十九話:悪役令嬢の不在と、主人公の新たな環境
平日に父親である芳樹の部屋で目覚めるのは、まつりにとって不思議な感覚だった。
高浦高校への転入を決めてからもう数日が経っているが、まつりは未だに慣れることができていない。
これが休日なら当たり前のように過ごせるのだから、習慣というものは実によくできている。
転入試験はもう終え、合否も発表されている。もちろんまつりは合格だ。高浦よりも遥かに偏差値が高い杉並学院で、まつりは次席の綾野を押さえて主席を取っていたのだ。杉並学院よりもランクが落ちる高浦高校の転入試験を合格することは、まつりにとって難しいことではなかった。
朝食を取り、身支度を終えたまつりは通学鞄を鞄を持ってドアを開け、外に出た。
ドアを閉める前に振り返り、自分が出てきた部屋を見つめる。
これから、まつりが帰る場所。
「……行ってきます」
帰る場所を作ってくれた父親と祖父に感謝をし、まつりはマンションを出る。
初めて歩く通学路は、まつりに新鮮な驚きをもたらした。
犬の散歩をする老人、ランニングをする男性に、今のまつりと同じような制服を着た少年少女たち。高浦高校の生徒たちだ。
彼らの登校風景は、杉並学院の生徒たちの登校風景とはもちろん違う。
そもそも杉並学院の生徒はどんなに家が近くとも徒歩通学などせず、車を使うからだ。使わないのは外部から入学する奨学生くらいである。
実家のランクによって通学に使う車のランクも暗黙の了解で決まっており、車種である程度力関係を判断することができる。高級車であればあるほど、実家の権力も強いということだ。
まつりの目の前を歩く高浦高校の制服姿の生徒たちが、何人か通学路にあるコンビニの中に入っていく。
興味を引かれたまつりは、彼らの後についてコンビニの中に入った。
コンビニは人でごった返していた。
「なるほど。ここで昼食を買う生徒もいるのね」
高浦の男子生徒らしき少年らが陳列されたパンを取ってレジに並ぶのを見て、まつりは納得したように頷く。
だが、彼が買ったのは昼食でなく、間食用のパンだった。
年頃の男子生徒は食欲旺盛なのだ。
おにぎりを手に取る生徒たちも多く、菓子類の陳列棚にも人だかりが出来ている。
雑誌や漫画のところで読みふける生徒もいて、まつりは遅刻してしまうんじゃないかとちょっと心配してしまう。
飲み物もよく捌けていて、ペットボトルを買う生徒も結構いるようだ。
もちろん高浦学園の生徒だけでなく一般客もたくさんいるので、客足が途切れることはない。
まつりは特に何かを買いたいわけではなかったが、何も買わずに出るのも変だと思ったので、飲み物だけ買って外に出た。
コンビニから歩き続けること数分後、高浦高校の門が見えてくる。
ここまで来るとさすがに生徒たちしかいない。
他の生徒たちと一緒に、まつりも校門を潜った。
昇降口に着くと、新しく用意した真新しい上履きに履き替え、階段を上る生徒たちを横目に職員室に向かう。
「失礼します」
ノックをして中に入ると、教師たちがホームルームや授業の準備に追われていた。
「着たわね、藤園さん。こっちに来なさい」
比較的近い席で作業をしていた女性の教師に声をかけられ、まつりは職員室を歩き、彼女のところへ向かう。
「まずは転入試験の合格おめでとう。全教科満点ですって。すごいわね。あなたが転入するクラスの担任を勤める厳島京子よ」
「お久しぶりです。その節は改めましてありがとうございました」
まつりは彼女に深々と頭を下げた。
何を隠そう、厳島京子と名乗った女性教師は、まつりが御香月家を追い出された日に駅で出会った、芳樹のマンションの近くに住む女性なのである。
「いいのよそれくらい。むしろ、杉並学院の子が本当にうちにみたいな高校に来るなんて、そっちの方が驚いたわ。少し時間がかかるから、そこにでも座って」
空いている隣の椅子を引っ張った厳島女史が、澄ました表情でまつりに着席を薦める。
いいのかなと思いつつ、まつりは椅子に座った。回りの教師が何も言わないところ見ると、いいのだろう。
改めて相対した厳島は、こうして教師と生徒という立場で接すると、若輩者とは思えない落ち着きを備えていた。
まだ若く、まつりの目から見てもおそらく大学を卒業してから数年程度にしか見えないのに、まつりに接する態度にも、杉並学院の元生徒という肩書きに気を使っている様子は見られず、あくまでただの転入生として接している。
切れ長の目は理知的な輝きに満ちていて、それこそ杉並学院で教鞭を取っていてもおかしくないような貫禄があった。
「それじゃあ、朝のホームルームでクラスの皆に紹介するから、一緒に行きましょうか」
「はい、先生」
諸注意を終えた厳島に促され、まつりは厳島とともに教室に向かった。
■ □ ■
その日の朝のホームルーム、高志は開いた口が塞がらなかった。
「藤園まつりです。よろしくお願いします」
週末にしか会えなかったまつりが、何故か高志が通っている高浦高校に転校してきたのである。
