十一話:悪役令嬢の朝と、主人公のお隣訪問
次の日の朝、一番早く目覚めたのはまつりだった。
まつりの父親の芳樹と、まつりの親友である綾野はまだ寝息を立てている。
二人を起こさないように注意して起き上がったまつりは、手早く自分の布団を畳んだ。押入れに仕舞うのは起こしてしまうかもしれないので後にし、脱衣所に移動して身支度を済ませる。日曜日なので私服だ。とはいっても、本来のまつりの私服は上質すぎて父親の部屋で着るといささか浮いてしまうため、先週マンションの近所にある服屋で購入したラフなものだが。
簡単に身支度をして自分の長い黒髪を髪紐でポニーテールに括ったまつりは、台所に行くとまずコーヒーメーカーでコーヒーをドリップする。次に冷蔵庫を開け、中身の確認を始めた。
「朝ごはん、何にしよう。……あ、ベーコンの賞味期限が切れそう。ベーコンエッグにほうれん草とジャガイモのソテー、野菜サラダ、後はスープをつけて、デザートは……林檎とバナナのヨーグルト和えでも作ろうかな」
ぽつりと何でもないことのように言うが、朝食にしてはかなり本格的な献立だ。
フライパンをコンロにかけて熱し、油を薄く敷いたらまずベーコンをまず炙る。いい感じにこんがり焦げ目が着いたのを確認し、慣れた手つきで卵を割って、卵の黄身を優しくベーコンの上に落とす。こうすることで、卵の黄身が普通に焼くよりも濃厚になって美味しくなるのだ。
焼き過ぎると硬くなるので、ある程度固まったら残りの白身をかき混ぜて黄身の周りに落としていく。ここで形を崩さないように作るのが意外と難しく、フライパンを睨みつけるまつりの眼差しは真剣だ。
「よし。綺麗にできた」
出来上がりを確認して満足そうに笑みを浮かべたまつりは、軽く塩胡椒を振ってから手早く人数分の皿を出して盛り付けると、次にほうれん草とジャガイモのソテーを作りにかかる。
食べ易い大きさにざっくりほうれん草を切り、ジャガイモの芽を取って、適当な大きさに乱切りにしたら、ジャガイモはレンジで軽く中に火を入れておく。余熱が残るフライパンにバターを一欠けら入れて溶かし、炒めて塩胡椒で味付けし、軽く水切りすれば完成だ。ベーコンエッグの皿に盛る。
食パンをトースターにセットし、焼いているうちに他のものも作ってしまう。ここからはスピードが命だ。スライスしたタマネギを鍋でさっと炒め、冷凍のグリーンピースとコーンを入れたら水と固形のコンソメで味付けし、塩胡椒を少々。後は灰汁を取りながら煮る。
スープを煮ているうちにレタスを千切り、胡瓜、トマトを手ごろな大きさにカットして簡単にサラダを作り、白い陶器のサラダボウルに彩り良く盛る。続いてガラスの器に一口サイズに切ったバナナと林檎を盛り、市販のヨーグルトで和える。
全てが完成して時間を確認すれば、調理を始めてから十五分ほどが経っている。綾野と芳樹を起こすのにちょうどいい時間帯だ。
パンが焼けたことを知らせるトースターの甲高い音を背に居間に戻り、まつりはまず綾野を起こした。
「ふあ……もう朝ですの?」
掛け布団越しに身体をゆすられた綾野は、瞬きして視線を彷徨わせると、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「……いい匂いがしますわ」
「おはよう、綾野。朝ごはん出来てるわよ」
ぱっちりと目を開けた綾野に、まつりは微笑んだ。
「もう少ししたらお父さんを起こすから、その間に綾野は身支度を整えてきたら?」
まつりに言われ、上体を起こした綾野は寝ぼけ眼で自分の身体を確認する。透け透けのネグリジェ姿だった。反射的に芳樹の様子を確認する。芳樹は綾野に背を向けており、寝息を立てている。まだ眠っているようだ。
「おはようございます、まつりさん。そうですわね。着替えてきますわ」
来る前に買った残りのもう一着を抱え、綾野が脱衣所に消える。
