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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
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この小説は幼馴染、後輩、妹、エトセトラみたいなお話。過度な期待は禁物で。

 今朝の雨が一定のペースで降り続く。今も変わらずに。まるで使命であるかのように。すでに昼過ぎだが、空は一切変化なし。ここ最近の天気とはだいぶ違う。コロコロと変わる雰囲気は皆無だ。同様の雨が一日中降っていそうな錯覚に陥るほど。無論、雨量の方も変わらない。緩やかで静かな雨。絶え間なく降り注いでいるだけ。ただ、それがこの季節の正しい雨。そんな気がする。


「えー、雨と月と太陽はー、互いに関連性があってですね」


 今は授業中で五限目の現代文。発言は公家と揶揄される教師。いつも同じ内容の講義を繰り返す。とはいえ、至って真面目で惚けているわけでもない。この繰り返しスタイルは変わらない風物詩。誰も迷惑していないが困惑してる。話は自然についての評論文。難解といえば難解。簡単といえば簡単。解釈の仕方で見方は変わりそうだ

 

 教師の話が退屈になってきたので、視線を外に逃がす。窓を見れば、小さな水滴が伝う。水滴は導かれるように下へ。こんなのは当たり前。でも、不思議な現象が起こってる。それは水滴が左右へ細かく動くこと。基本的に下へつたうが、動きは直線でない。まるで蠕動しているかのように動く。さらに、水滴は自身を変形させる。質量を減少したり増幅させたりと。柔軟に形を変えていく。

 

 それを見て、僕は水滴の物語を考える。そう、水滴のバックグラウンド。ドロップストーリー。彼らはどこから来てるのか。そして、どこへ向かっていくのか。再生と喪失。これを何度も繰り返す。その興味は全く尽きない。ただ、今の話は水滴だけに限らない。そういうのはどんな場面においても存在する。たとえば、それはどこか知らないところで続く各々の人生と同じ。誰もがその瞬間を意識したり意識なかったり。いや、正確には意識したいときだけ意識。ハロー。グッバイ。ハロー。グッバイ。こんな容易い感覚なんだろう。まるで再生と喪失だ。


「そして、これらはどこまでも密接で」


 教師の講義が同じ個所に舞い戻る。またしても内容の重複。生徒の反応も怪しい。その頭上の蛍光灯も同じように怪しい。軽い明滅を繰り返す。なので、あれはもう少しの寿命だと冷静に判断した。











 教室では蛍光灯をつけないと暗い。ただ、空の方は意外と明るい。とはいえ、雨天時と比較してほんの少しだけ。その証拠にたなびく雲は灰色。いや、ネズミ色か。どちらとも受け取れる色合いだろう。でも、その雲が日光を巧妙に隠す。そして、それが雨の存在を大きく後押しする。


「…………」


 やはり、僕の中では雨の存在が大きい。天気の中で好きなのはもちろん雨。雨にはリズムが存在。確立された方程式のような何かがあって、その美しさを寸断なく僕に与えてくれる。それは心を落ち着かせるリズム。生き馬の目を抜く現代社会における一服の清涼剤だ。この雨のリズムさえあればいい。物事に対して頭を悩ます必要が一切なくなる。


 そして、そのリズムが一番心地良く感じるのは五月。雨は雨でも五月は趣が違う。それが何かは具体的に説明できない。でも、なぜかそうだと感じられる。心に響くリズムがイメージと完璧に合致。波長が合うという表現で正しい。だから、五月の雨は特別な気分になっていく。


 特別といえば、五月の雨の日に決まってすることが一つ。それは屋上で雨音を聞くこと。この慣習は儀式みたいなもの。中学一年から続いてる。中学の時は屋上に大きな空調機器が備わっていて、その建物の庇に身を潜める場所があった。不思議なことに人一人分のスペースが空いていた。それもくっきりと一人分。まるでそこへ収まるのが正しいと思えるほど。でも、どこにだって人一人分のスペースは存在してる。たとえば、学校の自販機の横とか。あるいは教室のカーテンの横とか。意識していないと気がつかない。きっと、世の中はこんなことであふれているんだろう。


