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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第二章 『エレクティブ・リストレットカッティング』
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6

 学校で翠と別れて自宅へ。隣を歩く人が幼馴染でない。それだけで慣れ親しんだ道がいつもと違う。近くの公園を横切る。民家を通過する。風景を見渡す。こういうのが明らかに違ってくる。べつにどこが違うというわけではない。単に感覚的な問題だ。そう。感覚的。詳しく説明できない。だから、一人禅門答みたいな気分になっていく。とにかく、違和感が拭えない。ただ、それは仕方ないと思う。違和感とはそういうもの。今がいかに普段と異なる状態か。そう考えればあれだ。日常というのは貴重な存在。はかり間違っても日常は異ならない。もっとも、これが日常になるかもしれないが。


 途中、翠の家も通りすぎていく。軒先で犬がだれてるのを見つけた。名前はキキ。土佐犬なのにかわいい呼び名。今は暑さにやられてる。いや、腹ペコでへばってる可能性が高い。この有り様では防犯の役に立たないだろう。


 翠の家を通ると自宅はすぐ。距離にして百五十メートル。時間にして二分半。それくらいの換算になる。ポストを確認して、鍵を取り出す。ガチャリ。鍵穴を回すとドアが開く。そして、彼女を向かい入れた。


「ようこそ我が家へ」

「お兄さん。それは違うよ」

「そっか。今は二人きりだもんな。これなら約束した通りだ。おかえり」

「ただいま」


 屈託のない笑顔を見せてくれる。


「一応、もう一度確認しておくよ。本当にこういうやり取りでいいの?」

「うん。いいの。私が望んでるから。それは分かってるよね。後、お兄さんも心の中では同じように望んでる。もちろん、望みの強度は違うけどね。でも、望んでることに変わりはないでしょ?」

「まあね。それを言われるとぐうの音も出ないな。全くもって否定はできないから」


 僕は嘆息した。


「では、これからもよろしく。加絵」

「こちらこそ。お兄さん」


 ぎこちない挨拶はとても照れくさい。


「じゃあ、どうしようかな。とりあえず着替えてくるか。加絵は部屋を見ておきたい?」

「うん。そうしたいのもある。でも、先にお兄さんのお部屋へ行きたいな」

「そっか。分かった。ついてきて」


 先導して階段を上っていく。加絵はついてくる。一つ視線を投げかけてみた。特に反応なし。それもそうだ。当たり前だろう。やがて、自室の前にたどり着いた。ドアを開けて入るように促す。加絵が部屋へ入っていく。


「わあ、イスが多いね」


 まずはイスの多さに驚く。これが普通の反応。間違いない。翠はイスに何の感慨も抱いてなかった。改めて考えてみると不思議だ。

 

 加絵は部屋を見渡す。見分していくような観察。まるで実地検証みたいだ。気がつくと五分以上は経過していた。なのに、まだ興味があるらしい。相変わらず見回ってる。


「なんかさ、目覚まし時計が三つもあるね。これ、全部違う種類のやつなの?」

「そうだよ。これはデジタルとアナログ。どちらとも使いこなせてないな。後、こいつは少し特殊な電波時計。周波数が合わないと受信しないんだ。とはいえ、そんな経験は一度もないけどね」

「へえ、電波の目覚まし時計か。そんなのがあるとは。分解してみたい」


 それを手に取ってつぶやく。


「ねえ、お兄さん。時計の種類って存外に多いと思わない? 時間を知らせるだけの役割なのに不思議だよね。砂時計。振り子時計。水晶時計。懐中時計。今考えただけでもこんなに思いつく」


 加絵が指を折りつつ時計を挙げていく。ただ、これ以外にもたくさんの種類がありそうだ。僕もいくつか考えてみる。日時計。花時計。鳩時計。天文時計。ざっと考えただけでもこんなに思いついた。他にも正式名称が分からない時計だってある。


 ところで、どうしてこんなに時計の種類が多いのか。ふと疑問に思う。加絵は時計に時間を知らせる役割しか与えていない。果たして本当だろうか。だとすれば、もっと時計の種類は少ないはず。加絵の提唱する影響力だとその程度の影響にしかならない。だから、時計には大切な役割がある。急にそんな気がしてきた。なんというか、時計はノスタルジーを喚起させる。ノスタルジーを身に纏ってると思う。


「しかし、こんなに種類があるのか。思いもつかなかった。これも加絵が時計に詳しいおかげだ」

「お兄さん。そんなことないよ。私が知ってたのは普通のことだけ。そもそも、いくら詳しかったとしても全然なんだって。自分より詳しい人が五万人いる。だいたい世の中というのはこんな感じだと思うんだ。まあ、五万人は一つの目安だけどね。でも、そんなふうに思えばあれだよ。自分が詳しいなんてとても思えないって」


 なんだか、やけに謙遜している気がした。


「だからさ、第一人者というのは本当にすごいな。たとえ、それがへんな分野だとしてもね。ところでお兄さん、どうして三つも時計を持ってるの?」


 それを聞くならイスだろう。イスの方が個体数も多い。しかも、イスであれば理由を述べられる。イスコレクションには意味があるから。ただ、加絵はイスが多い理由に興味を抱いてない。時計の方が気になってる。


