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基本的に雨が降ってほしい。いつもはこう考えてる。春も夏も秋も冬も。平日も休日も。機嫌がいい日でも、つむじが曲がってる日でも。このスタンスは変わらない。そして、その中で五月の雨が好きなだけ。小雨とか大雨の問題ではない。一定のリズムを刻んでいればいい。それこそが雨の真骨頂。ただ、ゲリラ豪雨は情緒がないと思う。なので、それだけはあまり好きではない。
今週は天気予報に傾注してる。もちろん、目的は明日の天気などでなく。土曜の天気だ。だから、週末予報はできる限り見ておく。土曜日のみ。三波と山へ行く日。少しでも、天気が崩れてほしくない。仮に崩れても、対処の仕方を考える。そのためには情報は把握するべきだ。そもそも、夏の天気は変わりやすい。さらに山であれば、地上と比べて全然違う。とはいえ、僕と三波が登る山はそうでもないだろう。わりと、初心者向けのハイキングコース。標高だって抑えられてる。
山登りが決定しても、やり取りは続く。変わらずに貼られるポストイット。誰も知らない場所へ。でも、僕と三波だけは知ってるポストイット。人二人分スペースの少し横。給水タンクの目立たない部分に特徴的なメモ。何も違和感を抱くことがない。すでにずいぶんと慣れてしまった。
ポストイットでのやり取りが再開してから、またお互いに色々なことを伝え合った。思考とか感情。そんな話。向かい合ってる時とは違う感覚。即興の会話ではない。じっくりと考えた言葉。もちろん、それぞれに利点がある。
『マク。聞いたよ。今週、デート行くんだって? 勝負所じゃない』
一体、どこで情報を手に入れたんだろう。幼馴染にはすべて筒抜けかもしれない。
『なんで知ってるんだよ。さてはこれを聞くために電話してきたんだな』
『違うよ。マクのばか。かまかけただけなのに。引っかかったし。あーあ。これで弟との賭けに負けちゃった。高級アイスおごらないと』
なんだそりゃ、と言いたい。電話越しでは弟の歓喜も聞こえる。
『しかし、人を賭けの対象にして遊ぶとは。今週末にデートするかどうかで』
『だって、怪しかったんだもん。ただ、私は今週じゃないと踏んだのに。さすがの勘も外れるか。残念』
翠は来週と予想したらしい。ここから考えれば、今の心構えや用意は準備不足か。いや、さすがに深読みしすぎだ。
『まあ、そういうこともあるんじゃない? 当たりすぎると恐ろしいから。それよりもつけられてる感覚の方は? そっちに勘を発揮してほしいんだが』
『あ、うん。マクや佐々くんと一緒に帰ってからは大丈夫。ただ、自分の気のせいかもしれない。何もないのにみたいな。幽霊の正体見たりなんとかだよ。でも、そういう感じってあるよね。なんとなく薄気味悪いやつ』
『うん。一応ね。しかし、翠の勘だからな。それもストーカー系の。外れてる可能性は低そうだ』
『ということは、向こうが止めたのかな。なら、このままないといいんだけど。むしろ、自意識過剰だったってのが一番の理想。ほら、うちのキキだって吠えてないし』
『ああ、あの犬は他人に吠えるもんなあ』
翠はストーカーの被害を受けてる。さらに犬が吠えない。ここから導き出されるのは親しい人なのか。はてさて。
『まあそれはいいとして、マクはデートか。じゃあ、私は畠山ちゃんと買い物に行こうかな。畠山ちゃんは暇人だし。放っておくと、人間観察してるからね』
『うわー、マジで人間観察しそうだ。てか、絶対に好きだよ』
寝食を忘れるくらいしてそうで怖い。僕だって、観察されていると思う。
『そういえば、文化祭実行委員の集まりでもしてるって』
『やっぱり』
畠山さんの指名で、急遽決まった文化祭実行委員。まさしく青天の霹靂。寝耳に水である。その時、ぼんやりしてたのもあって、大いに驚かされた。さらに、誰かが否定するかと思えば、そんなことは全くなし。いつのまにか、畠山さんの弁に丸め込まれていく。本当にびっくりした。
『それでマク。集まりは楽しいの?』
