまつりの声は、普段より低く、ドスが効いている。不機嫌なのだ。
自分に向けられたものではないことを知っているので、翔子は苦笑を浮かべるに止める。
まつりに、高志を挟んだ隣の席から、由紀が話しかけてくる。
「え、あの子、まつりちゃんの知り合いなの?」
由紀の疑問には、まつりの代わりに面識がある高志が答えた。
「まつりの友達だろ? あの子。どうして杉並の生徒がこんなところに転校してくるんだ……。まつりと同じような事情ってわけでも無さそうだし」
「やっぱり杉並の子なんだ……可愛いなぁ、あの制服」
ほうとため息をついて綾野を見る由紀の目は憧れのお姉さまを見るような目になっていた。
「ちょっと、由紀。注目するところはそこじゃないでしょ!」
視線でハートマークを飛ばしそうな状態の由紀を、翔子が叱咤する。
「ボディーガードを引き連れての転校は、前代未聞だな。初めて見たぞ。杉並ならこれが普通なのか」
高志の前の席に座る秀隆も、さすがに呆れた表情だ。
「そんなわけないでしょう。杉並でだってこれは異常よ」
まつりが新しい友人たちとやり取りをしている間に、綾野は動き出していた。
教卓から降りて、真っ直ぐにまつりのもとへと歩いていく。
綾野の動きに合わせて回りの生徒たちの視線が流れていく様は、さながら旧約聖書に記される聖人のよう。
実態は単なる我侭お嬢様であるのだが。
「ふふ。驚きましたわね? まつりさん。遠慮なくぎゃふんと鳴いても宜しいのですよ?」
まつりの傍までやってきた綾野は、勝ち誇った表情でまつりを見下ろした。
何も答えずまつりは手を挙げた。
無視された綾野が頬を膨らませる。
「先生。気分が悪いので、保健室に行ってもいいですか」
退出許可を求めるまつりの発言に、蚊屋の外に追いやられていた京子は、保険委員を呼ぶ。
「藤園を保健室まで連れて行ってやれ」
「それには及びません。付き添いなら神宮路さんに頼みますので。……行くわよ、綾野」
最後は小声で綾野に言うと、まつりは席を立ち、歩き出した。
ぱあっと顔を輝かせた綾野が鼻歌でも歌いだしそうな機嫌の良さで、まつりに続く。
少女二人の後ろを、当たり前のように黒服の男たちが固めるのを、クラスメートたちが呆然として見送る。
問題児が増えたことに、京子は谷よりも深くため息をつくと、教卓に戻ってホームルームを再開した。
廊下に出たまつりは、教室から聞こえる、よく通る京子の声を背に目の前の綾野を眺めた。
記憶にある通りのいつもの綾野だ。杉並学院で過ごしている時とほぼ同じ姿である。さすがに黒服の男たちはいなかったが。
「……どういうことか、説明してくれるのよね?」
「簡単なことです。わたくしは、まつりさんを杉並学院に連れ戻しに来たのですわ」
自信満々な態度で堪える綾野は自分が間違っているなどとは思ってもいないことが丸分かりで、この状態の綾野に言い聞かせるのは、並大抵の努力では出来ないことを察する。
それでも一応、綾野が納得するよう努力はしてみた。
「戻りたいのはやまやまだけれど、それは私たちの努力でどうにかなることではないわよ。それに今戻っても、良からぬ噂を立てられるだけだわ。私にはもう、後ろ盾となるべき家が無いもの」
まつりは今の時点では、もとの生活に戻ることを諦めている。芳樹の努力次第で戻れるようになるかもしれないが、すぐに、というわけにはいかない。
婚約を受け入れれば貴美子はいつでも帰ることを許すだろうが、綾野を傷つけてまで、貴美子の命令に従う気がまつりには無い。
家の事情よりも友人関係を優先してしまったのだ。二重の意味で、御香月家に戻ることはできない。
「後ろ盾については我が神宮路家がなりますわ。心配は要らないですわよ」
「そういうわけにもいかないでしょ。第一綾野のお父様は承知しているの?」
いざとなったら綾野の父親に説得を任せることも検討していたまつりは、綾野の切り替えしで計画の変更を余儀なくされる。
「真っ先に説き伏せましたわ」
「何説得されちゃってるのよ……」
思わずまつりは頭を抱えた。脳裏にまつりの父親の顔が浮かぶ。お髭が素敵でダンディな紳士だが、少々娘に甘すぎる嫌いがあった。だからこその綾野の我がままっぷりだったのだが。
「予想していたけれど、やっぱり平行線ね。いいわ、この話題については触れないでおく」
まつりはため息をつくと、気持ちを切り替える。
さて、公立高校にボディーガードつきで乗り込むという暴挙をしでかした綾野をどうとっちめようか。




