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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
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 僕の大切なテンピュール枕が投擲される。ついでに、布団と鞄と時計と雑誌も。手当たり次第に。ズダン。ズダダダン。ショットガンよりも破壊的な音。部屋にある装飾品の扱いがひどい。思わず涙を流してしまうほど。


 でも、そうやって怒りを爆発させるのは大切だ。おかげで一段落。やっとのことでスカートを身に着ける。同じようにトップスの肩紐なんかを整えつつも。もちろん、僕を後ろに振り向かせての作業。そのあいだに一種の疑問が募っていく。そもそも、なんでスカートを脱いでいたんだろう。いつ誰がどこでどうやって脱いだのか。フーダニット。ハウダニット。ホワイダニット。これはスカートの中身を突き詰めていくくらいに探求心が必要なテーマだ。大事なのは翠が露出狂でないこと。翠の名誉のためにもしっかりと述べておく。翠は一般人と変わらない羞恥心。そこは普遍的事実である。だとすれば、なにか天文学的な条件が生じて、起きた奇跡なのかと思う。たとえば、地球の反対側で新種の蝶が飛んでるくらいの奇跡とか。人知を超えた奇跡に値する壮大なバタフライ効果。それが起こっているに違いない。つまり、僕は奇跡に遭遇したらしい。だから、ただ賞賛すればいい。奇跡は起きないから奇跡なんです。有名な誰かが言っていた。誰だか知らないが。


 ともあれ、僕の興奮は天井知らずの勢いへ。翠の下着が形而上的観念的欲情にまで昇華されていく。いや、自分でも何を言ってるか分からない。下着の色は赤、青、黄色、緑、ベージュ、黒、透明とも違う。透明? 下着の意味を成さないではないか――ああ、これは放課後に見た傘の色を列挙してるだけだ。要するに、何色かは覚えてないのである。網膜に上手く焼きつかなかった。とっさに紳士的な態度を取ったのが敗因だ。なので、仕方ないから推測してみる。白に似た水色っぽい黄色とか? 意味不明。前のハプニングで見た記憶が混ざってる。とにかく緑なんてオチはないはずだ。ちなみに、翠は名前(翠)より苗字(鮫島)に重きを置く。緑よりも鮫のグッズを集めていることからしても。たまにつける髪留めは鮫の形。バックやキーホルダも鮫のデフォルメ。鮫グッズには並々ならぬこだわりがある。


「マク。もう振り向いていいよ。大丈夫だから」

「あ、うん」


 二人で見合う。どことなしに苦笑い。互いの心境と部屋の有り様を加味してた。


「ごめん、やりすぎたかも」

「気にしなくていいよ。まあ、奇跡だし」

「奇跡?」

「いや、なんでもない」

「なんでもなければいいけど」


 翠は怪訝そうに僕を見つめる。でも、気を取り直したかのように言う。


「そういえばさ、マク」


 なぜかハイテンション。大声で騒いだせいか。まだ余韻が残ってるかもしれない。


「あの枕、とても寝心地が良かったよね」

「抱き枕扱いしてたくせに」

「え?」

「いや、いいんだよ。抱きしめて使うのもいいさ。本来からは完璧に外れた使い方だとしてもね。だから、僕は憤慨なんかしてないって」


 このことで枕を濡らすのはいただけない。枕だけに。


「えっと、恨み節で言われても。だいたいさ、マクはよく憤慨してるよね。それも心の中で。まあ、とにかく私は詳しく知らないよ。枕ことなんか。でも、あの枕は高価そうな感じがする感触だったな。だから、良かったって話。新しく通販で購入したの?」