『うん。楽しいかもしれない』
楽しいに決まってる。なんて考えるのが不思議だ。でも、佐々木くんと親しくなれた。畠山さんとも気軽に話せる。もちろん、文化祭への熱意だって実感。外側で斜に構えてるのと同じくらい心地良い。ただ、全くベクトルの違う感じ方。
『僕、そんなタイプじゃないんだけどさ』
『ううん。そんなことないよ。小さい頃はマクの後をついて歩いたし。お祭り好きのマクが連れまわすから。ちーくん待ってしか言った記憶がない』
『へえ。昔のことは覚えてないな。都合の悪い話は全部忘れるんだ』
『うそつきだなあ。電話でも分かるなんて。重症だよね。今すぐ予防注射でもしたほうがいい』
『んなバカな』
翠は夜が嫌いで、昼が好きだった。つまり、暗いのは苦手で明るくないとだめ。いつも夜歩くのを拒否してた。夕方でさえも、その傾向があった。だから、花火大会なんかはすごいジレンマ。花火は好きなのに出歩けない。もはや、むりやり連れて行く以外に手段がなかった。
さらに、僕も問題が抱えていた。翠を嫌がらせてから喜ばすのがいい。落差に魅力を感じてしまった。そういう意味で花火大会はうってつけ。地元の小さな祭り。申し訳程度の花火。それでも最高のセッティングだ。あの頃は、祭りの公園へ行くにも冒険だった。後ろに互いの親もいたのに。そんなのは目にもくれてない。ただ、前へ。前へ前へ。とにかく前進していた。
『少しだけ、思い出したよ。私、あんなきれいな花火になりたい。とか言ってたな。さすがは翠だ。恐れ入る』
『うわっ。また、そうやって煙に巻く。形勢が悪くなれば、すぐに昔の話を持ち出す』
『そのセリフ、そのままそっくり返すで賞をあげたいし』
結局、お互いにそこが弱点なのだ。
『いらないもん。まだ、イグノーベル賞の方がいい』
『それはだめ。そもそも、翠は無理だって。あの賞はノーベル幼馴染関係平和賞と同時受賞らしいから。まず、幼馴染持ちの僕と翠は選考外。ここで弾かれる。で、ノーベル幼馴染関係平和賞は、第三者における幼馴染同士の関係発展に寄与したかどうか。基準がものすごく厳格らしい。佐々くんのひどいギャグだ』
『あはは。ふーん。佐々くん、そんなこと言ってたか、てか、幼馴染だけがもらえそうな賞に感じるなあ。名前だけ聞くと』
『まあね、ほんとどうでもいい話なんだけど』
『うん。あはは』
翠の静かな笑い声が聞こえる。なんだか昔の雰囲気が戻ってきた感覚。あの絶対で最強の空気感。それを醸し出せてる。
『あのさ、翠』
本当にどうしてなんだろう。心の持ちようなのか。でも、なんとなくそうではない気がする。これは僕が三波と親しくしてから。僕の心の刃を三波が和らげてくれた。その副次的効果が翠との関係性にも現れてる。
『近いうちに、一つ言いたいことがあるんだけどいい?』
話は四月一日のこと。ここの疑問はまだ氷解してない。翠が年上と言い張る理由。そうなった流れ。とはいえ、偶発的になったような気もするが。一応、山内先輩の立てた仮説はしっくりきてる。
『うん。分かった。でも、すごい奇遇。私も一つ言いたいことがあったの』
『それはまた。そんなことがあるもんだ』
『すごいね。ちなみに、結婚を前提にしたお付き合いをしてくださいではないよ。今のうちに断っておくけど。だから、好きなだけ勝負を賭けてくればいいさ。でも、マクは意外と慎重だからなあ。好機を逃さすにいけるか。そこが鍵だ』
『…………』
翠のおばさんと言ってることが同じだった。不覚にも、親子は似ていると思ってしまう。性質は全く似てないのに不思議な現象だ。
『まあ、余計なお世話だよ』
『だよね。じゃあ、いつだかの熱烈応援で妥協してあげるか』
『熱烈応援か。一年前に流行って、すぐに廃れたな』
すぐに断れず、少し迷ってしまった。実際、あの熱烈応援は気持ちいい。異常なくらいに自分が肯定される気分になっていく。
『で、どうするの? マク』
『じゃあ、してほしいかな。チアガールパジャマ姿で』
『えっ? なにそれ?』
