14
翠はいつのまにか泣いてる。感情のタガが外れたかもしれない。
「ねえ、鮫島さん」
ふいに加絵が口を開く。表情を失ってた状態からの復活。ただ、あまりいい状態でない。加絵は今にも翠を糾弾しそうだ。本当に反撃の体勢が整ったかもしれない。
「な、なんですか? 加絵先輩っ」
翠も加絵の突然の反応に驚く。慄いてるといってもいい。余裕が見受けられない。いや、翠は最初から余裕なんてなかった。全力で対処してる。
「本当に鮫島さんはそう思ってるの? 本当にそんなことを考えてたの?」
「え?」
何を言われてるか分からない。そんな表情だ。
「だから、篠原くんに恋人ができて良かったと思ってること。本当なの? どこかにそれ以外の気持ちは含まれてないの? 本当に本当? 心の底からそう思っているの? 綺麗事ばかりで取り繕ってるんじゃないの? だって、私にはそう思えないよ。たとえば、私のことを不正した悪だと断定する。悪は糾弾しなくてはいけない。だから、必要以上に正義を気取る。そんなふうにしか見えないよ。鮫島さんは自分の幸せよりも幼馴染の幸せを追及。そこまで聖人君子な善人なの?」
「私は……だって、マクが幸せならそれでいいと思って」
「嘘だ! 絶対に嘘だよっ!」
第二図書室に加絵の叫びがこだました。
「とんだ善人気取りだよね。本当は悪だって備えてるのに。本当は心の底でうず巻いていると思う。人は善悪両方を備えてるらしいし。だから、私は鮫島さんを信用できない。だいたい、得意げな顔で語って何が楽しいの? 人をやり込めるのがそんなに面白い? 面の皮が厚いのはお互い様でしょう。その態度こそが悪だよ」
「そんなこと言ったって。今は加絵先輩が私をやり込めようとしてる」
あまりの豹変に翠がたじろいだ。でも、必死に食らいつく。
「それに、加絵先輩が良くないのには変わりないです」
「そう。その通り。鮫島さんは正しい。たしかに私は良くないことをしたよ。手練手管の限りはつくしたと思う。篠原くんを調べて、後つけたりもしたっけな。いろんな作戦だって画策した。これは人として間違ってる手段かもしれない。ただ、基本的にはどれも失敗だったんだけどね。未熟だし。でも、あの作戦は見事に成功した。そこからトントン拍子に進んでここまで来た。なのに! それを勝手な一般論を振りかざして、間違いだと主張した人がいる。馬に蹴られて死んでしまえばいいのに」
「なんですかそれは! あなたが明らかにマクを愚弄してるからいけないんでしょう。それに一般論なんか振りかざしてません。私の独断と偏見でおかしいと言ってるだけ。後、開き直りすぎです」
「そう。開き直りかもしれない。でもね、私は自覚があるの。私が良くない手段で自分の欲求を満たそうとしてる。このことを深く理解しているの。その上で墓場まで持っていく。そんな覚悟も辞さない構えだった。つまり、私はそれくらい真剣なの。そこをあなたが土足で踏みにじって邪魔をした。しかも、他人の靴を履いて証拠を隠滅するやり方。人のふんどしで相撲で取ってるようなものね」
加絵の言葉に翠の機嫌が悪くなっていく。怒りのメータが上昇。静かに闘志を燃やす。
「加絵先輩。なんで私がそこまで言われなくてはいけないんですか。加絵先輩は幸せの手段も欲求もおかしいと思います。それにマクが影響されるのを防ぐ。これは当然でしょう。私は自分の考えで二人の関係をつぶそうとしています。他人の靴もふんどしも借りていません」
「それなら答えてよ。鮫島さんは篠原くんのためだけを思ってなの? 本当にそれだけでそんなことを言うの? 単に私の存在が邪魔だからとか考えないの? ほんの少しも?」
「私……私は、関係ない。そんなことよりもマクを大切に思ってる。だって、言葉で言い表せない絆みたいのがあるから」
それは絶対的で最強な空気感。僕はそんなふうに呼称している。
