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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
番外編1 『誰も知らない物語 ――アンストッパブルカラーの蹉跌――』
53/77

3

「うー、アタマ痛い。お母さん。お水」

「まったく、あんたって子は。少しはクリスティーナの名に相応しい行動を取りなさいな」


 その設定、まだやってたんだ。正直、もう止めてほしい。あれは明らかな失敗。名前なんかすぐに公表できる。大した問題じゃないし。むしろ、引っ張りすぎかも。だから、今ここで言おう。私の名前は――おえー。吐きそう。今はそれどころじゃないよ。先にトイレだ。


「私の名前はおえーじゃないからね。今のは急に吐き気が来ただけなんだから」

「クリスティーナ。あなた、誰としゃべってるの? それとも今度の設定はオエーって名前? どこの国を参考にしたのかしら。センスがないわね」


 お母さんはボケんな。このタイミングでツッコミはできない。 


「うぅー、苦しい。生き地獄だあ。まったく。あの二人は成人したばかりの私に飲ませすぎ。これまでの二倍くらい飲んだ」


 トイレの便器にゲーゲーと吐く。そして、この瞬間だけは強く思う。過度の飲酒を控えようと。結局、むだな決心に終わるんだけどね。三日ですぐ忘れるから。もしかしたら、私は鳥頭かもしれないな。実は脳みそが空っぽだとか。そっか。どうりで大学受験に落ちるわけだよ。なんて自嘲しても仕方がない。


 一段落して水を飲む。この行為が逆流してる感じ。今まで吐いてたせいかな。これが正常なのに。


「あはは。いててて」


 笑うと頭に響く。ズキン。ズキンズキン。治まったかと思えばまだ痛い。でも、幸いなことにめまいはなし。これでだいぶ救われてる。二つ重なると悪夢だ。


「オエー? 二日酔いに利く薬でも飲む?」

「いい。いらない。てか、平然とへんな設定の名で呼ぶなあ。せめて、本人の了解を取ってからにしろー」

「そう。分かったわ。それなら、今度はなんで呼ぼうかしらねえ」


 なんだか、お母さんの方がハマってる。どうしてこうなった。わけ分からん。


「ヘップバーン。マドンナ。うーん。どうしよう」


 止めて。ただの娘には重すぎる。容姿、器量は水準くらいなのに。下手したら水準以下かもしれない。本当にこんな展開はだめ。なんとしてもくい止めなくては。他力に頼ってみようか。


「お母さん。一回でいいから私の本当の名前を呼んでよ」

「えっ?」


 本気でびっくりなさってる。これはどういうことだ?


「あまりにもありふれた平凡な名前のくせに?」

「ちょっと。今の親が言っちゃいけないセリフだよね。それにキラキラネームよりいいじゃない。私は自分の名前の普通さが好きなんだから。お母さんたちだって、一生懸命考えてくれたはず」


 一瞬の沈黙。


「そこはごめん。お母さん、先に謝っておく。実はね、あなたの名前は鉛筆振って決めたの」

「えー!」


 驚愕の事実が発覚した。


「ほら、断面が六角形の鉛筆あるでしょ。あの鉛筆の表面積に六通りの名前候補を書いてね。適当に転がしたの。お父さんと大騒ぎしながら」


 マジですか。


「そんな事実、二十歳にもなって知りたくなかったのに。お母さんにはがっかりだよ」


 でも、まだ知れただけマシかも。なんて思うのはまずいだろうか。


「だから言ったでしょ。先に謝っておくって。どうだ」


 そこで誇られても。まあ、もうどうでもいっか。今はあんまり考えたくないかな。体調が芳しくないから。帰ってきたのも遅くだしまだ眠い。今日はゆっくりしよう。


「それにしても、いい担当さんに巡り会えたよね。出会いは合縁奇縁っていうけれど、あなたはそういうところに恵まれてるわ。あんなにわがまま言ってもオッケーなんて。あそこまで素直に従ってくれる人はいないわよ」

「え?」


 なんだか嫌な予感。ちなみに、記憶はほとんどない。あるのは遅く帰ってきたことくらい。たしか、声がいい執事に車で送ってもらったんだ。担当と一緒に。


「おはようございます。お母様。昨日はお世話になりました。今日もいいお天気ですね」

「えええ! なんで清水さんがうちにいるの! どうして!」


 しかも、こんなタイミングで降りてくるな。私、パジャマ。着崩し気味の格好。あああ、ズボン履いてない。パンツが隠せないよ。


「すみません。とりあえず、シャワーお借りしますね」


 いちいち言うことが如才ない。後、寝起きなのにさわやかイケメンすぎる。


「ちょっと、清水さん。私の質問に答えてません」

「ああ、そうですね。井原先生。いえ、ミズキ先生」

「うそぉー。清水さんが私の名前で呼んでるし。なんで? 小林先生の影響を受けたんですか?」


 私は格好も気にせずに、担当へ詰め寄る。すると、担当がほんの少しだけたじろぐ。恥ずかしいけど、なんか勝った気分。


「いえいえ。昨日、ミズキ先生が自分で言い出したんですよ。私の名前が呼ばれないから呼んでくれって。今の小説設定が云々とかも言ってましたね。名前のない我が輩ネコでいいのとか。正直、意味が分かりませんよ」

