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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
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「くそっ!」


 屋上へ続く階段を駆け上り。そして、ドアを開ける。ちらつく小雨。いつから降ってたのか。思わず悪態をつく。いつもは降ってほしい雨。でも、今はだめなんだ。なぜ、このタイミングで降ってる? まるでタイムリミットをもうけてるみたいじゃないか。


 僕は給水タンクの横のスペースへ。あるのは人二人分のスペース。いや、人一人分しかないスペース。その辺りにないことを確認。やはり、ここではない。一番近く。雨の一番近くへ。もとい、一番空に近い場所へ。


 だから、給水タンクへ備え付けてた階段に足をかける。小雨のせいでバランスを崩しそうに。急がば回れ。慎重に行動しなければいけない。もう一度、足場を調整してゆっくりと登る。なのに、なんだか雨量が強くなってきた。止めてくれ。おかげでリズムが乱れていく。雨に濡れると紙がふやけてしまう。すると、文字だって見えにくくなる。


「マク。何してるのっ!」


 ようやく屋上にたどり着いた三人。翠が声を掛けてくる。僕はそれに応える余裕はない。もっと上へ。雨が降る空に近い給水タンクの頂点へ。


「マク。マクってば」


 翠が近くまで来て叫ぶ。肩も震わす。


「あ、翠。翠!」


 雨のせいかと思ったがそうではない。翠が涙を流してた。おかげで、僕の心はさらに乱れだす。


「泣くなよ。泣かないでくれ、翠」

「だって。じゃあ、なんでそんなところに登るの? これじゃあマクまで彼女の後を追うみたいで。私を置き去りしないでほしいのに」

「翠。違うんだ。君が推理した手がかりがあるだろ。それで思い当たる節がここだと思って」

「そうなの?」


 翠が涙声で聞く。


「そうだよ。心配しないで」

「う、うん」


 僕はさらに登っていく。ここの給水タンクは少し不思議な形。上部は球体と立方体が適度に混ざってる。おかげで、表面が人の顔みたいに。などと思ったのは軽い落書きのせい。おそらく、これは三波じゃない。三波にしては下手すぎる。単に目と鼻と口をつけ加えただけ。三波なら写実的な絵を描く。このような手抜きは絶対にしない。


「あっ!」


 と、ここで僕は見つけてしまった。三波が回りくどく隠したメッセージ。水に濡れると失効してしまう言葉たち。急に降り出した雨の中でようやく発見した。間に合ったんだ。付箋はまだ状態を保ってる。


 僕は擬人化された落書きの額部分を丁寧にはがす。色はピンク。いつもと変わらない付箋。いつものだ。必要以上に鼓動が高ぶり熱くなる。おかげで僕の中に潜む罪障、無力、喪失といった感情が少しずつ消えていく。ああ、これを待ってたんだ。この安心感を。そして、僕は付箋を両手でつかんで――。


「マ、マクっ!」


 浮遊感。自分でもばかすぎると思う。冷静さを失って両手を放すとは。翠の叫び声を聞きながら意識が遠のいていく。たぶんブラックアウト。自分だと確信を持てない瞬間がまたやってくる。

 









 

 どこかで三波が呼んでいる。それはものすごく遠いところ。でも、距離は近いところ。なんか矛盾してると思う。とはいえ、そんなふうに表現するしかない。遠くて近い。近くて遠い。相対する不思議な関係。表と裏が隣り合わせのように。すぐにひっくり返るメビウスの輪。まるで三波が備えてる特徴みたいだ。大人っぽくて子どもっぽい。なんだろう。今は三波のことばかりが思い浮かぶ。僕はここまで三波にぞっこんだったか。もっとも、三波を恋愛とは違う意味で好んでいるが。いや、そうだったかな。想いが錯綜してて分からない。記憶だって混同してる。


