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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
4/77

3

「そうそう、私が本気を出せばこんなものだし」

「おっしゃる通りで。おみそれしました」


 ここで現在の成績には触れなくていいだろう。わざわざ藪蛇をつつく必要はない。翠は本気を出せないのではなく。本気を出していないだけ。赤点を取ろうがドベになろうが関係ない。マイペースを貫く。それが翠のやり方である。


「僕は知っているぜ。翠が勉強を始めたら誰よりも賢いことを」

「そうかな」

「うん」

「そっか。まあ、その辺のことは自分でも分かってるよ。だから、さっさと白状するべきじゃないの?」


 とりあえずごまかせてなかった。おためごかしが通用してない。それは確実だ。適当なことを言う。でも、あっさりと看破される。


「マクは嘘が下手。どうしても嘘をつかなければならない時は特にね。本当に分かりやすい。表情が顔に出るんだから。諦めが悪いのは認める。でも、嘘をつくたびに唇を舐めていればなあ。リップクリーム代わりじゃないんだからさ」

「こういう時って、相手が幼馴染なのは裏目に出るな」

「幼馴染も何もさ、マクは誰に対しても嘘がつけないようにできてるよ。それがどんなに不都合であったとしてもね」

「そんなことはないと思うけど」

「ううん、そんなことあるから。誰もが騙される小悪魔で魔性な私と違って」

「ていうか、いつからそんな仰々しい称号がついたんだよ」


 間違いなく冗談だが。翠は魔性の対極に位置してると思う。もちろん小悪魔とも。健康的なかわいさであり色気。これが翠の持ち味。ただ、嘘が露見するタイプでない。巧妙に隠しているかどうかはともかくとして。


「とにかくね、大事なことを嘘に含んでいい人は決まってるの。エイプリルフールに生まれた人だけ。これは特権といってもいい」

「僕はそんな特権を認めないぜ」

「知ってる?」


 翠が体をぐいっと起こして、僕に指を突きつけた。


「エイプリルフールが誕生日の人はあれなの。会話に嘘を混ぜる割合が多いんだよ」


 翠は適当なことを至極真面目に言う。でも、疑問が発生。


「だとしたら、やけに素直に育ったような気がするけどさ。翠は」

「そうかな? てか、マクは私のことをそんなふうに思ってるのか。実はマクの知らないところで嘘を吐いてるかもしれないよ。自分で雁字搦めにしてしまうくらいに。あ、私は素直さが売りの女の子だけどね」


 締めにウインクまでされた。


「どこに対してのアピールなんだか。修正が強引すぎる」


 この反応も違うけど。


「はいはい。で、そんなことよりもさ、鮫島翠さんから三百六十四日も遅くに誕生した篠原千之くん」

「今の指摘は妙に恣意的だな。腹が立つよ」

「事実なんだから仕方がないじゃない。それにそのおかげで同学年の幼馴染になれたんだし。私が一日早く産まれてもアウト。マクが一日遅く産まれてもアウト。なんてぎりぎりな関係だ」

「たしかに翠の言う通りか。ただ、一学年違っても変わらないよ。幼馴染の関係は」

「いや、どこか見えない壁みたいのができたかも。ベルリンのごとく厚い壁が」

「それは見えない壁の範疇を超えてる」

「とにかく、同学年なのが大事だよ。忠実な駒として宿題をやってもらえないし。マクを年下扱いできても全然釣り合わない。それを思えばあれか。まずいのは私の方だった」


 翠があからさまに胸をなで下ろす。


「つまり、僕を完全に駒扱いしていたわけね。まあ、いいけどさ。後、間違いなく年上面してるから。てか、脱線してる話を戻すつもりもないんだが聞くよ。二日連続して家に来てくれたのはどうして? 大事な用があって来たわけじゃないよね。僕の隠し事を暴きに来たという名目は残っているにしても」


