表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
3/77

2

 神様は太陽でなく月にいる。それはもちろん、神話における重大なメッセージが込められた意味ではない。そんなのはどの世界でも適当に存在してる。人が対象に何かを見出せば、簡単に神話は創作。だから、そのことはあまり重要でなく。枝葉末節といってもいい。大事なのはただ一つ。彼女の思考。彼女が抱く神様の観念的な意味合いだ。


 彼女が月に神様を見出した理由。それは幼い時に浮かべた神様のイメージに影響してる。一般的に人は未知の現象に神様を見出す。でも、彼女は幸福という概念に神様を見出した。闇と夜が苦手だった彼女は、太陽を幸福の象徴として定めた。太陽は世界を遍く照らす。闇と夜を明るくしてくれる。素晴らしい。奇跡だ。ブラボー。そしてワンダフル。そんな思考回路で神様の定住地を太陽に決めた。あまりにもあっさりと。ただ、残念ながらその計画は頓挫。そう。あっけなく懸念材料が発生したせいだ。それは太陽があまりにも暑すぎること。いくら神様でも焼け爛れてしまう。


 そういう理由で今度は月に焦点を定めた。月は神様が定住するのにちょうどいい。間違いなく太陽よりはいい。暑くない。燃えてしまうこともない。


 こうして太陽から月へ。一番遠そうで近い場所。対等でなさそうで対等な存在。月の見え方が世界各地で違う。これは神様が見せる幻影だと。適当な理由までつけた。かくして決定したのである。神様の定住地は月。人知れずひっそりと太陽から月へ。いや、人知れずではない。ただ、彼女の中で神様の居場所は変わった。闇と夜の象徴的存在ともいえる月へ。本末転倒である。











「マク、はずかしいからやめてってば」


 翠は頬を膨らます。吹奏系の楽器を吹けば音が出そうだ。この表情に睨みが加わったら大変。本格的に怒るサイン。その判断はしっかりとしなくてはいけない。


「マクが私をやり込めたい時はいつもそうだよね。こうやって昔話を持ち出してくる」

「お互い様だと思うな」

「違うよ。私は違う。そんなことないから」


 翠が僕のベッドにあるテンピュール枕に顔をうずめながら言う。


 翠の定位置はなぜかここ。ベッドの上と決まってる。この部屋はイスが豊富なのに。いつもこの場所。あまつさえ、平然と横になったりも。そのまま寝てしまうことだって厭わない。


 昔からずっと。昔からの関係。幼馴染。こう言えばそれまでだ。何の反論もない。でも、そういう変わらないことと同時に変わってることも数多い。たとえば、僕を『マク』というオリジナルのあだ名で呼ぶとか。あるいは、僕が翠を呼び捨てにするとか。


 他にもある。毎日一緒に登下校をしなくなった。頻繁に互いの家を行き来しなくなった。レジャー施設へ遠出をすることもなくなった。それこそ具体例を挙げればキリがない。枚挙に暇がないほどだ。


 思えば、こんな感覚を抱いた時からか。僕と翠にあった絶対的で最強の空気感。言葉では表現しがたい稀有な雰囲気。それが喪失し始めたのは。いつまでも無縁でいられると。いつまでも変化しないと。ずっとそう思っていた。あの絶対的で最強の空気感は。取り替え不可能な不変的関係。何かが変わったわけではない。でも、なんとなく変わった。おそらく内的要因ではないと思う。外的要因だ。台風が来た二年半前のあの日からか。それとも、猛暑の夏だった九か月前からか。詳しくは分からない。


「絶対そうだよね、マク。私にはマクなんかお見通しだし」


 翠がサイドにハーフアップされた髪を解く。左右に軽く振って整える。そして、体勢を仰向けへ。まるで襲ってくださいというように。相変わらずの無防備さだ。苦笑を禁じ得ない。


