17
「おやおや。また会いましたね。これは必然か偶然か。私はどちらでもいいんですが。とにかく、君に用があったからちょうどいいんですよ」
彼は柔和な微笑みを浮かべて近寄ってくる。やはり、目つきがおかしい。ここではないどこかを見てる。焦点が合ってない。
「僕はあなたに用がありません。ただ、一つだけ聞きたいことがありますね」
「またまた奇遇ですね。私も君に一つだけ聞きたいんですよ。君がどうしてそれを持っているかをね!」
表情が一気に豹変。血管も浮き出てる。このまま怒りをぶつけられそうな気配。失敗したなと思う。佐々木くんに護身術を学んでおけば良かった。そうすれば、少しでも余裕を持って対処できたのに。とはいえ、今更嘆いて仕方がない。過去は過去でしかないのだから。
彼が僕をぶん殴ってくる。その攻撃は力任せで大降り。でも、喧嘩を知らないので、対処するすべがない。亀のように縮こまるしかなかった。
「オマエがなんでこいつを持ってる? ああ? 説明してみろ?」
「その話はできません。あなたの持ってる飲み物を教えてくれたら考えます」
一つを除いて売り切れの自販機。あそこに珍しい種類の飲み物があった。なかなか他では売ってない種類。それと同じのを彼は手にしてる。
「ふざけんな。死にたいのか! おらっ!」
「ぐほっ」
みぞおちへ蹴り。さらに罵倒。今の彼には知性の欠片も感じられない。いつかのチンピラ二人組に絡んだ時と同じ状態。怒りだけが先行してる。話し合いに持っていけない。
なので、それからはたこ殴り状態。そろそろ、体力も限界が近くなってきた。もう諦めてしまおうか。彼の目的はこれを奪うこと。渡せば納得するか。いや、だめだ。このラジオは三波から預かった代物。簡単に渡すことはできない。たとえ、何があろうとも。
意識が遠くなっていく。意識というのは切り離したら自分がなくなると思う。その瞬間だけは、自分がこの世界に存在してるか分からない。だから、意識を保ち続けなくてはいけなくて。
「てめえっ! 俺の親友になにしてるんだ」
一気に視界が開けて、激しい衝突音。彼が吹っ飛んでた。
「大丈夫か。しっかりしろ。しのぴー」
僕を助け起こす人懐っこい人物。やけにかわいい呼び名で怒鳴り声。なんだろう。ああ、最近できた自分のあだ名か。
「佐々木くんだね。ありがとう。大丈夫」
「そうか。大丈夫か。まったく。心配かけんな。俺が揉め事の気配を嗅ぎつけたから良かったものの。てかな、俺のことはあだ名で呼べよ。友達だろ。約束したぜ」
約束なんてした覚えがない。でも、謝っておく。
「ごめん、佐々くん」
「オマエはばかか。こんな状況で謝ってどうする。そんなことよりも逃げるぞ。あいつは危険すぎる。へたってるうちに姿をくらますんだ」
「いや、それはできない」
僕は佐々木くんに起こしてもらいながら言う。
「ばか言うな。死ぬ気か。死んだらなんにもならん。そこで終了だぜ。それとも、俺の発言がおおげさとでも思ってるのか? だったら忠告しておく。アイツはマジでおかしい。だから、アイツと相対するな。絶対に。俺だって不意打ちだからダメージを与えられたんだ」
「佐々くん。そうじゃないんだよ。僕は。僕は助けたいんだ。三波を」
「なんだよそれ。どういうことだ? 俺にはさっぱり状況が分からん。助けたい? だめだ。おまえの好きな子がアイツと関係してる理由も。もっと言えば、しのぴーが襲われてる理由だって不明だぜ」
「とにかく、彼はこれが目的で」
僕は三波から預かったラジオを渡す。
「ん? おいおい。こいつはあれだぜ。見る人には分かる。GPS発信器が備わってる特殊なラジオだよ。つまり、持ち主の居場所が丸分かりだ」