脱衣所から出てきた綾野はついでに顔も洗ったらしく、いつもと同じきりっとした表情で出てきた。
「じゃあ、お父さん起こすね。綾野はこれでも飲んで待ってて」
「気が利きますわね。いただきますわ」
綾野にミルクと砂糖入りのコーヒーを淹れたマグカップを渡すと、綾野はマグカップを両手で持ってゆっくりと啜る。こう見えて、綾野はミルクと砂糖が入っていないとコーヒーが飲めないのである。長い付き合いであるまつりはそのことを良く知っていた。
居間に戻ったまつりは、自分と綾野の布団を片付けてから芳樹を起こしにかかる。
「お父さん、朝だよ。朝ごはん出来てるからそろそろ起きて」
「うーん、あと、五分……」
昨日の仕事の疲労が抜け切っていないのか、芳樹は娘に肩を揺すられても起きる様子が無い。
「さっさと起きる!」
休日くらい思う存分寝かせてあげたいのはやまやまだが、父親の言う通りにしていると五分が十分になり、三十分になり、時間がどんどん伸びていくことを経験で知っているまつりは、容赦なく父親の掛け布団を引っぺがした。
冷えた外気に触れた芳樹は身体をぶるりと震わせ、目を開けた。完全に目が覚めたらしい。
芳樹は愛する娘の顔を見ると、へなりと微笑んだ。
「おはよう、まつり」
いかにも娘の顔が見れて幸せそうな様子の芳樹にまつりはたじろぐ。
「いやあ、良い朝だね。お、いい匂いがするね。もう出来てるのか」
台所から漂ってくる匂いを嗅いだ芳樹は相好を崩した。
「そうよ。準備するから、顔でも洗って待ってて」
「まつりさん、わたくしも手伝いますわ」
コーヒーを飲み終えた綾野が立ち上がり、まつりと一緒に台所に行く。
「わたくしは何をすればいいかしら」
「お父さんにコーヒーを淹れてくれる? ブラックでいいから」
「分かりましたわ。今持っていきますわね」
本来なら綾野がするような仕事ではないが、逆にそれが新鮮だったようで、綾野は意気揚々とコーヒーを芳樹に淹れた。
「ありがとう。いただくよ」
「ごゆっくり」
にこりと外面用の笑顔を浮かべた綾野は、台所に戻るなり仁王立ちしてふんぞり返る。
「どうです? わたくしだって、やればできますわ!」
「ありがとう。綾野が手伝ってくれて、正直助かってる」
礼を言われ、ふんぞり返っていた綾野の顔が赤くなった。どうやら照れているらしい。
まつりが料理を盛り付けた食器を三人分、おぼんでちゃぶ台まで持っていき、配膳する。
賑やかな会話と共に、朝食が始まった。
■ □ ■
食器を片付けると、のんびりしている芳樹を置いて、まつりと綾野は出かける支度をして今日の計画を建て始めた。
「わたくし、ゲームセンターに行きたいですわ!」
「……あなた、テレビゲームすらやったことないでしょ?」
思わず聞き返したまつりに、綾野は自信満々に胸を張ってみせた。
「今生ではたしかに触れたことすらありませんけれど、前世では多少嗜んでいましたの。きっとまつりさんよりも上手ですわよ」
「へえ、そう」
確かにまつりはテレビゲームが得意ではない。そもそも初めてテレビゲームをしたのが父親のマンションに通うようになってからで、それまでは綾野と同じくテレビゲームなど触ったこともなかった。
当然ゲームセンターに足を運んだこともなく、まつりにはなんとなくテレビゲームと同じようなゲームを遊ぶ場所、という程度の認識しかない。
とはいえ、好奇心から度々父親を相手にして遊んでいたのも確かなので、まつりは自分には綾野に比べて一日の長があるという自負が密かにあった。
「じゃあ、今から行って試してみようか?」
「望むところですわ!」
勢い込んだ二人は出かける準備をしたところでふと気付いた。
「……ゲームセンターって、この辺りだとどこにありますの?」
「……さあ?」
揃ってまつりと綾野は首を傾げた。
