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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第二章 『エレクティブ・リストレットカッティング』
26/77

15

 下校時刻。それは先ほどのチャイムが教えてくれた。チャイムの音が一段階違うので、すぐに分かる。朝と夕の二回はチャイムの音色が変化。このことは全国共通なんだろうか。などと益体のないことを考えてしまう。


 僕と翠はなんとなく顔を見合わせた。そこには何とも言えない空気が漂う。あの絶対的で最強の空気感はない。最近はあれを感じることが少なくなった。自我の発達とともに失われていく。そんな気がした。


 あの後、第二図書室には人が来なかった。たったの一人も。もともと、下校時刻が近づいてたせいもある。でも、利用者は極端に少ない。この建物の存在意義が怪しまれるほどに。ただ、そのおかげで大事には至らなかった。


 翠は冷静さを取り戻してる。とはいえ、揺籃のように感情は動くと思う。寛容さを保ってるかは分からない。ブレが生じてると思う。そもそも、翠は寛容な性質なのか。そこの疑問も尽きない。ある時は寛容に見える。でも、またある時は寛容に見えなかったりだ。


 第二図書室を後にする。途中で司書の補助教諭に声を掛けられた。彼は図書室の生徒の有無を確認。


「えっと、僕たち以外には誰もいませんでしたよ」

「ほう、そうか。でも、私自身がしっかり確認しないといけないな。そうでないと大変だ。締め出されてしまう。それこそ、なにかのミステリー事件に発展しそうだな。たしかそういう小説があったんだ」

「……」

「……」


 第二図書室を後にしても変わらない。お互いに無言で廊下を歩く。距離感もいつもとは違う。いつもは意識しなくてもいい距離。でも、今は明らかに違う。やけに緊張感を抱く距離だった。たぶん、お互いに同じ想いなんだろう。会話の糸口が見つからないでいる。そういうことは分かってしまう。なのに、翠が伝えたかったことは分からない。本当に致命的な欠陥。何かが欠けてしまったのかもしれない。しかも、その破片がなんだか分からない。だから、対処の仕様がなかった。


「マク。今日はマクの家に行くからね」

「え」


 あまりにもさらりと言われてびっくり。翠は僕の驚きに不満の意を表明。まるで用がなければ行ってはいけないのという感じだ。いや、それよりも切羽詰まった雰囲気である。


「急にどうしたのさ」

「だって。ほら、怪我の経過を確認しなくてはいけないし」

「でもさ、怪我はどう見たってたいしたことない気がするんだけど。ちょっとした切り傷だぜ」

「いいの。私がたいしたことあると思えば、たいしたことなの」


 驚きである。怪我の具合が他人によって左右された。


 ともあれ、翠は自分の鞄をあさりだす。今日の鞄は重そうだ。フェイクで借りた図書室の本が多く入ってるせいか。もちろん、教科書類は皆無だろう。そこはコインをいくら賭けてもいい。


 翠の鞄ばかり見ているのも良くない。エチケット的に問題だ。なので、視線を窓の外に逃がす。すると、にわかに黒い雲が大地を覆う。すぐに一雨来そうな気配。いきなりにも程がある。きっと、これを警戒して傘を探してると思う。


「あ」

「ひゃうっ!」


 翠がお化けに遭遇したような声を出した。お化けは誰? 僕だった。


「ごめん、翠」

「もう、なんなのよマク。びっくりさせないでよね」

「うん。申し訳ない」


 二重の意味での謝罪。気苦労と傘と。後、畠山さんの狼藉についても謝っておく。この様子だと確実に雨が降る。でも、傘の探し物は絶対に見つからない。


「おかしいなあ。なんで?」


 納得のいかない表情で鞄を見つめる。穴が開くほど見つめても結果は変わらない。そこに存在しない物は出てこない。探してる傘はまだ渡さない。


 翠はバツが悪いのか、小さな包み紙を取り出す。何かと思えばお菓子。パッケージは割とシンプルだ。大量生産のグミやガムではない装丁。おそらく、本格的な飴玉に違いない。味そのものを売りにしてるタイプ。気分を一新させたいのだろうか。


