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「茜ちゃん」
「んん?」
「上のお魚だけじゃなくてご飯も食べないと」
お母さんが妹に注意。なんと、妹はネタだけを食べるという御法度をやってた。ただ、受け皿にはシャリがない。どうやら、マクにあげてるみたいだ。妹もちゃっかりしてる。
「ほら、千之くんも遠慮しないで。どんどん食べてよ。ご飯ばかり食べなくていいから」
マクにお寿司を取り分ける。お寿司はまだたくさん残ってた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。子どもたちはたくさん食べないと」
ついでに、私たちにも分けてくれた。
「でも、姉貴は食べすぎ。せっかくスタイルがマシになったのに。また元に戻っちゃうぜ」
弟が茶々を入れる。てか、私が太ってたみたいな風潮は止めてほしい。
「橙也め。余計なことを言うな。だいたい、マクだって気にしないよね。私のスタイルが元に戻っても」
「まあ、翠は翠だからね。うん。それに元のスタイルだって悪くないよ」
「ほら見たことか」
勝ち誇ったら苦笑された。マクも含めて全員に。
「母さん。なんか姉貴のやつが恋人気取りなんだけど」
「ほんとに自覚ないよね。振り回される千之くんも大変だ」
「もっとも、千之兄さんだって振り回してるからなあ」
「そうよね。それでいつになったらくっつくんだか」
「さあ? ところでさ、前祝いの意味あったの? 二人ともいつもと変わらないよね」
「そうそれ。言質は取ったのよ。千之くんの」
弟とお母さんがひそひそ話。私はそのあいだにハイパーお寿司タイム。胃袋の拡大に努めて食べていく。結局、たくさんあったはずのお寿司は完食。もしかしたら私が一番食べたかもしれない。弟よりもペースが早かった。これは弟もあきれるはずだ。
片づけはお母さんに任せてリビングへ。弟は妹を寝かしつけにいった。へんな気を使わなくていいのに。あいつは意外とそういうところで賢しい。へんなゲームばっかり買うくせに。
「あのさ、マク。今日はいろいろと急だったよね。びっくりしたでしょ」
「まあね。翠のことを聞かれたり、夕食に招待されたり。でも、おばさんだからあり得るよ。それよりも僕にまで世話を焼いてくれてありがたいかな」
「うわー、模範解答だなあ」
「そんなつもりはないって」
私は適当にチャンネルを変えていく。繋ぎの時間でどこもニュースかコマーシャル。消そうか迷ったがそのままにした。
「そうそう。最近、文化祭実行委員会の方はどうなの? 夏休みでちょいちょい集まりがあるんでしょ?」
「うん。あるね。うちのクラスだけで終わりじゃないから。委員会は全体の運営が上手くいくように綿密な計画を立てるんだ。とはいえ、だいたいは前年度を参考にするんだけどね。ただ、それでもやることはたくさん」
マクが真面目に語ってる。なんか想像もできない成長だ。成長? いや、昔のマクはこんな感じだった。わりと細かいところに拘るマクは計画好き。遊びに行くのも秘密基地を作るのも。たしかいろんなことを率先してた気がする。その時の血が騒いでるかもしれない。
「まだ八月なのに?」
「そう。八月なのに」
ちなみに文化祭は九月下旬。生徒数が多い我が校は大々的に盛り上がる。何よりも店舗の種類が豊富。どんなタイプのお店も兼ね備えられるほど。そして、それからの余興もなかなか素晴らしい。いろんな人が目立つことをする。しかも、文化祭のすぐ後が生徒会選挙。実は山内先輩もここでのパフォーマンスで台頭した。
「そうだ。山内先輩っ」
「ん? 山内先輩がどうしたの?」
「んとね。今日、山内先輩の後輩に会ってーー」
私はかいつまんで話す。マクは黙って聞いてくれた。
「そっか。そんなことになってたんだ。しかも、僕と三波後輩の問題が明るみに出る前か」
「うん。そうみたいだね」
「ただ、僕にはどうすることもできないよ。それに僕は決めたんだから。あの日に言ったよね。僕は翠を大切にするって。そのために三波後輩を踏み台にした。山内先輩だって切り捨てたんだ」
マクの決意。その前に何も言うことができなかった。私はマクの幸せを願ってる。ただそれだけ。その想いがマクへ伝わってるのか。マクは頑な義務感に束縛されてる可能性も。つまり、私の存在が押しつけになってないか。そこだけは心配だ。
なのに、私は幼馴染に大切だと言われて喜んでる。嬉しいなんて単純に思ってしまう。
「そんなの私だって思ってるし。だから、べつに嬉しくないもん」
ふいに思い出す。畠山ちゃんの言葉。恋愛的な関係と好きという言葉の発露。私はさらに何を欲してるのか。自分の感情が分からない。
「翠。ありがとう。僕はその気持ちに応えたい。ただ、待ってくれ。僕にはしなければならないことがあるんだ」
それは何なの? 私が考えてることと同じ?