どうやら二人とも知らないらしい。前途は多難だ。
ゲームをするという行為を通じて父親と親子の時間を過ごすのが好きなのであって、ゲームそのものが好きなのではないまつりは、興味が無かったのでゲームセンターの場所など調べたこともなかった。
「お父さん、知らない?」
娘に尋ねられた芳樹は、少し考え込んで答えた。
「確か、駅前に一件あったような……。でもそういうのは、お隣の方が詳しいと思うよ。確か息子さんが好きだったはずだし。同い年なんだし、誘ってみたらどうかな」
まつりは綾野と顔を見合わせた。
「って言ってるけど、どうする?」
「どうするも何も、詳しい場所が分からないとどうにもなりませんわよ。とりあえずは、その男の子に会ってみるしかないのではなくて?」
しばらく考え、まつりは結論を出した。今日はとことん綾野に付き合って、久しぶりに子どもらしく過ごすことにする。
「そうね。ならそうしましょうか」
「ああ、そうだ。出かけるならこれを持ってお行き」
隣の新井宅に寄ることに意見が傾いたまつりに、芳樹が平べったい金属機器を手渡してきた。
まつりは渡されたそれをきょとんとした顔で疑問符を浮かべながらまじまじと見つめる。
反応したのは綾野が先だった。
「スマートフォンですわね」
「おや、よく知ってるね。まつりは知らなかったみたいだけど」
杉並学院では、スマートフォンを含む携帯電話の所持が校則で禁止されているので、まつりはスマートフォンを持っていない。生まれ故にスマートフォンが売っているような場所に近付くことも無かったので、見たこともなかった。
もしかしたらまつりの母親なら持っているかもしれないが、まつりは母親のプライベートに踏み込むことを好まないので確かめようとも思わない。
「お父さん、これ……」
「最近は何かと物騒だからね。僕名義で一台余分に契約しておいたんだ。持っておいき。アドレス帳に僕の携帯電話の番号が登録してあるから、何かあったら連絡するんだよ」
どうやら、父親が娘のためにわざわざ用意していたものらしい。
「ありがとう。使わせて貰うね」
「最新機種ですわね。わたくしにも触らせてくださらない?」
目をキラキラとさせて、ワクワクしているのを隠しもせずに、綾野はまつりのスマートフォンに手を伸ばそうとした。
「あとで思う存分弄らせてあげるから、今は出かけましょ。ゲームセンターに行くんでしょ?」
「そうでしたわ!」
スマホに目を奪われていた綾野は当初の目的を忘れかけていたことに気付き、慌ててまつりの手を引いて部屋を飛び出す。
「こうしてはいられません! まつりさん、行きますわよ!」
「はいはい。急がなくても、ゲームセンターは無くならないわよ」
気が急いている様子の綾野を連れて、まつりは隣の新井宅の呼び鈴を鳴らす。時間は午前の十時。さすがにこの時間まで寝ている、ということはないだろう。
ドアを開けたのは、息子の高志ではなく、母親である良子だった。
「あらまあ、芳樹さんの娘さんじゃない! え!? 高志に用!? ちょっと待ってね、すぐ呼んでくるから!」
まつりを一目見るなり相好を崩した良子は、足取り軽く部屋の中に引っ込んでいった。
半開きのドア越しに、中から「いい加減起きなさい!」だの「何だよ、休みなんだからもうちょっと寝てたっていいだろ」だの「でもまつりちゃんが尋ねてきてくれてるのよ!」「何ぃ!?」だの母息子の騒々しいやり取りが伝わってくる。
「まだ寝てたんだね……」
「信じられませんわね……」
顔を見合わせたまつりと綾野は生温い表情になる。
厳しく躾けられた二人にとっては休日とはいえ、こんな時間になるまで寝ているなどあり得ない。
「ぜぇ、ぜぇ、待たせて、ごめん」
「ううん、こちらこそ、急に押しかけてごめんなさい」
超突貫で準備したのか、微妙に寝癖が残っているのに気付きながらも、まつりは指摘しないであげることにした。武士の情けである。
