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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
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 七月中旬。夏真っ盛り。なのに、全然暑くない夏。これがだらだらと続く。七月初旬に三日くらい気温が上がっただけ。それ以外は軒並み平年以下。夏商売の売れ行きも不調らしい。でも、これで去年とつり合いが取れるからいいと思う。ちなみに、雨の方は全然降る気配がない。ゲリラ豪雨さえもなく。基本的に安定した天気。夏のお出かけにはちょうどいい。暑さに億劫なんてことはないだろう。

 

 翠がストーカーの存在を察知して三週間。翠の護衛を続けて二週間。取り立てて変わったことはない。勘と嗅覚の鋭い二人を持ってしても音沙汰なし。完全に平和で暫定的に解決したといってもいい。とはいえ、一学期の終わりまでは護衛を継続していく。何が起こるとも限らないから。


 文化祭実行委員の件も話し合いが進んでる。どうも、夏休み前に大方の枠組みを定めたいらしい。具体的な提案が増えていく。部活動からの申請も多くなってきた。また、生徒会長が慌ただしくなりそうだ。生徒会の任期は十月一日から九月三十日。文化祭は間違いなく集大成だった。


 三波とのやり取りも途切れなく続いてる。ポストイットは順調に消化。そろそろ、新しいのを買い足しに行かなくてはいけない。購入するのは同じ代物でいいだろう。やっぱり、あの場所で買おう。たぶん、あそこにしか置いてない。


 そういえば、前の返答はずっと保留だった。あの山へ行こうという話。屋上から見える山の稜線を嘆く三波。あそこの山が壁だという。突き抜けた景観を損なわせてる。そんなことをよく言っていた。だから、三波はあの山を踏破するべきだろう。あそこの山の奥にある景色を見ておけばいい。それと上へ上へ。堕落から引き上げなくてはいけない。三波一人では登れなかった山へ、一緒に向かいたかった。


 ところが、僕の想いは上手く伝わらない。少し先走りすぎたか。なんて心配もしてしまう。どうやら三波は悩んでるらしい。その旨もポストイットで逐一報告してくれた。たしかに気持ちは分かる。そもそも、僕たちはゆっくりと歩み寄ってきた。その歩幅もかなり小さい。お互いに、否定的な幸せから魅せられた始まり。ネガティブハッピー。なんとも、ナルチシズムな感覚。僕は雨、三波は月。あるいは、不思議な感覚を享受させてもらったりもした。日々の感じ方もぶつけあった。ある日は、三波がへんな踊りをして笑わせてきた。またある日は、僕が菫の造花をプレゼントして笑わせた。本当に濃密な期間だったと思う。最近は休息を取ってるみたいだ。ポストイットでのやり取りだけに終始してる。もっとも、他の兼ね合いが要因だが。ただ、今回の提案は一線を越えるのと同義。屋上で会う。そんな暗黙の了解。僕も三波も理解してる。でも、放課後は会うタイミングがなくて。そして、二学期が終わってしまう。さらに夏休みが来ればあれだ。屋上へ行く機会はほとんどない。




『お返事、ありがとうございます。千之先輩。


 とりあえず、残暑お見舞い申し上げますね。と、この使い方で正しいでしょうか。今年の夏は、一向に暑くなりませんでしたし。ただ、過ごしやすくて助かりました。来年もこんな感じだと嬉しいです。


 さて、私の逡巡を長らく待ってくださってありがとうございます。そして、ごめんなさい。私自身、こんなに時間がかかるとは夢にも思いませんでした。だって、千之先輩とはいつも会ってます。あの山にも前に行きました。だから、何も不安なことはありません。でも、なぜか怖いのです。得体の知れない恐怖。などと言えばいいのでしょうか。千之先輩に堕落から上へ引き上げてもらう。こんなに幸せなことはありません。なのに、これが本当の幸いか疑ってしまうのです。無論、否定的な幸福でなく。幸福的な否定。自分でもよく分かりません。こういうのも感覚的な問題です。きっと、千之先輩はこう言うんでしょうね。三波後輩の不思議が始まったって。おっしゃる通りです。返す言葉もありません。