「可愛い。お人形みたい」
高志の幼馴染である飯島翔子が、教卓の前に立って黒板に名前を書き、自己紹介をするまつりを見て目を見張った。
「足ほっそい。いいなぁ」
翔子の親友である倉本由紀が、自分の足とまつりの足を見比べてため息をつく。
「なあ高志、あの子、かなり美人だな」
いつもつるんでいる四人組の最後の一人である寺尾秀隆が、むっつりとした顔を崩さずに至極真面目な表情で言った。
「そうだなぁ。前から美人だとは思ってたけど、こうしてみるとやっぱり美人だよなぁ」
相槌を打つ高志に秀隆が突っ込む。
「待て。前からとはどういうことだ」
秀隆の横から、遠慮がちにではあるがやはり気になるのか、由紀が口を挟んできた。
「高志くん、あの子と知り合いなの~?」
机の前で仁王立ちになって腕を組み、まるで尋問するかのような調子で翔子が高志の額を小突く。
「幼馴染の私ですら初耳なんだけど。いったいあんな子と何処で知り合ったのよ」
四方八方から同時に発言を浴びせられた高志はうんざりした顔をする。
「お前ら一辺に話しかけてくるな。俺は聖徳太子じゃねーぞ」
早速クラスメートたちに囲まれて質問攻めになっているまつりをちらりと見て、高志は三人に答える。
「同じマンションの隣の部屋に住んでるんだよ、あの子。それで話したことがあるってだけ。知り合いっていったって、部屋に上がらせてもらったことがあるって程度だよ」
「ちょ、高志、アンタあの子の部屋に上がったことあるの!?」
発言を聞いた翔子が目を剥いた。
「何でお前がそんなにびっくりしてるんだよ。上がったっていっても、居間にだぞ。あの子の友達と一緒に三人でゲームしたってだけだ。日曜だったから、あの子の父親もいたしな」
不思議そうな表情で翔子を見つめた高志は、慌てて当時の状況を説明する。
まつりのことが気になって仕方ないのに、恥ずかしくて認めるのも癪な男心である。
「ああ、何だ居間までか。ちょっと安心したわ。あの子の部屋まで行ったわけじゃないのね」
「何でそこで安心するんだ……?」
何故か胸を撫で下ろした翔子に思わず突っ込みを入れてしまった高志は、彼女の鉄拳を脳天にくらうことになった。
「煩い! このトウヘンボク!」
「いてえ! ちょっとは手加減しろよ、馬鹿力女!」
衝撃で机に突っ伏す羽目になった高志は、頭を押さえて翔子に怒鳴った。
「誰が男みたいな女ですって!?」
「そこまで言ってねーよ! 気にしてるからって勝手に脳内変換すんな!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ高志に、秀隆は重々しく忠告する。
「高志、それは言外に言ってるのと同じだぞ……」
「やっぱりそう思ってるんじゃない! 死ね!」
翔子が平手で高志の頭を叩きまくった。たまらず席から立ち上がって翔子から距離を取る。
「だああ、秀隆、火に油を注いでどうする! 消火しろ消火を!」
「まあまあ、高志くんも翔子ちゃんも、落ち着いて。びっくりして転校生が見てる。私たち目立ってるよ。恥ずかしい……」
おろおろしながら由紀が二人を嗜める。由紀の視線はちらちらと二人から外れ、あらぬ方向を見ている。
そこには、冷たい目で高志と翔子を見つめる厳島女史の姿があった。
「朝から痴話喧嘩とは結構なことね。でも、今はホームルーム中なの。分かったら席に着きなさい」
怒られた高志と翔子は、目を見合わせて顔を赤らめると、気まずそうに目を逸らし合ってそれぞれ席についた。
そんな彼ら彼女らのやり取りを、クラスメートたちの質問に答えながら眺めていたまつりは、思っていたよりも狭かった世界に驚いていた。
(まさかこの高校に通ってるなんて、偶然って凄いわね)
まつりはもちろん以前出会った高志のことを覚えていた。綾野曰く攻略対称だそうだし、杉並学院にはあまりいないタイプなので印象に残っていたのだ。
回りにいる三人はどうやら高志の友人らしく、まつりを他所に馬鹿騒ぎをしている。
そのうちの一人がまつりの視線に気付いたのかちらちらと視線を送ってきたので、まつりがにこりと愛想笑いをすると、何故かその少女はびくりと身を強張らせて固まってしまった。
(え。何その反応)
少女はみるからにおどおどとしながら、高志と彼に親しいらしい女子生徒を仲裁している。
振り向いた高志と目が合ったのを切欠に、まつりは動き出す。
「おい、高志、転校生が歩き出したぞ」
高志をつつく秀隆は、さすがに落ち着いている。
「こっちに来てるよ。私何か気に触ることしちゃったかな」
一方で、自分と目が合ったとたんにまつりが動き出したため、由紀は涙目になって慌てている。
「来るなら来い! 返り討ちにしてやるわ!」
むん、とファイティングポーズを取る翔子に高志が突っ込んだ。
「お前はいったい何と戦ってるんだ……」
賑やかな友人たちで、まつりは少し羨ましくなった。
綾野に会いたくなってしまった。




