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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第二章 『エレクティブ・リストレットカッティング』
23/77

12

「お兄さん。真面目にやってるのかな。私は途中まで、ちゃんとやってたのに」


 とうとう、加絵が癇癪を起こした。いや、癇癪というほどではない。強引に事態を収拾させただけ。それだけの役割にすぎない。


「加絵、僕だって最初は真面目にやってたよ。でも、途中から真面目にやるのを放棄したんだ。だって、不可能じゃないか。一文字だけで言葉の真意を読み取る。これは明らかに無理だって。こんな当たり前の事実には、早く気がつかないといけない」

「はぁー、そうだよね。やってみようと思った瞬間は良かったのにな。こんな素晴らしいやり取りはないって思った。ところが、それは勘違いだったと。これでは脳みそに酢が入ってると言われても仕方がないか」


 加絵がしゅんとする。その姿はしょんぼりとしてかわいい。しょんぼりかわいいというジャンルはあると思う。このジャンルがないとしたら大変。


「お兄さん?」

「あ、なんでもないから」


 今、ここにいるのは僕と加絵だけ。誰もいないフリースペース。机にはメモ帳。ざっくばらんに、一文字の言葉が散らばってる。繋がりを遮断された言葉の山。無理に鎖で繋ごうとしてた言葉と記号だ。


「あのね、お兄さん」

「なに?」

「色々とした本の話のついでに聞いていい? どうでもいいことなんだけどさ」

「ああ、うん。答えられる範囲ならね」

「大丈夫。間違いなく答えられると思うよ」

「そっか」


 僕はあいづちを打つ。


「でね、この前の話はどう考えた? あの彼女のこと」


 これは僕の幼馴染の話か。少し前に、加絵と翠の話をする機会があった。とはいえ、べつに深刻な話じゃない。話の流れで出てきただけである。


「翠の話だよね。それはあれだよ。前に言ったことと同じだって。やっぱり、僕にとって大切な幼馴染。何物に代えがたい近しい存在かな。要領がいい。勘がいい。後、すぐに涙を流す。まあ、これ以外にも特徴はたくさんあるよ。好ましくない特徴も。でね、僕と翠は絶対的で最強な空気感を持ってたんだ。今は少しずつ瓦解してきたけどさ。僕にとっては残念で仕方がないよ」


 翠への言葉が次々と出てくる。でも、翠の話ならば当然だろう。幼馴染だから。


「あ、そうか」


 ふいに思い出す。畠山さんの忠告。さらに、今が適宜なタイミング。この場面で伝えるべきだろう。話の流れにも沿っている。


 もちろん、容易い行為ではない。翠が平静でないことを加絵に告げる。そして、僕の考えを理解してもらう。これはおそらく背信行為だ。理解してもらえないかもしれない。いや、理解してもらおうなんて思わない。一方通行なのは分かってる。ただ、こういう事情に変わったことを伝える。それだけの話だった。


「お兄さん。どうしたの? 後、違うよ。その話だったら、幼馴染の彼女って言うよ。私が言ってるのは不思議な彼女の話だって」

「不思議な彼女?」

「そう。お兄さんの壮絶な勘違い」


 考えてるあいだに、話は変わってた。背負った気勢が削がれていく。想いが宙へ浮かんで消えてしまう。また、時期を見計らうしかない。そんなふうに悟る。これは僕の意志が弱いせい。本当はすぐにでも言わないといけない。


「そっか。その話か」

「うん。で、どうなの?」

「不思議な彼女ね。それならこうだよ。僕はあの彼女が気になって仕方がないな。だって、話す言葉がとても印象的だから。後、言葉に強い意志が込められてると思うんだ」

「やっぱり、そう思うのね。大方、私と同じ意見だ。うん」


 こうして、僕と加絵は不思議な彼女の話で盛り上がっていく。性懲りもなく繰り返し。


「お兄さん。そういえば、話を戻すけどね」


 急な話題転換だったので驚く。加絵もいきなり思い立ったんだろう。


「どこまで戻すの?」

「あ、お兄さんの幼馴染のところまでだよ」

「ああ、そこまでか」


 胸中で考えを巡らす。今度こそ告げるべき好機かもしれない。これならちょうどいい。ただ、こんな打算をしてる自分に嫌悪感を抱く。


「実はね、今までこの話をしようかずっと考えてたの。さっき、お兄さんが来る前に一つの情報が手に入ってからずっと。私が話すことでどんな影響が出るか。で、やっと決断できた」

「……」


 つまり、今日待ち合わせた瞬間から。お互いに腹の内を探ってた。


「でも、私には結論が出なかった。全く分からない。分からないから不安。それならいっそのこと、全部話してしまおうと思った」


 ものすごく聞きたくない予感がしていた。なぜなら、加絵にする提案と同じ。もちろん、方向性は全く違う。とはいえ、翠のことは変わらない。その上で、互いの思惑が異なってる。しかも、天と地の差くらい違う。そこまで察知できてしまった。


 気づいたのは、加絵の言葉だけでない。加絵の表情と声のトーン。さらに、畠山さんの話も影響してる。これらを踏まえた総合的な判断だ。


「あのね、お兄さん。べつにお兄さんが鮫島さんの動きを容認してると思ってないよ。それだけは言っておくから」

「うん。分かってる。そもそも、僕が翠の動きを容認するなんておかしいって。それに僕と加絵が抱えてる問題も話してないさ」

「そうだよね」


 なんだか、表面で話を進めてる。しかも、その表面が薄氷みたいな振る舞い。全くもって遠回しなやり取り。お互いに核心に踏み込むのが怖いのかもしれない。まるで周囲だけを旋回してる戦闘機といっていい。戦う気が全くないから。少なくとも、双方で遠慮しあっている。だから、エンジンをかけないといけない。


