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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第四章 『そして、姫君が救出されていく』
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13

 いつもの美術室とは違う。美術室特有の雰囲気ではない。これも文化祭の雰囲気か。開かれた感じがする。しかも、聞こえるのはいろんな話し声。基本は静かな場所だから、いつもと違う感覚があった。


 私は美術室に足を踏み入れる。そろりそろり。こんな擬音がつきそうだ。なのに、私が入った瞬間はだんまり。なぜか、全員がこっちを向く。今まで誰もが自由に話してたのに。いきなり注目を集めてしまう。


「よっしゃー!」


 静寂を破ったのは、ある男子の叫び声。さらに、他の男子も続け様に叫ぶ。あるいは、逆にがっかりしてる人も。何事だろうか。とりあえず、マクの表情を見る。すると、マクは気まずそうな顔をしていた。


「篠原先生。幼馴染のお姫様が来たぜ」


 これはまた、べつの男子の発言。てか、お姫様って。


「おっしー。やる気出てきたぁー」

「俺もみなぎってきたぁー」


 次々と喚く男子たち。一体全体どういうことか。私はキツネにつままれたような顔で立ちつくす。


「あのー、今はどういう状況なの?」


 近くの男子に聞く。徽章を見ると一年生。なかなか貫禄のある後輩だ。身長だって高い。


「あー俺ですか?」

「ごめん。近くだし作業の手を止めてたから。後、君なら客観的な判断を下せそう」

「まあ、そうっすね」


 彼がぐるりと見渡して言う。他の男子はやっぱり騒いでる。喧噪といってもいいくらいに。どうも、私のことを話してるみたいだ。いろいろと聞こえてくる。


「ちくしょう。身近にこんな幼馴染がいたなんて。俺は絶望したよ。この世の不公平に絶望だ」

「待て待て。逆に考えるんだ。俺は希望が湧いてきたぜ。現世でむりでも来世は可能かもしれない。それを現実に示してくれたさ」

「いやいやいや。落ち着け。よく考えろ。俺たちは、そんなクソみたいな確率に掛けなければならないのか。そうじゃないんだ。自分で幼馴染をつかみ取る。そんな力だって持ってるさ」


 なんだろう。この体育会系的なノリ。


「てか、むりでしょ。幼馴染だし」


 ぼそっと冷静なツッコミ。この後輩はあなどれない。


「すみませんね、先輩。普段はこんな先輩たちじゃないんですけど。基本的に美術部は、女の子の方が多いですし。だから、先輩たちもここまで弾けないですよ」

「ふーん。そうなんだ。でも、想像はつくかも。いつもの美術室はそんな雰囲気だし」

「そうっすね。分かります。自分で所属してても感じますし。なんつーか、独特の雰囲気があるなって」

「だよね。分かってくれて嬉しいよ」

「そりゃどうも」


 私と彼が仲良く歓談。すると、マク以外の男子が寄ってくる。迫る勢いがすごすぎて少し怖い。というか、看板作成の作業はどうしたんだろう。なし崩しで中止になったのかな。だとしたら、邪魔して申し訳ない。


「てめえ、後輩のくせにどういう了見だ」

「俺の至高の幼馴染に、なんて口の聞き方を」


 などという気持ちは、一気に消え失せた。本当は申し訳ない状況なのに。


「だから、オマエの幼馴染じゃねえ。俺だよ」

「なんだと? だが、甘い。オマエの可能性は、一ミリだって存在しないからな」

「二人ともまだまだだぜ。鮫島さんはみんなの幼馴染だよ。そういう当たり前のことが分からないのか?」

「おーそうか」

「それもそうだな」


 それも違います。期待には応えられません。私はマクだけの幼馴染だから。


「だけど、俺はオマエが許せない」

「そして、俺もオマエは許せない」


 なぜか、へんなこだわりで取っ組み合い。困惑しすぎて、心が折れそうになる。


「まあ、気にしないことが一番ですよ。先輩方は無視していいので。それよりも篠原先輩へ会いに来たんでしょう。俺と話してる場合じゃないのでは」

「まあ、うん。でも、マクはこんな状況でも筆を止めずにがんばってるし」

「あー、そうっすね。キリがいいとこまで待ってますか」


 相変わらず彼以外の男子は言い争い。マクは絵描きに集中。残された私と彼は適当な話をする。彼曰く、文化祭前の美術部はこんな調子が伝統だという。看板作成は男子。イラストポスターは女子。これが昔から続く慣例。おかげで、男子校体育会系のノリへ変化。


