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『電話を掛けないと見せかけて、電話をする私』
『電話を取らないと見せかけて、電話を取る僕』
『なにが言いたいの? 全然分からないよ』
『お互いにね。ただ、その指摘は間違いない』
『で、今日の待ち合わせは暗いところだよね』
『逆逆。そこは本を読む場所に適さない』
本を読む場所。その旗印となるべき施設は図書室だ。間違っても図書館ではない。学校という前提が存在。要するに、本を読むのが第一目的ではなかった。メインは放課後の待ち合わせ場所を決めること。いつも校門で落ち合うのはよくない。都合もタイミングも滅多に一致しない。暇つぶしもできない。人間観察だって限度がある。それと太陽の照りつけも段々と厳しくなっていく。日を増すごとに力強く熱を放射。まるでアスファルトを焦がしてしまいそう。もしかしたら、蜃気楼が見えるかもしれない。でも、七月上旬とはそういう時期。本格的な夏の始まり。いや、すでに夏は来てる。そのくらい暑い。本当に今年は猛暑すぎると思う。天気予報も連日連夜で注意を喚起。暑さ対策に余念がない。というか多すぎだ。これでは無意味な政策と同じ。次々と新しい方法が生み出されていく。
そして、暑さが原因か。最近は太陽の位置を高く感じる。ふいに見上げた太陽が遠い。などと何の感慨もなく思う。もちろん、そんなことはないはず。夏至をピークにして下がっていく。理論上はそうなるだろう。だから、ただの錯覚にすぎない。なのに、不思議と高い印象を抱く。本当におかしい。
閑話休題。とにかく、炎天下での待ち合わせは禁止へ。仮に熱中症で倒れたりしたら大変。なので、この判断は正しい。いくら加絵が主張してもだめ。外より中の方がいい。校門より図書室の方が適してる。そういうわけで、僕と加絵は図書室の常連に。とはいえ、加絵は図書委員。常連も何もない。元からその場所を巣窟にしてる。もっとも、加絵だけでない。僕も図書館は利用。月二回発行の図書報を参考にして本を吟味。やはり、資料がないと選べない。無数の選択肢からチョイスするのは中々に大変な作業。基準がないと困ってしまう。しまいには、この膨大な知の集合体に圧倒されていく。
ところで、我が高は普通の建物でない。近郊随一の建築的特徴が散見される。それは土地面積を存分に活用した立体的措置の校舎。たとえば、七、八階建てのマンションを想像すると分かりやすい。あの雰囲気に酷似してる。やはり、縦に長いというべきか。
で、そんな高校だが図書室は大きい。かなり立派だ。際立った存在感を放ってる。もちろん、それは箱だけでない。箱だけなら中身が伴わない。蔵書も豊富に揃えてる。普通の図書室とは比べ物にならないと思う。場所は一階なのに斜光がしっかりと入る。電気をつけなくても明るい。図書室として最適な場所。待ち合わせにもってこいの環境だ。
とはいえ、これは県が指定した抜本的改革案の指定校になったおかげ。つまり、サンプルとして図書室の向上化計画校に選ばれたことが大きい。その施策が過分に影響してる。元々箱自体が立派だったせいか。なので、上手く抜擢されたかもしれない。さらには、タイミングもよかったと聞く。近年のネットワーク化が功を奏した。データーベースを整えて基礎から発展していく。管理下の統制を受けて形態も様変わり。こうして立派な図書室に生まれ変わったという。詳しくは学校の歴史に載ってる。でも、見る機会はないと思う。
僕と加絵は適当に会話をして切り上げる。早い話、電話で待ち合わせ場所を決めてもいい。むしろ、その方が正しい気がする。ところが、それを良しとしない。なぜかは分からないが。問題なんかないだろう。
待ち合わせ場所はやはり変わらない。図書室。ただ、図書室でも第二の冠がつく。第二図書室という別種の施設の存在。それが通常の図書室の隣にある。独立形態ではないが区別されてる。ここは人が少ないのが特徴。軽いおしゃべりをしても問題がない。重宝できる場所だろう。
「おーい、篠原くん。今帰り支度?」