「嘘つき。嘘でなければ自覚してないか。もちろん、私は違うよ。しっかりと自覚してるから。私は自分が幸せになりたい。自分の欲求を満たしたい。他の女の子と同じようにね。その上で篠原くんも大切にする。だから、本に栞を挟んで関係の構築を模索した。だいたい、有名な映画でもよくあるじゃない。ヒロインが借りた図書カードにいつも男の子の名前がある。そんなおかしな話がね。そこには何の違和感もなくまかり通る。手段は私と同じだと思うんだけどな。つまり、これが私の考えなの。どんな方法を駆使しても手に入れる。おかしくても欲求を追及。たとえ、それが偽りだとしても、偽りでない何かがあるから。目に見えない大切な何かは存在してる。そう思って兄妹の関係を築こうとしたの。そして、私の考えは間違ってなかった。たしかに偽りだったけど、偽りでない。実は奥深くて敬虔な感じがした。その考えに間違いはなかった。でも、全て壊れたの。あなたのせいでだよ。べつに関係がおかしくても問題ないのに。ある有名な劇作家だってこんなことを言ってたわ」
「――全世界は劇場だ。全ての男女は演技者である。出番と退場の時を持っている。一人の人間は一生のうちに多くの役割を演じていくのだ」
人は物語を好む。それが自然発生的かどうかはともかくとして。
「そうそれ。私が篠原くんに教えた言葉。全ての男女が演技者で役割を演じてる。役割に準じて生きていこうとする。そこに問題はないじゃない」
とにかく、僕と加絵は物語に準じすぎた。今考えればそう思う。
「加絵先輩。マクはそんな意味で言っていません。それなら、マクの物語から退場してください。関係も解除するべきです。もう金輪際関わらないでください」
「へえぇ、やっぱりそういうつもりなのね。鮫島さんって天然でずるい。思考もしぐさも全部。そして、高見からの指令。まるでお姫様だ。何かあったら戦士にもなる。そんなことを言ってたよね。そこまでのチート仕様か。そんなの勝てるわけないよ。その上、自覚もしてないんだから酷すぎ。本当にね。最強だよ。そして、最低だ。最強で最低。最高で最悪。篠原くんと上手くいくわけがない」
「加絵、止めてくれ。もう止めよう。すでに終わったんだ。さっき言ったよね。僕たちは兄妹でない。関係も解消するってさ。これ以上は後味を悪くするだけだって」
「知ってる。だからだよ。止めないの。後味なんて関係ない。悪あがきだし。そうしないと怒りの感情が煮えたぎってしまう。その熱でやられそうになる。もうやってられないの。自暴自棄なんだから」
「そんなことをしても意味がないじゃないか」
「篠原くん。私、それも知ってる。でも、どうしようもないことなのよ。ね、鮫島さん。最低で最強の人と言えばいいのかな。とにかく、無自覚で人を利用できる。自覚的な人とは違う。圧倒的にどこまでも違う。恐ろしいまでの優位性。これはもう異常だよ。最低な人間性だ。篠原くんを不幸にする」
翠は言葉も出なかった。先ほどの加絵の言葉から呆然自失。さすがに、今まで気が張っていたせいだろう。ここまで悪し様に言われて糸が切れてしまった。まだ堪忍袋の緒が切れた方がマシかもしれない。泣くしぐさの予兆が見受けられる。
「翠、泣くな。泣かないでくれ」
「大丈夫。大丈夫だからマク」
全然大丈夫じゃない。大丈夫には見えない。翠がボロボロと涙を流していく。そして、自分が見ている。冷静でないのを感じる。さすがに頭へ血が上った。いくら加絵でもこれはないと思う。許容範囲を超えてる。ここまで貶められる理由がない。罵倒しすぎだ。大切な幼馴染が泣く。それが本当にやるせない。
「ああ、そうか」
僕は当たり前の事実に気がつく。やはり、二対一なんだ。加絵が彼女。翠が幼馴染。そんなのは関係ない。最初は中立な視点で判断しようと思った。でも、できなかった。翠に肩入れする。これはもう決まってた。加絵的には物語の宿命というやつだろう。だから、僕はこう言うしかない。
