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二話:悪役令嬢の大食い行脚と、主人公の気紛れ

 行き着けの喫茶店を出た後、迎えの車が来るのは、綾野の方が早かった。

 車に乗り込もうとしていた綾野は、一人待ちぼうけを喰らっているまつりを見て、乗り込むのを中断する。


「まつりさんの車はまだ来ないの?」


「そうみたい。何かあったのかしら」


 さっきまでいた喫茶店前の歩道でぽつんと佇むまつりのポケットから、携帯電話の軽快なメロディーが流れた。

 携帯を取ったまつりの顔がぱあっと輝く。


「まあ! それはおめでとう! いいのよ、私のことは気にしないで、傍にいてあげて。奥さんにもよろしく伝えてね」


 笑みを浮かべながら携帯を仕舞ったまつりに、綾野が尋ねた。


「どなたの電話でしたの?」


「私の運転手からよ。奥さんが急に産気づいて向かえに行けそうにないから、代わりにタクシーを手配するんですって」


 何でもないことのように答えたまつりに、綾野は目を丸くした。

 綾野の感性からすれば、仕事を優先しろと運転手を怒鳴りつけたいところだが、直接雇用関係にあるわけでもない以上、口を出さずにぐっと堪える。

 それに綾野とて、自分の感性が少々一般人からずれていることくらい自覚はあるのだ。前世の記憶は綾野の頭から大事な部品を二、三本取り去ってしまったが、代わりにかつての自分の性格を分析する、客観的視点を与えている。ただし、その結果が活かせるかどうかは別として。