「なんてこった。私のばか。お酒飲んで絡んだだけじゃないか」


 おもわず、頭を抱えてしまう。頭隠してパンツ隠さず状態だ。


「とにかく、そういうことですよね。なので、ペンネームの名前を呼ばせていただきます。ミズキ先生。ではまた。あ、それと昨日の様子は、お母様からお聞きくださいね。僕の口からはあれですから」


 それだけを言い残して、担当はバスルームに消えていった。


 私、呆然。もう、パジャマも下着も脱いじゃおうかな。そんでバスルームに飛び込もうか。自暴自棄のヤケクソだ。心なんか解き放った方がいいかも。


「あの、お母様」


 私は申し訳なさそうにお伺いを立ててみた。


「んん? どうしたのかしら? ミズキちゃん」


 実の親まで、私をペンネームで呼ぶ。本当に私の名前はいずこへ。こうなったら、意地でも自分からは言わないぞ。


「どうしたもなにも。私が聞きたいことは一つで」

「へえー。さっきまでは私をコケにしてたくせにね」


 あーあ。形勢逆転。


「しかし、昨日の夜中はすごかったわよね。ミズキちゃん、お酒入れば豹変するみたいだし。少し気をつけた方がいいかな。これは親からの忠告。世の中は、担当さんみたいにできた人だけでないから」


 担当の評価が異様に高い。なんか面白くないなあ。


「お母さん。とにかくさ、私が何をしたか教えて欲しいんだけど」

「いーっぱいあるわよ。おかげで、私は楽しかった。ミズキちゃんは担当さんにいろんなことをさせてたし」

「た、たとえば?」

「たとえばそうねえ。まずは仕事関係なのに、名前で呼ばせようと迫った。さらに車中は膝枕、移動はお姫様だっこ。担当さんに家へ泊まることを強要も」

「ガーン。私、ひどすぎ」

「まだまたあるわよ。こんなの序の口」

「うそぉー。まさか」

「そのまさか。べつに信じなくてもいいけど?」


 それ以前に信じたくない。


「えっと、後は?」

「後は、お鼻かんでもらったりもしてたわね。それから、服を脱がせてパジャマを着せてもらって。一緒に添い寝までしてもらってた」

「ちょっと待って。うそでしょ。そんなことがあっていいわけないじゃない。お母さんも止めてくれればいいのに」

「そこはすべてお任せするのが礼儀でしょう。もっとも、担当さんが一番かわいそうだったわ。酔ったあなたでは役得にもならないから。しかも、私が二人の様子を楽しそうに見てたし」

「ううう。想像するだけでもきついじゃん。清水さんに申し訳なさすぎる」


 ともあれ、なんたる失態。今すぐ私のメモリーから消去したい。というか、今すぐ死ぬべきだ。そういえば、陽子の高校は建物がすごく高かったっけ。あそこの屋上から飛び降りようかな。死にきれないこともまずないだろう。


「……あ」


 なあんだ。すでに消去されてるじゃん。というか、最初から覚えてないんだけどね。まったく困ったもんだなあ。

 










 担当は我が家でしっかり朝食。トーストにハムエッグ、シーザーサラダも残さず食べた。お母さんとも気軽に談笑していい雰囲気。しかも、さっきは卵の割り方を指導してたような。あれはなんだったんだろう。やっぱり図太いよね。というか、あまり動じないタイプだ。昨日の痴態なんかなかったみたい。


