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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
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6

『質問に答えてくれてありがとうございます。私は高いところが大好きです。もしかしたらあれですね。バカと煙はなんとかかもしれません。ともあれ、ここの学校は屋上が高いです。私の中学校とは大違いだと思います』




『たしかに高いですね。僕の中学校もここまで眺めが良くなかったですし。ここは特別だと思います。後、高いところが嫌いな人はいないでしょう。高所恐怖症でもない限りそんな気がします』




『はい、おっしゃる通りだと。私は高いところが大好きですが、あなたの大好きな雨も気に入ってます。ちなみに、好きな単位は何ですか? 私はダース。特に一ダースで。十二できれいに収まるからいいですね』




『雨が気に入っていますか。最高です。それにしても、好きな単位は不思議な考え方。僕には特別好きな単位はありません。ああ、でも、今考えてみればありますね。科学系の単位はかっこいいと思います』




『科学系ですか。私はあまり賢くないので理科は苦手です。フレミングの法則を理解できてるか。それも怪しかったりします。ただ、方角を見つけるのは得意ですよ。ちなみに東西南北ではどの方角が好きですか? 私の名前は三波なので、南の方角を好んでいます。だから、寝るときはいつも南枕。北枕には出来ません』




『南ですか。そして、三波さんですか。自分は千之と言います。後、返答は東が好きです。太陽が昇っていくのがいいと思います。なんか月並みですね。逆に太陽が沈んでいくのは切なくなります。ちなみに、太陽か月に神様がいるとしたらどちらだと思いますか? 心理テストくらいの軽い気持ちで答えてほしいです』











 こんなふうに彼女とのやり取りは順調に続く。


 二回目で相手が女の子だと判明。三回目で不思議な少女だと見当をつけた。四回目で彼女のファーストネームが分かった。少ないメッセージで順調に情報を得てる。


 それと、今年の五月は雨が多く降ってくれた。とりわけ、都合よく平日。梅雨もかくやというくらいのペースで。小雨の日も大雨の日もあった。いや、大雨の日は一度だけだった気がする。でも、珍しいなと思う。五月には大雨がほとんどない。これは感覚的な判断だけど。ただ、そういう事情で五月の雨が好きかもしれない。


 ともあれ、秘密のやり取りは刺激的で日常のいいスパイス。一度に貼るポストイットの数も増えていく。これはメッセージが長くなったせい。二回目は一枚。両面を使い文字を敷き詰めて書いた。三回目は二枚。互いに一枚ずつ使った。四回目は三枚。一枚半ずつゆったりと使った。ちなみに、ポストイットは彼女が用意してる。


 すでに暦は六月。僕が好きだった五月の雨は終焉を迎えた。あの素晴らしい雨が変化する。おかげで、不快指数は上がっていくはずだ。


 幼馴染の翠は変化を察してる。持ち前の勘を働かせたかもしれない。ただ、一切変わらずに様子を見に来てくれる。一週間に一回くらい。もう、一緒に帰ったりすることはなくなった。でも、ここだけは変わらない。きっと、鮫島家が夕飯の心配をしてくれるんだろう。料理はそれなりにこなせるのに。翠は料理を持参してやってくる。


「マク。最近嬉しそうだよね」

「嬉しそう?」

「うん。あ、違うな。嬉しそうじゃない。幸せそうに見えるっていうか」

「そうかな。ならば、五月はたくさん雨の音が聞けたからにしようか」

「雨の音? ふーん。私は天ぷらを揚げる音にしか聞こえないけどなあ。とくに、大雨が窓に当たる時なんか」

「それは耳をすまして聞いても?」

「もちろん。でも、そんなことはどうでもよくてさ。マクの様子だよ。今はなんか幸せそうだよね。私はマクが幸せなら、それに越したことないと思ってるよ。幼馴染として。知ってる? 人の幸せは自分の中をいくら追及しても求められないって」

「へえ。じゃあ、どうすれば人間は幸せを得られるの?」

「それは他人の幸せによって得られるの。他人の幸せ。ある意味、哲学的で深い言葉だよね。たしか、テレビのバラエティ番組で言ってたと思う」

「ああ、それだと台無しのような気がする。テレビの話はあまり信用できないからさ。とくに、昨今のバラエティは」

「だったら、映画のセリフってことにしておく」

「映画のセリフか。それだといい言葉に聞こえるね。なんか不思議だ」

「だよね。うん」


 ここの会話は印象に残ってた。


 人は幸せを追及する。でも、本当の幸せは自分の中に存在しない。他人の幸せから見出すらしい。基本的に幸せとは自分自身を満足させる行為のはず。たとえば、五感や三大欲などの本能的欲求。あるいは自我や自尊心などを満たす精神的欲求。さらには自己実現や充実感などの魂的欲求。これらが幸せの獲得に付随することだと思う。


