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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
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16

 帰りまでの流れはよく覚えてない。というのも、僕と三波の会話が弾まなくなったせい。周りの風景が色あせてしまったせい。二人して、へんな呪縛にかかったと思う。それも相当大きなやつに。でも、この呪縛を解くための魔法は見つからない。たぶん、どんな世界にも。これはやすやすと解除できる類のやつではない。心のどこかへ碇を降ろして残り続けるタイプ。おかげで、二人のあいだが緊張感で満ちてしまった。


 結局、今回の山登り。結末だけを取り上げれば失敗だ。山の頂上で、お昼を食べても意味はなく。僕は三波を引き上げられなかった。実際にも比喩的にも。三波と繋いだ手は離れた。さらに、彼女は下へ落ちていった。そう。三波はよく言っている。私を引き上げてほしいと。自分一人で重力に対抗するのは、不可能だから助けてと。


 おそらく、三波は傷を見られたせいで心が切れたと思う。午前中まで登るささいな賭け。ケーブルカーを使わない決意。これも一気に重荷へと変わってしまった。もう、見事なまでの逆効果。目も当てられなくなったのだ。


「千之先輩。ごめんなさい」


 そして今、僕たちは学校へ戻ってる。校門の前で二人して目配せ。印象的な三波の瞳。深く澄んだ蒼色の瞳。ただ、どこか雰囲気が違う。僕から見える三波。あるいは、三波が見てる僕も。今までと異なる。その違いは傍目から見ても分からない。なのに、こうしてお互いに同じ想いを抱く。こんなことで心を通わせなくても。


 休みの学校は堅牢みたいな風情。などと思うのは、現在の心境のせいか。もっとも、この建物がむだに高いせいかもしれない。まるで大きな壁みたいに屹立してる。


「三波後輩。君が謝る必要はなにもないんだ」


 こんなふうに返しても意味がない。本当は分かってる。気休めにもなり得ないと。


「いえ。でも、今日は私のせいで嫌な思いをさせてしまったので」

「気にしないで。と言っても難しいか」

「はい」


 三波は悲しそうに笑う。その姿までも大人っぽくて幼い。しかも、そんな表情をしてる方が神秘的な魅力が増す。不思議だ。


「ただ、それでも私は楽しかったです。大きなへまはしちゃいましたけど。後、絶望の中に咲く一輪の花だって見つけました」

「一輪の花?」

「はい。そうです。だから、私はその花を枯らさないように維持しないといけません。とはいえ、とても美しい花。保つのは大変でしょう。そういう花はすぐに寿命が来てしまいますし。たとえば、観賞用のバラなんかそうですね。ともあれ、私は今の現状にこんな感覚を抱いてます」


 三波は解釈が難しいことを言う。なので、僕にはよく分からない。ただ、僕はその不思議な考え方をいつも楽しんでた。それこそ、無責任な楽しみ方かもしれなかったが。つまり、こう思ったのは今が楽しめてないせいだった。


「三波後輩。あのさ」

「はい」

「雨。雨が降るよね」


 僕は考えがまとまる前に切り出す。


「雨ですね。これは千之先輩の好きな雨の話になりますか?」

「そう。雨。その話だよ。で、雨はいつだって循環してる。あらゆる場所から蒸発して雲へ。雲から雨になって降り注いで。また、地上から水分が蒸発していく。そうやって、ずっと繋がっていく。誰も知らないどこか遠いところで。でも、僕たちは時々その一瞬を目撃できるんだ。ハロー。グッバイ。ハロー。グッバイ。そんな容易い感覚で」

「はい」


 三波が軽くあいづちを打つ。


「だからさ、三波後輩。僕と三波後輩はその程度の関係かな。その一瞬を目撃するだけ。後は自然の摂理に飲み込まれてしまうような。なんだか、上手くいえないけど」


 ふいに三波が頬を緩ませる。さらに深く頷く。こくこく。こくこく。まるで小動物みたい。僕は最初に会った時を思い出す。


「千之先輩。それは仕方ないですよ。基本的には、そんなふうにプログラムされてるんです。ここまで広大な自然でさえそうなんですから。人間だけが違うなんて、もってのほかですよ。そもそも、人の出会いはそんなものでしょう。だって、一期一会じゃないですか。こんなふうに考えてしまうほど、あっさりなんですって。そうですね。千之先輩の言葉ならこうです。ハロー。グッバイ。ハロー。グッバイ。こうして上手く繋がっていくと」

「そっか。うん。それは絶対に覆すことができないと」

「でしょうね。おそらくは。残念なことに」


 三波が視線を外す。そして、遠くを見つめる。視線は南西の方向。さっきまで登っていた地元の山付近。今は地上なので見えてない。でも、間違いなく三波はそちら側を見る。自分を引き上げてほしい。なんて考えている象徴の山。


「とにかく千之先輩。山登りはいろいろとありましたね。本当にありがとうございました。今日はお別れです。ほら、時間は貴重ですから」


 三波が似合わない高価そうな時計を見て言う。


「なので、また今度お会いしましょう。具体的には夏休み後ですね。それとやっぱり、屋上だけにしましょうか。私と千之先輩の関係はこれが不文律みたいですので」

「そっか。うん。分かった」


 固い決心みたいのを感じる。おかげで、頷くことしかできない。


「それではまた。千之先輩にご加護がありますように」


 最後は手紙の末文のようなセリフ。三波は踵を返して去っていく。


「待って。三波後輩!」

「なんですか?」


 三波が振り向く。尼そぎの髪がはらりと揺れた。僕はその動作に見届けてから告げる。


「やっぱりさ、僕は大事なことがーー」


 その時、大きな音が鳴って。僕の声はほとんどかき消された。空を見れば分かる。上空を自由に闊歩する飛行機。轍のように飛行機雲も作っていく。


「すみません、千之先輩。そのお話は次の機会にしませんか? 私、もう時間がありません。さよならです」

「オッケー。分かったよ」


 こうして、三波は十二時を過ぎたシンデレラのように去っていく。ここで靴でも落としてくれないかな。なんて本気で思う。それくらいに手がかりが欲しかった。











 しばらく僕は、校舎を眺めて立ちすくんでた。まるで放置されたゲームのプレイヤーみたいだ。微動作もせずに突っ立ってる。おかげで、蜃気楼みたいに景色が揺らぐ。今、見てる景色が正しいのか。それとも、正しくないのか。判別がつかなくなっていく。