 まつりを残して一人で帰る気にもなれず、綾野は尋ねた。


「それで、タクシーはいつ来るのかしら?」


「断ったわ。電車で二駅程度の距離だし、お金がもったいないもの」


「貧乏性ですわねぇ」


 こともなげに言ったまつりに、綾野は呆れた。

 二駅とはいえ、歩きとなると意外と遠いのだが、まつりは気にしていないらしい。

 細めた目を流れでまつりの下半身に移した綾野は、あまり筋肉がついていないまつりの細い足を見て、置いていくのが不安になる。


「……ならわたくしの車に乗りなさいな。送っていきますわよ。青原もそれでいいですわね?」


 話を聞いていた綾野の老運転手が首肯する。


「もちろんでございます。ささ、こちらへどうぞ」


「ああ、お気になさらず。寄りたい場所もあるから、一人で帰ります」


 まつりを車内に促そうとした運転手の申し出を、まつりは丁寧に断る。

 自分の誘いを断られたことに、子どもっぽく唇を尖らせた綾野は、乗らずに車の後部座席のドアを閉めた。


「一人で行かせるのは心配ですわ。わたくしも参ります。青原、あなたは先に帰ってて。お父様とお母様にはわたくしから連絡しておくから」


「ですが、お嬢様」


「くどいですわよ!」


 困惑する運転手を、綾野は無理やり帰してしまった。


「いいの?」


 さすがに心配そうな表情になるまつりに、フンと鼻を鳴らして、綾野はつんと胸を張る。


「構いませんのよ。わたくしだって、たまには羽を伸ばしたいですもの。送り迎えしてくれるのは嬉しいですけれど、毎日だと息が詰まりますわ」


 心底うんざりしていそうな様子の綾野に、まつりは苦笑した。


「それは、まあ、確かにね。でも、ちゃんと後で謝っておくのよ」


 綾野と同じことを思ったことがあるまつりは、綾野の愚痴に相槌を打ちつつも、釘を刺すのを忘れない。

 にっこり笑った綾野は、急に上機嫌になって声を弾ませた。

 あまつさえ、手を繋いだりしてくる。前世の記憶があるなどと言い出してから、綾野はスキンシップが多くなった。


「分かっていますわ。それより、これからどこに行くんですの? まだ日が暮れるまで時間はありますわよ? まさか真っ直ぐ帰るわけじゃありませんよね?」


 わくわくしている様子を隠そうともしない綾野に、まつりはくすりと笑みをこぼす。


「とりあえず駅前に行きましょうか。駅前なら時間潰しの材料には困らないし」


 パンケーキを食べたばかりだが、改めてどこかで何か軽く腹に入れてもいいかもしれない。

 そう考えたまつりは電話で迎えのタクシーが要らないことを連絡する。綾野も家に電話し、同様に友人と一緒に帰る旨を伝えた。


「それでは参りましょう。わたくし、学校帰りに寄り道するのって初めてですの」


 差し出された綾野の手を、まつりは微笑して手に取る。


「あら、それは貴重な経験ね」


 少女二人は、手を繋いで駅への道を歩き出した。



■ □ ■



 駅前の繁華街に着くと、綾野はまず人混みに圧倒された。


「こ、ここを進んでいきますの?」


 帰宅ラッシュにぶつかるような時間帯でもないのに、文字通り掻き分けて進まなければ真っ直ぐ歩けないほどの込み具合で、大混雑している。


「言っておくけど、ここはいつもこんなものよ。近くを複数の路線が走ってるから乗換え客で混んでるの。通り過ぎれば大分空くからさっさと抜けましょ。さ、行くわよ」


「ま、待ってくださいな! まだ心の準備が!」


 怖気付いて腰が引けている綾野に、まつりは苦笑する。

 前世の記憶があるなどと言っておきながら、綾野の言動は世間知らずのお嬢様のそれだ。

 いきなり矛盾している。やはり作り話だったのか。それとも、前世の綾野は、実はかなりアホの子だったのだろうか。

 どちらにしろ、まつりにとっては親友がおかしくなったことに代わりはないので、頭が痛い。


「今行かないでいつ行くのよ」


 はぐれないように綾野と手を繋いだまま、まつりは人混みを掻き分けて大胆に進んでいく。

 しばらく歩くと混雑地帯を抜け、空いた一角に出ることができた。


「ねえ、まつりさん。わたくしの髪型、崩れてないかしら」


 人混みに揉まれた綾野は、しきりに自分の格好を気にしている。


「普段通りの立派な縦ロールよ。立ち話しているのもなんだし、どこかお店に入りましょうか。綾野はどこがいい?」


「わ、わたくしはあそこに入りたいですわ!」


 瞳を輝かせ、綾野は一際目立つ看板を指差した。

 全国展開している早くて安いことが売りのメジャーなハンバーガーショップである。本来なら、上流階級の子女であるまつりや綾野が入るような店ではない。店ではないが。


「……どれだけ食べる気なのよ。正直言って、私たちが普段食べているものより確実にまずいと思うわよ?」


「構いませんわ! ただ、懐かしいんですの」


 穏やかな表情で看板を見上げる綾野に毒気を抜かれたまつりは、興味本位で問いかける。

 綾野の横顔は過ぎ去った過去を想っているかのようで、まつりはそこに影のある憂いを見たような気がした。


「あなた、食べたことあるの?」


「まさか。ですが前世なら、食べたことがありますのよ」


 肩を竦める綾野の台詞で、一気に胡散臭い話になった。