「ただね、加絵。君は間違いを犯した。一週間前に翠と鉢合わせた時の態度がまずかったんだ。加絵だって困ってる事態に陥りたくない。だったら、もっと慎重にしなくてはいけなかった。不穏な動きを見せてはいけない。なぜって? もう言わなくても分かるよね。僕の幼馴染は勘がいいんだ。要領だっていい。そういうことだよ」

「うん。その辺はさっき聞いた。でも、その対処法が分からないの。それにお兄さんがどう出てくるかもわからなくて。あ、もちろんお兄さんを疑ってるわけでないんだよ」

「それは聞いたよ」

「あ、う、うん。そうだよね」


 意外にも冷たい言い方へ変わった。おそらく、気持ちの区切りをつけたせいだろう。


「つまり、私が言いたいのはただ一つなの。単に鮫島さんが怖い。あの人はどこまでも真っ直ぐ。そして、一生懸命。しかも、お兄さんのことに関してだけだよ。お兄さんのために私のことを調べてるの。だから、とても怖い。始末に負えない女の子なんだって」


 加絵の声に必死さが加わっていく。反対に僕の心は冷めてしまう。それは翠のことを悪し様に言われたからかもしれない。


「加絵、そんなことはすでにどうでもいいんだ。もう終わってることだから。そうではなくてね。ここで翠の話をしよう。翠は勘や要領がいいだけでない。さらには、猪突猛進だという。それも真実を暴く探偵のように容赦がない。すべてを白日の下に晒すまで行動をしていく。つまり、加絵はロックオンされたんだ。注意人物として。もっとも、原因は僕の思慮の足りなさだけどね。あの約束はしない方が良かった」

「えっ、お兄さん……」


 加絵の目の端に涙が溜まっていく。今にもこぼれ落ちそうだ。


「そうだよ。加絵の想像通り。僕は加絵を裏切るよ。約束をしておいて簡単に翻意する。しかもすぐに。つまり、その程度の口八丁人間なんだ。いざとなれば、自分さえも騙してしまう。そういうことも過去にはあったな」


 その瞬間に加絵は豹変した。


「どうしてよお兄さん! なんでそこまで簡単に切り捨てるの? 一切の迷いもないなんておかしいよ。それに幼馴染なんか関係ないじゃない。どうしてどうしてどうして! 恋人は問題ないのにおかしいよ! 家族はダメなの? 妹だとなにか問題あるの? 鮫島さんはどうしてそれを問題にするの? 答えてよ! お兄さんのばかっ! どうして答えてくれないのっ!」


 加絵は我を忘れてるようだった。一生懸命に叫ぶ。僕はそれに反論すべきだろう。胸中もその想いであふれてる。なのに、全くできない。加絵のエネルギーが凄まじいせいか。言葉の奔流が襲い掛かってくる。まるで金縛りにあったかのようだ。身動きが取れない。


「なんでなにも言わないのっ! そんなのお兄さんじゃないっ!」


 加絵が僕の制服をつかんで引っ張りだす。おかげで、イスが横転して派手な音を立てた。それがよく響く。やはり、周囲には誰もいない。フリースペースはそのまま。ここは第二図書室。第一図書室の奥にある隠れ家みたいな場所。


 加絵の怒りはさらに激しくなっていく。激昂してるといっていい。頬の紅潮具合によく表れてる。目端の涙はすでに限界。完全に堤防が決壊。ボロボロと床に落ちていく。大粒の涙だ。


 加絵は怒りに任せたままで変わらない。僕を引っ張り続ける。徽章付近のボタンが派手に取れた。さらには、床に押し付けてくる。さすがに抵抗してもと思う。でも、このまま甘んじた方がいい。などと感じた。それは加絵が怒る場所を失わせたくないという気持ちか。いや、そんな殊勝な考えではない。もっと打算的な何かだった。


「お兄さんは私を助けてくれない。そうか。お兄さんは私を助けてくれないんだ。私はお兄さんに助けられない。そして、お兄さんを救うことも出来ない。その機会も与えてもらえない。だったら、お兄さんなんてっ。 お兄さんなんて!」


 加絵が馬乗りになって攻撃。拳で胸を何度も叩く。その作業を繰り返す。まるで剣道の打突みたいに重い。物理的な痛さだけでない。肺腑までえぐられてる。痛切なダメージだ。


「マク!」


 いきなり違う場所から声が聞こえた。聞き慣れた声。しかも、マクと呼んでる。これは翠しか当てはまらない。


「ああ、翠か」

「なにしてるの! マクを今すぐ離してっ! どうしてこんなことするのっ!」


 翠が加絵を引き離す。翠の膂力でもなんとかなったらしい。不思議だ。翠にそこまでの力があったんだろうか。火事場の馬鹿力かもしれない。


「やっぱり来たのね、鮫島さん。あなたはそういう人だと思ったよ」

「私だってそんな予感がしましたね。なぜだか胸騒ぎが収まらなかったから」


 いつのまにか、翠と加絵が対峙してた。まるで一大決戦でも始まるかのようだ。でも、結果は見えている。揺るぎない結論がそこに備わってるから。


(加絵、ごめん)


 胸中でつぶやく。後悔の念が募っていく。安易な約束をしたこと。いや、それよりも今の状況だ。本当に残酷だと思う。実質二対一。僕は最初から翠に加勢。そこは変わらない。不変の事実。だから、こういう展開になってはいけない。これを深く反省しないとだめになる。単にもっと早く伝えていれば良かった。そうすれば、もう少し穏便に済ませられただろう。僕が非難されるだけの話で収拾していく。誹謗中傷を全て背負えばお終い。これで丸く収まるはずだったのだ。

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