迷宮経営幹部どもの日常
「やる気ですか? 蜘蛛」
「主様から賜った名で呼ばぬか犬っころ!」
二人の美女が剣呑なオーラを立ち上らせながら向かい合っている。
一方は銀髪、青い眼の凛とした女。その頭には彼女の性情を表すかのようにぴんと立った狼の耳があり、髪と同じ銀色の毛並みの尾を生やした女人狼。
もう一方は黒髪の女。その腰から下は巨大な蜘蛛の身体と脚で先の女以上にその異形振りが際立つ蜘蛛女。人のそれと同じ位置に二つ、額に二つ、二対四つの宝玉のような眼が輝いている。
「……」
そんな女たちの様子を観察する者が三人。無言のまま、抱えた兜の奥から視線を向ける首無しの騎士。かかかと声を出して笑いながら見物する猛禽の翼を持った人化怪鳥。そして俺。
どうしてこうなった。と女の争いを前にして俺は考える。
“死んでから”こちらのことを。
テンプレートのような転生と言えばいいのだろうか。
交通事故死した俺の前に立って手違いだったなどとほざく、神を名乗る老人から一通りの説明を受けた俺が最初にやったことは普段は使わない関西弁で「ええかげんにせえよ」と言いながら睨みつけることであった。
老人がいうことには、俺は本来死ぬ予定ではなくさりとて元の世界で蘇らせることもルールがあってできない。その為、記憶を引き継いで別の世界で新たな人生をという話だった。
記憶はそのまま、いくつか特典のようなものも付けると。
いろいろと文句はあったが受諾の意を示すと、老人は俺の額に手を押し当てる
「新たな人生を楽しんでくれな」
そもそもお前の手違いが無ければ普通に人生を楽しんでたんだがな。
そうして異世界で新たな人生をスタートさせることになる俺の自己認識は、大仰な光と煙の向こうに人影を見た瞬間につながった。
いや、それまでもいわゆる「前世の記憶」はあったし、理解は出来ていた。おそらく人格もちゃんと連続していただろう。
ただ、語彙が足らず、知能が足らず、それをそうだと体の方が認識できていなかったのだ。その身体と心のズレがピタリとはまったのがその瞬間だった。
煙が張れたとき、人影――――ローブをまとった少年の第一声は忘れもしない。
思えばあれがその後の俺の立場を決定づけた気がしないでもないが。
「まったく、我以外は主様への忠誠が足らな過ぎる。犬っころといい。鳥もどきめといい」
アラクネが怒りの矛先を銀髪のルー・ガルー以外にも向け始めた。なんだかんだ言ってこの迷宮の幹部に名を連ねる彼女が同格の幹部に向けたこれを止められるものは一人しかいない。
「のう、お主もじゃぞ。自覚を持たぬか山羊獅子」
ため息をついて止めようと立ち上がった俺に対してアラクネはそう言い放つ。
山羊獅子。まあ、間違ってはいないか。獅子のような鬣に、山羊の角。ルー・ガルーが銀の尾を持つ辺りでは俺のいら立ちを表現するように毒蛇が鎌首をもたげている。
「だから、名で呼べと言うのならまずはあなたがその呼び方をなんとかしなさい、蜘蛛女」
「黙れ、犬っころ」
現実逃避の様にあの時を思い出す。
――――男? あれ? 俺のハーレム計画はどうなんの?
合成魔獣の幼体として生まれ育ち、一介の魔獣として生きていた俺が選び出され、幹部として人に近い身体を与えられたあの時を。
異世界から呼びこまれたダンジョンマスターだという主君の、あの時の反応と失望感は今でも忘れない。
あれと閨まで共にしようとするアラクネの思考が理解できないのだが、まあそれはいい。価値観はそれぞれだ。
「主様はのう――――」
お前がその価値観を持っていることは構わないから俺にもお前の価値観での忠誠とやらを強制するな。そんな俺の内心には気づかず、主(笑)がいかに素晴らしいのかとアラクネはまくしたてる。
ルー・ガルーが目に見えて不機嫌になっていくのが解った。いかんな、このままでは本当に潰しあいに発展しかねん。
先も言ったが俺を含めこの場にいる全員が迷宮の領域を統括する幹部である。
その本気のぶつかり合いとなればどちらか、あるいは双方が命を落とすとは言わずとも数日はまともに動けなくなる可能性が高い。ましてや、それを切っ掛けに双方の配下がぶつかりあったりなどすれば目も当てれない。
使える迷宮の戦力が減るのはさすがに問題だ。主(笑)の命はどうでもいいが、迷宮そのものが失われたら我々の命も無いのだから。
「二人のどちらか。主を呼んできてくれないか?」
「お前は?」
「決まっているだろう」
無言のまま唯一この場を治められる主(笑)を呼びに行ったデュラハーンを見送って、俺はひとまず立ち上がった。
「主が来る前にアラクネに拳骨をくれてやるくらいは許されるだろうさ」
本当、なんであんなダンジョンマスターに仕えなきゃならんのか。……自称神様を睨みつけたせいではないと信じたいなあ……。