「加絵。僕が時計をたくさん持ってるのに理由はないよ。べつにコレクションとかではないんだ。単純に朝が弱いだけの話。それは夜更かしのせいでもあるんだけどね」

「あー、夜更かしは良くないよ。お兄さん」

「そうだな。加絵の言う通りだ。一応、良くないという自覚はあるさ」

「自覚はある。でも、どうしたらいいか分からない。そういうことなの?」


 加絵が噛み砕いて聞いてくる。


「うん。そういうことかな」


 もっとも、根本的解決など不可能。これは習性に近い。習性とは備わっているもの。簡単には覆すことが出来ない。


「そっか。だったらどうすればいいか。逆算していけばいいのかな。えっと、夜更かしをしない。夜眠くなる必要がある。そのためには普段の活動をしっかりする。朝早くの起床も習慣づける。そうだよ。毎日シャキッと起きることが大事。私、それくらいならお手伝い出来るかも。そうねー。モーニングコールをしてあげるのはどう?」

「えっと、なんか一周回って戻ってきてない?」

「そうかな? 時計だけに?」


 そして、一つの時計を取り出す。持ってるのはデジタル時計。一つずつ選んで、これを手に取った。その行為には意味があるんだろうか。もしかしたら、今の宣言と関係があるかもしれない。


「ほら、やっぱりそうだ。お兄さん、私の勘が当たったね。この時計には人の声を録音する機能がついてるよ。ほんの短い時間だけどね」

「やはり関係があったのか」

「え? お兄さんどうしたの?」

「いや、なんでもない。それよりもそんな機能があったなんてさ。全く知らなかった。どうやら、使いこなせてないのは本当だ」

「あは。本当に本当だよ。でも、今からだって覚えていけばいいじゃない。私と一緒に。他にも変わった機能がないか探してみるね。お兄さんは見てて」


 加絵が時計をいじっていく。さすがに分解はしてない。ただ、分解の一歩手前である。細い指が丹念に時計を探っていく。やはり、女の子に機械いじりは似合わない。むしろ、苦手そうだ。そもそも、加絵の区分的には文学少女。文学少女は機械オンチでないとはいけない。などという妄想はともかく。


「お兄さん。この時計の説明書みたいなやつ持ってる?」

「ああ、うん。あると思う。たぶん、机の引き出しの奥だな。保証書と一緒に保管してるはず。ただ、正確な場所は分からないよ。探すのに時間がかかりそうだ」


 僕は引き出しを調べる作業に入っていく。


「お兄さん。開ける順序は逆にした方がいいと思うよ」

「あー、その通りだね。忠告ありがとう」


 普通に上から開けていた。でも、下からの方が効率はいい。開閉の手間が大いに省ける。なので、下から順番に開けていく。下の方は普段開けないせいだろう。いろんなものが出てくる。特に懐かしいのは翠との幼き思い出。なんか交換日記があった。しかも、記憶にない。これは今読むのが気恥ずかしい代物だ。厳重に封印しておく。鍵付きの金庫にでも閉まっておくべきかもしれない。