「てか、いいんですか?」

「なにを?」

「みんな、先輩のことをお姫様とか言ってますけど」

「えっ? ほんとに?」


 やはり、気のせいではなかったか。薄々、聞こえてはいたけど。


「俺、結構地獄耳でねー。なんでも拾うんですよ。って、聞こえないふりをしてるだけですよね。大声で話してますし」

「だって、みんながお姫様って言うから。幻聴じゃないかと」

「あー。そりゃ、残念でしたね。鮫島先輩。篠原先輩がぽろっと言っちゃったので。だから、みんなが言うんですよ」

「えー」


 マクのやつめ。私を話のネタにしたな。


「てか、マクがそんなことを言うとは。びっくりだよ」

「そうっすね。俺もそんなイメージはありませんでしたし。幼馴染とだけ親しくしてる孤高の元絵描き。こんな感じですね。ただ、篠原先輩は平常じゃないかもしれませんよ。鮫島先輩の話を精神安定剤にしてそうだ」

「そっか」


 私はマクの心中を深く考える。たしかに、マクは私にしか言わない。誰かに私を揶揄するようなことはしないはず。むしろ、憤るくらいだ。憤慨キャラだから。


「まあ、とにかく俺には分かりませんよ。ただ、今回は美術部の危機を救ってくださってありがとうございます。それだけですね」


 あくまでも冷静。彼の姿勢は最後までそうだった。











 喧噪はまだ続く。私が来てから、ずっとこんな調子だ。


「おーい。そういえば、幼馴染掛けはどうなった? 倍率は? 誰が勝ったんだ?」

「おう。その一覧表はここだぜ。今朝、作っておいたぞ。面白そうだったから」

「なにこれー。ありえないよ」


 私は不満の声を出す。それもそうだ。作られた一覧表は私のオッズ。朝からつきっきり。午前に出没。午後に出没。電話だけ。会いに来ない。項目はこの五つ。なのに、最初の二つで収まってる。これは私のことを通い妻だと思ってるのか。勘弁してほしい。


「ばかやろー。誰だ。ここまで偏った配置にしたのは。大穴が大穴になりもしないし。これじゃあ、掛けが成立しないじゃないか。ほんと誰だよ」

「みんなだよっ」


 私がツッコミ。収拾がつかないから。てか、そんなことをしてる暇があったとは。だったら、作業をすればいいのに。実は思ってたより余裕があるんだろうか。あ、そうだった。マクの描く大枠が完成しないと作業ができないんだ。つまり、人的バランスが悪い。一人の負担が掛かりすぎてる。


「先輩、怒ってうやむやにしようとするのはだめですよ。自分が朝からつっききりの方に掛けたからって。掛け金の配当は少額ですけど、僕は当たりの方に掛けたんです。なので、しっかりと精算してもらいますからね」


 もう、反応する気力もない。


「あー、そうだよ。俺はそっちに掛けた。うやむやにしようとした。ただな、これも篠原の幼馴染が朝からつきっきりをしなかったせいだ。責任を取ってもらおうか」

「え?」


 まさかの飛び火。とんでもない展開からパスが来た。


 しかし、責任ってなんだろうか。まさかヌードモデル? って、一瞬でもそんな想像をした自分を恥じる。常識的に考えてありえない。 


「鮫島さんの責任。そうだな。俺に幼馴染的なあいさつをしてくれたらオッケーだ」

「ふざけんな。なんでてめえがそんなことされなくてはいけないんだよ。だとしたら、俺にだってその権利はある。あいさつとか幼少時の思い出を語り合ったりとか」

「ないからね。うん」

「待てよ。そう考えればあれか。俺たちは、鮫島さんに幼馴染的な対応をされてもいいはず。なぜなら、俺たちは幼馴染を崇拝してる。そういうことだ」


 そういうことだ、と言われても。


「ただし、オマエは例外な。後輩のくせに、鮫島さんと仲良く話してたから」

「あー、いいっすよ。みなさんで好きにやってください」

「よしっ。これで一人、幼馴染的扱いを受ける奴が減ったぜ」

「よっしゃー」

「「「「「しゃー」」」」


 しまいには万歳三唱まで始まった。だから、なんでこんなノリなんだか。でも、私だって毒されてきたかもしれない。なんだか、このギャグみたいな扱いが楽しくなってきた。不思議。たぶん、文化祭前の高揚が影響してる。


「さあ、ここからはお楽しみだ。鮫島さんから幼馴染的な対応を受ける。それは一人ずつにしようじゃないか。そのほうがより堪能できるな。決定。異議なし」


 私が手を挙げる隙もなかった。


「ということで、挙手制にしよう。いくぞ。準備はいいか? 三、二、一、アクション」


 はいはいはいはいっ。本当にこんな感じだ。まるで小学生が先生に好きな食べ物を聞かれた時みたい。勢いがすごい。先ほど話した後輩の彼以外は全員挙手。ノリがよいというか。やっぱり反応に困る。


「ああ、分かった。みんなの気持ちはよーく分かったさ。でも、ここは落ち着こう。少し遠慮するんだ。な。そうでないと鮫島さんも愛想が尽かすだろ」

「ああ、そうだったな」「たしかに」「ちょっとやりすぎたかもしれない」「鮫島さんの気持ちも考えないといけなかった」


 ここに来てまともな意見が。しかも、見事な統一感に驚く。展開芸でも見てるかのよう。


「だからさ、俺は遠慮したいんだけどしょうがなくだ。最初に幼馴染的扱いを受けると大変。それを待つ楽しみもなくなってしまう。なので、俺は最後がいい。でも、みんなのためを思って俺がやる。実験台だ」