「マクにはあげないからね。一つしかないし」

「いらないよ。だって、飴はいつまでも口の中に残るから好きじゃないんだ。変化のない味でずっと満たされるのは気分が悪い」

「へえ、そんなこと言っちゃってさ。昔なんかは好きだったくせに。飴とか」

「まあ、本当は好きだけどね」


 飴ではなくて雨だけど。言葉の音は一緒だった。


「意味わかんないよ。矛盾しすぎ」


 翠はそっぽ向いてぼやく。そのタイミングで飴玉を放り込む。食べる表情を見られたくなかった。などと思うのは邪推か。


 第二図書館から昇降口へ。そんなに距離はない。昇降口を抜ければ外へ出る。そうすれば、今の閉塞感から抜けられるかもしれない。


「あ、んん?」


 翠が急に立ち止まる。正確には飴玉を口に含んだ直前。異変でもあったんだろうか。


「ミ、ミルク味。畠山ちゃんのばか。私、ミルク嫌いなのに」


 何事かをつぶやく。でも、聞こえない。


「翠、どうしたの?」

「なんでもない。あ、ううん。やっぱなんでもある」

「なんだか支離滅裂だし」

「気にしないでよ。てか、それよりもマク。目つぶって」


 言いにくそうにお伺いを立ててくる。その不思議な表情に違和感を抱く。


「なんで?」

「んーいいから。急に思いついたの。マクに罰を与えてなかったこと」


 なんだろう。鉄拳でも飛んでくるのか。ちなみに、目隠し状態では止めてほしい。恐怖感が倍増する。不意打ちの攻撃ほど怖いものはない。


「早く。私、そろそろ限界」


『限界』という言葉の意味を測りかねる。ただ、それを考える憂慮はなかった。翠のプレッシャーに打ち勝てるはずがない。至極、当然のように目をつぶった。単純に当たり前の感覚として受け入れる。このような境地だったと思う。



 

 ――とはいえ、今振り返ってみれば劇的な展開でもなく。どこにそういう雰囲気を醸し出す要素があったか。さっぱり分からない。波乱の後の弛緩した心境。薄暗い校舎。明滅する蛍光灯。降り出しそうな雨と灰色の空。美しい夕日で染められた屋上とは対照的な場所。敢えて言えば、誰もいなかったということか。それだけは純然たる事実として備わってた。

 



「み、翠? なんで? 急に」


 本当に予期しない攻撃。口の中がミルク味で満たされる。この飴玉が高級な味とかはどうでもよかった。後方に手を置かれて、いきなり飴玉を流し込まれたのだ。口の中を蹂躙された感覚。


「私、嫌いだし。ミルク味。本当にだめ。マクも知ってるでしょ。私が嫌いなやつ。そして、私が嫌いなことも。だから、マクにあげたの。本当にただそれだけ。それ以外の理由なんてなにもなし。べつにキスしたとかじゃないもん。こんなのはノーカウントだからねっ」


 翠はかなり饒舌だった。


「それにマクだって嫌いなんでしょ? 飴。つまりね、これは私がマクに与えなくてはいけない罰。私を過剰に心配させた罪滅ぼしなの。私はマクのことが好きだから。でも、そんなことじゃない。マクが幸せな気持ちでいてほしくて」

「翠。翠。全然聞こえない。雨、雨で」

「なに? 私だって聞こえないよっ」


 本当に聞こえない。きっと、何をしゃべっても聞こえないはずだ。


「たとえばさ、僕が翠のことを好きって言ったとしても聞こえない?」

「全然聞こえないし、なに?」


 それにしても本当にいきなりだった。ザーッ、ザーッ。スコールのような雨が降り注ぐ。情緒も何もない。信じられないくらいの本降り。嵐に近い。閉めてない窓から雨が侵入。もちろん雨音だけでない。大きな雨粒が入ってきた。閉めてある窓にも雨粒がぶつかる。おびただしい量の水滴。それがつながって連動していく。蠕動して不思議な水の流れを作り出す。これらの水滴はどこへ。どんな場所にたどり着くのか。自分のあずかり知らぬところで勝手に繋がっていく。


「…………」


 僕は結果的に彼女の手を取らなかった。三好加絵先輩。妹の篠原加絵でない。つまり、ほとんど知りえていないからか。いや、自分だってそうだと思う。僕も先輩と同じく本質を見ていなかった。さながら、幻影しか見てない。お互いに似たような万華鏡を覗き込んでただけ。表面の華美さに身を委ねてたのだ。だから、僕が助けるなんておこがましい。それと同時に腹立しくもあった。