「千之先輩。元気ですか?」


 いつのまにか、三波が目の前に立ってた。


「私? 私は元気と元気じゃないの中間くらいです」

「三波後輩。それは普通っていうんじゃないかな。たぶん」

「えへへ。そうでしたね。また一つ勉強になりました。ありがとうございます」


 蒼の瞳が僕を見つめる。尼そぎの髪が風でなびく。すると、どうしてだろう。なぜか、涙がこぼれてしまう。本当になぜなんだ。僕が泣くなんて滅多にないのに。理由さえも分からない。とにかく、感傷的な気分。センチメンタルで苦しい。止まらない。センチメンタルシンドローム。


「お礼に一つ有益な情報を教えますね」

「ほう。それはうん」


 三波は僕が泣いてるのに気づかない。構わずに話を続ける。はたして、三波は本当に僕を見てるんだろうか。僕ではなく僕という肖像。これを見てるかもしれない。


「なんだろうな」

「はい、千之先輩。もう一人の自分に打ち勝たなくてはいけない方法です。私、画期的なことを発見しました。聞いてくれますか?」

「まただね。いつもの三波が始まったよ」

「ううー。そんなこと言わないでくださいよ。千之先輩なら聞いてくれると思いましたのに。だから、お願いします」


 困り顔で言われたら、断るすべはない。結局、そうやって楽しく聞くはめに。三波の不思議な思考と発想。やはり、誰にも真似できないキャラクターだ。


「――で、私は思ったんです。勝手に顔を出して主張するもう一人の自分。こいつは好きなふうに生きようとします。ただ、こいつも悪い自分ではありません。だから、折り合いをつければいいのです。押さえつけるのではなく。ある程度放逐させて泳がします。そうすれば、悩む必要はありません。私は私のままでいられます。私が私であることに変わりなく――」











 ピー。ピー。ピー。規則的な音が続く。目を開けるとやけに白い壁。少なくとも自宅でない。匂いだっていつもと違う。病院みたいな感じ。などと思って、ここが病院だと確信した。


 僕は給水タンクから落下して、意識を失った。それで病院に運ばれたはず。体の節々も結構痛い。後、左頬の辺りがなんだかくすぐったい。とりあえず、寝返りを打って確認。


「翠か」


 原因は翠。僕が寝てるベットの端に顔を預けたせい。無論、気持ちよく熟睡中。その状態で、一房の髪が僕をくすぐっていた。


「こそばゆいなあ」


 髪も気持ちも。おそらく、翠が長い時間いてくれたと思う。制服姿で寝てることからしても。おかげで、疲れて眠くなったんだろう。元々、翠はよく寝るタイプ。そんな女の子に長時間も看病させて申し訳ない。


「翠の寝顔か」


 いつだか、翠が言ってた。寝顔のかわいさには自信があると。ただ、あの時は翠が泣いてそれどころじゃなかった。だから、あの発言の後にしっかりと見れるのは、今日が初めてか。


「うん。いい機会だ。見ておこう」


 そんな決心をした瞬間、翠の口元がむにゃむにゃと動く。なのに、言葉は発してない。今にも何か言いたそうだけど。


「翠の奴」


 僕はそれを見て、愛おしくなってくる。むにゃむにゃかわいい。絶対に放したくない。そのせいだろうか。絶対で最強の空気感なんてどうでもよくなっていく。そんなことよりも大切な何か。しかし、それは存在するのか。一時の気の迷いかもしれない。


