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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
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22

 翠がいなくなってすぐ。コンコン。コンコン。扉がノックされる。誰だろう。翠が戻ってきたにしては早すぎだ。財布を忘れて戻っても、ノックはしないと思う。以上の考えから、べつの人と想定。しかも、ノックの仕方が手慣れてる。病院関係の人か。


「すみませんね。後藤です。関係者からは許可を取ったんでね。一つお願いな。ちょっくら入らせてもらうよ」


 なんと、警察の後藤さん。僕の事情聴取をした人だ。二年半前もお世話になった。だから、顔見知りの関係。警察にしては、柔和な表情のおじさんである。


「えっと、後藤さん。今日はどうしたんですか? 樋口さんの件でまだなにか」


 僕は反射的に付箋を隠してしまった。とはいえ、これを見せなくてはいけない。


「そう。すまないなあ。後日聴取ということでね。ここは一つ、私と二人っきりで話さないか? 実はね、君が目を覚ますまで待ってたんだ。うん」

「そうなんですか。それは大変でしたね。すみません。でも、今はタイミングがいいだけで。翠はすぐに戻ってきますけど」

「おいおい。篠原さんよ。その辺は抜かりなくやってるさ。一応警察なんだから。ほら、刑事ドラマでもあるじゃないか。 警察は基本的に二人組で行動しててな。あの女の子には私の相棒が応対してるよ。ダミーとして」


 なかなか用意周到だった。


「まあ、それはいいんだって。とりあえずほれ」


 後藤さんが缶コーヒーを投げてよこす。なので、慌ててキャッチ。


「で、怪我の方はどうだい? 屋上から落ちたって聞いたが」


 いや、たしかに屋上から落ちたけど。そこまでいくと誇張だ。


「あの、うちの学校は屋上から落ちたら死にますよ」

「ということは、運が良かったのか? たまに七、八階の高さから落ちても死なない場合があるからな。つまり、九死に一生を得たわけだ」


 後藤さんはにやりと笑う。絶対にからかってた。


「違いますって。僕が落ちたのは給水タンクの上部から屋上の床です」

「知ってた」

「だと思いました」

「まあ、これのせいであれだよ。しばらくは出入り禁止になったらしいぞ。屋上が」

「ほんとですか」


 さすがに、屋上愛好者として落胆。しかも、他の愛好者たちに申し訳が立たない。


「ああ、ほんと」


 後藤さんは缶コーヒーのプルタブを開ける。僕も同じ行動を取った。


「さて、本題だ。いいかな?」

「はい」

「本題。もちろん、樋口三波の件だな。こっちも多少こんがらがっててね。で、あれから私に伝えておくべきことを思い出したりは?」

「そうですね。一応は。思い出したとかではないんですが」


 僕は手元のクリアケースを差し出す。


「ほう。すまないなあ。こういうのは見せたくないでしょう」

「まあ、仕方がないですよ。僕は二年半前に散々迷惑を掛けましたから。なので、できるだけ協力したい気持ちなんです」

「そうかい。ありがとな」


 と、柔和な表情で笑う。そして、付箋の内容に目を通す。すべて読んでこちらに返した。


「なるほどね。うーん。困ったな」

「えっと、それはどういう理由で。僕が原因と虐待された事実。その時の彼女の心情まで明確だと思いますが」

「いや、ね。篠原くん。君から見たらそうだよ。ただ、べつの角度だと全く違ってくる。というのはね、樋口三波は自殺じゃないんだよ。他殺。他殺の可能性が高い。しかも、死亡推定時刻は君が彼女と相対した時間さ」

「ご、後藤さん。それ、ほんとですか。なんで? 三波後輩が殺された?」


 全然理解が追いつかない。三波は自殺でない。他殺。そんなことってありか。僕の手元に残った付箋。ここには三波が自殺に至った根拠を記してる。なのに、自殺は間違い。つまり、これが偽物なのか。だとしたら、三波以外の誰がこれを書いたんだろう。それとも、どこかですり替えられた可能性も。


「…………」


 いや、さすがに思考が飛びすぎだ。そんなことはあり得ない。付箋は三波の筆跡。写実的な絵を描く三波の文字。左利きだから少し違った感じで書かれてる。これは確信を持って断言できた。


