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「おねえちゃん。でんわー?」
「そうだよ。だから、また後で遊ぼうね」
「ん。わかったー」
妹が私から離れてく。とっとこ。とっとこ。そんな擬音が聞こえそうだ。
「さて、加絵先輩に連絡と」
思い返してみれば、最近は加絵先輩と連絡を取ってない。さらに、会う機会もなし。前に三人でからくり屋敷に忍び込んだけど、その時に誘っても断られた。それは夜中で都合がつかなかっただけでなく。一連の元気のなさが影響してたかもしれない。
小倉くん曰く、加絵先輩は七月に入ってから元気が無くなってきたらしい。そして、今は八月下旬。夏休みも終わり。一ヶ月半もその調子なんだろうか。
「でも」
七月に入ってからが引っかかる。その時点で、三波ちゃんの問題は明るみに出てない。彼女はまだ生きてた。そして、私がこの件を話すのは三波ちゃんが亡くなる当日。さらに後日、生徒会室で発見された証拠の押収。その辺りが原因と思ってたけど。どうやらそうでもないみたい。ただ、べつの問題が発生してたら困ってしまう。
履歴から加絵先輩を探す。履歴はだいぶ下の方。やはり、しばらく連絡を取ってない。私たちはいろんな話をしてきたのに。でも、夏休みの期間はお休みしてた。
『あ、加絵先輩』
電話はすぐに繋がった。なのに、声が聞こえない。
『加絵先輩。加絵先輩? 電波が悪いんですか?』
電波が届かなければだめだ。いくら問いかけても意味がない。
『聞こえてませんか? うーん。困ったな』
またかけ直そうか。そんなことを考えた矢先だった。
『――助けて。助けて。翠さん』
突如、聞こえてきたか細い声。間違いなく加絵先輩だ。せっぱ詰まった時の特徴的なハスキーボイス。私はこの声を聞く機会があった。
『加絵先輩。どうしたんですか? とにかく、状況を説明してください。私にはなにが起こってるか分からないんです。背景が全然見えてませんから』
不思議なことに口が勝手に動く。まるで自分がもう一人の自分に操られてるような気分。へんだと思うが、そうとしか説明できない。他に適切な表現が見つけられない。
『それに私、勘がいいわけではありません。要領だって良くないんです。ただ、マクが関わってくる時だけは感覚が研ぎ澄まされてて。だから、なんとかなってます。本来の私はあまり上手くやっていけない女の子。マクの後ろをついて歩くだけ。過保護なお姫様の扱いを受けてたんです。つまり、マクが私を引き上げてくれたから』
携帯から雑音。今まで聞いたことがない音。とはいえ、そこまで嫌な感じは受けない。でも、なんだかいいようもない不安に襲われていく。私はこういう不安を抱くタイプではないはず。なのに、たとえようもない焦燥を感じてしまう。
バッバッバ。バババババ。また雑音。今度は携帯の上空にモニターが浮かぶ。まるで携帯の吹き出しみたい。しかし、そこには文字でなく。見たことがない女の子。彼女はどこかで見たような人。あるいはどこかすれ違った人。とにかくものすごい美人さん。大人っぽくてかわいらしい。なんか、不思議な魅力を備えてる。面識はないと思う。
ただ、その瞬間に自分の直面してる状況が夢だと悟った。先ほどから続く非現実的な現象。不可思議な心理状態。しかも、金縛りにあったような感覚。自由が利かない。心も体も言葉も。私は何かに支配されている。
『えっとね、旅へ出ることにしたんです。私が求めてる本当の幸い。これを探しにどこまでも行きたくて。だって、追い求めなくてならないんです。なぜなら、女の子は幸せに敏感でなくてはいけませんからね。私は私のパーフェクトストーリーを探さなくては。誰にも覆すことのできないパーフェクトストーリーを』