「ああ、うん。帰り支度だね」
クラスメイトが話しかけてきた。いや、正確には翠の友達。僕も高校から面識がある。でも、そこまで話す間柄でない。改まってなんだろうか。少し身が引き締まる。
「ちょっといい? いいよね。顔貸してよ」
「それは有無を言わさずということかな」
「全然全然。そんなつもりはこれっぽちもないなあ。額の産毛ほどもないから。身構えなくてもねえ。大きな度量を持っていこうよ。大空に翼を広げるくらいの気持ちでさ」
放課後はいつもと同じ。活気に満ちている。なのに、今の教室は違う。端的に言って、人が少ない。おかげで、へんな雰囲気を醸し出す。
「なになに? 私を警戒してる? べつに取って食おうというわけではないって。単に言いたいことがあるだけ。でも、それだとフェアじゃないからこうしようか。篠原くんが私に言いたいことを聞こうかな」
「急に言われても思いつかないさ」
そんなことはなかった。言葉とは裏腹に言いたいことが見つかる。むしろ、聞いてみたいというべきか。もちろん、翠と仲良くやってるかではない。この猜疑心に満ちた質問からは何も生まれない。そもそも、翠の問題。ここで介入することもなく。しかも、社交能力は翠の方が高い。だから、でしゃばる必要はない。
だとすればである。何が聞きたいか。それは彼女の習性。単なる探究心にも近い。不思議に感じたことを聞く。それだけの話だった。
「ない? べつになんでもいいんだよ。女の子にとって話しにくいことでも。男の子にとって好きなことでもね。一応、具体的な単語は示さないけどさ。でも、篠原くんなら答えてあげるのもやぶさかでないかな。学年一の弟だしねえ。三月三十一日生まれだから」
誕生日が三月の最後。これは翠の知り合い全員に知れ渡ってるだろう。明らかにそんな気がする。
「にしても、学年一の弟か。嫌なフレーズだなあ。早生まれで得することはあるのか。しかも、三月三十一日という年度最後の日だ」
「まあまあ。いいじゃんか。深く考えない。学年一の弟というフレーズもかっこいい。それにエッフェル塔が完成した日だしさ。三月三十一日。これはマンガの知識だけどねえ。とにかく、エッフェル塔最高ー。フランス最高ー。ついでに生きてるのも最高ー」
「エッフェル塔ね。東京タワーとどっちが高かったかな。あ、そういえば、あそこは自殺の名所だと聞いた気が。知名度的には富士の樹海と同じくらいだよ」
「へえぇ。そうなんだ。想像するだけでも怖いねえ。あーって感じだ」
ほんとに何の話をしてるんだかと思う。
「ちなみに、エッフェル塔は曲がってたっけ?」
「え? それはないと思うんだけど」
ピサの斜塔ではないか。塔繋がりで誤認してるかもしれない。ただ、エッフェル塔が完成した日を知ってる。おかしな話だ。間違いなくマンガの知識なんだろう。とりあえず、正しい指摘をしておく。
「あ、そっか。斜塔って言うよね。しかし、怖い怖い。塔なのに曲がってる。きっちりしてない。身の毛がよだつねえ。でも、理由が分かってるからいいかな。分からなければ、本当に怖い。やっぱり、一番怖いのは自分が知らないこと。これはさっきの話でもないけどねえ。たとえば、自殺する人の心境なんて分からない。だから怖いんだよ。もっとも、私が相手の心境を理解できないせいか。環境にすごく恵まれてるおかげかな。日本だと他の国の深刻な状況を身近に感じられないし。まあ、とにかく生きてるって最高さ。それを実感してるだけでオッケー。卵かけご飯最高ー。ヘビメタ最高ー」
色々なツッコミはともかくとして。最高の例で挙げるギャップがすごい。卵かけご飯なのにヘビメタである。
「一応、冗談はこれくらいにしておくけどさ、篠原くん。早生まれはあれだよ。幼い時に他の人と能力的な差が出る。一学年も違うんだし。だから、その反骨をバネにしてほしいんだと思う。物事から逃げずに立ち向かえる子どもにしたい。親にそんな理想があったはんじゃない?」
反骨。物事から逃げない。本当に耳が痛い話だ。今の現状は確実に問題から目を背けてる。間違いだと分かってても。