「加絵。それは言いすぎだから。そこまで言う必要は一つもないんだ。君だってお兄さんの悪口を言われてる場面を想像してみればいい。なんならさ、僕が具体的に言ってみようか。そうしたらよく分かる。たとえば、君はお兄さんに愛されてないとかね」
これが何かのトリガーになったかもしれない。自分自身も言ってまずいと思った。怒りに任せた不用意な言葉。加絵の精神に多大な影響を与える。なのに、似たような言葉が止まらない。歯止めが利かないのはこっちも一緒だ。
「とにかく、君は妹として最低なんだよ。間違ってる。妹に相応しくない。そもそも、こんな関係は最初から無理だ。君に妹としての素質が足りないんだから」
加絵が裏切られたような表情をした。もっとも、最初からそうさせるつもりだったさ。ざまあみろ。犬の糞にでもまみれた表情で人生を終えてしまえ。
「ど、どうしてそんなことを言うの? どうして? お兄さん! いや、篠原くん! 私は篠原くんを信じてたのに。私は妹になりたかっただけ。それ以外は何も望んでいないよ。そういう純粋な関係だったし。それがおかしくても、考え方まで否定するとは思わなかったのに」
「そう。それだって。それが重荷なんだよ。加絵の兄。加絵のお兄さんであること。そこが問題なんだぜ。だから、加絵の前から逃げ出したんじゃないか。新興宗教だったっけか。お兄さんも最低だな。加絵のことなんかどうでもいい証拠だよ」
「わ、私のことをバカにするのはいい。でも、お兄さんをバカにした! それと私とお兄さんの絆も。許さない。絶対に許さないっ。私のお兄さん。お兄さんがお兄さんをバカにしてる。お兄さんがお兄さんにバカにされてる。ううん、違う。篠原くんがお兄さんをバカにした!」
似たようなニュアンスを繰り返す。何を意味しているか分からない。分かるのは明確な怒りだけ。加絵は明らかに逆上。普段からは想像もできない怒り。マグマのようにたえぎった感情。雰囲気で気圧されそうになる。
さらに、徽章付近のポケットからも何かを取り出した。キチキチキチキチ。こんな擬音が聞こえる。もちろん、モズの鳴き声ではない。カッターの刃を出す音。趣味の押し花に使う道具だと思う。いつも所持してると聞いた。
「加絵先輩、なにを! マク、逃げて!」
そして、加絵は僕に向かって歩み出す。慎重と言うよりも大胆。流れに適した動き。ただ、怒りに身を任せているんだろう。瞳が血走ってた。でも、しっかりと狙いは定めてる。さあ、どうするか。
カッターの刃がきらりと光った気がした。などと徒然考えてる余裕はない。今にも刃が襲い掛かろうとしてる。僕と加絵の距離はそんなに離れてない。元々、会話をしてたので近い距離。パーソナルスペースを少し離れたくらいか。
「篠原くんはお兄さんをバカにした。私のお兄さんをバカにしたんだっ! だから、篠原くんは絶対許さない!」
その声が合図。加絵が勢いよく迫ってくる。僕は対処できない。否、するつもりもなかった。これは当然の帰結だろう。こうなるのは目に見えてた。いや、いつかはこうならないといけないんだ。それが定めで宿命的な結末。もちろん、本望とは違う。でも、どこかでこの必然性を受け入れてた。変な安心感みたいのも感じる。今の感情をなんて表現すればいいか。それは分からない。
「マクっ! マクマク! 逃げてよ! なんで逃げないの! なんでっ!」
翠の声が聞こえる。ただ、その声は遠くの方で聞くざわめき。なぜだかそんなふうに感じてしまう。
結局、走馬灯なんて考える時間もなく。すぐに加絵が激突。カッターの刃は正確に手の甲へ。無意識で左手を出してたらしい。動くつもりはなかったと思う。なのに、防衛のための自動作用は的確だ。
リノリウムの床に血が垂れていく。出血量は少ない。ポタポタと少しだけ。ただ、色が赤い。本当に血の視覚効果は絶大。少量でも一大事に思えてしまう。もっとも、僕が冷静すぎるかもしれない。ただ、普通は女子の方が血に対する慣れがあるはずだ。
