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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第二章 『エレクティブ・リストレットカッティング』
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4

 期末テストが終わる。テスト返却と答えの解説。そうすれば、授業が一気に弛緩していく。内容はもう進まない。一学期の復習に重点が置かれる。この現象は夏休みモードという。つまり、夏休みがもうすぐなのだ。

 

 夏。今年は猛暑。梅雨明け宣言もだいぶ前にされている。とはいえ、梅雨の期間はほとんどなかった。そもそも、雨自体ずっと降ってない。およそ、二十日くらいか。さすがに雨が恋しくなる。もちろん、今だって雨の降る気配はない。抜けるような青空。どこまでも透き通っていて果てがない。そんなふうに思えてしまう。

 

 僕は教室の窓から外を見る。グラウンドを使う運動部が準備で動き出す。四方八方に素早く散っていく。ありきたりな放課後の風景だ。


「マクー」



 翠が僕を呼んでる。振り向く。


「昨日電話でさ、たまには一緒に帰ろうかって話したよね。あれ、取り消していい?」

「ああ、うん。べつにいいよ。でも、そういうのは珍しいね。なんか急用?」

「そうなのよ。まあ、急用というほどでもないけどね。さっき、六時間目の途中でメールが来てさ。そっちを優先させないといけなくなったんだ」

「そっか。友達?」

「ううん、違う違う。家からのメール。お母さんがへまをしたせい」

「え?」


 翠のおばさんが失敗をする。そんなことは想像もつかない。かなり気づかいに長けてる人だ。必要以上に幼馴染同士の仲を画策してくるのは玉にキズだが。


「あれ? なんで意外そうな顔してるの?」

「いや、翠のおばさんは立派な人のイメージがあるからさ。へまというのがピンとこないんだよ」

「へえ、そうなんだ。そんなことないのに。へまなんてしょっちゅうやってるよ。暑中お見舞い申し上げるくらいだよ」

「いや、それがどの程度なのか分からないって」

「そうだよね。ちなみに、お母さんはそのタイトルの歌には興味がないんだけど。演歌好きだからさ。とにかく、私のお母さんだと考えれば、聖人君子のわけないじゃない」

「ああ、それもそうか」

「なんと! マクにあっさり頷かれたよ。そこは少し癪にさわるなあ」


 どうも納得できないらしい。若干表情を曇らせる。ただ、睨んでるわけではない。なので、とりあえず一安心。睨みが加わったら、本格的に怒るサインだ。


「ところで翠」

「なに? マク」

「えっと、それはどんな急用? 言えなかったらべつに言わなくてもいいけどさ」


 なんともなしに聞いてみる。これは話を変えるのが目的。いや、そんなに変わってなかった。でも、ついでに怒りの矛先が収まればいい。後、急用には興味があるわけでもなく。だから、固執するつもりは全くない。


 翠の返答を待ちつつも帰り支度。鞄には持ち物を詰めていく。教科書。ノート。その他諸々。そういえば、今日の授業で教科書とノートは使わなかった。筆記具もほとんど使ってない。まさに夏休みモードだ。夏休みモード万歳。


「まさか、とんでもない事態に巻き込まれているとか?」

「いやいや。そんなことないって。マクは心配しすぎ。髪の毛抜けちゃうよ。てか、本当にたいしたことないんだよね。お母さんにお使いを頼まれてるだけ。しかも、買ってくるのはキキのエサだから。買い置きがあると勘違いしてたみたい」

「ふーん。キキのエサか。にしてもあれだなあ。何度聞いたって違和感を抱くよ。あの犬にキキという名前はさ。泥棒を撃退しそうな土佐犬なのに。まあ、防犯意識は高そうだよね」


 帰り支度は終わった。後は帰るのみ。


「うん。そこは抜かりなくやってくれるね。それと名前はしょうがないじゃない。小さい時は可愛かったんだから。キキの幼少時なら違和感がないでしょ?」

「いいや、そんなことないね。大いに違和感があるよ。だいたい僕は昔から言ってたぜ。なんであの犬がキキなのかって。トイプドールやヨークシャテリアじゃないんだからさ。絶対におかしいと思ってた。翠の方は聞く耳を持たなかったけど」

「そりゃあそうだよ。都合が悪いから聞き流してたもん。いちいち怒らなかったことで感謝してくれてもいいのに」


 翠が不満を露わにする。


「はいはい。感謝ね」


 おざなりに返事をしておく。


「さて、そろそろ帰るか」


 僕は鞄を肩でかける。今日は結構重い。ずっしりだ。ずり落ちないように意識しないと。ただ、これはなで肩のせいでもある。ここは思い切って背負う形式にしようか。少し検討が必要だ。


「あ、マク。ちょっと待って。私も帰るから。昇降口まで一緒に行こうよ」

「うん、分かった」


 翠も自席から鞄を取ってくる。あの鞄は高校入学の時に新調した。とても軽そうに見える。もっとも、実際には軽いだろう。あれに教科書やノートが入ってる可能性は低い。というか、想像できない。


 教室を出て階段を降りていく。七階、六階、五階と。土地面積を存分に活用した校舎は立体的な造りになってる。おかげで、屋上の景色はかなりいい。でも、こういう日常的な場面では弊害をもたらす。