バッバッバ。バババババ。携帯の上空にあった吹き出しが消える。本体も音信不通。すでに夢だと確信。だとしたら、深層心理は何を訴えているんだろうか。よく分からない。
「――。――」
声が聞こえる。私の妹の茜。ついでに、弟の名前は橙也。オレンジのだいだいでトウと読む。合わせてトウヤ。うちの家族はすべて色に関する名前だ。
「おねえちゃん。ごはんだよー」
妹の言葉まで明確に聞こえてきた。どうやら、私を起こしに来たらしい。小さい体で一生懸命に揺すってる。おかげで、少しずつ意識を取り戻す。やはり、あれは夢だった。それも荒唐無稽なやつ。でも、どこかで繋がってると思う。
「おはよ。茜ちゃん」
「うん。おはよ。おねえちゃん。ごはん」
「知ってる。寝てた時に茜ちゃんの声が聞こえたから」
「えー、そうなの? だったら、わたしおねえちゃんの夢の中にいたんだ。びっくりー」
なんか発想がかわいい。
「茜ちゃん。とにかくどかないと。茜ちゃんが私に抱きつくから動けないよ」
「あ、うん。そっか」
妹がいそいそと動く。やっと身動きが取れるようになった。
「おねえちゃん。おへそしまわないと。わたし、おかあさんによく言われるんだよ。おやすみするときはしまいなさいって」
「あ、うん。ありがと」
たしかにその通り。寝てる時に暑くて剥いでしまった。部屋着用の服はゆったりだから、こんなこともある。
「さあ、夕飯だね。茜ちゃん、今日のメニューは?」
「そうなの。おねえちゃん。今日はおすしだよ。おかあさんがお店におねがいしてた」
「ということは出前なんだ。お母さんどうしたのかな。でも、お寿司なんて。久し振りだよ」
私は大いに喜ぶ。とにかくお寿司。好きなネタはたくさんある。食べる順番だって悩んでしまう。
「茜ちゃん。下へ行くよ」
「うん。まって。おねえちゃん」
階段を降りてリビングへ。すでに準備が整ってる。かなり豪勢だ。ウニとかもある。てか、頼みすぎってくらいの量。お父さんの昇進祝いなんだろうか。にしては、その主役がいない。どこへ行った? お酒でも買いに行ったのかな。
「翠。なにをキョロキョロしてるの?」
お母さんが私を見て言う。弟も怪訝な表情。お母さんはともかく弟までとは。私がおかしなことをしてるんだろうか。
「だってさ、お父さんがいないから」
「あのさ、父さんなんかいないぜ。姉貴はなにを言ってんだよ。仕事で出張だったじゃん。昼寝のしすぎだな」
弟がしたり顔で忠告。まったく。嫌になっちゃうなあ。
「とにかく、なんでこんなに豪華なの? 今日は何の日?」
「あーあ。翠ったらとぼけちゃって。ねー」
「ねー」
妹があいづちを打つ。やっぱりかわいい。そして、弟は私を同情の目で見ていた。
「おーい。橙也。どういうことなの?」
「それは自分の胸に聞いてよ。なんて言いたいけどなあ。さすがにかわいそうだから教える」
「うん。で、なに?」
少し癪にさわるが仕方ない。お母さんと妹は楽しそうにはしゃいでるし。詳しい話が聞ける雰囲気でない。弟から聞くしかなさそうだ。
「これ、姉貴と千之兄さんの前祝いなんだって」
「はっ? 意味が分かんないよー」
「なんか、姉貴の機嫌が良すぎるからさ」
「う、うん」
たしかに最近は機嫌が良かったけど。マクの言葉で。ただ、それとどう関係してるのか。さっぱり分からない。
「要するに、お母さんが千之兄さんに軽く聞いてみたらしいよ。姉貴はどうしたのかって。そこで色よい返事をもらえて早合点したってこと。それがこの結果」