「ああ、うん。あれはテンピュール枕っていうんだ。質の高い眠りを促進させる優れものらしい」

「ふうん。つまり、また眠れなくなったの? よく寝れないから?」


 翠が核心を突いてきた。その懸念も間違ってない。


「そんなことないよ」

「ふーん」

「うん。そんなことない」


 僕が否定しても、翠の視線は明らかに疑ってる。


「ねえ、マク。またさ、昔みたいに一緒に寝てあげよっか。男女七歳にして同衾せず。なんて巷では言われてるけど」


「いや、そんな言葉はない気がするぞ」


たしかこうだ。男女七歳にして席を同じゅうせず。


「ちなみに優しい添い寝つき。ただ、勝手に胸とか触るのは禁止だからね。あ、やっぱりマク。触りたかったら触ってもいいよ。ほんの少しだけなら」


 翠が女の子必須の上目づかいを繰り出す。頬を染めて恥ずかしそうに。


「私の胸は包容力が足りないかもしれない。でも、満足してもらえるように頑張る」


 翠が健気すぎた。健気かわいい。


「ね、マク。私の精いっぱいで癒してあげたいの。癒せるかどうか分からないけど。なんなら、あの時みたいに天井の染みを数えてやり過ごすから」

「…………」


 過去の話を持ち出すのは良くない。後、八つ当たり的に色気を振りまくのも止めてほしい。自覚がないから困る。しかも、これ以上暴走すればあれだろう。自分のベッドで足をバタバタさせることになると思う。いわゆる、自爆ってやつだ。


「翠、冗談は休み休み言ってくれ。動揺する」


 男は生物学的にこういう攻撃が弱い。生物学的云々は適当だが。


「冗談? そんなことないのに。マクがあの時みたいにすればいいんだって。翠ちゃんのおっぱい見たいって言いながらさ。そして、こうすればいいのよ。あの自分史に残るような天才的な土下座。あれをしてくれればやぶさかじゃないんだけどね」


 その話題は反則であり黒歴史だった。翠の自爆かと思ったら飛び火。家が近い幼馴染だからか。対岸の火事にはならない。


「そういえば言い忘れてた。母乳はまだ出ないの」

「今の情報いらないよね。それじゃああれだって。まるで僕がそんなプレイを所望してるみたいじゃないか」

「え? 違う?」


 表情からして明らかに楽しんでた。


「違うし。だいたいそんなことを言ってどうするんだ」

「将来の布石?」

「なんだよそれ」

「だよね。とにかく私も不思議。なんであの時、いいよって言ったのか。当時の心境をタイムスリップして思い返したいし。ああ、それよりも幼心の弱みにつけ込んだマクの方だ。まるで悪魔の所業。私の幼い体をえぐりこむように貪ってた。その時の心境が知りたいよ」

「もう止めてください翠さん。ごめんなさい。えぐりこむように胸を貪って」


 僕は平身低頭してわびる。


「まあ、いいけどね。幼い胸にそこまでの価値はないって。今だって私の胸に価値を見出せないからなあ。あまり大きくても邪魔なだけ。いや、自分がそこまで大きいというわけではないよ。でも、少しばかり他の人よりボリュームがあるというか。って、なんでこんな話をマクにしてるんだ私」

「大丈夫、翠。悩む必要はないさ。胸の価値は大きさなんかで決まらない。重要なのは形だから」


 もっとも、翠の価値は高そうだが。ただ、賞賛の意味を込めすぎた。サムアップは余計だったかもしれない。


「隠しきれない本音がにじみでてるし」


 翠に冷たい視線で見られた。さもありなんだけど。


「でもまあ、とりあえず許してるよ。あの天才的な土下座に免じてね。よいしょっと。うーん」


 翠がノビをする。やはり、スタイルが良い。豊かな胸元が激しく主張。


「あ、そうそう。寝る前に言ったかもしれないけど聞いて。肉じゃがを持ってきたから。もう夕飯時だよね。食べてよ。確実においしいと思う。お母さんが作ったんだし」

「あ、うん。それならおいしかった。翠が寝てるからもう食べてたんだ。いや、違った。今、食べてる途中だったのか」


 僕は音を聞いてここへ来た。慌てて駆けつけたのだ。


「てか、翠。もっと、料理の腕に自信を持ちなよ。料理教室だって通ってたじゃん。きっと、翠が作ったとしてもおいしいさ。それにおばさんも助かってるって言ってたぜ。翠が料理の手伝いをしてくれて」