 翠はなぜか驚きの表情で見つめてくる。


「まさかね」

「ん?」

「本当にまさかだよ。私がこのセリフを言えるとは思わなかった」

「えっ?」

「大事な用がなければ来ちゃいけないの?」


 ベッドに座り直した翠の上目使い。瞳はうるうる。目薬の上手な差し方を教えてほしかった。とりあえず、女の子の必殺技に認定すべきだろう。舌をペロッと出すのと同様に。


「なんてね」


 翠は茶目っ気よろしく舌を出す。まさかのコンボ技だった。


「私は寛容だからね。これ以上深くは追及しない。でも、やっかいごとになるまで先送りしたら承知しないよ」

「それはお互い様じゃないか」

「まあ、そうとも言えるけど」


 翠は言葉を濁す。なぜなら、あのことを思い出したはず。それは高一の頃。僕と翠は人間関係での失敗を経験した。お互いに一つずつ。幼馴染らしく仲良く。あれは惨状ともいえる出来事。悔恨そのもの。新たな罪障感の追加となった。ただ、人によっては見方が違うかもしれない。でも、もう少しどうにか出来たと思う。だから、悲劇であり喜劇であった。そして、あの時に一つ学んだ。否、理解した。人は簡単に繋がれない。一筋縄ではいかない。心は複雑怪奇。解きほぐしていくのは相当にしんどいことだと。人は持っているチャンネルが違う。相容れない。抱くイメージが乖離。そういう場面は度々ある。たとえば、頑丈な窓が開いてても見せかけかもしれない。張り巡らせた網戸のような罠の可能性もある。内側が見えるのに。ノックは容易くできるのに。開いてるようで開いてない。本当は窓なんか開かない。しっかりと閉まってるのだ。 


「あのさ、マク」

「なに?」

「性に合わないからさくっと言うよ」

「あ、うん」

「私ね、あの時にもっとああしていれば良かった。なんて考えたりするんだ。だいたいは切り替えられるんだけどね。マクもそういうことってある?」

「…………」


 翠の話を聞いて、僕はマグマみたいな感情であふれそうになった。熱い血潮。その勢いで言葉を焚きつけていく。


「翠、僕はそういうことばかりなんだよ。それも翠が思っている以上に。しかも、簡単に振り返られることではないんだ。もちろん、翠は気を使ってくれる。それもさりげなくね。でも、背中の荷物をあまり背負わせたくないんだ」

「……う、うん」


 苦々しい表情が出てたんだろう。翠の顔が申し訳なさそうにくしゃとなった。これは泣き虫の翠が見せるしぐさ。あまり見たくない表情。まるで翠を傷つけるかのようで。いや、実際は傷つけてる。間違いない。なのに、辛辣な言葉は続く。


「翠、僕はいつだって考えてるさ。起こった過去を脳内で修正したりとか。また、ありもしない未来の想像とかも。これは女々しくて情けないこと。分かってる。でも、やってしまうんだよ。前を向こうとする。でも、前の向き方を忘れてしまう」