それは三波が彼につけられてるのか。だとしたら確定だ。間違いない。
「佐々くん待って。そいつは大事なやつだから壊さないでくれ」
「そうか。なら、とりあえずは応急処置だ」
佐々木くんはラジオをいじっていく。さくっと作業をこなして完了。僕には何をしたか分からない。でも、一時凌ぎになったらしい。
「これで居場所が知れ渡る可能性はなくなったな。さあ、逃げるぞ」
佐々木くんが促す、でも、僕は動かない。地面へ足を縫いつけられたように止まる。なぜなら、そうしなくてはならない。三波を助けないといけないから。
「一刻も早く助けないと。絶対に助けないと」
「なあ、しのぴー。冷静になれ。この状態で助けることは可能なのか? 正直、オマエ一人では難しいだろ。まずは出直そう。仲間を呼ぶんだ。喧嘩なら俺。推理になら翠ちゃんを頼ればいい。とにかく、今は引くんだ。オマエの状態だって万全じゃない」
「佐々くん。僕はどうでもいいんだ。それよりも三波後輩。彼女はおそらく虐待をされていて。しかも、あそこでへたってるアイツかもしれない」
佐々木くんは絶句する。そりゃそうだろう。
「だから、すぐに行動しないと」
「待て。確証は?」
「確証か。虐待の傷跡は偶然見かけたんだよ。で、アイツだと思った理由。それはあの自販機にしか置いてない飲み物を共に所持してたから。さらにそれだけじゃない。なによりもこのラジオを求めてる時点で怪しい」
「そうだな。了解した。だったらしのぴー。彼女と連絡が取れないか? 連絡が取れれば万事解決する」
僕は慌てて携帯の電源を入れる。
「あっ、そっか」
でも、それは無意味な行動。三波とは付箋でのやり取りしかしてない。
「それが取れないんだ。三波との連絡手段を持ち合わせてないから。仮に方法があったとしてもだめだと思う。本人が事実を否定する」
「そうか。やっかいだな。つまり、俺たちは相手が求めてないことに首を突っ込むのか。なかなかしんどい作業だぜ」
僕はふいに思い出す。こんな状況は去年に経験した。翠が。そう。僕と三好加絵、もとい山内先輩。彼女といびつな付き合い方をしてた時の話。あの頃はお互いに介入を求めてなかったと思う。そんな中、翠が事実を突き止めて。結局、僕はそっち側に加担した。あれは畠山さんの忠告と翠の熱意にほだされたといってもいい。
「佐々くん。それでも、僕はやらなくてはいけないんだよ。そういうふうに決まってるから」
「そうかい。なら、仕方ねえな。俺はオマエに付き合うだけさ」
強い決意。どうやら、佐々木くんにも伝わったようだ。
さて、どうすればいいか。僕と佐々木くんは頭を悩ます。とりあえず、この場から少し離れる。ただ、へたってる彼は遠くで観察。彼が手かがりなのは間違いない。とはいえ、どうアプローチすればいいか。そこが難しい。佐々木くん曰く、彼は相当に危険な人物らしい。普通の人では対処できないという。
「なあ、しのぴー。携帯震えてないか?」
「ホントだ。気がつかなかった」
体の節々が痛むせいか。感覚の方が遮断されてるかもしれない。
「まずは携帯見ておけ」
「分かった」
ディスプレイを見る。着信のマーク。掛けてきたのは翠。いささか予想はできた。今度は本体を開く。携帯は未だに揺れてる。
「出ないのか?」
「いや、どうしようかと思って。翠を巻き込みたくないというか」
ちょうど着信が切れた。履歴を見ると七件。こんな短時間ですごいコールだ。
「おい、しのぴー。翠ちゃんってヤンデレか?」
「さあ? 前にツンデレかどうかを確かめたことはあるけど」
「結果は?」
「外れ」