「えっと、篠原くん。真に受けられても困るなあ。実際はそこまで計画的に出産できないと思うしさ。単なる誤差の範囲かもしれない。この話だって推測にすぎないよ。あ、でも、排卵誘発とかすれば……。計画分娩をしてもいいし。ただ、昔だとどうなんだろう。うーん」
なんだか一人で自問自答し始めた。話が勢いよくフレームアウト。
「まあ、分からないから考えても仕方がないよ。それよりも僕が聞きたいことだったよね。間違ってない?」
「ああ、うん。そうそう。全然間違ってない。篠原くんが女の子に言わせたいことをすばりと聞いちゃうコーナー。ただし、エロでなくエッチな範囲に収めないと。ここはかなり重要。ラインマーカーが必要なくらい大事なポイントだから」
「ちょっと待って。なんで急に深夜ラジオみたいなノリなんだか。しかも、アリクイ並の罠だよね。食いついた瞬間に大ダメージをうけそうな気が。これなら飛んで火に入る夏の虫じゃないか。その戦略には引っかからないぜ」
本当にへんなやり取りだと思う。テンションが振りきれた翠のノリに近い。
「引っかからないか。でも、ダメだなあ。男の子なら分かってても罠にかからないと。食いつかなければいけない時だってある。それが男の子たるプライドというものさ。プライドオブ食いつきだよ」
「意味が分かんなくて困る」
「分からない? 篠原くんはほんとにダメだなあ。心で感じないと。心だよ心」
拳を振り上げて熱く語る。しかも、ダメだしまでされた。ただ、こうして話すとあれだ。彼女のノリは面白い。
「まあ、とにかく一つは思いついたよ。ただ、失礼かもしれないな。でも、聞きたいと思ったんだ」
「へえぇ。なにかな? なんだか面白そうだねえ。すばっと言っちゃって」
「うん。分かった」
頷くと期待した視線を向けてくる。期待に沿えないのが若干つらい。
「あのさ、畠山さんは髪型を変えたりとかしないの? いや、これではニュアンスが違うな。全く印象が変わらないのはどうして?」
畠山さんの印象はいつも変わらない。不変である。そして、その象徴が髪型。べつに結んだりはしてない。特徴的な髪型でもないと思う。なのに、一線を画している。
「あはは。篠原くんは面白いことを聞くねえ。一見面白くなさそうでも面白い。これはすごいことだ。だいたい、私と知り合ってから日も浅いじゃないか。真面目に話したことないはずだし。そんな結論を出すには早すぎる気がしないかい?」
「たしかにその通りだね」
またしても頷く。
「とはいえ、私は幼少時からずっとこの髪型。主に髪質のせいでね。丹念にセットする必要もなし。勝手にこうなるから。ただ、これは私がきっちりしてるせいだよねえ。ここをびしっとしないといけない。いつもそう思ってる。もっとも、私がワンレン大好き人間のせいかな。まあ、前髪アリ子ちゃんもかわいいと思うけどさ。どう? 納得した?」
「納得というか。納得してないというか。こういう表面的な話ではないんだ。たしかに髪型のことを言ったよ。でも、それとは全然違う。もっと、根本的な何かを感じたんだって。畠山さんに備わってる揺るぎない確信。揺るぎない信念みたいなやつ」
「ははぁー。篠原くんは私が偉い人にでも見えてるのかな。だったら、そんなことはないと断言するよ。確信とかを持ってても正しいとは言い切れない。間違いの可能性はいくらでもあるんだし。ただ、私が偉い人に見えるなら言おうかな。私は篠原くんに一つだけ教えたい。もしかしたらうざいかもしれない。でも、この話は必要になりそうな予感がしてるからねえ」
畠山さんが手前のイスを引く。僕を座るように促した。なので、遠慮せずに座っておく。さらには、隣のイスも持ってきた。自分が座るためらしい。つまり、腰をすえて話すということか。それ以外に理由はない。
「あのさ、篠原くん。今からすごく恥ずかしい話をするけどいい? できれば、一晩で忘れてほしいくらいのレベル。でも、忘れるのは誰の発言かだけ。そこは理解してほしいな」
頷くしかない。というか、頷いてばかりだ。完全にペースを握られてる。