 もっとも、私から話題にするわけにもいかず。彼がシャワーからあがった時に謝ったのみ。彼は普通に了承してくれた。うむ。本当にできた奴。スマートだ。


「で、ミズキ先生、具合の方はどうですか? さっきは二日酔いで苦しんでましたが」

「あー、うん。少しはよくなりましたよ。ただ、二人して飲ませすぎですね。私の興が乗ったのもあるんですけど」

「そうでしたね。たしかに飲ませすぎたかもしれません。あんだけノリノリでしたし。僕が昨日の様子を再現しましょうか?」

「ストップ。止めてくださいね。恥の上塗りになるから」

「ですよね」


 肯定しないで。頼むから。


「ところで、今日はどうします? せっかくですから少し打ち合わせしません? 体調が芳しくないなら辞去しますが」

「あ、そうですね。思ったより回復してるから、少しやっておこうかな」

「そうですか。いやー、回復力が早いのは酒豪の必須条件で。才能ありますよ」


 担当め。今日はずっとこの調子か。


「いえいえ。冗談は酔ってる時だけに致しましょう。てか、鉄は熱いうちに打たなくてはいけませんから」

「いいですね。分かりました」

「では、少し準備しますので。その間、私のベットで休憩しててください。なんなら、眠っちゃってもいいですよ。仕事続きで疲れてるのを知ってますから」

「あ、ほんとですか。いいなあ。そういう気遣い。それではお言葉に甘えますね」


 担当が私のベットで横になる。


「しかし、いい香りですね。ミズキ先生。おやすみなさい」


 あんたもその発言かい。なんて胸中で呟く。担当はすでに目を閉じて軽い寝息。電光石火の素早さだ。でも、これで気兼ねなく集中できるかな。今度こそしっかりまとめなくては。


「さて、深呼吸」


 部屋の窓を開けて空気を吸い込む。今は秋で十月中旬。小春日和の朝をしかと感じる。


「よし。やるか」


 私は気合いを入れて窓際の机へ。目の前にはいつも見てる景色。そこでよく見かけたんだ。そう。アンストッパブルカラーの彼。誰にも止められない特色ある彼を。とりわけすごいのは挫折。もとい、蹉跌のタイミング。くじけた時にこそ彼は鋭利に輝く。淡くほの暗い魅力を伴って。それをまことによく感じた。まるでそこから悲劇的なストーリーを作ってくださいとでもいうように。











 四十分くらい集中しただろうか。資料作りは大方終わった。後は細かなすり合わせ。綿密な作業をするだけ。なので、そろそろ担当を起こそうかな。などと考えて、振り向いた瞬間である。


「コマキさん。突然だけどやって来ましたよー。って、え? まさか」

「はい、陽子ちゃん。あなたが見てるのは幻想だからね。男の人なんてここにはいない。あそこにいるのは私の守護霊。そういえば私、憑かれちゃったんだよね。わりとイケメンの幽霊に」

「そうだよねー。ってなわけあるかい。小説家的発想も大概にしろー」


 まじめに突っ込まれた。ごまかしきれなかったかあ。いや、当たり前だけど。


「それよりもえっと、コマキさん。私、出直した方がいいですかね? キスしそうでしたし」


 てか、そう思うのも仕方ないよね。まず、私のベットに男性が寝てる。さらに、顔を近づけてた(もちろん、キスではなく起こそうと試みた動作)。


「そこは大丈夫。信じられないくらいの誤解なんで。陽子ちゃんが気にすることは一つもなし。なんにも起こってない」

「そうですか。でも、情事を見られそうな人のセリフですねえ」


 情事って。とりあえず、カタカナに変換してくれ。アメリカ人の名前みたいだし。


「てか、それよりもどしたの? 今日、学校休み?」

「あ、はい。文化祭の振替休日です」

「あれ? そうなの? だって、文化祭はずいぶん前にやったよね」

「はい。なんか今年から変わったみたいで。理由は分からないんですが」

「ふーん。そうなんだ」


 一応、話題を変えられた。とはいえ、状況は不利のまま。いや、そもそもここまで臆病になる必要はないと思う。だって、私と担当はなんでもない。


「とにかくね、あそこに寝てる彼は私の担当。小説家と編集者の仕事関係だから。今回はたまたま仕事が長引いてうちに泊まっただけ。で、今は彼に休んでもらってる」


 うーん。嘘八百もいいとこだ。火のないところには煙も立たないだし。これは昨日の痴態から繋がってる。


「まあ、そういうことだったんですね。コマキさんの言いたいことは分かりました」


 陽子は全然信用してない。私の真意を見抜こうとしてる。


「…………」


 担当が寝返りを打つ。今まであっちを向いてたのにこっちへ。口元がムニャムニャと動く。これを見て嫌な予感がした。でも、まったく根拠のない確信。良く当たるんだけど。


「ミズキ先生。なんで僕がパジャマを着せてあげないといけないんです?」

「やっぱり当たったあ」

「すごいなあ。着せかえプレイですか?」


 私と陽子は同時に発言。てか、着せかえプレイって。あまり真に受けないでほしい。


「清水さん。狸寝入りは止めてください」

「いえいえ。起きたのが一分前くらいなので。だから、狸寝入りではないかと。そういうわけでおはようございます。ミズキ先生。それと陽子さんでいいのかな。僕は清水と申します。よろしく」