「そんなばかな。オマエの目は節穴か! なんて悠長な話をしてる場合じゃねえ!」
なんと、二重のツッコミだった。
「とにかく電話に出ろ。な。翠ちゃんを安心させるんだ。そして、今の状況も説明。たぶん、俺たちよりもいい案が出る。だから、それがいい。しのぴーのこととなると超人的な力を発揮するらしいからな。行動力から推理力まで。友達の畠山ちゃんが言うから間違いねえ」
「まあ、そうだね。人間観察得意だし。うん。それに手詰まりだから仕方がない」
結局、僕は翠に電話を掛ける。すると、翠はすぐに出た。
『マクのばかぁ。なんで電源切るのさ? 私が迎えにいくの嫌? 幼馴染として手助けするのは当然のことじゃない』
繋がった瞬間に響く声。涙声で湿っぽい。やっぱり泣き虫な翠。僕は困ってしまう。
『翠。泣くなって。泣かないでくれ。僕が全面的に悪いから』
『そんなの当たり前だよっ。で、調子は大丈夫なの?』
『……』
そこは答えられない。だって、さっきより見た目が悪化。ボコボコにされたから。ただ、精神的な部分は改善。それはすることが明確になったおかげ。これから取るべき指針は見つかった。
『マク。マク。ちゃんと返事して』
『ああ、うん。大丈夫。それでね、翠。今日起きたことを聞いてほしい。かいつまんで話すから』
『う、うん。分かった』
『じゃあ話すよ。とりあえず、びっくりしても全部聞いて。そして、思いつくなら解決策を示してほしいかな』
『うん』
翠の許可を取った僕は、ざっくりと状況を話す。翠はいちいちリアクションを取った。でも、口を挟まないで聞く。最後の方は、すごく真剣にあいづちをしていた。
『マク。虐待はまず間違いないよ。そこまで条件が揃ってるんだから。でも、とりあえず危ない人から離れて。佐々くんでさえ対抗できないんだし。できたならすでに拘束してる』
やっぱりそうか。佐々木くんが何もしないなんておかしい。手首くらいは縛りそうだ。
『それよりもその人が求めたアイテム。ラジオの方に着目して。ここから手がかりがつかめるかもしれないし。私も学校へ向かうから待ってて』
『え? 翠も来るの?』
『行くの。怪我の手当だってしないといけないからね。傷口から破傷風になったりするんだよ』
『そっか。うん。ありがとう』
間違いなく止めてもむだ。意味のないことをしても仕方がない。
『あっ、そうだ。私が行くまで一つ手配をしておかないと』
『え?』
『ううん。なんでもない。じゃあ、超特急で準備する。切るね』
翠の電話が切れた。ツーツー。
「さすがは翠ちゃんだな。オマエ、将来は必ず尻に敷かれるぜ。間違いない」
そんな冗談はともかく。翠は解決策まで示してくれた。彼は相手にしない。相手にするのは彼が求めてるラジオ。そこから何かが見つかる可能性が高い。
「佐々くんはなにか分かる?」
僕がラジオを見ても分からない。なので、佐々木くんに振ってみる。
「ううん。そうだな。俺が分かるのはちょっと違う分野だからな。このラジオがどういうふうに機能するとかは分からない。求めたいことの関連性を結びつけたりするのも苦手だ。そういうパズルみたいな判断力は持ち合わせてないぜ。残念ながら」
結果、何もできない男子二人。このままだと翠の到着を待つほかない。いくら学校が近いとはいってもあれだ。単に待つのは時間がもったいなかった。
「お、おい。あれは山内先輩じゃないか?」
「本当だ。山内先輩だよ。しかも、こっちへやってくる」
校内に避難してた僕と佐々木くん。そこから校門にいる彼の様子を伺っていた。つまり、校舎は目と鼻の先。生徒が出てくるのも不思議でない。たぶん。