「ちなみにね、キキ以外の名前候補はガタピシかオリオンだったんだよ。他にもたくさんの候補があったんだけどね。でも、最終的にはこの三つへ絞られたの」


 犬の話はまだ続いてる。


「あ、そういえばマク。私、このエピソードは話したっけ。私の記憶の中では話してないつもりなんだけどさ。いや、そこはかとなく話したような気もするな。どっち?」

「うん。まあ、聞いた気がするよ」


 適当にお茶を濁しておく。正確には何度も聞かされた。両方の指で収まらない数だ。


「ああ、やっぱりか」


 僕の表情を見て察したらしい。翠が残念そうにつぶやく。


「結局は翠の一存だったんだよね。名前がキキなのは言いやすいという理由だけで」

「そうそう。キキが一番呼びやすいから。でも、そこが一番大事だよね。千之よりもマクが言いやすいように」

「そこまで断言されるとなあ。犬と同じ感覚みたいに思えてくるよ。僕のあだ名をつけた理由そのものがさ」

「まさか。そんなことはないって。マクの考えすぎ。眉毛も無くなっちゃうよ」

「頭髪の次は眉毛ですか。もはや、剃髪でもしないと不可能だ」


 それはともかく。翠は思ってもみなかったらしい。そんな表情でおどけてた。その裏側を読み取ろうとしても徒労に違いない。


「話戻すけどさ、やっぱり人の記憶ってあいまいだよね。都合の悪いことは忘れちゃうのかな」

「そういうもんだって。もっとも、これは都合の悪いことだけに限らないよ。逆の場合だってあると思う。だから、記憶自体が不確実性に満ちているという認識を持つべきかな」


 なぜか世界五分前仮説という題目が頭に浮かんだ。理由は分からない。誰かが話してたからか。いや、そのことをテーマにした本が強く印象に残ってるせいか。


「記憶ついでだけどさ」

「うん」

「昨日、翠は自分が寝た瞬間を覚えてる?」

「あ、そうだよマク。昨日はいつ寝たか全然覚えてないの。そもそも、眠る少し前から記憶が定かではないし。気がついたら朝になってた。携帯を握りしめて寝てたよ。それで今朝もお母さんに言われたんだ。翠はいつも何かを握りしめて寝てるよねって」

「へえー。あ、そういえばさ、物を握りしめて寝る人は天性の嘘泣きキャラらしいよ。ささいなことですぐに泣いて、自分の要求を押し通そうと――」


 拳で顔を殴られた。お腹にもパンチを入れられる。ただ、その割には全然痛くない。加減をしてるのか。それとも力がないのか。その辺は不明だ。もっとも、階段で本気パンチをくらえば大変なことになってしまう。


「マクがあまりにもひどいことを言う。ひどすぎて言葉も出ない」

「言葉は発してるって。後、べつに翠のことを言ってるわけじゃないからさ」

「私だって好きで泣いてるわけじゃないのに」


 翠の機嫌が一気に下降していく。でも、すぐに立ち直った。翠らしい。


「まあ、いっか。涙は女の子の武器だって言われてるしね。仕方ない側面もあるよ。それとマクの本心ではないわけだし。情状酌量しておくか」

「そう言われても釈然としないな」

「釈然とされても困るからね。ところで、ゲームの方はどうなったの?」

「ああ、それは涙なしに語れない話だよ。実はね、翠との電話を切ったノリでゲームの電源を切っちゃって。セーブしてないから全部やり直しだよ」

「えええっ! あーあ。じゃあ、全てパーになっちゃたわけか。とんでもないオチだよ」

「うん、そういうこと。やっぱりこまめにセーブしておくべきだった」


 とはいえ、べつに痛くもかゆくもない。これはゲームの進行に重きは置いてないから。。それよりも大切なことが確実にあったと思う。


「かわいそうなマク。これからもっと残酷な仕打ちが待ってるというのに」

「え? どういうこと?」


 僕の問いには答えない。翠は声色を変えて言う。


「では、篠原千之様。昨日の応援代金を請求させていただきますね。あなたは十五分熱烈コースになされました。なので、料金は一万円になります。一応、チアガールパジャマ姿のコスチューム代はサービスにしておきますね。またのご利用をお持ちしています」

「いやいや。聞いてないから。てか、とんだ詐欺商法じゃないか。高すぎ」

「あはははは。やっぱり高すぎたか。リアリティのかけらもないよね」


 ようやく階段を降り切った。やはり、降りる方が楽。逆に上りの朝はかなりきつい。一段一段が本当にこたえる。遅刻しそうな時は間違いなく地獄。休息なしで上りきれない。


「しかし、こうも段数が多いとザ・階段って感じだよね。この往復の繰り返しはスタイル改善計画にいい影響を及ぼしそうだよ。毎日こうしていれば、足腰が鍛えられる。つまり、足が細くなる。腰にくびれが出来る。運動部に所属しなくても効果抜群だ」

「いいや、翠。それは甘いって。運動部というのはもっとすごいらしいぜ。正直、帰宅部には窺い知れない過酷なトレーニングをこなすと聞くよ」


 最初は陰を潜めてた部活動。これが五月へ入り活発になっていく。そして六月、七月も変わらない。きっと、クラスメイトは四苦八苦としてると思う。


「でもさ、マク。これを卒業まで続けていくんだから相当だと思わない?」

「たしかにそう思うかもしれない。しかし、その見込みも甘いな。毎年教室の場所が変わるんだし」

「あ、そっか。今年だけか」


 昇降口が見えてきた。そこまでもうすぐだ。

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