「お母さん、マクにそんなこと言ってたの? でも、お母さんが話す私の印象は一切信じなくていいからね。すぐ変なことを吹き込むし。後、仮に私が作った料理でもおいしいとする。だとすれば、味の見分けがつかないんじゃない?」

「そんなところで挑戦的な視線を投げかけられてもなあ。どう返答していいか困惑するだけだよ」

「あー、それもそうだよね」


 翠がすくっと立ち上がったので、僕もそれに習う。


「マク、ご飯食べてたんでしょ? だったら下へ行かないと」

「そうだね。じゃあ行くか」


 電気を消して自室を出る。翠は後からついてきた。


「私、マクがご飯食べているところ見ててあげる」


 翠が弾んだ声で言う。


「いいよ。すごい迷惑」

「そんなぁ。遠慮しなくていいから。なにもしてないし、嫌がらせくらいしないと」

「嫌がらせって自覚があったのか」

「うん、まあね――って、わあああああっ!」


 突然、翠の叫び声が聞こえてきた。それと同時に僕は振り返る。後ろに目があるわけではない。なので、状況は分からない。でも、推測するに階段で足を滑らせたんだろう。そういえば、興が乗ってワックスがけをした。あれがアダになってしまったのか。


 翠は僕が振り返る前に体勢を崩してた。当たり前だ。僕は声に反応したのだから。そうでないとおかしい。時間という概念は一方通行のベクトル。少なくとも、今の科学では遡及が不可能。つまり、時間は元に戻らない。だから、可及的速やかに対処するべきだ。もっとも、振り返る余裕すらなく。その寸前で翠が僕に衝突。勢いはかなりついていた。そんなスパークした状態の中で起こす手段。それは壁へ左手を伸ばすこと。これがバリケードみたいな役割を果たす。まさしく臨時の防壁。おかげで、なんとか翠を手中へ収めた。でも、そのままバランスを損なってしまう。運動エネルギーが強すぎた。後、重力も。窓についた水滴くらいの落下速度ならいいのに。なんて頭の片隅で思った。


 僕と翠は互いにもつれ合いながらも階下へ。打ち身になりそうな痛みが襲う。ただ、深刻な怪我ではない。翠も大丈夫そうである。今回は段数が少なかった。それが不幸中の幸いだ。


「いてて」


 翠が僕の腕の中でつぶやく。その声は耳元をなぞるように。それもそうだ。僕と翠は互いの体温を感じるくらいの距離。解いた髪が柔らかく頬を撫でる。途端に心臓が早鐘を打ちだす。ドクドク。ドクドクと。心音は一定のリズムを突破。ふと思う。抱きかかえている左手の感触。これが妙に柔らかい。


「マ、マク」

「翠?」

「あのさ、このいかんともしがたい状況にどう対処したらいいのかな」


 僕は素早く現状を確認。翠の表情を見ようにも近すぎて分からない。分からないなりに推測すべきだ。いや、そんなことよりも重大な何かを見落としてる。


「マク、その手。んっ」


 翠の息づかい。それがすぐそこで。僕の耳元。やけに艶が含んだ声。色気みたいのを感じる。


「あのね、マクの左手が私の胸の大部分をさわってるみたい。ほら、それはもうクリーンヒットって感じで。立錐の余地もないくらいに。だから、一ミクロンも動かしてはいけない。と私は言っておくよ。あ、でも、マクが手を動かさないとだめだ。胸から離れないじゃないか。どうしよう。反射的に撃退することもできたのに」


 翠も翠で混乱していた。饒舌だが内容は覚束ない。僕はその混乱に乗じて、すぐに左手をどかすべきだった。なかったことにはできない。うやむやにできない。でも、わりとすぐに解決できそうな問題である。お互いに照れ笑いなんかを浮かべて。なのに、なぜか硬直してしまう。膠着状態だ。そして、意識が根こそぎ持っていかれる。左手の柔らかい感触に。翠の成長した素敵な胸である。