 あまつさえ、一応はお嬢様であるはずの綾野の腹から空腹を訴える音が鳴り、雰囲気を台無しにした。

 照れるでもなく、綾野は堂々と胸を張る。


「わたくし、お腹が空きましたの」


「あなたさっき私と一緒に食べたばかりでしょうが。本当にいくら食べる気なのよ」


 深刻そうに見えたのは、全部まつりの気のせいだったようだ。


「実はわたくし、前世の頃から大食いでしたのよ」


 てへぺろ、と擬音がつきそうな綾野の表情を見て、まつりはイラッとした。


「ああ、はいはい前世ね。そう、ならそこに入りましょうか」


「信じていませんわね。まぁ、いいですわ」


 機嫌が良い綾野は、リラックスした様子で伸びをする。

 親の目がないこの機会に、綾野は存分に羽目を外すつもりだった。

 そして今更それを気にするような人物は今この場にはいない。まつりも庶民を毛嫌いする母親と違い、特に彼らに対して偏見を抱いてはいない。

 変な先入観も持ち合わせていないので、綾野のストレス発散の機会を咎めるつもりはなかった。

 店内に入った綾野は、きょろきょろと周りを見回し、にんまりと笑った。


「どうしたの?」


 尋ねたまつりに、綾野はドヤ顔で振り向いた。


「まつりさんは知らないでしょうが、席へ案内してくれるボーイはいませんのよ?」


「どうでもいいことで得意げな顔をしないでちょうだい。ほら、行くわよ」


「ああ、まつりさん、お待ちになって」


 先頭に立って歩き出したまつりを、綾野は挙動不審に小走りで追いかける。

 外からは見えにくい禁煙席の一角を確保したまつりは、またもや対面の席に着いた綾野に、自信満々の表情で見つめられる。


「メニュー表はどこにあるの? 呼び鈴は? って慌ててもよろしくてよ」


 鼻を高々と伸ばした綾野は、今にも天狗に変身してしまいそうだ。

 綾野を人間に留めるために、まつりは非情になることにした。


「それくらい知っているわ。私達が直接向こうに行って店員に注文するのよ」


 冷静にまつりが答えると、綾野が目を剥いて驚く。


「どうして知ってらっしゃるの!?」


「むしろ知らない方がおかしいわ。私の父親が庶民だってこと知ってるでしょうに。貴女、私のことをどこまで世間知らずだと思ってるのよ」


 さすがにむっとしたまつりが綾野に尋ね返すと、綾野からはとんでもない答えが返ってくる。


「わたくしは、前世の記憶が戻るまでは知りませんでしたわ……」


 唖然としたまつりは、たっぷり沈黙を間に挟んだ後、表情を引き攣らせる。


「……世間知らずなのにもほどがあるわよ、貴女」


 呆れて突っ込むまつりに、綾野は拗ねて唇を尖らせた。


「仕方ないでしょう。わたくしたちが普通に暮らす分には必要のない知識ですもの」


「まあ、こんな時くらいでないと入る機会なんてないのも確かだけれど。何事も良い経験よ。注文しに行きましょ」


 まつりと綾野は席を立ち、連れ立ってカウンターに並ぶ。

 素早い店員の対応で次々と列は捌け、あっという間に二人の番が来た。


「な、何を選べばいいのかしら。いざとなると迷ってしまいますわ」


 店員の営業スマイルの前でカチコチに固まっている綾野に、まつりは説明する。


「セットメニューから、好きなのを選べばいいんじゃない? 店員さん、私はこのセットでポテトはサイズS、飲み物はコーラSで」


 さっさと注文を済ませてしまったまつりを見て、綾野は慌ててあたふたとする。


「わたくしはどれにしましょう……」


 いつまで経っても決められない様子の綾野に、まつりが助言する。


「そこまで迷うなら私と同じものにしておけばどうかしら」


「そ、それがいいですわ! わたくしもこれでお願いします!」


 綾野が指差したセットメニューを店員が復唱し、レジを操作して料金を表示する。


「一応知識としては知っているつもりでしたけれど、こうしてみると安いですわね」


 表示された三桁の料金に、綾野は目を丸くした。


「普通ならこんなものじゃないの? いつも私達が食べてるものは高級な分高いから」


「わたくしたちにとってはそれが普通ですのよ。別に高くはありませんわ。……味はあまり期待しない方がいいのかしら。前世では美味しかった気がするんですけれど」


 首を傾げる綾野に、まつりは肩を竦めてみせる。


「まあ、気に入るかどうかはともかく、普段食べたことのない味ではありそうね」


 先に注文が終わったいたまつりは、カウンターの隅に寄って綾野を手招きする。


「こっちよ。出来上がったら呼ばれるから、それまで他の客の邪魔にならないようにしておきましょう」


「普段に慣れてしまうと、席まで届けてはくれないのを不便に感じてしまいますわね」


 不満そうな表情で端に寄る綾野に、まつりは苦笑した。


「作るのに時間がかかる場合は、席まで運んでくれるわよ」


「微妙に不親切なのが値段相応に思えてきますわ……」


 ぶつぶつと小さな声で、綾野は文句を言う。普段の綾野なら声高に言っているところなのだが、多少の分別は残っているらしい。


「捌いてる客の数が多いから、仕方ないわね」


 血色の良い唇をつんと尖らす綾野に、まつりは肩を竦めた。