 翠は牛乳が嫌いなくせにスタイルが良い。いや、良くなったが正しい。すくすくと成長した。さらに最近は、一段とかわいくなってる。クラスでも高嶺の花で垂涎の的。それくらいに魅力的な女の子。幼馴染の立場としては鼻高々である。ただ、いずれは彼氏が出来るに違いない。などという多少の嫉妬心も。まあ、これが過ぎた考えなのは間違いないが。


「お見通しか。まあ、そういうことだよ。つまり、僕は翠をやり込めたくてこんな話をしているわけではないんだ」

「ふーん。ならいいんだけどさ。後、私が空想しがちの女の子だったのは内緒にしてほしいよね」

「それは翠のイメージに合わないから? 太陽みたいな女の子というやつに」

「違うって。マクはまたそうやって私をからかうし。昔考えたお話しじゃない。太陽と月を絡めてくるのはもういいよ」

「そっか。べつにからかってなんかないんだけどさ」


 僕はイスの上で器用に体育座りをして言う。


 ややもすれば、意識は無防備に寝てる翠へ。確実に視線が吸いよせられてしまう。ゆったりとした格好も相まって目に毒。胸とかお尻、あるいは太ももとか。曲線美をさらけ出している。女の子としての魅力を存分に醸し出す。均整の取れたバランス。それは寝そべっていても変わらない。


 かわいさは正義。この言葉は分かる。でも、スタイルの良さは悪。断言していい。いや、実際には正義や悪は関係ないが。ただ、太陽みたいに明るい翠は、あけっぴろげであっけらかんとしすぎてる。そこが欠点にもなりえるくらいに。


「てかね、マク。私の質問をはぐらかさないでよ。最近なにかあったよね。私、自分の勘には自信があるんだからさ」

「それは知ってるよ。ついでに要領の良さも」

「まあ、そこが私のすごさかな?」

「たしかにね」


 僕はしみじみとつぶやく。











 翠の要領の良さ。その一端を示すエピソードがある。それは高校受験での苛烈な追い込み方。いや、効率のいい学習法というべきか。とにかく、あれはすごかった。そして素晴らしかった。天才肌にしかできないと思う。


 なぜなら、翠がここの進学もどき校(こんな身も蓋もない言い方はあれだが、これ以上的確に表す言葉はない)を第一希望に決めたのは、受験シーズンも差し迫った十一月の暮れ。紅葉もすでに終わりのシーズン。そんななんでもない夕暮れ時の日である。翠は世界の深淵を覗き見たような顔をして、こんな発言をした。


「私、出来るような気がするのよね。今まで真面目に勉強したことないけど。ほら、幼馴染パワーとかいうやつで」

「幼馴染パワー?」

「あ、いや、そこは気にしなくていいんだよ」


 その不可思議パワーについては答えてくれなかったが。ものの見事にはぐらかされたのを覚えてる。まこと鮮やかに。実に如才なく。ただ、あの時の翠は重大な言葉を言い放った気がする。あれは僕の勘違いだろうか。今でも思い返す。


 ともあれ、翠は人が変わったかのように勉強。まるで新しい脳に取り替えられたのではないかというくらい。気味が悪いほどの集中力。貪欲な知識の吸収力。それまでは翠の属性にバカなんて項目があった。でも、これを取り払わないといけない。いわゆる、翠は学校の勉強をしないだけ。人間力的なものは図抜けてた。今回のエピソードがその証左。昔から要領が良い気はしていた。そして、その考えが確信に変わる瞬間だった。


 翠が最初に着手したのは環境の確保。兄弟の多い鮫島家では、勉強する場所もままならない。弟や妹が騒ぐ。ついでに両親も驚く。このイレギュラーな事態に。でも、それは仕方ない。今まで自主的に勉強をしなかったから。幼馴染の僕でさえもおかしいと思う。もちろん、夏休みの宿題は八月三十一日に開始。泣きつくのが例年のパターンだった。つまり、こんな翠が勉強する。白い目で見られるのも当然だろう。おかげで集中できないと。自業自得だ。