「とにかくねー」


 翠が大声で叫ぶ。


「マクは飴が嫌いなんでしょ。だから、もっと苦しめばいいんだ。ばかっ」


 なんだか、異様にテンションが上がってる。これも大雨の効果に違いない。


「翠、僕は本当に雨が好きなんだよ。ただ、こういう雨は好きじゃないな」

「え?」


 翠が怪訝そうな顔をしてる。


「いや、なんでもない」

「そう、ならいいけど」


 翠が歩き出す。僕は後ろをついて行く。


「翠」

「なに?」

「やっぱなんでもない」

「ふーん」


 ふとした直感。なんとなくである。翠の片手が宙ぶらりんのような気がした。なので、僕はその手をおもむろにつかむ。すると、翠は抵抗する素振りを見せてきた。でも、すぐに大人しくなる。これはどういう心境か。などと考えた末にそっと顔色を窺う。


「こっち見るな。たぶん、私の顔が赤くなってるから」


 もちろん、たぶんなんかではなく。議論の余地すらないほどに赤い。


「あのさ、翠」

「……」


 返事さえしない。


「翠は今から家に来るんだよね」


 不機嫌そうにうなずく。


「だったら、どうしてもやってほしいことがあるんだ」

「え?」


 翠がますます顔を赤らめる。その反応はおかしいと思う。


「なに?」

「実はね」

「うん」

「家に大量のクッキーがあって」

「クッキー?」


 その単語を幼子みたいにオウム返し。そして、ピントが外れたような表情。なんだか機嫌がよくない。やや不機嫌といったところか。少し頬が膨らんでる。吹奏系の楽器を吹かせたらどうなるんだろう。


「で、そのクッキーはね、どんなことがあっても今日中に無くさないといけなくて」

「なにを言い出すかと思えば」


 翠がため息をつく。


「それ、賞味期限が迫ってるとか?」

「賞味期限? うん。まあ、そんな感じ。少し前に期限が切れたかな」

「そうなんだ。てか、マクのばか」

「え?」

「なんでもない。ところで、こんな雨だけどどうするの? 私、傘ない。雨宿りなんかもする気分じゃないし。もう、このままでも突っ走って帰りたい気分かな」

「ああ、それなら大丈夫。僕が持ってるから」


 僕は繋いでない方の手で鞄をあさる。傘を取り出そうとしたが上手くいかない。でも、翠の手を離すのは気が引けた。つまり、そういう横着が原因だったと思う。というか、自分の傘を持ってなかった。これは重大なミスである。


「あーっ。私のだ。いつのまに」

「あ、そうだった」


 翠が眉根を寄せた。どうやら睨まれてる。本格的に怒るサインだ。


「ほら、僕が持ってたら場が和むかなと思って」


 ひどい言い訳。弁解にもなってない。


「うそつき。マクのばか。そういうサプライズはいらないし。サプライズなら、気づかれないようにプレゼントを渡すとかすればいいじゃない」

「へえ、それは難しい相談だ。全く思いつきもしなかった」


 靴を履いて校舎を出る。やはり、この学校は要塞のように高い。ただ、普通のビルとは似ても似つかない。学校というだけで違って見えてしまう。


「マク、なんで空ばかり見てるの。雨が当たるってば」


 翠が傘を差しだす。これは暗に持てと言われていた。


「あのさ、そんなに離れてたら濡れるでしょ。もっとくっついてよ」

「そういう翠だって離れてるぜ。反対側が濡れてるじゃないか」

「仕方ないじゃない。折り畳み傘なんだし」


 雨の勢いは少しずつ弱まっていく。でも、この傘で避けられる雨量でない。だから、雨宿りをして帰る方が賢明なんだろう。ただ、僕も翠もそういう気分ではなかったと思う。立ち止まるのでなく動かないといけない。こんな感情に支配されてた。さしたる理由があったわけでもないのに。とはいえ、この気持ちはなんとなく理解してる。理屈を超えた感情の部分だと。そういうわけで、僕たちは自然と家へ帰っていく。

第二章終了。

加絵先輩、退場しなかったか。翠は相変わらずキャラが弱いなあ。

さて、次章はようやく三波後輩が再登場っ。待ってたよ。やったねー。(テンション高めで三点倒立)

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