「友達とゲームセンターに遊びに行くことになってるんだけど、あんまりこの辺りには詳しくなくて。もし知ってるなら、案内してくれないかな。高志くんが良ければ、一緒に遊ぼう?」
「行く、絶対行く! 任せろ、いい店知ってっから!」
いったん部屋に戻った高志は、超特急で出かける準備をしながら心の中で快哉をあげていた。
気になっている女の子に遊びに誘われて有頂天になっている。
三分も経たずに準備を追え、外に出る。
外に出て、固まった。
いつもと同じくお淑やかそうなまつりの横に、高志の見知らぬ女の子が立っている。まつりとはタイプが違うが、甲乙つけ難い美少女である。まつりが「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」状態の正統派大和撫子風美少女だとすれば、彼女は目鼻立ちがくっきりとしたまつりとは正反対の、目鼻立ちがビスクドールのようにくっきりとした西洋風美少女だった。釣り目が印象的な勝ち気な表情がよく似合う少女で、ウェーブを描いた縦ロールが風に揺れている。
「……縦ロール?」
高志は思わず二度身してしまった。何度見てもそれは縦ロールに他ならなかった。Tシャツにジーパンという極めてラフな服装なのに、縦ロール。足が長くモデル体系で、ラフな服装でも髪型にさえ目を瞑ればよく似合っている。だが問題は髪型である。高志の常識から見て明らかに浮いている。
戸惑っている様子の高志に、まつりは綾野を紹介する。
「彼女は神宮路綾野ちゃん。私の友達なの。綾野、彼は新井高志くん。近くの公立高校に通ってるんですって」
「……」
まつりの紹介に、何故か綾野は無反応だった。愕然とした表情で、高志を見つめている。
「綾野? どうしたの? 挨拶くらいしなさいよ。……って、何するの!」
眉を顰めて綾野にを嗜めようとした美咲は、綾野にがしっと強い力で腕をひっぱられ、ぎょっとした。
「いいからこっちに来てくださいまし!」
事態についていけずに目を白黒させている高志を残し、綾野はまつりを引っ張って高志から距離を取る。
「一体どうしたのよ」
「それはわたくしの台詞ですわよ! 彼、ゲームの攻略キャラでしてよ! いつの間に仲良くしているんですの!?」
「別に、お父さんの部屋の隣に住んでいるから顔見知りなだけよ。そうだとは知らなかったわ」
友人の剣幕に顔を引き攣らせたまつりに、綾野はしたり顔で囁く。
「やっぱり、まつりさんは主人公でしたのね」
「……それでいいわよ、もう」
キメ顔でどうでもいいことを言われ、どっと疲れが増したのを感じたまつりは、ついに否定することを諦めた。
「彼と行動するということは、もしかして幼馴染ルートに突き進むつもりなんですの?」
相変わらず、まつりには綾野が何を言っているのか分からない。
どうして綾野がどこか不機嫌そうにしているのかも理解できない。
「別に私にそんなつもりは無いし、今日のことはそもそもあなたが言い出したことでしょう」
まつりが言い返すと、綾野はぽんと手を叩いた。
「そういえば、そうでしたわね。では、まだ本命は決まってないと考えてよろしいのね?」
「決まってないも何も、最初からそんなものは居ないわよ」
呆れた顔のまつりの返答に、綾野はたちまち機嫌を直した。
「それを聞いて安心しましたわ」
「私にはあなたが安心する意味が分からないわ」
ホホホホと笑う綾野はまつりのジト目と嫌味ををどこ吹く風と受け流し、高志の傍へ戻る。
「よろしくお願いいたしますわね」
「お、おう」
一方高志の方はというと、突然襲来した美少女二人に、完全に気圧されていた。特に綾野の存在は高志にとって予想外もいいところだった。
「それでは、案内してくださいまし」
綾野に艶やかな笑顔を向けられ、高志はどぎまぎしながら頷いた。