 だから翠が帰った後、その言葉を詳しく検索する。まずは直截的に入力。言葉が長すぎたのかヒットしない。次は簡略的に単語を絞る。そして、再度アプローチ。検索上位に来たのを調べてみる。でも、なんだかパッとしない。その後も様々な角度で検索を続ける。


「うーん」


 イスのキャスターが床を滑っていく。コロコロと。僕がイスの上で体を弛緩させたせい。とりあえず、気分転換にイスを変えてみた。キャスターのないやつ。これを使うのは久しぶり。ちなみに、自室はイスが多い。単体のイスが三脚。用途不明なゲスト的イスも一脚。後、座イスやクッションなんかもたくさん。イスコレクションといってもいいだろう。


「やっぱりだめか。諦めよう」


 イスを変えてから数十分後。結局、悲しい結論が出る。結果は見事に徒労。満足する内容が得られなかった。哲学者の言葉かと思ったがそうではない。見込みが外れた。翠の言葉がもう一度脳裏をよぎる。人の幸せは自分の中をいくら追及しても求められるものではない。他人の幸せによって得られるもの。深く考えさせる言葉だ。


 僕は自室を出て、下へ降りる。気を取り直して、DVDを見ようと思う。ジャンルは翠が借りてきたロマンチックコメディー。いや、それともSFか。区別が難しい。とにかく、恋を主体としたループもの。内容はこうだ。超常現象に巻き込まれた主人公が田舎町の退屈な祭事を繰り返す。そして大切な恋を見つけて、ハッピーエンドを迎えるという。とりあえず、ミステリ的な要素は皆無。この前読んだループものの小説とは違う。あれは死んだ男の原因を究明する話だった。そういう物語ではないらしい。


 やがてお茶の用意も終わり、件のDVDをセット。僕は主体的にDVDを借りることがない。なので、チョイスは翠任せ。かくいう翠は頻繁にDVDを借りてくる。それで僕の家にて鑑賞。理由は大きなテレビが気に入ってるから。ソファーも最高だと公言してた。


 今日、翠が借りてきたのは二作品。一つ目は翠と一緒に見た。スラップスティック系のコメディ映画である。最後は翠が身を乗りだして見てた。まるでかぶりつくように。やっぱり、翠は笑い上戸の側面がある。明らかにへんなタイミングでよく笑う。しかも、たいして面白くないところ。そういえば昔、超大作のアニメを見た時もそうだ。いきなり笑うので驚かされた。


 ただ、対照的にホラー映画には面白さを見出せないタイプ。うっかり怖い要素が入っていたらダメ。四人掛けのソファーが一気にシングル扱いへ。つまり、翠が緊急措置的密着を敢行してくるのだ。


 ともあれ、映画は意外と面白く見ている。ループ特有のリフレイン要素で散漫になったが飽きは来ない。終盤も上手くまとめられていた。最近見た中では傑作と呼べる。


「ああ、そっか」


 と、僕は映画の内容を思い出す。具体的にある一部分を。


「あれは映画の中のセリフだったんだ」


 人の幸せ云々の言葉。


「考えてみれば、翠はこの映画を見たと言ってたな。印象に残ってるのはそういうことか」


 まさにあの言葉が映画の主題。表――いや、裏のセントラルクエスチョンと断言してもいい。そう。セントラルクエスチョン。物語の根本を貫く基本的な問いかけ。求心力のある話はここがしっかりしてる。ある意味で物語をミステリとして変えるほどに。とにかく、あの言葉の深い意味が読み取れてすっきりした。それも映画という分かりやすい形で。そして、これはとても嬉しいことだった。あの言葉は人生における本当の幸いを構成すべき大切な要素。ジョバンニとカムパネルラも脱帽だ。


「さて、どうしようか」


 僕は五月の終りに作成した菫の造花を手に持つ。バイオレントではなくバイオレット。フラワーアレンジメントには程遠い手慰み品。でも、それなりに精巧な代物。翠はこの作品を手放しで褒めそやしてくれた。