 一分前か。にしてはさわやかだ。絶対、遺伝子レベルから異なってる。


「はい。初めまして。私は畠山陽子です。ところで、お二人はどんな関係です? 私のコマキさんを取らないでくださいねえ」

「あ、そうですか。それは失礼致しました。以後、気をつけますから」

「ありがとうございます。ただ、コマキさんを愛でるのは一向に構わないですよ」

「ですよね。なんなら、同好会を作りましょうか。彼女を見て和む同好会」

「いいですね。清水さんはよく分かってます」

「こらこら。ストップ」


 なぜ、私を無視して話が広がる。しかも、おかしな方向へ。そこから先も二人は盛り上がっていく。で、当事者なのに取り残される私。さらに話題も私。なんてこったのパンナコッタ。諦めた私は黙々と小説を書き始めた。











「ミズキさん。ミズキさん」

「……」

「ミズキさん」


 何度目かの呼びかけで気がつく。


「あ、はい。すいません。担当さん」

「いえいえ。謝るのはこちらの方ですよ。陽子さんとすっかり意気投合してまして。おかげで、本来の仕事を忘れてたんです」

「それもそうですね。あはは」


 本当にその通りだ。


「で、せっかくですから、陽子さんの要望を聞いてあげたいと思いまして」

「え? なにをですか?」

「二人が打ち合わせしてるとこを見てみたいと」


 陽子がこくこくと頷く。まるで幼子のようだ。


「珍しいことを言いますね。担当さん。あまりそういうのは好ましく思ってないでしょう」

「そうなんですよね。どうしてでしょう。陽子さんだからじゃないですか?」


 それもすごいな。陽子の人を動かす力は。担当もほだされた。


「私はオッケーですよ。これで終わらないとかはありませんし」

「さすがですね」

「ありがとう。コマキさん。楽しみだなあ」

「よし。では、まず彼女に読ませてみましょうよ。書きかけで最初の小説。まだ誰も知らない物語を。ミズキさんだけが知ってるストーリーですね」

「清水さん、すごいですね。こうやって小説家の才能を引き出させるのですか」


 いいや。すごいのは大御所だ。担当は言葉を借りてきただけ。このことを断じて主張したかった。とはいえ、そこまで空気が読めないわけではない。大人しくしておく。


 ともあれ、陽子に小説を読ませる。誰も知らない物語で。アンストッパッブルの彼を。でも、今この時点で誰かが知っている物語になった。誰も知らないところで動く物語に関与。そうやって広がっていく。


「あの、コマキさん」

「なに?」


 プロットとさわりに目を通した陽子。彼女が緊張した表情で私を見る。


「どこかまずいとこでもあった?」


 大衆受けはしないのかな。なんて思ってたら首を振られる。


「いえ。そうではなくて」

「うん」


 担当は黙って様子を見てる。いくぶん楽しそうな感じだ。


「私の友達の彼にこんな人がいまして。いえ、彼そのものです」

「え? いや。そっか。うん。そうだよ」


 一人で氷解していく。その可能性はあって然るべき。思いつきもしなかったけどね。


 つまり、誰も知らない物語でなく。誰かがどこか知っていた物語。普通に繋がってる。だって、今回はアンストッパブルカラーの彼を参考にしたから。ただ、意識せずに受け流してただけのこと。


「彼がこんな心情だったとは」

「陽子ちゃん。深入りしすぎだよ。これはフィクションだからね。私は窓際で彼のカラーを見て空想したのみ。それ以外の何者でもないよ」

「そこでいろいろと重なってるからすごいんですよ。彼の苦悩と挫折。ここでは蹉跌ですね。そんな心情を読みとれるなんて」

「陽子ちゃん。考えすぎ。いくらなんでも私にそこまでの力はないって」

「いえいえ。そこまでの力です。きっと人間観察の賜物で。私ではこの領域まで不可能でしょう」

「そんなに?」

「はい」


 陽子は首を縦に振った。


「本当に怖いくらい」

「ふーん」


 三人とも急に黙ってしまう。次の言葉が見つからない感じだ。


「あの、私思うんですけど」

「うん」

「出来は素晴らしくても、この小説は封印しておいた方がいい気がします」


 いきなりの提案。私はたじろぐ。これは理由を聞かないといけない。


「どうして? 陽子ちゃん」

「そうだね。僕からも聞いておきたいな。陽子さんが何を感じてその考えに至ったか。しっかりとプロセスを話して欲しい」

「はい。それはもし彼が見てしまったらと思ったんです。彼がせっかく陽の当たる方へ目を向けたのに、闇の美しさへ戻ってしまいそうで。たしかに、この小説はそこがすばらしいですよ。でも、私の友達の彼がまた変わってしまえば。すると、大事な友達の翠ちゃんまで落ち込んでしまう。こんな考えは過保護ですかねえ?」