「もちろんさ、篠原くんを疑ってるわけではないんだ。たとえば、三角関係のほつれとかでね。君が付箋を使って、狂言回しを演じてる。なんてことはこれっぽっちも思ってない。私はね」


 事情がうっすらと見えてきた。どうやら、僕が疑われてるらしい。


「その言い方だと他の方ですね。たしかに、僕は前科がありますし。その気持ちも分からなくありません」

「うん」

「ですが。僕は絶対にやってません。どうして、僕が三波を殺さないといけないんですか。どうして? 人の気持ちを逆なでしないでほしいです。後藤さん」

 

 言葉では強く否定。でも、自分を信じ切れない。もしかしたら、夢遊病者のように何かやってしまったか。その可能性も十分考えられる。


「すまないなあ。うん。でも、自殺と判断するのは難しいんだ。ナイフの刺し方が。こうなってこうでね。これは一人だと不可能なんだよ」


 ジェスチャーだけでは分かりにくい。ただ、専門の人が言ってるからそうだろう。


「だったら、僕はどうしたらいいんです? しかも、死亡推定時刻まで一致。どうすれば? 三波後輩がどうして死んだのか。それを自力で暴くしかないんですか?」


 正直、怪しい人はいる。とはいえ、僕だって同じように当てはまるかもしれない。


「篠原くん。そんなことは言ってないな。君が何か大事なことを忘れてないか。それを考えるだけでいい。後は私たちに任せてくれれば」


 後藤さんが柔和な表情で言う。すっかり毒気を抜かれた。


「すみません。後藤さん。熱くなりすぎました」

「おお、構わないさ。で、今日はこの辺にしておくから。じゃあ。協力ありがとな。またよろしく。何かあれば、この前教えた番号に連絡してくれ」


 後藤さんはスムーズに去っていく。しかし、発覚した驚愕の事実。僕はどう受け止めればいいんだろう。さっぱり分からない。とにかく、後藤さんの最後の言葉を思い返してた。











「ごめん。マク。今、警察の人が病院に来ててね。私、少し捕まったの」


 翠は一分も経たずに戻ってきた。なので、後藤さんと話した余韻。これがまだ残ってる。頭から離れてない。


「しかも、ちょうど自販機の少し前。買うつもりだった飲み物が目の前で売り切れ。残念なんて思いながらね。というわけでマク。ちょっとへんな飲み物を買ってきた。はい」


 翠に渡されたペットボトル。たしかに見たことない種類だ。にしても、最近は変わった飲み物が多い。三波が持ってたやつだってなかなか見られない。


「あっ!」

「どうしたの? マク」


 今、急に思い出した。というより、残像がよぎった。手元にあるペットボトル。謎の自販機の売り切れ。三波と三波のお父さんを結びつけた理由。すべてが密接に繋がっていた。前に偶然会った時、彼は僕に飲み物を勧めた。その飲み物を山で三波が持っていて。しかも、あそこの自販機以外では見たことがない。これは周知の事実。しかし、他にもあったんだ。


「翠、僕は警察に大事なことを言い忘れてた。手がかりになりそうな事実を思い出したよ。これで事が収束すればと思う。誰が三波を殺したか分かる」

「え? 待って、マク。屋上の女の子は自殺したんじゃなかったの? 殺された? どういうこと?」


 翠が身を乗り出す。視線を投げかける。おかげで、サイドハーフアップの髪が左右に揺れた。


「うん。実は僕が疑われたんだ。一つ、二年半前の前科。二つ、死亡推定時刻の一致。三つ、僕と三波のやり取り。やり取りは動機ということらしい。この三つと消去法だろうね。おそらくは」