 件の説明書は中段辺りで発見。意外と厳重に保管してある。体系的に整理されて分かりやすい。おかげで楽に見つかった。


「あったよ。加絵」

「ありがとう、お兄さん」

「いやいや。お礼を言うのはこっちの方だと思うぜ」

「あは。そうだよね。でも、私だって明らかに楽しんでいるかな」


 加絵が説明書を広げる。説明書は本じゃない。単なる折りたたみ式だ。だから、一気に幅を取っていく。


「なんかさ、こういう形式だとコンパクトな世界地図みたいに思えてくるね」

「まさか。世界地図はこんなに小さくないよ。この大きさで網羅できるわけがない」

「まあ、そうだよね。どれどれ。あ、あった。こんなに分かりにくい場所だとは」


 どうやら、録音機能の説明欄を見つけたらしい。それを真剣に読んでいく。


「よし。分かったよ。これなら説明書を読まなくても大丈夫。やっぱり、機械は適当にいじっていく方がいいかな。お兄さんの時計だから遠慮してたけど」

「いや、十分好き放題にいじってたと思うよ。いじくるの大好きって感じでさ」

「またまた。お兄さんってば」


 加絵は謎の照れ笑いを見せてた。照れ笑いかわいい。


「さあ、気を取り直してやりますか。もちろん、録音する時は黙っててね。お兄さん」

「分かってるって。今からしゃべらないよ」


 僕は決意を固めて黙りこくる。事の成り行きを見守っていく。大方、録音の準備も整ったようだ。加絵が深呼吸をしてる。そして、あるボタンを押す。


「すけこましお兄さん、起きて。起きないと襲われちゃうぞ」


 また同じボタンを押した。これで終了か。でも、苦言を呈したい気分だ。


「加絵。今のはなんだよ」

「や、パンチのある言葉じゃないと起きないかなと思って」

「パンチ利きすぎ。モーニングコールってさ、基本的に毎朝聞くやつなんだから」

「そうだね。善処するよ」


 加絵は違うボタンを押す。たぶん、録音を取り消してる。


「よし。これでまた録音できるね。お兄さんいくよ。準備はいい?」

「いいよ。任せた」


 録音スタート。


「起きて起きて。もっとっもっとっ起きて。起きてぇ! もっと! 激しく起きて!」


 録音ストップ。


「もっとパンチが利いてるから。しかもあれだ。若干アダルティーに聞こえる」

「うう。そうだよね。やってみて私も恥ずかしかった。少し背伸びしすぎたよ」


 再度録音し直しである。スタート。


「アレー、アラー、モットト、サバヒルヘイルー、サビハリヘイルー」

「待って待って。ストップ。なに言ってるのか全然分からないから。やり直し!」


 すかさずツッコミを入れた。加絵も不承不承ボタンを押して取り消す。


「お兄さんだめだよー。私渾身の中東風モーニングコールなのに。後二分くらいはアドリブで続けられたって」

「その前に一分以上録音できないから。後、中東風モーニングコールってなに? 一体どこからネタを拾ってきたんだ。それに三回目だからそろそろ気づくよ。加絵、間違いなくへんなシチュエーションを想定して遊んでいるよね」

「あ、ばれちゃったか」


 加絵が舌を出してごまかす。


「でも、大丈夫。もうふざけない。だからお兄さん、もう一度だけ私にチャンスをください。今度は立派なモーニングコールを録音する。お願い」


 手を合わせて言われた。もう承諾するしかない。


「分かったよ。べつにだめだって言ってるわけじゃないんだ。こっちも十分楽しかったしさ。ただ、真面目なモーニングコールを聞いてみたいな」

「うん。分かった。四度目の正直だよ。あ、それとも今のは前フリ?」


 僕は黙って首を振った。


「前フリじゃないと。よし。だったら本番にする。期待しててね。いくよ」


 スタート。加絵が息を吸いこむ。そして言葉を放つ。


「お兄さんがんばれ。起きるのがんばれ。早起きがんばれ。日常がんばれ。眠さを吹き飛ばせ!」


 ストップ。空気音がプツと聞こえた。残響音だ。これは集中してたせいだろう。耳がどんな小さな音でも逃さない状態だった。


「お、お兄さん。どう? これならいいんじゃない?」


 加絵は緊張した面持ちで聞いてくる。どうやら、出来を気にしてるようだ。でも、その心配は必要ない。出色のモーニングコール。そして、今なら分かる。あの三つは予行練習にすぎなかったのが。


「加絵、完璧だよ。ここまで気持ちを込められるなんて想像つかなかった」

「あ、うん。そっか。だよねー。お兄さん、どういたしまして。で、さっきのは今流行りの熱烈応援式モーニングコールなんだ。一応、ブームに乗っかってみました。えへ」


 巷では熱烈応援が流行してたのか。初耳だ。そういえば昨日、翠にも電話越しでしてもらった。あれは熱烈応援だったと思う。 


「で、お兄さん。とりあえず聞いてみよっか。録音した声ってあれだしね。意外と分からないところがあったりするんだよ」

「そうだな。聞いてみよう」


 加絵が目覚ましをセットする。声が聞こえるのは一分後。しっかりと役目を果たせるのか。この時計の画期的な使い方に心が躍る。一分の待ち時間が長く感じてしまう。もちろん、加絵も同じに違いない。なんだか見ていてそわそわしい。


 やがて、待ち続けて一分後。その声が聞こえだした。予想するまでもなく熱烈な応援。圧倒的な声量だ。でも、録音してた時と声質が違う。なんだかコンセプトと合ってない。なんとなくずれてる。


「お兄さんお兄さん。今、とても重大な事実に気がついたよ。私、隠れハスキーボイスだったんだ。これはとてつもなく困った事態だって。どうすればいいの?」


 加絵は頭を抱えていた。


「だからずれていたのか」

「やっぱりー。お兄さんもそう思ってたんだね。あああ、私どうしよう。普段は普通の声なんだけどな。いや、普段だって普通の声じゃないかも。だったら、本当にどう過ごせばいいの? 手帳に文字を書いて口をつぐむ生活をしなくてはいけない?」

「それはあまりにも極端だって」


 そんなふうに指摘しても効果なし。加絵の顔が青ざめていく。


「でも、ハスキーボイスなんでしょ?」

「あ、うん。そうみたいだけど」


 それ以外に掛ける言葉は見つからない。


「うう~」


 加絵が落ち込んでいく。


「まあ、録音の時だけだよ。普段の声は問題ないから。後、仮にハスキーボイスだとしても大丈夫。素敵な魅力は十分に醸し出せてる」


 これは翠のウィスパーボイスに身悶えしてた人のセリフではない。


「ほんとに?」

「本当だよ」

「そっか。もー、それを早く言ってよね。お兄さん」


 加絵はすっかり機嫌を直したようだった。

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