 ともあれ、僕はそのスペースを大いに利用。そこで雨音を聞く。リズムを感じる。その感覚を助長し続けて自分だけの世界を構築。大事なモノを独り占め。そんな心地よい全能感にも浸っていた。


 こうして、僕は場所の重要性を理解。雨音を聞く環境。それも大切な要素だと。単に聞いても趣がない。そんな教訓を胸に屋上で新しい場所を探す。リセット。アンドニューサイクル。そして、その場所を容易く見つけた。この高校にも同じようなスペース。今回は給水タンクだ。人一人分のスペースは変わらない。そう、いつだってスペースはできている。それが自然なことだと思えるくらいに。











 授業が終了して放課後。教室は解放感で満たされる。四月の初々しさも過ぎ去り、そこかしこで歓談の輪。高二という等級にも慣れてきた。ゴールデンウィークが終わったのだから試運転も終了。ここからが本格的な雰囲気だ。


 天気の方は相変わらずの雨。今朝からこの時間まで変わらない。緩やかで静かな雨が降り続く。外では色とりどりの傘が開いてる。赤、青、黄色、緑、ベージュ、黒、透明。他にも色々と。ただ、わりとモノトーンが多い。そんな印象だ。


 僕は窓から視線を戻す。鞄に教科書とノートを詰めていく。帰り支度。でも、帰るわけではない。その前に屋上へ向かう。これは今までと同じこと。四月に見つけたスペースで、至福の時間を過ごすという日常の非日常。五月だけの儀式。


 教室の喧騒はまだ続く。まるで止むことなどあり得ないように。静寂は世の中に存在しない。騒々しいのは正しさの象徴。このような勘違いしてしまうほど。そんな様子を尻目にして席を立つ。少し浮き浮きしている。それは否めない。


 離れた場所では、幼馴染の翠が怪訝な表情。何かを勘ぐっている。なぜなら、翠は勘がいい。加えて要領もいい。だから、細心の注意が必要だ。この儀式だけは秘密裏に遂行しなくてはいけない。などと思う理由は見当たらないが。


 翠の視線をかいくぐった僕は屋上へ向かう。屋上へ行く階段は人の気配がしない。雰囲気からもそう感じる。学校の七不思議にも使われそうな階段を上り、ドアノブをゆっくりと捻っていく。すると、途端に雨の音が耳朶へ響く。サーサー。サーサー。やはりこの音。安寧と落ち着きをもたらしてくれる。


 いつまでもここに突っ立っていてはあれだろう。僕は給水タンクまで歩いていく。雨量は多くない。なので、傘は差してない。傘が必要なのは、濡れネズミになってしまう時だけでいい。頭と肩に少量の雨が当たりつつも、給水タンクの横へ。あるのは人一人分のスペース。そこがぽっかりと空いている。


 今年、僕がここに来たのは二回目。最初の日と比べて違和感は少なくなった。それはここにいることがフィットしてきた証か。戻ってきたといってもいい。あの素晴らしい感覚を徐々に思い出す。雨の音。小さな空間。どこかに置き忘れたような懐かしい想い。


 僕はゆっくりと腰を下ろして様子を窺う。姿勢は体育座り。今の座り方がこういう場所に相応しい。この姿勢で耳朶に響く雨音を確認。感じるリズム。五月の雨の旋律。目を閉じると鮮明になっていく。


「――――、――――」


 瞑想しながら思考。今年はどうだろう。五月に何度の雨が降るか。どれだけこんな体験ができるか。一ヶ月だけの特別な期間。楽しみで仕方がない。


 時間にして五分間くらい。瞑想した後、僕はゆっくりと目を開ける。雨の音は絶え間なく続いて変わらない。そこに一切の乱れはなく整然だ。


「ん?」


 違和感は視界の右端。僕は思わず声を上げていた。給水タンクの壁に何かがある。この場所に適していない原色。強いカラー。ピンク色。どうやら壁に貼りついている。何かの紙みたいだ。


 僕は顔を近づけて、その紙を確認する。やはり色はピンク。見間違いでない。付箋だ。いや、呼び名はポストイットか。ポストイットは雨で濡れることなく、絶妙な場所に貼られてる。これは誰かの意図で間違いない。アイテムと色。そこから判断して、女の子のイタズラか。ただ、女の子のイタズラなんて想像つかない。