私は頭を抱えた。いかにもお母さんのやりそうなことだ。でも、お寿司が食べられると思えばいいのかな。まさに色気より食い気だった。
「で、実際はどうなんだ? 姉貴」
「へ?」
私はきょとんとしてしまう。
「だから、千之兄さんと」
「ととと、とんでもない。私とマクはそんな関係じゃないよ。恋愛的なんて。ただ、昔みたいな雰囲気は戻ってきたかもしれない。いや、昔とは少し違うかな。もう少し自覚的な良好関係」
「へええ、自覚がないってすごいもんだな」
「え?」
「なんでもない。まあ、おかげでお寿司が食べられるよ。サンキュー姉貴」
「あ、うん。どういたしまして?」
私がお礼を言われてるか不明。一応、なんとなく承諾しておく。
時刻は夜七時。帰ってからシャワーを浴びた。その後は部屋の掃除。だから、お昼寝は一時間くらい。夢で加絵先輩に電話したけど、実際はまだ。しようと思ってるうちに寝てしまった。たぶん、寝る直前に考えたから夢に登場したのかな。そういう話はよく聞く。
すでにお寿司は取り分けた。桶から各自の皿へ。それでも桶に残ってる。しかも、皿は五人分。来客が一人ということか。だとしたら、どう考えてもマクだよね。
「翠。なんでそんなにそわそわしてるの?」
「そわそわしてないからっ」
「またぁー。ねー」
「ねー」
同じように妹があいづち。これは茜ちゃんのマイブームかな。とりあえず、妹はかわいいから許す。お母さんは許さない。
私は静かに怒りを燃やす。この憤怒をお寿司にぶつけてしまえ。そんな心意気で食べ放題だ。マクがこようが関係ない。私は私が思うままに食べるんだ。
「さて、七時だしそろそろかな」
お母さんが壁時計を見て一言。そのタイミングでチャイムが鳴る。ピンポーン。ピンポーン。キキが吠えないので知り合い。見知らぬ人ならワンワン騒ぐ。
「ほら、翠。主賓を迎え入れなさい。もっとも、あなたとダブル主賓だけどね」
「はいはーい。てか、もっと前に教えてくれても良かったのに」
「あら、私だってそうしたかったのよ。でも、翠はすぐにお出かけ。帰ってからはシャワーを浴びてお昼寝。話す機会がなかったじゃない。仕方がないわよね」
確信犯だ。お母さんの表情が物語ってる。
ともあれ、私はしぶしぶ玄関へ。まあ、マクに罪はない。そして、お寿司にも。切り替えてマクを向かい入れよう。せっかくのご馳走だ。
「姉貴。その部屋着でいいのか?」
「あーっ。うわ」
自分の格好を見て唖然。幼馴染だし気にしなくてもいいけど。でも、やっぱり着替えておこう。
「着替えてくる!」
私はどたどたと階段を上っていく。
「橙也。私の代わりに出といて」
「はいよっと」
「もう、橙也ったら。そこは黙っておかないと。翠の反応を楽しみにしてたのに」
なにげにお母さんがひどい。危うく口車に乗せられるところだった。などと嘆いてる時間もない。私は超速でお着替え。べつに余所行きでなくてもいいけどこれにする。気分的にそんな感じだ。たぶん。
「翠。まだー? 早く降りてきて食べましょう」
階下からお母さんの声。事情を知ってるくせに。そこまで素早く着替えられない。早着替えの手品師でも無理だ。
「もう少し待ってて」
そして二、三分後。鏡で一周回って最終チェック。目視では特に問題なし。まあ、大丈夫だろう。ただ、居間へ行く前に洗面所へ。顔は洗っておく。その後でようやくである。
「ごめん、マク。お昼寝してて。今、速攻で着替えてた」
「あ、うん。気にしなくていいよ。それよりもありがとう。今日はなんかの前祝いなんでしょ? それでおばさんが招待してくれたんだ」
「私もさっきまで知らなかったけどね」
「ねー」
妹のあいづちに癒される。ただ、マクは不思議そうな顔していた。




