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《第二章のおさらい》
高一の初夏の少し前。篠原千之は本が好きな少女――三好加絵と知り合う。加絵は文学少女に見えて、意外な面がたくさんある女の子。千之は逢瀬を重ねるうちに恋愛感情が浮かんでいく。さらに加絵も同じ気持ちだという。
結局、加絵の告白でお付き合いをすることになった二人。幼馴染の翠は寂しさを伝えつつも祝福。電話越しで応援もしてくれた。ところが、千之と加絵はいびつな付き合い方へ。それは疑似兄妹としての関係。この普通でない関係に翠が勘づく。
そして、翠は加絵の身辺調査を開始。すると、加絵が千之を落とし込むための手口が明るみに。すべては加絵がお兄さん愛を満たすための策略。それを警戒した翠は加絵に千之との絶縁を突きつける。
結果、逆上した加絵。対抗する翠。最後は千之が身を挺すことで一件落着。正気を取り戻した加絵は千之との関係を解消。しかし、千之の心にはまた深い傷が残ってしまう。曲がりなりにも加絵を切り捨てたことで。
(時系列) 第二章⇒第一章
――好ましくない出来事。それはいつも突然やってくる。本当にいきなりといっていい。たとえば、幸福は小さな事象の積み重ねによる偶然の産物。なのに、不幸は勝手に積み上げられ忽然と姿を現す。僕はこんなイメージを抱く。でも、こういった考えは往々にして間違ってないと思う。もちろん、数多くの例外があるけども。
さて、六月最後の週。梅雨明け。少しずつ文化祭の準備へと移行していく。生徒数が多いこの学校は文化祭を華々しく迎える。まるで季節商品のかき入れ時並に張り切りだす。元々たくさんのクラブが乱立していて、行事にも熱心な校風。自然とこういう雰囲気が醸成されていく。
とはいえ、去年の僕はそれどころじゃなかった。ある意味で恋愛にかまけたとも表現できる。ただ、相当にいびつだった。月日を経て分かること。おそらく、今は客観的に考えられるだろう。
「おーい、篠原。生きてるか? なんでそんなにだるそうなんだよ。今年の夏は涼しいじゃないか。オマエは去年の夏を忘れたのか? 去年なんかこの時期から猛暑だったぜ」
隣のクラスの佐々木くん。彼が話しかけてきた。僕とはバイタリティーの容量が違う。超アクティブ系の人物である。
ちなみに、今は文化祭実行委員の会議終了後。というわけで話は冒頭へ。そう。何の因果か。なんと、僕が文化祭実行委員に任命されてしまった。しかも、クラスで二人しかいない任務。男女一人ずつ。本当に奇襲である。うちのクラスにも、佐々木くんみたいな適任がいるはず。なのに、僕だ。不幸ここに極まれり。などと語るのはおおげさか。でも、何の前触れもなく突然決まった。
「本当にどうしたんだか。昨日からダウナーだよねえ。最近、浮かれ気味の篠原くん」
つまり、畠山さんの鶴の一声で。彼女ともクラスメイトの間柄。クラス替えの影響もなく同じクラスになった。彼女は翠の親友だから心強い。ただ、僕が心配する必要など全くない。翠は上手くやってる。その辺は抜かりなし。僕とは違う。
ともあれ、畠山さんの指名で文化祭実行委員へ。たしかに僕は部活をやってない。時間的な制約もないだろう。でも、人には向き不向きがある。そして、そのことを伝えてもだめだった。彼女は歯牙にもかけない。
「何を言っているのさ。どうにかなるから。ねえ、篠原くん。私の髪型に誓っておくよ」
だいたい最後のフレーズ。これで押し切られる。あの時、髪型のことを聞かなければよかった。心底思ってしまう。
「ていうか、元気出せよ。しのぴー」
「ちょっと待ってくれ。へんなあだ名をつけるのは止めようぜ」
「へーん。もう遅いな。俺のフル回転した脳みそがこう言ってるんだ。しのぴーこそがオマエに最適なあだ名だと。はい、決定。篠原は今日からしのぴー」
「あはは。しのぴーとは面白いよ」
「あああ、聞こえない。それに二対一とは卑怯じゃないか」
「そうかい? そうは思えないけど。ほら、三人寄れば文殊の知恵だって。なんかのマンガに、そんなことが書いてあったよねえ」
「畠山ちゃん。それ全然関係ねぇ」
佐々木くんが音速のツッコミを繰り出してた。
「そうだね。うん。結局、私は面白い方を向いてるだけ。しのぴー。つまり、これは単純に面白い」
「そうそ。こいつはなかなか味があると思うぜ。嘘だけど」
「嘘かよ」
もう、文化祭の話なんか吹っ飛ぶ。単純に楽しい放課後の雑談だった。