「それってもしかして?」
「うん。僕はそれと対峙しなくては。そうしないと前へ進めない。考えだけでなく行動も」
マクにはしなければならないことがある。それはたぶん昔の自分を取り戻すこと。三波ちゃん以前の問題だ。
「だから、今はあれだよ。翠を大切にしたいと言っておく」
私は返す言葉がない。マクがあまりにも真剣すぎて。もしかしたら、マクはいつも真剣すぎるかもしれない。いや、第三者から見れば、私たちは必要以上に真剣なんだろう。幼馴染という間柄だけなのに。
お母さんはいつもてきぱきしてる。今日も私とマクがしゃべってるうちに家事を完了。洗い物をしてお風呂掃除も終わってた。すでにお湯も注いでる。お風呂の準備はまもなくできそうだ。
「千之くん。もう少しでお風呂沸くからどうぞ。そのあいだに布団も出しておくわ」
「あれ? 今日、僕は泊まる予定なんですか?」
私も聞いてない。まあ、お母さんの思いつきだろう。いちいち気にしてたらキリがないよね。
「いいの。まだ夏休みなんだし。あ、そうだ。そういえば、納屋に線香花火があったはず。お風呂から上がった後にやりましょうか」
「おおー。いいね、線香花火。準備が良すぎる」
線香花火は情緒があって好き。昔からよくやった。火の穂先を眺めてるだけでいい。なんとなく楽しい気分になれる。
「じゃあ、すみません。お先にお風呂いただきます」
「はーい。着替えは翠のやつを置いておくからね」
「え?」
「ちょっとお母さんっ」
「冗談よ。翠」
冗談に聞こえないから怖い。さくっといたずらして愛嬌で済まされそうだ。
「とにかく、千之くんには安く買っておいた男性用の下着があるから。それを使ってもらおうかな。お願いね」
「いえいえ。何から何までありがとうございます。それでは」
マクが洗面所へ向かう。残された私はなんとなく落ち着かない。それは早く花火をやりたくてうずうずしてるせいか。いや、違う。マクが考えた決意が心配だから。でも、とりあえずその件は保留にしておく。まずはこのまま楽しく過ごせばいい。
いずれにしても、今日はお母さんが勝手に始めた前祝い。私とマクのお付き合いを祝ってという驚天動地の内容。フライングにも程がある。というか、その前提が崩れることだって考えられるのに。とてもおかしな話。お母さんは言質を取ったなんて言ってる。ただ、私から言わせれば止めてほしい。そもそも、物事には適宜なタイミングが存在する。だから、その時になって初めて考えるべきだろう。とにかく、今がそのタイミングでないのは確かだった。
「二人とも準備できたわよ」
一時間後、私とマクはお風呂から上がってた。そして、そこから線香花火。予定通りだ。弟のやつも誘ったけどなぜか拒否。後でお灸を据えないと。
「橙也は線香花火なんかする風流がないのよ。うちの息子だからねー」
「そうそ。橙也だから。だめな弟なんだ」
「そうかな。僕は橙也くんを買ってるけどね、なかなかできた弟じゃないか」
線香花火の穂先が落ちた。ジューッと音が鳴る。一斉に始めたけど落下が一番早い。幸先が悪いと思う。
「そういってくれるのは千之くんのみ。優しいな」
「いえ。本当のことを言ってるだけですから」
次はマク。最後はお母さんだった。全員の穂先の火が落ちたところでべつの線香花火へ。何度やっても私だけが早く落ちる。何かコツでもあるのかな。それとも単純に運が悪いだけか。
「なんかさ、これをやると夏も終わりって感じがするなあ」
「うん。穂先から火が落ちてく感じだよね」
たくさんあった線香花火も残りわずか。最後の方は言葉少なで輝きを見つめてる。いつのまにかお母さんはいない。奥へ引っ込んだ。なので、私とマクの二人。手元でチチチチチと音が響く。なんとなく儚さを感じる。
「終わった」
「うん」
水を張ったバケツで残り火を消す。ジュッと残響音。火薬の臭いがした。