 ともあれ、私は決心しました。間違いなく決めたんです。あっと、一応そこまで大層なことでないのを述べなくては。これは私の心構えだけなので。


 ですが、私は丑三つ時の月明かりを見て思いました。菫の造花を見て考えました。否定的な幸福を堪能して覚悟を促す。本来、否定的な幸福とはこんな使い方じゃないかもしれません。たぶん、感情が高ぶってるだけでしょう。とてつもなくハイな気分です。つまり、こういう時に前へ進めばいいんですよね。


 千之先輩、今週の土曜日は空きがありますか? 私を山へ連れてって欲しいです。そして、上へ引き上げてください。堕落から救ってください。明確に自分の意志でお願いをしてます。ただ、地上は重力が強すぎるから大変ですよ。エネルギーをたくさん使わないといけません。何かを踏み台にして、勢いをつけなくては。


 時間は朝を希望します。澄んだ空気を感じる朝。色だと白のイメージですね。私はそういう白い朝が大好きなんです。貴重な朝の時間に致しましょう。後、待ち合わせ場所は千之先輩にお願いしてもいいですか? 他に注意することがあれば教えてください。ラジオは持っていくな。なんて言わないでくださいね。全く使わなくても必要なんです。ライナスの毛布と思っていただければ。


 にしても、会うのは久しぶりなので緊張しますね。しかも、屋上以外ですし。なので、何かプレゼントを作って、和ませてみてはどうでしょうか。私のリクエストは甲殻類です。つまり、蝸牛。難しいでしょうか? でも、楽しみに待ってます。無謀なおねだりしてごめんなさい。だめなら、折り紙一枚ください。


 それではまた。千之先輩にご加護がありますように』











 土曜日。そこまで日にちがある。なので、三波に綿密な計画を伝えておく。ポストイットは山登りのしおり扱いへ。こんな用途もありか。ちなみに時間、集合場所、服装、登山計画、その他諸々。伝えられることはすべて伝えた。手抜かりはないはず。ただ、プレゼントの方がなかなか上手くいかない。構想通りに作れない。蝸牛。本当に蝸牛って。あれは甲殻類だったか? そもそも、無理難題のような気がする。でも、諦めたら試合終了だ。


「マク。少しは私に構ってくれー」


 翠が不満げにつぶやく。枕をパフパフと叩くのは止めてほしい。比較的新しめのテンピュール枕がだめになる。


「私に構わないとこの子が人質だー。彼女の命がどうなっても知らないのかー」


 だから、僕の装飾品に手を出すのは禁止。ただ、投擲されるよりはましか。後、なぜ女の子扱いなのか。これが分からない。外国語には女性名詞があるらしいけど。


「翠ちゃん。ありゃだめだぜ。今のしのぴーは女の子に夢中なんだ。いや、女の子にあげるプレゼント作りか」

「どっちにも当てはまるよ。まったく」


 たしかに、否定はできない。一生懸命プレゼントを作ってる。それは頭の中に構想ができつつあったせいだ。だから、忘れないように形を馴染ませておく。今は作っておかなければならないタイミング。本来ならルール違反だろう。幼馴染と友達が家に来てるのに。ただ、この二人も好き勝手やっているが。


「しかし、あれだな。折り紙のアレンジメントっていうの? オマエはこんな芸当ができるのかよ。さすが、モテ職人。細やかなところのアピールになるな」

「そうそ。これぞマクのフィンガーテクニック」

「その発言は勘弁してくれ」

「なになに。興味津々の俺が真意を問いただそうじゃないか。フィンガーテクニックとはこれいかに?」

「あーあ。言わんこっちゃない」

「それは構ってくれないマクが悪いんだから。こっちも開き直れの精神だよ。まあ、大勢の前では言わないから大丈夫」

「あ、うん。そっか」


 いつかの出来事を思い出す。あの時は、過敏な反応しすぎたと思う。なのに、今はへんなゆとりを持っている。佐々木くんの存在か。三波との交流が影響してるか。あるいは、僕と翠の関係性が変化したせいか。深くは分からない。