「わあ、すごいよマク。作ってくれたんだね。ほんとにマクのフィンガーテクニックはすごすぎ。ああ、そうじゃなくてこうだ。マクの指の器用さは感激するレベルだよ。今年もこれを見れて良かったな」


 あの時、翠は機関銃のようにまくしたててた。本当に良好な反応。それこそネコじゃらしを前にしたネコのように。そういえば、翠のネコネコ体操は今も続いてるんだろうか。今や懐かしきネコネコ体操。けったいなネーミングだが仕方ない。自作のエクササイズ兼バストアップ体操なのだから。本人曰く、ネコの動作を取り入れた斬新な動きらしい。この体操を考案した時は、自分の才能に衝撃が走ったと。体操のタイプはヨガに似ていた。ちなみに、ヨガはスタイルを良くするのに適した体操。もっとも、今の翠はやる必要がない。すでにスタイルが良くなってる。だから、やってない可能性も高かった。


「―――――」


 閑話休題。話が脱線した。翠の珍妙な体操はどうでもいい。それよりも、翠はスミレの造花を気に入ってるのか。気に入ってるならプレゼントしてもいい。ただ、エイプリルフールの誕生日以外でプレゼントしたことがない。そこは由々しき問題だ。


 僕はかご仕様のキャスケットから折り紙を取り出す。ごっそりとつかんだので多くの枚数が取れた。色とりどりの折り紙で紫を選択。後は元へ戻す。前の菫と見比べながら、新しく作り直すかと考える。今回はもう少し手間を掛けようか。


 ふと、近くのカレンダーが目に入った。冷蔵庫に備えつけてあるカレンダー。花菖蒲の写真が前面に押し出されてる。当たり前だが暦は六月。すでに五月は過ぎた。僕の好きな五月は終了。今年の五月は消化した。菫の季節も終わった。菫の季語は春なのだ。











 六月最初の雨が降った。でも、本格的な梅雨の到来はまだ先。六月特有の湿気も大丈夫。ただ、今が季節の変わり目だと深く感じる。それは半袖を着用をする人が多く見受けられるせい。約半数くらいが半袖。ちなみに、我が高校は衣替えが強制でない。各自の判断に任せてある。人によっては一学期を長袖で過ごす人も少なくない。もちろん、六月一日を境にチェンジする人も。どうも、その辺は相容れない関係だと思う。半袖派と長袖派。二つには大きなへだたりがあるような気がする。


 ところで、昨日葛藤した菫の件はまだ引きずってる。とはいうが、たぶん新しく作らない。やはり、五月以外の暦で作るのは違う。なので、代わりに花菖蒲の造花を作ってみた。ただし、出来は良くない。慣れと難易度が違いすぎる。それが主たる敗因だ。やむなく廃棄の処分を下す。


 ちなみに、菫の造花はポケットにある。わざわざ学校へ持ってきた。朝は意気揚々と翠にプレゼントするはずだったのに。でも、今はその気持ちが萎んでる。単にきっかけが見つからない。だから、軽い調子で渡せない。変にこだわらなくてもいい。そんなのは分かってる。きっと、翠は喜んでくれるはず。間違いない。必要ないメンツに拘泥するのは、男子全般における悪い癖だった。


 結局、翠に渡せないまま放課後へ。雨の放課後といえば屋上。これは五月だけの習慣だが今年は違う。雨以外にもポストイットのやり取り。なので、僕は屋上へ歩を進めていく。


 雨でも放課後は活気に満ちている。生徒のエネルギーがそこかしこで消費されていく。まるでエネルギーを使うことが正しいかのように。高校生であるための正義かのごとく。とにかく、六月は色々と始動する時期。部活動も決まり本格的な体制へ移行。すると、いよいよマンモス校の本領が発揮。生徒数が約千人の高校は、飽和以上のエネルギーであふれだす。


 さて、天気の方は雨が弱くなった。すでに本降りでない。傘が必要かどうか。その判断に苦慮するくらいだ。ブラスバンドの音でさえも雨に劣らなくなっている。


 僕は七不思議に使われそうな階段を上っていく。すでにお馴染みとなったドアノブを捻り、雨空が広がる屋上へ。天気は曇天。灰色ともネズミ色とも取れる雲。見上げる空は終わらない。いつもの給水タンク近くで軽く瞑想。そして、ポストイットを確認。今日はピンク色の紙が一枚だけ貼られていた。