「…………」


 ただ柔らかい。それだけ。動かせばかなり弾力があると思う。マシュマロみたいだ。僕はもうどうにかなってしまいそうだった。頭がカーッとなっている。熱病で浮かされた人みたいに沸騰していく。水が欲しい。雨を感じたい。一定のリズムを取り戻すのだ。


「翠、どかすから」

「う、うん。そうして」


 僕は爆弾解体作業並の慎重さで手を退けていく。


「そのね、悲鳴を上げたかったんだけどさ。でも、一日に二度も悲鳴を上げるのは女の子としてどうかなと思うわけで。あはは」


 その基準はよく分からない。本当に本当に。とにかく余裕がない。


「むしろ、びっくりするとあれだよ。悲鳴を上げる余裕すらないというか。なぜか、体が動かなくなってね。金縛りみたいに」

「それは分かる。後、ごめん」

「気にしなくていいよ。私が下手踏んだだけだし。それよりもマクは大丈夫だったの? 私をかばって怪我してない?」


 急に心配になったらしい。翠が僕の体をべたべたと触りだす。


「大丈夫大丈夫。全然。幸いなことに全く問題ないぜ。翠は?」

「私? 私もとりあえず大丈夫。てか、今日の私はドジすぎる」


 へこんでいる翠はやけに魅力的だった。頬の紅潮もすごい具合だ。


「マクもそう思うよね?」

「まあ、今日に限定すれば。仕方がないな」

「はあ、そうだよね。ほんとにどうしちゃったんだろう。寝ぼけてスカートは脱いでるしさ。ところで、私の胸は大きくなってた? 前に触った時よりも明らかに成長してたはずだよね。って、どうシナプス回路を巡ってこんなことを言い出したんだよー。なにか言わなくては、と焦ったせい? 脊髄反射的に言い放った言葉がこれってどういうこと? 自分自身が信じられないよ」

「まずは落ち着こう。翠、深呼吸だ」


 僕は翠の肩を押さえて言う。すると、指示通りに深呼吸をしてくれた。


「落ち着いた?」

「うん。うん。大丈夫。もう問題ない。あ、そうだマク。そういえば、すっかり忘れてたことがあった。なぜか今、急に思い出したんだけどさ。聞いて。てか、聞いてくれないと困る」


 本当に強引な話題転換。


「今、これをしないと踏ん切りがつかないっていうか。ここでやらないと後悔するかも。後、空気を一変させるのにちょうどいいし」

「でも、このタイミングですること?」

「うん。絶対にこのタイミングじゃないといけないと思う」

「そっか」


 僕は何が来ても大丈夫なように身構える。具体的には照れ隠しの暴力や報復とか。なのに、翠は輝くような笑顔で僕を呼んだ。


「マク!」

「うん。うん?」

「おはヨークシャテリア!」

「…………」


 咄嗟なので驚く。でも、あの時のフリだと確信した。


「……あ、あいさつの返事は?」

「おは楊貴妃?」

「はぁ、マク」


 明らかに落胆される。


「そのセンスはないアルね」


 さらに真顔でのダメだし。中国人風に。ベタなダジャレにセンスはあるのか。そんな疑問を投げかけたいことこの上ない。それと、今の状況であいさつをする必然性に関しても同じだ。


「マクはほとほとに困った人でアルな」


 中国人風はまだ続いてたのか。


「とりあえずマク」

「何?」

「私に水。水を。水を飲まないと。水が必要」

「水、連呼しすぎ」

「しょうがないでしょ。なんか、体が火照っているし。寝起きのせいかも。加絵ちゃんのコップ貸してよ」


 翠が手で顔を扇ぎながら言う。


「うん。わかったよ」


 痺れのような緊張が体内を駆け抜けていたらしい。やけにぐったりとした倦怠感。それでも、どこか幸福な感覚はあったと思う。

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