「おいおい。なんか、暗黙の了解みたいなやり取りしないでくれよ。せっかく、話を怪しい方向に持っていこうとしたのに」

「そういうのは間に合ってます」

「うん。私も。実際、普通の意味でマクの技を賞賛したわけだし」

「なんだよー。二人とも妙に達観してんの。俺としては面白くないぜ」

「うん。佐々くんは分かってる。私も面白くない」


 翠がいきなり立ち上がる。おかげでベットのスプリングが響く。


「えっと、面白くないとはこれいかに?」

「だから、マクが私を構ってくれないこと。うん。非常に腹正しい」

「また、話が元に戻ったよ。最近は、同じところを行ったり来たりが流行ってるね」


 行ったり来たり。それで思い出す。結局、あそこのお釣りは残ってた。千引く百二十。八百八十円。結構大きい。ただ、不注意にも程がある。もう、半分以上は諦めてた。なにせ、空白の時間が長い。誰かが自販機の使用を試みたとしてもおかしくない。それで使えば、お金が残っていることにも気がつく。でも、そうでないとすれば理由は――。


 つまりあの間に、誰も自販機を訪れてないんだろう。やはり、あそこの場所はベンチと同じく死角なのか。僕と翠がたまたま知っていただけ。その可能性は高い。現に佐々木くんはあの自販機を知らなかった。


「流行ってるってなにさ、マク」

「ああ、べつにたいした理由はないから。なんとなくだし」

「ふーん」

「まあ、しのぴーは適当にしゃべりすぎだよな」

「その言葉をそっくりそのまま返したいんだけど」

「うん。この件については私も応援に入る」

「わーお」


 僕と翠の発言に、佐々木くんは降参のポーズ。


「いつのまにか、幼馴染同士で結束ができてるぜ。俺、ものすごい貢献だな。ノーベル幼馴染関係平和賞を受賞してもいいくらいだ」

「イグノーベルなら貰えるかもね」

「イグノーベル? 翠ちゃん、それおいしいのか?」

「おいしいと思うよ。ストレスフルな授業を受けた後に食べる早弁くらい」


 翠の返答が適当になっていく。適当ついでに適当トーク。そんな感じだ。


「てか、佐々くん。聞いてよ。今日の授業、ひどかったんだって。あ、違う。最近、特にひどいんだ。とにかく、現代文の先生がすごいの。さっきの話じゃないけど、同じところを行ったり来たり。内容が重複するんだって。ね、マク」

「うん。たしかに。最初は、先生のスタイルだと思ったんだけどなあ。さすがに、程度が過ぎるかもしれない。しかも、毎回起こってる出来事だし。あ、また失敗した」

「これで失敗なの?」

「マジで? 完璧なかたつむりじゃん」

「ううん。なんかおかしいんだ」


 頭の中に練った構想を出力しながら、折り紙を折っていく。とはいえ、蝸牛という形状が難しいから上手くいかない。繰り返し作っても少し違う。ずれている。それを直す突破点を見つけられない。


「なあ。でもさ、二人が受けてる現代文は松本だよな。京都の貴族みたいな顔の」

「うん。そうだよ。うちのクラスでは公家先生と呼ばれてる」

「ああ、分かる。が、しかしだ。アイツの授業は普通だったぞ。少なくとも去年までは。俺は去年、アイツの授業を受けたから知ってる」

「ええ? ほんとに?」


 翠はおおいに驚く。こっちの作る手も止まった。


「それは想像がつかないよね。マク」

「うん。全然想像がつかない。授業は過剰な繰り返しが定番になってたから」

「それこそ、想像がつかねえな。だいたいイメージが違うんだよ。あの先生は話題が飛ぶタイプだった。しかも、縦横無尽で好き勝手に話す授業。でも、戻すのが上手かった。そして、話も面白い。だから、繰り返しなんてありえない」