「あれ?」


 一枚。二枚でも三枚でもなく。ほんの一枚。文章もシンプルだ。




『ごめんなさい。私、あなたへ会いに行きます』




 ごめんなさい。最初に発見した日と同じフレーズ。でも、そこからが違った。今回はその後に力強く宣言。それは文字の大きさや筆圧からも主張してる。


 とりあえず、辺りを見回す。人影は存在してない。隠れる場所がない屋上。まず、同じドアから相手がやってくる。出入り口はここしかないのだ。仮に屋上で誰かが死んで鍵がかかってたら密室扱い。とはいうが、屋上を鍵で閉鎖しないので無効になる。


 そういえば、相手は僕が雨の日しか屋上に訪れないのを知ってるんだろうか。これを知らなければ大変だ。すれ違いになる。いや、すでにすれ違って終了したかもしれない。もっとも、今までにすれ違わなかったことが不思議だ。もちろん、鉢合わせの可能性は低い確率。僕は雨の日しかここに来ない。そして、滞在時間もそんなに長くない。ただ、今のはこちら側の視点。相手側の視点は全く分からない。だから、本当の事情は窺い知れない。なのにこう思う。きっと、すれ違うことはなかったと。間違いなく断言できてしまう。それがなぜだか深く説明できない。でも、ある種の感覚的な部分で察知した。


 ともあれ、時間は有限。無限ではない。秒針は絶えず動く。カチコチ。カチコチ。僕はもう一度時計を見て考えた。待ち時間を設定するべきか。だとすれば、この短針が十二の表示を刺したらここを去ろう。こんな自分ルールを課しておく。


 数十分が経過し、雨の音は相変わらず耳朶に響く。サーサーと。あまりに心地よくて眠くなってきた。かなりうとうとしてくる。今は船を漕いでる状態に違いない。心の奥底でまずいなと思う。危機的状況だとも。これでは寝てしまいそうだ。


 今眠いのはあれだろう。昨日、色々と考えたのが原因かもしれない。本当の幸いとか菫の造花とか。寝つきは子どもの頃と比べて良くないのに。一般論でも歳を重ねると寝つきが悪くなるという。もしかしたら、これが睡眠時間の減少に影響してるのか。とにかく、夜寝られないとどこかにしわ寄せがくる。自分はショートスリーパーでもない。基本誰だって三、四時間では耐えられない。七、八時間は必要である。後、先だって購入した枕の効果は出てない。翠にはこれで大丈夫だと嘘をついた。でも、あっさり見抜かれてると思う。


「眠いな」


 少しずつ意識がたゆたってきた。意識と無意識の揺籃。まるで電車に揺られてるような感覚。一定のリズムがある。こんな気分になるゆりかごイスが欲しいと思う。イスコレクションに追加したい。


「ん? ゆりかごイス?」


 正式名称はこれで正しいのだろうか。どうもピンとこない。名前とイメージは合致してない気がする。なので、他にも候補を挙げてみる。ハンキングチェアー。ハンモック。宙づりイス。ブランコイス。並べてみたがどれも正しくない感じ。適切に表してるようで表してない。もっと何かあるはずだ。安心感と浮遊感を前面に押し出した名前。意識と無意識の揺籃をもたらすのに相応しい言葉が。そう。こういうのは確実に存在する。適切で正しい言葉。これが絶対にある。などと僕は勝手に確信してた。


 そして、それはゆりかごイスに限ったことではない。ふとした日常においてもそうだ。物事には必ず適切で正しい本質が備わってる。本質というのは装飾を切り取って純化させたもの。ただ、僕はそれを見逃す。もとい、見逃してきた。つまり、正しくとらえることができないかもしれない。たとえば、二年半前や十ヶ月前の出来事なんかも。外延は理解した。でも、内包までには至らなかった。だから、本質みたいのはいつも探し続けるべきだ。それは日常でも重要な局面でも関係ない。分からなくても考えること。その行為を止めてはいけない。不理解でも輪郭をとらえようとする。たとえ、それが砂漠の中で砂以外の鉱物を探すような作業だとしても。なぜなら、アンテナを張り続けないと大切なことを見落としてしまう。見落とせば、意識がいかなくなる。人は意識を置かないと途端に背景へ変化する。そういうわけで色々と機敏に反応しておくべきだ。本質を見逃さないようにするにはそれがいい。

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