 さらに近くで見れば、弱い筆圧で文字が書かれてた。ペンとかではなく鉛筆。分からないくらいの薄さだ。文字が何の意味を成すのか。この距離では不明である。なので、その紙を慎重にはがしていく。すると、糊が弱かったのか簡単に取れた。手触りは滑らかで紙の印象そのもの。逆にザラザラしていたら困惑だ。


 もちろん、ザラザラ感を期待していたわけではない。だから、問題なく次の行程へ。とはいえ、することは一つ。この文字の確認。いや、その前に矯めつ眇めつしてみる。一応、隠れた布石がないかの調査だ。でも、何もなかった。


「さて、いよいよ確信に迫る時がやってきたか」


 大げさに宣言したのは、心の高鳴りが抑えるため。不思議なことに心の高鳴りが止まらない。期待外れの可能性もあるのに。妙に興奮していて脈拍が速い。心臓が早鐘を打つ。雨のリズムと正反対に暴れている。




 ――思えばこの時、僕には一種の確信めいた予感があったかもしれない。誰もが刷り込まれている楽観からの期待に満ちた感覚。悲観とは正反対の代物。ポジティブを超越した何かだ。その感情がこの瞬間にはあった。まるで物語の原初を切り取って抽出させたかのような圧倒的な誘起性である。




 弱い筆圧で書かれていたポストイット。この一要素に特別な感情を抱く。やはり、不思議だ。何がそこまで駆り立てたのかは分からない。でも、そういう場面は確かに存在する。こういう瞬間を見出すために日々をやり過ごす。それは過言でもないはずだ。


 感情の紆余曲折はともかくとして。僕はその紙を凝らして見る。かなり真剣な確認。暗号を解読してる気分だった。見えた文字は明確な意思での記入。心情を切り取った一瞬の言葉の雫。凛とした女の子の字体。そして、それを慎重に読んでいけば、意味のある文章へ。まるで塗りつぶして浮かび上がる文字を解明していくようだ。ゆっくりと詳らかになっていく。


『ごめんなさい。好きですよね、雨』


 ごめんなさい。好き。雨。胸中で三つの単語を復唱する。謝罪で始まり、余韻の残る終わり方。事後確認みたいな言葉。なぜか、心の琴線をくすぐる甘美な響きだった。でも、不明なことが多すぎる。特に謝罪の意味が。


 ともあれ、軽く推測を試みる。最初は、筆跡者が僕の行動原理を知った可能性に追及。いや、追及するまでもない。答えはすでに既出。知ってると宣言していた。もしかしたら謝罪はそういう意味なのか。先んじて僕のことを知っていた。このことに若干の後ろめたさを抱く。その可能性は否めない。そして、謝罪しつつも事後確認の言葉。おっかなびっくりに。でも、確信は持っている。これは水の冷たさを慎重に加味しながらも顔を洗うかのようだ。窺う姿勢に遠慮が見受けられた。


 筆跡者がどういう気持ちでこの言葉を記したか。それは不明だ。ポストイットは分かりやすい場所に貼られていたわけではない。むしろ、気づく可能性の方が低い場所。不確定要素に任せた部分が多い。なので、積極的に推奨しているのとは違う。


「好きですよね、雨」


 やはり、言葉のニュアンスは難しい。どのように解釈していいか。それが分からない。でも、たしかに雨は好きだ。情緒があって美しい。そして、そのことに好意的なメッセージを残してくれたのも事実。心情としては十分期待に応えてもらった。あれだけの期待を抱いたにもかかわらず。そう、僕の内側に潜んでいる罪障、無力、喪失といった感情。それが少なくとも、あの瞬間だけは忘却の彼方に置かれてしまうほど。


「…………」


 僕はポストイットを違う場所に貼り直す。あるメッセージも携えた。ただ、スタンスは決まってる。筆跡者と同様のスタンスだと。筆跡者を模倣して、不確定要素を主軸にした。見つからなくてもいい。見つかってもいい。それくらいの感覚。その姿勢が正しいかどうかなんて分からない。でも、そうするのが流儀のような気がした。

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