「マク。私が無神経だったよね。ごめん」


 翠に同情されたいわけではない。同情は違う。などと思った瞬間だ。少しだけ冷静になれた。


「いいや、僕がいけなかったよ。こんな憂さ晴らしみたいなことをして」

「ううん。私で憂さを晴らしてくれるならそれでいい」

「翠? なにを言ってるんだよ。そのセリフは翠らしくないって」

「あ、うん。あー。そうだよね。あはは。私、少し寝たいかな。ベッド貸してよ」


 翠は派手なスプリントを効かせて寝転がる。まるで澱んだ空気を払拭するように。


「眠いの?」

「うーん。なんとなく眠いかな。だから、気の利いたこと言えないのかも。目尻にも涙が溜まってるし。ほら、春眠暁を覚えずってやつ。五月だけに」

「そういう時はあれだよ。幼馴染のベッドに寝るんじゃないと思う。寝心地の悪い机でシエスタをするべき」

「私、授業中も寝てるから。それはもうぐっすりと」

「知らなかったよ」


 知ってたけど。寝すぎだと思う。


「うそつき」


 案の定ばれていた。


「あー。僕は下にいるから。長く寝てたら適当に起こす。それでいい?」

「うん、分かった。でも、寝顔のかわいさには自信があるんだけど」

「なら、素顔のかわいさにも自信を持ってほしいんだけど」

「え?」

「いや、なんでもない。それじゃあ」


 僕は部屋のドアノブに手をかける。


「あ、マク」

「何?」

「おやすみっ!」

「……」


 翠は照れくさそうに敬礼。その姿はかわいかった。


「後、起きる時はおはヨーグルトって言ってあげるから」

「今言ったら台無しじゃないか」

「だったらそうだ。それ以外で考えとく。期待してて」

「自ら高々とハードルを上げたよ」


 ベタなダジャレを考えながら眠りにつく。そこから上質な睡眠は取れるのか。などと強く思ってしまった。











 翠が睡眠に入ったので自室を後へ。リビングでお茶でも飲もう。そんなことを考えながら階段を降りていく。と、その拍子に階段の埃が目についた。昨日掃除をしたはずなのに。拭き残しだろうか。とりあえず新しい雑巾を持って引き返す。上の段から丹念に拭いていく。興が乗ったのでワックスがけも追加。

 

 こうして仕事を終えて一息。ソファーに深く腰掛ける。その間、IHのポットでお湯を沸かす。急須には茶葉を用意。しばらくしてお湯が沸く。湯を注いで急須を湯呑へ。その後でリモコンのボタンを押す。チャンネルはニュース。すると、暗い世相を反映した事件が浮き彫りに。曰く、虐待。曰く、ストーカー。曰く、悪徳宗教。曰く、殺人喚起。どこか知らないところで起こる事件。でも、誰かがどこかで知っている事件。


 いつのまにかテレビからは目を離してる。意識は窓の外。依然変わらずに降り続く雨。一定のリズムは変わらない。やはりあれだ。落ち着きと安らぎをもたらしてくれる。そういえばと思い返す。あのポストイットのメッセージ。ごめんなさい。好きですよね。雨。そして、残したメッセージは伝わったのか。


「まだ一日すら経ってないじゃないか」


 なぜだろう。なぜこんなに焦ってるのか。楽観。それがとても大切な気がするのに。少なくとも、発見した時はその心境だった。ならば、じっくりと結論が出るまで待つべきだ。そもそも、僕は筆跡者と同じスタンスを取った。見つかってもいい。見つからなくてもいい。あいまいな不確定要素に頼ってた。


「よし、翠の様子でも見に行くか」


 睡眠のリズム的に今起こすのがちょうどいい。一時間半。ノンレム睡眠とやらはそういうものらしい。


 階段を上って自室へ向かう。ドアを開けても反応はなし。一応、部屋の電気はつけないでおく。明かりで目を覚めないように。ベッドを覗けば眠ってる。気持ちよさそうにすやすやと。ただ、かけていた布団は剥いである。器用に上半身だけ。体躯を縮めてるのはそのせいか。少し寒いかもしれない。後、枕は胸元へ。使い方の用途が違う。などと憤慨したかった。


「さて、寝顔のかわいさを自負してたが」


 翠の寝顔なんて見なくてもいいけど。でも、本人のフリもあった。なので、見ておくことにする。なんとなく。そんな気持ちだった。なのに、そのわくわくした気分は一気に霧消していく。理由は頬に涙の跡があったから。間違いなくついていた。それも単に一滴流れたとかでなく。しっかり泣いたと分かる。きっと、あの会話が原因だ。翠を悲しませる要素が含んでた。


「泣かないでくれ、翠」


 僕は反省と共に自室を出た。しばらく呆然としてたが気を取り直す。夕飯の支度だ。朝炊いたご飯を茶碗へ。インスタントの味噌汁も忘れない。ちなみに、おかずを作る必要がなくなった。これは鮫島家の肉じゃがをおすそ分けしてくれたおかげ。おばさん特製の一品である。味付けは砂糖が多めでやや甘い。