「それだったら僕が。後輩の自分が責任を持ちましょう。一番手を引き受けますよ。最後で、鮫島先輩もいい感じになったタイミングがいいですけど」

「いやいや。後輩にそんな責任は背負わせられないぜ。ここは俺に任せて先に行けーっ」

「だめだ。そんなことはさせない」

「そうだそうだ。幼馴染の俺にしておけ」


 また、へんなことで揉めだした。最後の男子なんてすごい。幼馴染という既成事実まで作っちゃったし。でも、見ていて楽しい。非常に困る。


「おーい。篠原。君の幼馴染をめぐってこんなことになってるぜ。どうしてくれるんだ」

「え? どういうこと?」


 マクはこんな状況下でも集中してたらしい。すっとんきょうな顔でこっちを見る。これはなにも分かってない表情。着用した防護服はいろんな色で汚れてる。それがある意味でチャーミングだった。


「だから、誰が最初に幼馴染的扱いを受けるかで揉めてるんだ。鮫島さんから」

「へえ、そうなのか。それなら、最初は僕でいい?」


 がやがやしてたのが一瞬で静かに。ただ、それもわずか。まるで予期してたように声を唱和。


「どうぞどうぞ」


 どこかの芸人じゃないんだから。あまりにも揃いすぎだ。











「いやあ、計算通り。篠原のやる気を出させるための下地作り。これを俺たちは完璧にこなしたんだ。やりきったよ」


 などという趣旨のセリフをつぶやく。お話しした彼以外みんな同じ。だとしたら、なんて思いやりのある流れだったんだろう。まあ、ないと思うけど。


「マク。で、順調に進んでるの?」


 今日、初めて正面からマクを見る。表情はいつもと変わらない。ただ、少し頬がこけた様子。あまり睡眠が取れてないかもしれない。


「一応ね、作業をしながら絶えず翠のことを話してたんだ。みんなが聞いてくるのもあってさ」

「そう。それだよ。まったく。私のことをお姫様とか言ってたし。これは絶対にマクのせいだ。マクのばか。余計な昔話なんてしなくていいのに」

「まあ、そうだよね。でも、おかげで僕は安定できたよ。少なからず助かった」

「そうなの?」

「うん」

「ならいい。しょうがないし」


 私は口をへに曲げて言う。


「で、マク。赤は使ったの? 問題の赤色」

「いいや。まだだね。だったら、今がいい。少し使おう。翠が近くで見守ってるうちに」


 マクはあっさりと覚悟を決めた。絵の具入れから目的色を取る。パレットへ。一面が赤に。


「あー。この色だ。僕が一番嫌いな赤。でも、僕はこれを使わなければいけない。そうしないと先へ進めないんだ。いい加減けじめをつけないと」


 筆に赤を接触。手が震えてる。口で言うほど余裕はない。それもそうだと思う。赤い絵の具はバットアイテム。これはおおげさでもなかった。


「なあ、翠。本当にばかみたいだな。普通の赤なら全く問題ないなのに。たとえば、折り紙とかさ。ただ、赤い絵の具だけは違うんだ。まるでなんかの刷り込みみたいに嫌だ。どうしてこうなんだろう。って、原因は分かってるが」

「マク。落ち着いて。落ち着こうよ。支えてるから」


 ごく自然に。私はマクを後ろから包み込む。マクの心が寒そうにしてたから。私は私の意志でそう判断した。多少、恥ずかしくもあったけど。でも、そうしないといけない。私の心に訴えてくる何かが言う。


「翠?」

「うん」

「どうしたんだよ」

「べつにマクがふらついてるせいだし。支えないと。それ以外に理由なんかないんだからね」

「そっか」


 マクの背中は大きくなったと思う。


「ありがとう」


 後ろにいるから表情は見られない。本当に好都合だ。


 結局、マクはなんとか赤で描き切った。時間はたくさんかけたけど。ただ、美術部の男子たちがずっと見てた。幼馴染ってそんなことまでオッケーなのか。いいえ、今日は特別仕様なので。なんてやり取りも。とにかく恥ずかしかった。


 私がいないあいだ、クラスの作業は完成に近づいてた。どうも、私は本番要因になったらしい。女子たちがそうまとめてくれた。当日の私の負担が多すぎる。だから、幼馴染の件で気が気じゃない私を考慮しようと。そこまで分かりやすくないのに。たぶん。


 で、看板作成は今日のノルマを消化。とはいえ、明日も長い時間を見込んでる。本当に終わるんだろうか。確信が持てない。マクだってどんどん疲弊していく。あまりにも、マクの割り振りが多いから。でも、そこで納得のいく作業ができるのはマクしかいない。しかも、自分で立候補した。責任もひときわ感じてると思う。なので、私は願うことしかできない。すべてが事もなく上手くいきますようにと。

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