心の底から、不可解さをにじみ出たような返事。たしか、自分の記憶では翠の方から言い出したと思う。でも、翠は覚えてない。すっかり忘れてる。本当に人の記憶はあいまいだ。個々の印象によって隔たりがある。同じ経験を共有しても、違いが生じてしまう。
『なんでもないよ。ごめん。なんとなく、この単語が印象に残ってただけ』
『そうなの? もう、びっくりするじゃない。へんなこと言わないでよね。どんなフェチかと思ったよ。じゃあ、やるからね』
結局、チアガールパジャマ姿の件は不問にして、熱烈応援が始まった。翠の声が耳朶に響く。普通よりほんの少しだけソプラノ。リズムよく続く。がんばれマク。がんばれマク。フレフレー。フレフレー。負けるなマク。負けるなマク。ファイト。ファイト。今回はゲームが絡んでいるわけでない。正真正銘、ゲーム以外で応援されてる。このもらった応援を、三波との山登りで役立てればいい。
『マク。ウィスパーボイスモードもあるけど?』
『いいね。正直、それは期待せざるをえない』
『ホント? じゃあやってみよっか。うん』
興が乗ったらしい。翠はノリノリになってた。僕だけでなく自分も応援。家族も友達も赤の他人も応援。しまいには、この世界まで応援。それはまるで祝福のようだった。などと考えるのは少しおおげさか。でも、純粋に応援を聞いてて感じた。どこまでもフラットに応援する翠は、生き生きしていたと思う。
『やばい。はしゃぎすぎちゃったかも。年甲斐もなく』
『いいんじゃないの。ただ、録音はしておきたかったな』
『やめてよ。それはルール違反だから』
『だよね。分かってる』
『そうそ。ふう』
翠が息を整える。どうやら、かなりの有酸素運動になったらしい。そもそも、熱烈応援はダイエットプログラムだった。やはり、流行りには人の欲求が備わってる。
『あのさ、翠。僕が三波とさ、うん』
『ちょっとマク。なんで、そんなに煮え切らないんだか。もう、仕上げみたいな感じなんでしょ。後は押せばいいだけな雰囲気じゃないの? マクの様子を見てると』
『違うんだ。三波の話じゃない。翠の話だよ』
『え? 私のこと?』
電話の向こうで、息を呑む気配を感じた。せっかく、息を整えたのに。なんてどうでもいいことを思う。
『そう。翠の話。さっき言ったやつ。一つ話したいことがあるって言ったよね』
『うん』
『それさ、もし日曜日のことが上手く行ったら言うよ。すぐに電話する』
『あ、うん。でも、上手くいかなかったら?』
『その時は保留。タイミングが違うから』
『そっか。分かった。なんだろう。なんか緊張してきたな』
翠が明るい声を出す。
『でも、翠は意外と分かってたりして。勘が鋭いし』
『さあ、どうだか。ちなみに、さっきは外したからね。最近は鈍ってるし』
かまかけたつもりが上手くはぐらかせた。先程の仕返しとはいかない。
『じゃあ、そろそろ切るね。マク』
『うん。おやすみ。そしてまた明日』
『明日は休日だよ。しっかりしてお兄ちゃん』
『えっ?』
明日は平日。休日ではない。つまり、翠が放った渾身のボケ。なんて普通は解釈ができる。でも、話の兼ね合いで考えるとそうは思えない。やはり、翠にはすべて筒抜けのような気がした。
『もー。反応悪いな。私の熱烈応援が利きすぎちゃったか』
『それは本当にありえそうで怖いよ』
『だよね。バイバイ。私が学校で抱きついても無視しないでね。んじゃ』
ツーツー。電話から流れる機械的な音。最後までボケをかまして切れた。なので、僕はゆっくりと携帯を耳から離す。そして、翠の言葉を反芻。明日は休日と間違った指摘をする妹の役。そこから、何が分かるだろうか。
「分かるわけがない」
おもわずつぶやく。なぜなら、実際に分かるはずがない。こういうのが分かれば大変だ。それは僕自身ではない。僕以外の偽物。あるいは、翠の分身が乗り移ったか。
思考が現実離れしてたので投げ出す。もう、これ以上考える必要はない。翠もボケのつもりで言ってた。だから、どういう意図にしても冗談には変わりない。今の時点で考える全く必要はないのだ。