 密閉性の高いタッパーを開けていく。肉じゃがのいい香り。深めの皿に盛りつける。レンジで温め直す。全ての行程を終えて、自分の席に座った。


「いただきます」


 ゆっくりと咀嚼。おいしい夕飯だ。深く噛みしめる。相変わらずの出来栄え。家庭の味が素晴らしかった。きっと、涙が出るくらいおいしいのだろう。でも、僕は二年半前を境に泣いてない。翠が泣き虫なのと正反対に。もしかしたら僕のせいかもしれない。おかげで翠の泣き虫に拍車がかかってる。なんて。


 などと感傷的な気分に浸っていたら、二階から大きな物音がした。具体的には落ちていく音。落下だ。


「翠!」 


 箸を置いて階段を駆け上がる。そして、急いで自室のドアを開け放つ。すると、翠がベッドの横で女の子座り。呆然といった感じだ。起こったことが信じられない。そんな表情だった。


「や、やあ、マク」


 翠が申し訳程度に手を挙げた。


「もしかして寝ぼけただけ?」

「いや、寝ぼけたというか。し、証拠はあるのかな」

「ない。でも、それ以外には考えられないし」

「あ、あう」


 翠はぼさぼさの髪を手櫛で整える。手元のテンピュール枕もかき抱く。それがやけに魅力的。庇護欲をそそられる格好だ。しかも、着衣は完全に乱れてる。とくにあの部分を覆ってない。致命的な失態すぎた。


「えっと。言い訳タイムね。スタートしていい?」

「どうぞ」


 嘆願されるとこれしか言えない。言わなければならないことを差し置いても。


「あのね、マク。これは夢を見たせいなの。今だって鮮明に覚えてる。それくらいびっくりする夢。とにかく、私は夢の中で落下していくの。たぶんものすごい高いところから。しかも、落ちていく先は茫洋な砂漠。関係ないけど、私は砂という鉱物が好きじゃない。なのに、全然嫌な感じがしなかったから不思議。でも、今度はその砂が底なし沼のように沈んでいったのね。まるで飲み込まれていくように。だから、私は虚空に向かって手を伸ばしたの。ただ、届かない。そして、いつのまにか飲み込まれてしまって。ここで画面がぷつりと切れたの。気がつけば、ベッドからまろび落ちていた。どう? これならしょうがないよね」

「うーん」


 判断のしようがない。


「でも、それってさ。結局はどういうことだったの? 落下するから落下したわけ?」


 これはトートロジーでもなんでもなく。


「違うよ。そこまで単純な夢ではないかな。もっと根源的な感情。そこに訴えかけてくるような夢。意識的ではなくて無意識的なところだよ。メッセージ性のこもった忠告みたいな感じ。つまり、落下するくらいに不安だったのかな。今でもぐったりした酩酊感が残ってるし」

「そっか。うん。分かった」


 何が分かったのか分からない。でも、その前に指摘するべきことが。


「分かったけどさ、翠。まずは服の乱れを直すべきだ」


 教訓はたくさんある。ゆったりとした服で寝ない。むやみにスカートを脱がない。後、何よりも大事なことが一つ。寝ぼけてベッドから落ちない。


 翠はようやく自分の現状を認識。顔が青ざめていく。指摘されるまで気がつかなかったらしい。


「あ、あのさ、マク」

「大丈夫。言いたいことは分かってる」

「なら、いいんだけどね。とにかく、このレベルの格好の乱れは悲鳴をあげたいかも」

「見られたのは幼馴染なんだから我慢してくれ」

「善処したいけどできないってー」


 今度は違った意味で涙目だ。涙目かわいい。


「じゃあ、僕がせーのって言うから」


 とりわけ建設的な提案でもなかった。


「そんなんじゃだめか?」

「ううん、そんなことない。大和撫子だし」


 大和撫子は全く関係ない。


「だったらいくよ」

「うん」


 僕は息を吸い込んで言う。


「せーのっ」


 それが合図だった。騒音レベルのデシベルが響き渡っていく。南無三。隣近所三軒までに菓子折りが必要かもしれない。

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