「「…………」」


 不思議な話。先生のイメージが全然違う。それも大幅に異なってる。そういえば最近、こんなことばかりのような気が。自販機の件。あのおじさんの追跡。極めつけは翠へのストーカー。真相は全て闇の中だ。


「分からん。この一言に尽きる。以上」

「たしかにね。他に言いようがないもん。ね、マク」

「うん。本当に同じ先生なのか疑わしいくらいだ」


 僕たちはうんうんと頭を悩ます。三人寄れば文殊の知恵。こんなことわざもあるのに。でも、建設的で納得のいく解答は見つからなかった。それっぽい推論ですら出てこない。両極端の振れ幅で授業をするその理由が。

「あっ」

「どうしたしのぴー! いきなり大声を出して。ここにいる三人が頷くような考えが浮かんだのか?」

「いや、そうじゃなくて。知らず知らずのうちに蝸牛がいい感じなんだ」

 

 考え込んだせいで手元が留守だった。なのに、適当な按配で折り紙をいじってたらしい。それが思い描く理想となってる。つまり、構想通りに作れた。奇跡だ。偶然の産物にしても恐ろしい。


「俺からしたら、全然変わってないように見えるけど」

「私だってそっち派。ただ、佐々くん。今のは禁句じゃないかな」

「いや、気にしないし。こんなのは感覚の問題だからね。佐々くんや翠がそう思うならオッケー。僕が上手くいったと感じるならオッケー。こういうことさ」

「ふーん。なんか余裕。それに今の浮かれ具合だとあれだなあ。そろそろ、女の子の私が遊びに来てはいけなくなるか。そこは少しだけ残念」


 翠が残念ではなさそうにつぶやく。


「まあ、仕方ないな。年下の恋人が誕生間近だし」

「そう。年下の屋上娘。年上の私にはない属性かあ」

「年下ね」


 年下。年上。山内先輩の話を思いだす。僕と翠では僕の方が年上。四月一日は三月三十一日生まれ扱い。この話はすべきか。とりあえず、今が適宜のタイミングではない。機会が巡ってきたら伝えればいい。折を見て。ただ、間違ってもピロトークはあり得ない。


「そうそ。それとかなり謎に包まれてる。かわいくて美しいのはたしかなんだけどな。ただ、俺でさえその女の子を目撃した回数はほとんどない。鋭くアンテナ貼ってるのにな。ここがマンモス校だろうと、ダイヤモンドは目立つぜ。放課後前は変装でもしてんのか?」

「まさか。ああ、でも、そういうのは好きそうだなあ」 

「好きそうって。面白そうな女の子」

「うん。面白い。本当に愉快な女の子なんだ。それでね――」


 この後、僕はだいぶ語ってしまった。おかげで二人に呆れられる。二人は僕を無視してゲームを開始。翠の弟が推薦した微妙なゲームだ。案の定、すぐに投げ出して終わった。ワンコインで買えるアプリゲームの方が百倍上。こんな名言まで飛び出す。


「おい、佐々くん。うちの弟は何千円も出して、一円程度のゲームを買う。こんなにバカでアホな人間だと言いたいわけか。弟は見る目なし。女の子の選び方までひどすぎる。そういうことを暗に含んでるのね」


 翠は家族の名誉を守るために憤ってた。というのは、嘘で一緒に貶す。ここにいない弟が不憫で仕方ない。今度、つまらないゲームをプレゼントしようか。


「そこは俺に任せとけ。もっと、才能を開花させるために刺激を与えなくては。プレゼント選びも一苦労だ」

「ちょっと、なんで弟がプレゼントもらえるの? 私も欲しい」

「翠ちゃんはしのぴーからもらえばいいじゃん」

「えー。マク。なんかくれるの?」

「いやいや」


 本当にやれやれだ。どうしてこうなった。


「私、プレゼントもらえなくて涙目かも」

「泣くな、翠。泣かないでくれ」


 こうして、翠にも作ることとなった。なので、二人が帰った後に考える。翠に似合うプレゼント。あまり、深く考えたことがない。とりあえず、手始めであれだ。折り紙の鮫でも作ってみようかと思った。 

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