 やがて、まつりと綾野が注文したメニューの名前が呼ばれる。

 トレイを受け取ったまつりは、挙動不審な動作でまごつきながらトレイを受け取る綾野を先導し、席へと戻った。

 テーブルにトレイを置き席に座った綾野は、おっかなびっくりな手つきでハンバーガーの包みを開ける。

 ハンバーガーを目の前に、綾野はしみじみと呟いた。


「……やっぱり、こうしてみるとフォークやナイフも使わずに食べるのは抵抗がありますわね」


「そうかしら。私は気にしないけど。そもそも回りだって同じよ」


 躊躇わず、まつりはハンバーガーにかぶりついた。

 あっさりと目の前で実践してみせたまつりに、つんつんとハンバーガーのバンズを指で恐る恐るつついていた綾野の顎が、かくんと落ちた。


「ま、まつりさんたらそんな下品に……」


「まあ、上品な食べ方ではないことは確かだけど。周りを見てみなさいよ。他の食べ方だとかえって目立つわよ」


 言われて初めて気がついた綾野は、慌てたように辺りを見回した。


「そうでしたわ。ここではこれが普通の食べ方なのですわ……」


 唾を飲み込むと、綾野は意を決したかのように目を見開き、包みを両手で持ち上げた。

 逡巡の末にハンバーガーを一口齧った綾野は、呆然とする。


「……食べ慣れない味ですわ。けれど、どこか懐かしい味がしますわ」


「綾野、ソース。頬にソースついてる。ほら、このナプキンで拭いて」


「きゃっ、わたくしったら」


 まつりから手渡された紙のナプキンを使い、綾野は顔を赤くしながらソースを拭い取る。


「で、どうかしら。初めて食べた感想は」


 にやにや笑いながらまつりが尋ねると、顔が赤いまま綾野は取り繕うように咳を一つする。


「……初めてではありませんわよ。まつりさんも、いい加減わたくしの前世を認めるべきですわ」


 もう一度包みを手に取り、おずおずと今度こそソースがつかないように、綾野はおぼつかない手つきでハンバーガーを食べる。

 無言で食べ進める綾野は、喉が渇いたのか途中で手を止めて、飲み物に手を伸ばした。

 ストローに口をつけ思いきり吸った綾野が咽る。


「予想以上に、し、舌と喉がピリピリしますわ!」


「記憶があろうとなかろうと、今の綾野が始めて食べるなら、そりゃ想像しているよりも刺激が強いでしょうよ」


 口を手で押さえて咳き込みながら、理解し難いものに向けるような、疑念に満ちた目をコーラに向ける綾野を、まつりは苦笑して見守る。

 今度は咽ないように注意してコーラを飲んだ綾野が、自分の手元のコーラの容器と、落ち着いてコーラを飲むまつりの顔を見比べ、得心したかのように頷く。


「記憶と経験は別物、というわけですわね。まつりさんには驚かされてばかりですわ。どうしてこんな普段行かない店のことを、当たり前のように知ってるんですの? わたくしみたいに前世の記憶があるわけではないのでしょう?」


「私はほら、父方が庶民だから」


 胡散臭いフレーズを聞き流しつつ、まつりは言葉を濁した。言いたくない気配を察したのか、綾野も根掘り葉掘り聞き出すようなことはしない。


「ポテトも素手で食べるんですわよね……」


 慎重な手つきでポテトを一本摘んだ綾野は、目を白黒させながら口に運び、眉を顰めた。


「……しょっぱいですわ」


 唸る綾野の目の前で、まつりはポテトを時折コーラを飲みながら、ひょいひょい摘んでいる。

 塩と油で汚れた自分の指を見て、ふと綾野が笑みをこぼした。


「新鮮ですわね。こんなに無作法をしても、誰にも怒られないなんて」


「まあ、ここでやるなら無作法じゃないからね。綾野、飲み物を飲みながらなら、ちょうどいい加減になるわよ」


 まつりは綾野の手本になるように、まず自分が実際に食べてみて行動してみせた。


「しょっぱい分喉が渇きますものね。……意外に考えられていますわ」


 真似をして、綾野は片手でポテトを食べ、もう片方の手でコーラを飲む。


「この刺激は、慣れればちょうど良くなって癖になりそうですわ。前世でわたくしが好きだったことも頷けます」


 どうやら綾野はコーラが気に入ったようだった。

 しばらくして何かに気付いたように食べる手を止めた綾野は、まつりを見て唇を尖らせる。


「ずるいですわ。先ほどそう仰ったということは、まつりさんは、こういうお店に出入りした経験がありますのね。記憶にあっても、実際に入るのはわたくしだって初めてですのに」


 成り上がりの家系だが、しつけに関しては綾野の両親の方が厳しいので、今日のように抜け出す機会自体が綾野にはあまりないのだ。


「私は母さんが放任主義だから」


 努めて感情を篭めずに言うまつりに、綾野はばつが悪そうな顔をする。


「……ごめんなさい。そういうつもりで言ったんじゃありませんのよ」


 まつりは項垂れる綾野に微笑みかけた。


「分かってるわ。気にしないで」


 釣られるように、綾野も微笑んだ。


「わたくしのお友達がまつりさんで、良かったですわ」


「私もよ」


 綾野とまつりは、顔を見合わせ、くすりとどちらともなく笑い合う。

 午後の談笑は、穏やかに時間が過ぎていった。

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