「てか、佐々木くん」
「待ったぁー。それ禁止。しのぴー。俺にもあだ名をくれ。面白いヤツ。佐々くんとか佐々坊とかチワワとかはいらん。もっとすごいヤツだ」
チワワか。すごく似てる。このあだ名をつけた人は天才だと思う。
「しかし、君はそんなにあだ名があるんだねえ。ならば、必要ないじゃないか」
畠山さんの言うことはもっともだ。
「いいんだよ。もうさ、しのぴーや畠山ちゃんとは意気投合ってやつなんだし」
意気投合まではいかないが。ただ、なんか波長が合ってる。不思議だ。
「まあ、それは置いといてさ。しのぴーはなしにしようか」
「「え?」」
何言ってんの、という顔を二人にされた。こうなると挽回のしようがない。
「だったら、篠原はなんかあだ名があるのか?」
あだ名。思いつくのは一つ。翠が呼んでるマクだ。由来はさっぱり分からない。それ以外は苗字だけで事足りる。
「まあ、あるにはあるんだけど」
「それはある女の子の専用でね」
畠山さんが必要のない注釈をつけ足す。
「なにーっ」
なんか凄い勢いで喰いつかれた。釣りをしてたら、竿まで持っていかれる。
「つまりはあれかあ。しのぴーもなかなかやりおるのか」
そして、そこからは佐々木くんの独壇場。クラスの誰々がいい関係とか付き合ってるとか。そういう話題。割とどうでもいい話の範疇だろう。ただ、軽妙に語る彼は面白い。後、佐々木くんの顔の広さにも感心した。
「佐々坊は情報通なんだな。しのぴーも気をつけないと」
「なんで僕に振るんだよ。しかも、そのあだ名は定着したわけか」
畠山さんは佐々坊、しのぴーに決めたらしい。二つ並べると雲泥の差だ。
「それじゃあ、また明日。私はそろそろ帰らないとね」
「そうかい。バイバイ畠山ちゃん。そんじゃあ、俺たちはゲーセンでもいこうぜ。女の子がいないのは寂しいけどな」
「そんな予定あった?」
「あったあった。忘れんな。親睦を深めないでどーすんのさ。後、俺はしのぴーに聞きたいことがあったんだよ」
「え? 聞きたいこと?」
「そうそ。まあ、おいおいにね。さあ、行こうぜ」
幼馴染以外の人と街へ繰り出す。こんな機会はあまりない。というか、ほとんどない。全くもって珍しいこと。天変地異の前触れか。いや、そこまで言うとあれだ。さすがにいきすぎである。
「てか、ほんとに文化祭の準備は楽しみだぜ。にしても俺はラッキーだな。うちのクラスは、立候補が多すぎて大変だったんだ。選別とかが」
「へえ、クラスによって全然状況が違うのか。こっちは立候補が誰もいなかったね。おかげで、僕は畠山さんに指名されたし」
「なんだよそれはー。畠山ちゃん直々にか。オマエってやつはさ、異様に女の子に好かれてるな。男が一番欲しい能力じゃないか。一体全体どんな才能だ」
「待ってくれ、佐々くん。それは確実に誤解だと思う」
「いやいやいや。旦那。わたくしは完全に御見それしましたよ。この、すけこましの旦那野郎」
もう言いたい放題である。
「だいたい、かわいい幼馴染もいるんだって? そんな絶滅危惧種が存在してるのを知らなかったぜ。物語だけじゃないのか。もう、天然記念物に指定した方がいいんじゃねえ? あるいはさ、ワシントン条約を結ぶとか。ベルサイユ条約でもいい」
「ワシントン? ベルサイユ? まあ、幼馴染についてはさすがに否定できないけど」
「だよなー。そうだろ? 全くだぜ。だというのに、他の女の子と仲良くしたりするわけだ」
「……」
「まあ、俺があーだこーだ言うことではないけどなー。好きにすればいい」
佐々木くんが破顔一笑した。
「あのさ、佐々くん」
「んー?」
「やっぱり、それってばれてる?」
「ああ、俺にはな。ただ、今のところは大丈夫。ほとんど知られてない話だ。でも、時間の問題だぜ? てか、仕方ないじゃん。あんだけかわいいんだったらねー。いや、かわいいというよりか美人ちゃん。女の子マイスターの俺でも判別が難しいぜ。見方によって、だいぶ印象が変わるからな。なんだか幼く見える瞬間もあったりするしさ。それと不思議な雰囲気を持ってる」
マイスター云々はともかく。彼女の指標としては間違ってない。ここは素直に賞賛しておくべきか。いや、調子に乗るから止めておこう。
「まあ、そこはいいんだって。俺から話を振っといてあれだけど。そんでどこ行く?」
「え? ゲーセン行くんじゃなかったっけ?」
「ああ、そうだった。ついでだし、軽く買い物でもしとく?」
「そこのところは任せるよ」