 そんな状態が不安だったので、急いで携帯を取り出す。掛けたのは空で覚えてる数字。もちろん、履歴を利用しても良かった。昨日電話したので残ってる。そうすれば、ただボタンを押すだけ。より早く相手にアクセス可能。でも、なんだか間違ってるような気がした。正しい手順を踏んでいく。それが大切でしなければならないことだと感じた。


「翠」


 発信。一コール。二コール。三コール。早く出てくれ。そうしないと体が溶けてしまいそうだ。原因は予報外れの暑さでなく。このマグマのような熱い感情。こいつらが体全体を焦がしていく。骨も肉も皮も。しまいには魂まで。


 今、僕の魂はどこかに吹き飛んでる。なので、抜け殻も当然。全くもって覚束ない。自身の基盤は揺らぐ。はたしてこの瞬間、自分は実存してるのか。確証が持てない。おかしな話だ。


『はーい。私、鮫島翠。今、私はマクの近くにいるよ。だから、電話に出られません。というわけで、ピーッという発信音の後に用件をよろしくね。ピーッ』

「……」


 心臓の鼓動が高鳴っていく。言葉を上手く見つけられない。そもそも、用件なんてなかった。掛けた理由も分からない。ただ、なんとなく。でも、自然と掛けていた。なぜだろう。これは翠に伝えるべきことなのか。勢いに任せただけかもしれない。


 とにかく、落ち着いたリズムを取り戻そう。リズムがずれてる。なので、まずは深呼吸。肺の奥にまで行き渡るように息を吸う。とはいえ、夏の空気は息苦しい。あまりリラックスできなかった。


「あれ?」


 ポケットに戻した携帯が振動。どうやら気がついたか。ただ、先ほどまでの異様な焦燥感はない。醒めてしまった。本当に勝手ながら都合が悪い。僕はゆっくりと携帯を取り出す。通話ボタンも緩慢な動作で押した。


『マクー。今、電話してきたよね。ちょっと目離しててさ。でも、すぐに折り返したからいいでしょ』

『うん。まあそうだけど』

『なになにー。どうしたのさ? あ、そっか。今日電話してきたってことはあれだよね。私に話したいことがあったってやつ。つまり、デートが上手くいったんだ。それは良かった』


 翠が早合点していく。でも、そんな手順にしたのは僕自身だ。


『翠』

『んー?』

『そうじゃなくってさ。うん。ちょっとべつのことで話しがあるんだ』

『マク。だめだって。そこはしっかりしないとさ。次のデートのプランは自分で練らないと』

『いや、それも違う。もっと重大な問題が発生してるかもしれない』

『え?』


 沈黙。僕の声に真剣味があったせいだろう。翠も襟を正すように聞く。


『それはさ、マク。マク自身に不都合が生じたとか?』

『いいや。でも、彼女。三波後輩が大変な目に遭ってるんだ』

『三波後輩ってさ、屋上の後輩ちゃんだよね』

『うん。そう。で、その彼女を僕は助けたい。どうしても』


 リズムを失っていく。平静に保ってた心の状態。その内側から崩れだす。僕の中に潜んでいる罪障、無力、喪失といった感情。これが鎌をもたげてくる。二年半前。この後からいつだって影響を与えてきた。僕と同化した感情で闇に招待してくれる。いつもいつも。ずっと変わらずに。


『翠。僕は好きなんだよ。好意的な気持ちを抱いてるんだ。彼女に』

『うん』

『だから、どうにかしたい。絶対に助けなくてはーー』


 息が詰まって咳がでる。勢いよくしゃべたせいか。感情を吐露しすぎたかもしれない。


『マク。マク。落ち着いて! 落ち着いてよ。私、すぐに行くから。どこにいるの? マク』


 なんだか、翠の方が焦ってた。これも僕に前科がありすぎるせいだ。致し方ない。おかげで、少しずつ落ち着いていく。


『ごめん。大丈夫。それに来なくていいよ。家へ帰るから』

『だめ。私が心配なの。マクはいつも勝手にどこかへ消えちゃうから』

『心配するなって。帰る場所は一つしかないんだーーあっ』


 思わず、吃音が飛び出してた。なぜなら、目の前にあの人が。前に尾行された怪しいおじさん。翠のストーカーの遠因かもしれない人物。その彼がこちらを見てくる。しかも、視線が宙に浮いて定まらない。言い方は悪いがラリってる。少なくとも、身の危険を感じるほどだった。


『翠。急に野暮用。電話切るから。家着いたら連絡する。一時間経っても着信なかったら頼む』

『え? ええ? マク、頼むってなに? 説明不ーー』


 すでに猶予はなかった。僕は携帯の通話を切ってポケットへ。ついでに、電源も消しておく。そして、彼と相対する。正直な話、逃げ出してしまいたい。でも、そんなことはできない雰囲気。その理由は彼が手にしてるもの。それに見覚えがある。むしろ、謎が一気に氷解。全てはこういうふうに繋がってたと思う。この話は翠の件と全く関係がない。関わると下手に巻き添えを食らってしまう。それよりも三波と関係してる。

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