「そ、そんな。動機なら彼女のお父さんの方が。娘を虐待した事実だって認めてるんでしょ?」

「そうだね。でも、彼はその場にいなかったと思う。たぶん、アリバイだってあるよ。そうでないと、彼が疑われるはずだから」

「そっか。ばかなこと聞いてごめん」


 翠がため息をつく。そして、憤る。


「でも、なんでマクが。どうしてっ」

「翠、仕方ないよ。連れて行かれないだけマシだ」


 翠の目に涙がたまっていく。一生懸命泣かないように堪えてる。でも、やっぱり涙を流してしまった。


「翠、泣くな。頼むから。泣かないで」


 僕はいつも通りのセリフ。安定させたリズムを乱さないでほしい。


「うん。分かってる。マクは涙が苦手なことも。女の子を傷つけないことも」


 手さげのバックからハンカチを取り出す。涙を拭う。それでも、とめどもなくあふれてくる。


「大丈夫。うん。今みたいに少しずつ思い出して、手がかりを提供すればいい。警察にも翠にも。僕はね、まだ自分自身が信じられない。でもさ、翠のことは信じられるんだ。ここ最近、僕たちのあいだに違和感があったけどね。また、戻ってきたと思う。それも三波後輩のおかげで。不思議だな。懐しいよ。ノスタルジーすら抱く」

「マク。それって、うん。絶対で最強の空気感?」


 翠は知ってた。僕が勝手に定義づけた言葉を。ふいにポロっと漏らしたんだろうか。詳細は分からない。


 ともあれ、僕は頷く。なぜか、翠も同じように。互いに頷いて、次の言葉を探す。


「とにかく、心配する必要なんかないさ。僕はこれから後藤さんに電話する。まだ伝えてない自販機の件。後、ペットボトルの気圧の話。だから、翠は隣で聞いてて。そして、分からないことがあったら質問して」

「うん。分かった。私の勘と集中力に任せてよ。なんてったって、マクの冤罪に関わってくるんだからね」

 

 翠が明るい声で言う。本当に切り替えが速いと思う。おかげで、だいぶ救われてる。











 その後、病院に許可を取って個室を後へ。とはいっても、移動は病院内のみ。それでも、携帯が使えればいい。なるべく静かで、携帯オッケーな場所へ向かう。


 そして、もう少し考えて後藤さんに連絡。伝える内容のメモも書き出した。おかげで、言いたいことは上手くまとめられた。冷却期間もちょうどいい感じ。その最中、翠は隣で瞬きもせずに聞いてる。


『そうだねえ。ところが、その自販機はなくなってるんだよ。跡形もなくね。誰が撤去したかさえ分からない。前に話を聞いた時、相棒が現地確認したんだ』

『それはまた』


 唖然として言葉が出なかった。明らかにおかしいと思う。


『えっと、ペットボトルの気圧の話はどうです?』

『それはこっちで調べとく。正直、どんな手がかりでも欲しいからねえ。おっと。キャッチが入った。すまないな。またかけ直すよ』


 ツー。ツー。電話が慌ただしく切れた。引っかかる残響音。突破口が見えない現状。心のしこりはいまだに残ったままだ。


「マク。私、絶対におかしいと思う。どう考えてもあの自販機は怪しい。ほら、前に話したよね。男女二人組があそこで大量に飲み物を買ってるって。一人は彼女のお父さん。そして、もう一人は女性。その人が関係してるはず」

「間違いなくね。ただ、それ以上は全く分からないな」


 それっきり沈黙。翠は何かを考えてる。僕はその様子を見て、ぼんやりと待つ。


「あっ、後藤さんが戻ってきた」


 また、携帯を耳に当てる。すると、いきなり後藤さんの声が響く。


『急にすまない。篠原くん。でも、鑑識から新たな情報が手に入ってね。これで君の情報が役に立つよ。自販機の件もペットボトルの話も。急展開だ』

『あの、後藤さん。どういうことですか?』

『薬物反応。樋口三波における司法解剖の結果だ。ということは、またホーリーブレイクか』


 なんか物々しい単語が出てきた。


『えっと、ホーリーブレイク?』

『ああ、すまないなあ。私の抑制が聞かなくてね。今のは聞かなかったことにしてほしい。世間的には公表されてないんだ。って、私はこんな調子だから特別捜査という役職さ』


 後藤さんはどこか投げやりな調子で語る。それは事件を解決できない悔しさかもしれない。


『とにかく申し訳ない。警察として深く謝らなければならないな。君を疑った人がいるという事実に。たぶん、推定死亡時刻もトリックがあるはずさ。あそこの組織はやりかねないから』

 