部屋へ戻ると、私たちはお母さんに捕まってしまう。何かを思えば布団を敷いたとのこと。やはりマクはお泊まりなのか。たぶん、来客用の部屋に泊まるはず。ただ、マクは枕に拘ってるから大丈夫かな。ちゃんと安眠できるんだろうか。
来客用の部屋は二階。私の部屋の隣。お母さんがマクを案内する。ところが、なぜか私もついていくことに。必要な寝具の調達でもさせるのかな。でも、私よりお母さんの方が詳しいと思う。
「千之くん。今日はここ」
と、言いつつ目の前の扉を開けた。すると、目の前には予想だにしない光景が。
「翠の添い寝つきだからね。たぶん積もる話だってあるだろうし」
「……」
唖然として言葉も出ない。さすがはお母さんだ。
「いつのまにか、私の布団が瞬間移動してるよ」
「えーっと、布団は瞬間移動しないかな」
「そうじゃなくてっ。そうなんだけどそんなことじゃないの。うん」
なんだか自分の言ってることが分からない。
「ちなみに拒否権はなしね。お二人さん。翠の部屋は封鎖しておいたから」
そこまでやるとは。まあ、封鎖は冗談だと思うけど。なので、私は何気なく自分の部屋のドアノブを回す。はずだったのに全然回らない。冷や汗。もしかしたら本当なんだろうか。
「ほら、鍵が使えるか確かめないといけないから。年に一度くらいは鍵穴を回しとかないとね。使えなくなっちゃう」
強引すぎる理由づけだった。
「そんなの聞いたことないし」
私は一人ぐちる。そう。一人。隣のマクは何も言わない。覚悟を決めたのか部屋へ入っていく。すでに布団へ腰を下ろす。枕の感触を確認中だ。
「てか、布団の上に私のパジャマがあるし。他にも携帯、充電器、目覚まし時計。本当に準備が良すぎるよ」
しかし、パジャマ? まさかこの部屋で着替える縛りとかじゃないよね。
「いいじゃない、翠。へるもんじゃないんだから」
「お母さんっ。さすがにそこまでは。マクもなんか言ってよ」
「僕にとってはプラスしかないけど?」
「そ、そうなの? じゃなくて。私にとっては死活問題だよっ。 マクのばか」
お母さんが楽しそうにしてる。今にもスキップしそうなくらいだ。
「まあ、電気を消せばいいのよ。それと千之くんに後ろを向いてもらえばね。これで大丈夫。見えないから。たぶん。後、翠は胸が大きいからこうしよう。パジャマのボタンは必ず二つ以上開けること。そうすればいい案配になるかな」
「なんで? どうしてそうなるのさ。娘を安売りしすぎだって」
これはべつに私の価値がどうとかでなくて。親として正しいのかという話。
「千之くん、どうかお願いしますね。私のかわいいあまのじゃく娘を」
「おばさん。僕にはまだ精進しなければならないところがありまして。ただ、そのことが解決したならば」
あー。私を置き去りにして話が進んでいく。こっちは困惑。どんな反応をしていいか。さっぱり分からない。
「とにかくね、後はお二人さんで。私はまだ居間ですることがあるから。あ、そうそう。翠」
お母さんが私を手招き。なんだろうか。近くまで行く。
「千之くんが翠を大切にしたいってねー」
こそっと耳打ち。恥ずかしさがこみ上げてくる。
「お、お母さん。聞いてたの?」
「ううん。聞こえちゃったのよ」
どちらでも変わらない気がする。とりあえずマクにも報告しよう。
「マク。お母さんが私を辱めようとしてくる」
「え?」
すごくぼけた返事。どうでも良さそうな気配だ。
「マクからもなんか言ってよ。いつのまにかこんな状況にもなってるし」
「こんな状況? でも、僕にとってはやぶさかでないんだけど。翠は違うの?」
「……」
べつに私にとってもやぶさかでなかった。ただ、そんなことは言わない。
「あらあら」
お母さんがまた楽しそうに笑う。さらにマクは余裕綽々。わけもなく悔しい。この憂さは弟をいじることで解決しようと思う。