こんなやり取りの後、僕たちは適当に市街地を散策。主にゲーセンとか。もちろん、勝手知ったる場所。何の違和感もない。楽しく過ごす。三つ目のゲームセンターでは、本と文房具の店が併設されていた。
「佐々くん。あそこへ寄ってもいい?」
「あ、いいよ。そしたら、本屋で雑誌めくってるわ」
「どうも。てか、そんなに時間はかからないよ」
足取りは軽い。文房具店へ向かっていく。目当てはポストイット。メッセージがたくさん書ける大きめのやつだ。ただ、こいつの必要性は薄れてる。なぜなら、三波とは会って話す機会が多くなったせい。実用性という点ではあまり価値がない。今はラッキーアイテムとして欲しいだけだった。
何にするかは素早く決めた。吟味しても仕方がない。色はオレンジ一択で決定。会計にて代金を支払う。店員の女の子はかなり愛想がいい。しかも、なんとなく見覚えがある。前にこんな機会があったような。これはデジャブという現象か。でも、こういった瞬間はいつだって感じる。だから、人の記憶は不確かなんだろう。
本のコーナへ行くと、佐々木くんが総合スポーツ系の雑誌を手に持ってた。表紙を見てるだけでページはめくらない。
「ああ、戻ってきたか。だいぶ早かったな」
「まあね。買いたいのは決まってたし。読む時間なかった?」
「いやいや。そんなことないぜ。ていうか、俺はあまり本を読まないんだ。なんでもぺらぺらめくってるだけ。あ、そういえばさっき面白いもんがあったな。こっちこっち」
佐々木くんについて行く。向かう先は地元特集のコーナー。そこにある雑誌を指差す。
「ほら、こいつ」
「あ、本当だ」
雑誌の内容は屋上からも見える山の紹介。ハイキングコースで有名なあそこだ。ここは三波と話題になる。もっとも、三波はあの山があまり好きでない。どこまでも続くはずの地平線が遮られるからという。なんだか、閉塞感を抱くらしい。そんな感情を払拭させるために一つ提案をしておく。いつか一緒にあの山へ行こうと。上へ上へ。高い場所へ。誰かが三波を引き上げなくてはいけない。そうでないと女の子は落ちていく。そんなふうに三波が断言してたのを思い返す。
「しのぴー。何、難しい顔してんだよ。俺に話してみ」
「いや、ある女の子の考えについてなんだけど」
「考え? ああ、そういうのは俺だめ。下手な考え休むに似たり。なんて言うだろ。そっち系は俺の哲学じゃねえ。結局、なるようにしかならないだろ」
その言葉はある意味で正しい。でも、そこまで簡単でないのも事実。
「むしろだよ。俺こそ教えてほしいくらいだね。どうすればいいんだ? ここまで女の子たちに好意を向けられるには。母性をくすぐらせるのか?」
「やっぱり、誤解が発生してるし。僕が女の子たちに好意を向けられてるという風潮はおかしい。断じて違う」
「まあまあ、そんなに熱くなるでない。人間ってやつは、把握してない事実を告げられた時が一番腹立つからな。気持ちは分かるぜ」
ドヤ顔で肩を叩かれても仕方がない。こればかりは譲れない。
「というわけで、女の子に好かれるコツを伝授してくれ。しのぴー。とくに現生徒会長。山内先輩で。ああいう上品な人と打ち解ける方法がいい」
「あのさ、佐々くん」
「待て待て。皆まで言うな。たしかに、俺と山内先輩は対照的だろう。相性はよくないかもしれない。それでも、高嶺の花に夢を見たっていいだろ? いいんです! とにかく、俺は山内先輩にぞっこんなんだ。この一年間で急激にかわいくなったと思わんか? 異常なまでのかわいさ進化だぞ。な、しのぴーもそう思うだろ?」
「まあ、そう思うよ。たぶんね」
「ほう、分かってるじゃないか。だから、オマエに聞くんだよ。しのぴーに聞いたら上手くいくかと思ってな」
確信犯だ。笑顔を見せられても対処に困る。
「そう。つまり、これからは文化祭実行委員の関係でお近づきになれる。生徒会長と文化祭委員は密接に会議をしてるからな。きっと、予算の関係とかいろいろあるはず。あんま詳しくは分からんが」
「そういう算段か」
「そうそ。なんかあったらアシスト頼むぜ。エンジェルパスを。俺が泥臭くゴールを決めてやる。という心持だけはしっかり持ってるんだ」
「機会があればね。さあ、行こうか」
三つ目のゲームセンターはかなり充実していた。本や文房具も併設されてて、買い物もできた。最初からここにすれば良かったと思う。ただ、そうだと最初のレトロゲームは味わえなかったはず。だから、これで正解だったかもしれない。