「マ、マクー?」


 いつのまにかである。翠がとろんとした表情でこっちを見ていた。しかも、ささやくようなウィスパーボイス。完璧だと思う。かわいさの極致を堪能した。


「マクだあ。って、マク!」


 もう少し見ていたかったけど、意識が覚醒したみたいだ。そろそろ自分を取り戻す。


「大丈夫だよね。具合悪くないよね。お医者さんは、命に別状ないと言ってたけど」

「うん。体痛いだけ。心配かけたかな。ごめんね」


 無意識に髪をなでてた。すると、翠の顔が赤くなってむくれだす。なんか怒らせたみたいだ。子ども扱いをしたせいか。


「もう。マクのばか。なにしてんのさ」

「えっと、それはどっちの意味で?」

「どっちも。髪なでるとか反則だし。イエローカード三枚くらい」

「えっ?」

「と、とにかく、給水タンクの階段で両手を放すなんて。ばかっ。私、心配したんだからね」

「心配してくれてありがと」

「ううー、べつにそこまで一生懸命心配したわけではないし」


 翠がそっぽを向く。その拍子に、サイドハーフアップにしてる髪留めが見えた。もちろん、翠の大好きな鮫グッズの一員だ。


「でもさ、ずっとそばにいてくれたんだよね」

「うん。まあ」


 歯切れが悪い。困ったものだ。


「考えてみれば、いつだってそうだったな。翠はいつも――」

「マ、マク!」


 翠がいきなり大声を出す。ここが個室で本当に良かった。誰かいたら、白い目で見られたと思う。


「急にどうしたんだよ。翠」

「ごめん。でも、これを渡さないと」

「あっ、そっか」


 翠に渡された代物。それはピンクの付箋。たくさんのメッセージが書ける大きな種類だ。今は厳重にクリアケースへ挟んでる。間違いなく、翠が処置を施したんだろう。


「この付箋、あの時のままだから。落下してもしっかりと握ってた」

「そうなんだ。うん」


 僕は慎重にクリアケースのファスナーを開けていく。取り出した付箋は一枚でない。何枚か重なってる。あの時は事を急いでて気づかなかった。どうも、一緒に重なってたらしい。


「もちろんさ、私たちはまだ内容を知らないからね。先に読むのは違う気がしたし。うん」


 翠が神妙につぶやく。


「ありがとう。気づかってくれて」


 いよいよ覚悟を決めて、付箋に目を通す。ここには何が書かれてるか分からない。三波は不思議なタイプだから。それでも、僕は読まなくてはいけない。三波を救えなかった責任として。




『千之先輩へ。


 あなたがこのメッセージを見つけたということ。つまり、私はこの世にいないんでしょうね。なんて冗談はともかくとして。いえ、冗談かどうかはさておき。


 ともあれ、迂遠で回りくどい方法を使ってごめんなさい。でも、私はこういうのが好きなんです。伝わりそうで伝わらない。届きそうで届かない。もしかしたら、届いて伝わるかも。そんな宙ぶらりんの状態。ここをアジャストさせると繋がっていく。ただ、アジャストしないと絶対に繋がらない。この感覚です。どんなふうに説明したらいいか分かりませんが。


 おっと、またむだなことを書いてしまいましたね。たぶん、本筋を書きたくないのかもしれません。それが深層心理として、強く発揮されてると思います。


 なぜなら、今から書くのは嘆き。だって、ここに記すのは上手く行かなかったパターン。無数に繋がっていくストーリーで、最悪に近い結末です。だからでしょうか。本当はこんなこと書きたくありません。でも、私の中にプログラムされてるもう一人の自分が言うんです。これは絶対にやっておけと。なので、私はやらなければいけません。


 で、おそらく知ってると思いますが(この付箋を見てる状況から推測して)、私はここの生徒ではありません。さらに、高校生でもなく。普通の中学生なんです。だからお会いした初めの日、口ごもって一年生とだけ答えました。幸いにも、千之先輩が高一と判断してくれましたが。


 とにかく、私はいろいろと偽ってましたね。あたかも、なにげなく千之先輩とやり取りを始めたように見えて。実際のところはそうでもなかったのです。中学生という事実を隠し、虐待されてる事実を隠し。あ、このことについては自分でも分かっています。お父さんが私を痛めつけてると。ただ、心のどこかにそれを認めたくなかった。この症状の名前も知ってますよ。ストックホルム症候群なんて言いますよね。


 そうそう、千之先輩。ところで、私がなぜここの学校の屋上を訪れたか。その理由は分かりますか? 上へ上へ。高いところへ。自分を引き上げたくて、ここに来たわけではありませんよ。むしろ、その反対。抗うことのできない重力を利用して。おもいっきり高いところから墜落しようと思ったんです。さよならフォーエバー。また会う日まで。いつになるか分からないけど。なんて気持ちかな。だから、死ぬのがほんの少し延期になっただけ。ご愁傷様いらずでしたね。