「ああ、俺さ、揉め事の気配を嗅ぎ分けられて良かったよ。休日で山内先輩に会えるなんて。初めてその才能に感謝したいくらいだぜ」
「そんなおおげさな」
などと言うが、山内先輩は止まらない。まるで目的が僕たちのように。というか、間違いなくここだった。
「こんにちは。篠原くん。佐々木くん」
こんなイレギュラーな事態でも楚々とした姿勢を崩さない。本当に洗練されてる。模範となるべき生徒会長。一年前の印象はもはや残ってない。この方を妹に見立てるなんてすごい暴挙だ。
「こんにちは、山内先輩。今日も仕事ですか。生徒会長は大変ですね」
「ええ。でも、そのおかげで手助けができるんですよ。佐々木くん。さっき、翠さんからメールをいただきましてね。今、急いでかけつけたんです。昨日、彼女とたわいないやり取りをしてたおかげですね。休日でも、生徒会長だけ仕事があるお話をしてましたから」
僕は驚く。佐々木くんもお手上げ状態。翠と山内先輩がやり取りをしてるのは前に聞いた。でも、そこまで頻繁にやり取りしてるとは思わなかった。
「すごいな。翠ちゃんもやるねー。しのぴーの元カノとこんなに親しくしてるなんて」
僕は思わず吹き出しそうに。とにかく、止めてくれと言いたかった。
「佐々木くん。私と篠原くんはそんな間柄ではありませんよ。私たちは必要以上に仲が良かっただけ。ですよね、篠原くん」
秘められたウインクにも気品がある。どうしてそんな芸当ができるのか。不思議だ。
「おっしゃるとおりです。山内先輩」
「おい、しのぴー。本当か? なんか引っかかるなあ」
佐々木くんは腑に落ちない表情。その気持ちはよく分かる。逆の立場なら同じように感じるだろう。
「とにかく佐々木くん。今はそのような状況ではないのでしょう? 一刻も早く解決しなければいけないことがあると」
「そうだよ。佐々くん。それどころじゃない。まずは、三波に関する手がかりをつかむべきだ」
「ああ、すまん」
「で、私はなにをすればいいのかな?」
そこである。そもそも、どうして山内先輩を差し向けたのか。そこに明確な理由があるはずだ。
「なんて言ったけど、私はすでに翠ちゃんから指令を受けてます。安心してください」
「へえ、そうなんですか」
僕と佐々木くんは間抜け顔で頷く。
「はい。では、佐々木くん。そのラジオを貸してくださいな。機械の使い方とか分解。これらは私に任せてくださいね」
「あっ、そっか」
僕はまた思い出す。同じように去年のこと。山内先輩が家にきて時計をいじったんだ。おかげで、あの時計には音声が残ってる。山内先輩のモーニングコール。今となっては貴重(?)なハスキーボイスだ。
「佐々木くん。知ってた? 地味で文学少女みたいな私は、機械いじりが好きなんです」「またまた。いいじゃないですか。それよりも地味って。こんなに上品で美しい方が謙遜しちゃって」
「いえいえ。本当の話ですから。佐々木くんも知ってるでしょ?」
「すみません。知ってます。俺は山内先輩のファンなので」
「うふふ。ありがと」
山内先輩の先導で校舎の中に入っていく。手かがりを探す作業はここでやるらしい。
「あの、山内先輩。先ほどの話、気にしてるなら昔の名残ということにしましょうよ。って、なんかえらそうですね。すみません」
「謝る必要はありません。にしてもうん。昔の名残。そうですね。そうしましょうか。ともあれ、佐々木くんは私を誉めてくれて嬉しいなあ。ありがと。篠原くんはなかなか誉めてくれませんから」
「まさに経験者は語るですね」
「その通りです」
これは僕への冷やかしだったのか。山内先輩がちらりと流し目を送ってきて判明した。