「マクっ! マクっ!」
翠が加絵には目もくれずに駆け寄ってきた。てっきり加絵を殴ると思ったので、ほっとする。そこから面倒な事態に発展しなくてよかった。
「あ、ああ――」
加絵の方は事の次第を確認。頭を抱える。重大な事態を起こしてしまった。そんな表情。焦燥といった感じだ。
「し、篠原くん。篠原くんっ! 篠原くん、篠原くん! どうして私っ。こんなことまでするつもりはなかったのに。ご、ごめんなさい。私は篠原くんが大好きなの。私は篠原くんと一番幸せな関係でいたかったの。私が想う範囲で最良の関係でいたかったの。本当に……。信じてもらえないかもしれないけど。でも、このことは本当。本当なんです。神に誓って本当に。だけど、ごめんなさい。私が篠原くんのことを好きでごめんなさい。本当にごめんなさい。年上なのに。お兄さんとして好きで申し訳ありません」
カッターの刃で手の甲を刺した。この現実に直面して正気になったらしい。加絵が何度も謝りだす。膝を折って、冷たい床に座ってる。
「謝って終わりの問題じゃないよね。でも、本当にごめんなさい。許してとは言わないから謝らせてください。ごめんなさい。ごめんなさい。篠原くんごめんなさい」
加絵は必死の謝罪を繰り返す。
「そうすることで、罪の意識を軽くしようとしているんですね。加絵先輩」
「たしかにそうかもしれない。でも、こうすることしかできなくて」
その横では翠が僕の手当て。傷口を確認して血を拭き取る。これだけで問題なく終わった。本当にこの程度のケガ。加絵が寸前で自重したと思う。
こうして、最後にバンドエイドを貼って終了。これは小学生の時によくやってもらった気がする。もっと遡って、幼少時はどうだったか。その頃はあまり記憶にない。いや、そういえば、翠の方がどんくさかったかもしれない。思い返すと翠はよく転んでた。そして、自分でバンドエイドを貼ってた。だから、いつもバンドエイドを所持してたのか。だとすれば、翠の要領の良さはいつからなんだろう。僕は思い出せない。
「もう、本当に、関わらないでください。マクとは金輪際関係を持たないでほしい。こんなことってひどい。ひどすぎるから」
「待って。翠。たしかに加絵はいきすぎた。でも、暗にそういう行動を促したのは僕なんだ。加絵を挑発した。それはまぎれもない事実だよ。本当はすんなり解決できる方法があったかもしれない。いや、きっとあったと思う。でも、僕はこうやって鎮静化させる方法しか思いつかなかった。だから、ここまで悪い方向に発展しただけなんだ」
「そんなっ! マクが自分の身を犠牲にする必要なんてないよ!」
「大丈夫。加絵が致命傷を負わせるようなことをするはずがないと思ったから」
「マクの嘘つき。唇を舐めたっ」
翠にはバレバレだった。これは仕方がない。幼馴染の特権だ。
「翠がそう思うなら仕方がないな。ただ、実際に僕のケガはたいしたことなかったんだぜ。これで何の問題もないじゃないか」
「問題だよ。マクはなにも分かってない。マクが自分の身を必要以上に犠牲することはないの。そんなのは誰も望んでない。誰一人としてだからね」
「……」
翠の言葉に何も言えなかった。そのことは僕自身がよく分かってる。でも、逆に分かりすぎてどうでもよくなってしまう。
「翠。分かったよ」
僕はもう一度唇を舐めてたかもしれない。
「でも、とりあえず今は加絵と話をさせてほしい。きっと、それで全て終わるからさ」
後始末は簡単に済んだ。もっとも、後始末と呼べるほどでなく。単に床の血を拭き取ってイスを戻しただけ。数分で終えられる作業。事実、校内の誰もが気がついてない。それくらいの出来事だ。そう。これはたった二十分程度のやり取りである。
「加絵、もう分かってると思うけどさ」
「うん。うん」
加絵は二度頷く。目の端に涙も溜めてる。