 つまり、三波は何者かに殺された。あるいは、そういうふうに仕向けられたのか。


『……』


 心の奥が熱くなっていく。熱で溶かされそうな想い。カァーと血が上る。自分が平静でない。それを自覚する。


『篠原くん。へんなことは考えるなよ。非日常には首をつっこまない方がいい。残酷な言い方だが、彼女のことは忘れろ。そうやって心を保ち続けるんだ。そう。すでに彼女は亡くなってる。死人に心を囚われるのは良くない』

『でも、三波後輩は殺されて――』

『なあ、篠原くん。私は二年半前にも同じことを言ったぜ。生きてない人には目を向けるな。そこには誰もいない。残像しかないんだ。そうではなくて。たとえば、いつも君を心配してくれる人たちに目を向けようか。それこそ大切な日常だから。高校生の君は私の言うことを理解できるよな』


 後藤さんが諭すように言う。悔しい。悔しいのにそうするしかないのか。僕は非力で絶対的な理不尽に対抗するすべを持たない。だけど、助けたかった。でも、助けられなかった。だから、僕のせいなんだ。翠はサバイバーなんとかなんて言うけれど。間違いなく僕にも責任がある。


『な。そういうことだ。詳しく分かったら顛末は聞かせよう。とりあえず、わざわざ伝えたいことを教えてくれてありがとな。これから照らし合わせるよ』

『はい。分かりました』

『おう。じゃあまた』


 ツー。ツー。また聞こえる残響音。今度は先ほどと違う心境で聞く。それはどうやっても抗うことのできない巨大な力への諦念か。まるで出来そこないのストーリーである。なのに三波は、僕と翠を見てパーフェクトストーリーと判断。とてもじゃないが皮肉にしか思えない。


「マク。たぶんね」


 ずっと黙ってた翠が口火を切る。考えがまとまったらしい。なので、聞く体制に入った。


「これは私の推測だけど」

「うん」

「マクが話してた彼女の印象。ここも加味すれば見えてくるの。テンションの上下が激しいこと。突然、元気になったりしたこと。不思議な発想だって、べつの言葉で言い換えられる。だから、彼女は恒常的に薬物を取り込まれてたと思う。彼女が知らないうちに」


 そんなことは想像したくなかった。だって、今まで見てきた三波を幻想だと思いたくない。薬物の影響で思考が変化。そんな三波の考えを無邪気に楽しんでた。ひどい。ひどすぎて言葉も出ない。


「マク。で、おそらく、あの自販機に薬物の元を隠してたはず。それが錠剤か粉か葉っぱか。そこまでは分からない。とにかく、自販機は個人で設置できるから。しかも、からくり屋敷を造るくらい有名な建築の人。中の改造だって簡単にできるかもしれない。あ、後、一つだけ飲み物が残ってたのはたぶんあれ。すべて売り切れだと、自販機を設置する本部辺りに連絡が届くとか?」

「つまり、なぜこの飲み物が残ってるか。ここに注目してもだめなんだ」

「うん。それで彼は彼女に虐待をした。でも、彼は娘を殺してない。それどころか薬物も取り込ませてない。たぶん、彼は自分だけで楽しみたかった。偏屈な芸術家がよくやるように。では、誰か。第一発見者であるお手伝いさんの女性? 彼女が自販機における二人組の片割れ? 違う。その女性は加絵先輩」

「翠。それは」


 山内先輩なんてありえない。彼女は生徒会長になって変わったんだ。


「うん。私もそれは違う気がする」

「驚かせないでくれ」

「でも、物的証拠があるの。それもずっと頭に引っかかってる大きなやつ。あの事件の日に偶然見てね。だから、今回のマクみたいに、加絵先輩へ罪をなすりつけたい力が働いてそうで。本当はすぐにでも確認しに行きたいけど。それとも、この時間の加絵先輩は生徒会室にいそうだから電話してみる? 物的証拠がないか聞くの」

「物的証拠イコール薬物関係だよね。それとあれだ。前に目撃された自販機の人物の可能性。さらに薬物投与と三波の関係。で、もし片割れが山内先輩だったら?」

「どうなるか分からない。でも、私の勘が違うって告げる」

「信じるよ。翠の勘だからね」

「そうなの?」

「うん」 


 僕は深く頷く。翠が携帯を取り出す。まだ病室には戻れないようだ。

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