「過保護だよ。そんなのは関係ないと思うけど」

「はい。一方で私も同じように思います。ただ、彼と主人公の符合がすごいから。とくに、心情面はぴったりです。なので、私は彼にその感覚を思い出して欲しくありません。仮にこの小説が世の中に出たとしますね。すると、彼が読んで闇に魅入られるかもしれません。前までのように。彼がしっかり輝くための辛苦だったはずなのに。そこに喜びを抱いてはだめだと思います」


 あれ? つい最近、私もそんなことを考えた気が。ジャンプをするには深く沈みこなければいけないってやつ。それとよく似ているよね。たしか、そんな意味も込めて考えたんだ。ならば、輝くための苦難だって同じ。要するに、この小説は彼のジャンプを阻害する可能性も。つまり、アンストッパブルカラーの彼を不幸にしてしまう。ただ、とっても低い確率だよね。


「えっと、陽子ちゃん」

「はい。私ばかりしゃべってすいません」


 そんなことは問題じゃない。


「まあ、いいよ。てか、とにかく不思議だよね」

「えっと、私の考えがですか?」

「ううん。違う」


 私は首を横に振った。


「そうじゃなくてね。なんか知らないけど、陽子ちゃんの言うことは聞くべきのような気がしてさ。どうしてかな。もしかして、へんなフェロモンとか出してる。このきっちりとした髪型辺りから」

「いいえ。そんなの出せたら最強じゃないですか」

「だよねえ。とにかく陽子ちゃん。私は気が変わったよ。もうさ、これを書くのは正当じゃない気がする。しかしなんでかな。さっきまでは書く使命に燃えてたんだよ。不思議。うん。ホントに」


 これだから小説を書くのは難しい。気ままなようで、思い通りにはいかない。


「担当さん。こうなりましたけど。いいですか?」

「はい。構いませんよ。だって、こういうのは僕の一存じゃないですから。こっちは選択肢を出すだけ。結論はミズキ先生なので」

「オッケー。だったら決定だね」


 すでに決まってる。もう、この話は書かない。ただ、今までとは意味合いが違うはず。私自身が打算として出した答えでない。書かない気持ちありきの結論。それに尽きる。


「陽子ちゃん。今のは誰も知らない物語だから。私も担当も陽子ちゃんも知らない。知りえない。忘れてしまった。アンストッパブルカラーの彼はもういない。消えてしまった」

「あ、はい。聞き入れてもらってありがとうございます。ただ、忘れるというのは」

「それなら僕に任せてください。とっておきの方法がありますから」

「なんですか? 清水さん」


 陽子も私も担当に注目する。 


「つまり、ミズキ先生みたいにお酒を飲んでしまえばいいんです。過ちだってすぐに忘れます。むしろ、覚えられません。数々の痴態をやったとしても」

「こらあー。なんでそんなこと言うの。私、陽子ちゃんの前では頼れるお姉さんなのに」

「安心してください。そこのイメージは変わらないですから」

「おお、ありがと。さすがは陽子ちゃん」


 私は陽子とじゃれつく。


「ともあれ、ちょうどいいお酒がありますので」

「ちょっと待ってください。陽子ちゃんは未成年ですって」

「あれ? ミズキ先生。お忘れになりましたか。小林先生からノンアルコールカクテルをいただいたでしょう。たしか、ブルームーンとか言ってましたよね」

「え? そうだったっけ?」

「はい。それをほんの少しなら」

「私もお二人と一緒に飲みたいです」


 うーん。ノンアルコールならいいよね。たぶん。


「そんじゃあ、私はコップを持ってきますね。少し待っててください」

「分かりました。今日もがっつり飲みましょう。陽子さんも遠慮ならさずに」

「はい。もちろんですよ。そして、しっかり忘れないと」

「陽子ちゃんったら。将来、絶対酒豪になりそうだ」

「そこはミズキ先生に言われたくありませんよね」

「そうですねえ」


 二人に笑顔で頷かれる。あーあ。またこんな展開か。そんなに上手くいかないな。でも、そこがなんとなくいいんだよね。普通でフラットな日常。極端なのは小説だけでいい。


「まあ、とりあえずは一つ」


 アンストッパブルカラーの蹉跌。これは誰も知らない物語ということで。

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