 ちなみに、千之先輩へ謝らなければならないことはまだあります。ごめんなさい。私があの騒動の原因でした。千之先輩の幼馴染さんが気になって。いつのまにか、後をつけてたこと。本当に申し訳ありません。さらに、私をつけるお父さんの存在。これで二重の迷惑を掛けました。 


 思えば、お父さんは少しずつおかしくなっていきました。最初は型破りの建築家風情だったんですが。そのうち、そうも言ってられなくなってきて。いつも何かにいらいらしてるようでした。これもお母さんが違うところへ行ってしまったせいでしょうか。神様にしか分かりません。


 そうです。結局、神様がすべてを決めてしまいます。なので、私は幼馴染さんのパーフェクトなストーリーに対抗できません。それは私が私である限り絶対に出来ないこと。もう一人の自分がいつも囁きます。これはプログラムされている筋書き。どうしようもないと。


 とはいえ、聞いてくださいね。私、好きな人ができました。好きで好きで仕方がないくらいに。ただ、その人を幻滅させたくありません。だとしたら、理想に殉じた方が幸せ。えっと、そうですね。千之先輩がこの手紙を読まれてる状況ならば手遅れでしょう。


 そんなわけで最後になります。長々とまとまらないメッセージでごめんなさい。では、千之先輩にご加護がありますように』




「……」


 違う。それは違うんだ三波。究極的に僕を見ていないじゃないか。等身大の僕を。頼りなくて情けない僕を。三波の想いは僕という実体でない。観念になってる。などと叫びたかった。でも、もう届かない。絶対に届かないんだ。


 三波はどこにもいない。彼女は死んだ。肉体も魂も。単純に助けてと言ってほしかった。あるいは、もっと戦ってほしかった。パーフェクトストーリー? 翠? どうしてだ。


 僕の小さな想いは消えていく。恋とは違う似た感情。三波を好んでるという想い。心が摩耗しないように忘れるんだろう。忘れたくなくても勝手に。なんでいつもそう思うのか。


 一年前、僕はある女の子を切り捨てる選択をした。彼女は妹であることを望んだ。最初は同意。その後に覆した。でも、今は和解できてなんとかなってる。曲がりなりにも、時間が解決してくれた。なぜか。それは彼女が生きてるから。つまり、死んでしまえばどうしようもない。どうにもできないんだ。父も母も妹も。そして、三波も。


 たぶん、三波はこの世界で超絶的な何かを見つけだそうとして一生懸命だった。それは僕たちには窺えない哲学的な問い。禅門答みたいな類。でも、彼女はそうしないと救われない。なんて強迫観念で戦っていた。当てもない螺旋。これを行き来する少女戦士のように。まるでメビウスの輪のごとく。見込みのない革命探しである。あのジャンヌダルクだって成功してないのに。


 だから、僕は思う。そういう超絶的な何かはきっと存在しない。存在できないんだ。だって、誰も見つけてないから。仮に見つけたとしても、世界と自分を切り離してしまいたくなるくらいの麻薬。なので、たとえ巡り巡ってその輪郭が見えたとしてもあれだ。雨のようにあっさりと流れてくれないと困る。なぜなら、それはまぎれもなく幻想。一時の勘違いにしないとやっていけない。


「マク。どうだったの?」


 しびれを切らしたらしい。翠が声を掛けてきた。これは僕が沈黙してたせいだろう。翠に申し訳ないと思う。


「うん。なんとも言えなくて」

「そっか」


 観念したようにあいづちを打つ。


「そうだマク。飲み物は? なにがいい?」

「ありがと。なんでもいいよ」

「わ、分かった。じゃあ、ポカリ系かな。下の自販機で飲み物買ってくるね」


 翠が部屋を出ていく。おかげで病室の雰囲気を感じる。

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