 そういうわけで候補地は図書館、学校、僕の家、と選定して絞られた。そして慎重に吟味した結果、僕の家へ。居心地の良さが決め手らしい。泊まり込みの案も出たほどである。それも優秀な家事スキルを持つ翠の手料理と引き換えに。なぜか、翠の両親が乗り気だった。娘の貞操が心配じゃないのか。仮にこの案を受け入れてたら同棲そのもの。あわやの間違いが起こらないとは限らない。ただ、これは幼馴染として信頼されているおかげか。それなら期待に沿えない可能性も。翠は魅力的な女の子だから。なので、僕は断った。いや、遠慮した。断腸の思いでというべきか否か。


「あらあら。いいの? 毎日、翠の手料理が食べられるのに。ついでに据え膳だってついてくるかもしれないよ?」


 とんだ言いぐさである。


「あの、おばさん。据え膳はないですよ。冗談はよしてください。もちろん、翠が料理を作ってくれたら嬉しいです。でも、受験勉強の邪魔はしたくありません」

「ふーん。どこまでが本心なのかな? 千之くんは冗談をよしこちゃんにしちゃいますか。わざわざ家庭教師の相手にまでなってくれるのにね。それでは本当に申し訳ないわ。だからね、千之君。翠がすげない態度を取ってきても遠慮しちゃだめよ。いく時はいく。遠慮する必要なんかないの」


 何をですか、と煙に巻くのも白々しい。


「そもそもね、千之君。あれはあれで意外とあまのじゃくなのよ。だから、泊まり込みなんていいきっかけ。そう思うんだけど」


 あまのじゃく。その言葉の真意は不明だ。今に置き換えればなんだろう。ツンデレという感じか。うーん。やはりそうは思えない。ならば、隠れツンデレか。ちなみに、そのことを聞いてみた。すると、怪訝な表情をされた後にものすごい勢いで否定。これはいつもの翠である。幼馴染以上の好意を持ってるなんて微塵も感じない。むしろ、そうであったら困る。絶対的で最強の空気感が完全に消失してしまう。











 結局、僕のささいな葛藤は関係なかった。翠の受験勉強が順調そのもの。翠は推薦で余裕のある僕を上手く利用した。だから、この期間は幼馴染の間柄でない。家庭教師と生徒の関係に変わった。


 思い返してみれば、苦心した場面は本当にない。とはいえ、単元を遡って何度も学習し直す。これは今までのツケ。ただ、それを難なくこなした。感心したのはやはり集中力と吸収力。並のレベルではない。スピーディー。そして、スキルフルである。もちろん、しっかりと理解力が伴っていたからすごい。


 こうして、翠が上げた偏差値は二十以上。どの教科も満遍なく。短期間ではものすごい数字だ。奇跡的な所業といってもいい。この努力の甲斐もあり、高校には無事合格した。そして、今でも鮮明に思い出すのは合格発表を見に行った日のこと。あの翠が熱心に手を合わせていた。もしかしたら寒かっただけかもしれない。でも、僕は思う。月に祈っていたかもしれないと。神様がいるはずの月に。昼で姿も見えない月に。


 借りは必ず返すと約束された。借り。それは僕の方が多いのに。志望理由はいまだに深く語ってない。一度だけ聞いた時には学校が近いからと言ってた。嘘だと思う。嘘でなくてもいいけど。学校なんか近くても近くなくてもいい。そういう物理的な距離感よりも重要な何かがある。そっちの方が大切だ。


 もちろん、僕の心は嬉しい感情であふれていた。自分から離れようと考えたのに。だから、もう少しだけ。ほんの少しだ。今までのような幼馴染らしい関係が続けばいい。おそらく、あの絶対的で最強の空気感は取り戻せないけれど。でも、翠も同じことを願ってくれれば幸いだと思ってる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