「これで関係を終わりにしようか」
「そうだよね。篠原くんの言う通りだ。私には何も言う資格がないよ」
「……」
策を弄しないで、最初からこう言うべきだった。策士でもないのに策に溺れた。
「私、こんな刃物沙汰の事件まで起こしてしまったのだから」
「そこは気にしなくていいよ」
本当に実感がない。第三者で見てた感覚。とはいえ、べつに幽体離脱していたわけでない。なので、この感覚が分からない。不思議だ。不思議な感覚が拭えない。
「篠原くん。最初からさ、私の怒りを受け止めるつもりだったんだよね。逆上してるようで冷静に対処してたし」
「そんなことない。だって、僕の手は勝手に動いたんだぜ。反射の防御反応だ。それに誰だってしないよ。自分の身を投げ出してまで他人を助けるようなことは」
美しい物語みたいに都合良くはない。それに加絵視点の話だ。自分の体感したことしか信じない。今はそんな興奮状態だろう。
「ねえ、ふと思ったんだけど」
「なにかな」
「篠原くんは問題を抱えてるの?」
「加絵。いいや、三好先輩。もう、今のあなたには関係のないことですよ」
「あ、うん。そうだったね。ごめんなさい」
三好先輩はどこか寂しそうな顔。その感情は何かに似ていた。たぶん、僕が抱くやり切れない想いと一緒だろう。そんな表情だ。こう考えれば、益々切なくなる。本当にどうしてこうなったのか。なぜ、最後に共有してしまったのか。罪障、無力、喪失といった負の感情があふれてくる。
「篠原くん、こんな終わり方でも最後に言わせてください」
「ああ、うん」
「短いお付き合いだったけど、ありがとうございました」
三好先輩が深々と頭を下げる。自分も同じ姿勢を取った。
「三好先輩、こちらこそありがとうございました」
「うん。うん……」
そして、三好先輩はスカートのプリーツを翻して去っていく。本当に急転直下の展開。まるで危ないジェットコースターに乗ったかのようだ。こういう乗り物に対処法なんてない。黙って意識を保つしかないだろう。
さて、僕は少し離れてた翠を呼びに行く。その場所に近づくにつれて、見慣れた光景。やはりというか翠は泣いてた。女の子座りをしての号泣だ。
「マク。私、怖かったんだから。いろいろと怖かったんだからね。私の大事な幼馴染がいなくなっちゃいそうで。マクがまた苦しまなくてはいけないと思って」
「翠、そんなことを心配しなくていいんだよ。僕が自分で撒いた種なんだから」
でも、昔の光景を思い出すのに十分。これ以上ない恐怖感だ。
「てか、泣かないでくれ。僕のことで泣く必要なんかないよ」
「べ、べつにこれはマクのことで泣いてるんじゃないもん。私はこうやって自分の感情をコントロールしてるだけ。こうしないとなんだか得体の知れない怪物に飲み込まれてしまいそうだから」
「そうか。ならいいんだ」
「良くないよっ!」
翠は声を荒げて言う。
「なにがなんだか分からない。はっきりと分からないの。でも、良くないんだよ。マクはね、どうして肝心なところで理解しようと思わないの? 理解しようとしない。これは考えを寸断することじゃない。そこからは何も生まれないよ」
翠が想いを吐露する。ただ、言いたいことが表面上でしか伝わってこない。もちろん、言葉の意味は分かる。でも、単にそれだけ。僕は言葉を咀嚼することができてない。しいて言えば、想いが上滑りしてる印象を抱く。
もっとも、原因は僕だ。翠は現状の問題点を指摘。そこには絶対的な正しさしかない。しかし、その正しさは途轍もなく恐ろしい。相手を身動きできなくさせる。
「ご、ごめん。私、少し冷静になるよ。でも、私がさっき言ったことは半分くらいが本当だから」
少なからず、空気を察したのだろう。バツの悪そうな顔をして言う。そして、そのまま立ち上がる。素早くこの場から離れた。
「……」
僕は所在なさげにつぶやく。声にもならない声が漏れていた。




