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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
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「実はですね。私、怖いんですよ。この気持ちが分かりますか? 怖いんです。助けてください。本当に今の状況が嬉しすぎて怖すぎます。そして、ものすごく不安で。もっと言えば、疑わしく思えてくるんです。だから、拙い確約を遠回しに求めてました。仮に太陽を選ぶ場面であっても、月を選んでほしいと。何の迷いもなく、月へ手を伸ばしてほしいと。こんなニュアンスでしょうか。つまり、私を低い場所から高い場所へ引きずり上げてほしいんです。そうでないと下へ落ちていくだけ。下へ下へ。ただ落ちていく。いや、堕ちていくかな。物理的でなく精神的な意味ですよ。その方が正しいと思います。あ、二つの言葉を繋げた適切な単語がありました。堕落。その言葉に尽きます」


 と、三波は一息つく。


「ごめんなさい。お話が完全に逸れましたね。その、私が何を言いたいか。そして、何を隠したかったか。そこが主題でした。つまり、私が雨を好きになりつつあるということ。もっとも、好きなのは雨であって雨ではありません。その雨の背景が好きなんです。雨がそこまで重要ではなく。大事なのは私と合わせ鏡のような千之先輩で」

「三波後輩?」


 三波の顔が急に赤くなった。本当に真っ赤だ。しまいには両手で顔を覆ってる。最高潮の恥ずかしがり方といってもいい。


「その、だから千之先輩はですね、私と一緒に否定的な幸福を共有していけばいいと思うんです。してくれますよね。今、私と千之先輩がこうしてるみたいに。私は千之先輩とこんなことを続けたいんです」


 三波が頬を押さえながら主張。かなり恥ずかしそうだ。でも、蒼い瞳が僕を丹念に見つめる。瞳は言葉よりも雄弁。明確で分かりやすい。ただ、三波の言葉が分かりにくいのも影響してる。


「三波後輩。そんなことなら心配しなくていいんだよ。僕はきっと月を選ぶから。間違いなくね。だって、月の方が雨と似てるじゃないか。太陽と雨は相反してるといってもいい」

「ならば、月を選んでくれるんですね」

「うん。月を選ぶ」

「そうですか。太陽でなく月。千之先輩の言葉は私を幸せにしてくれます。えへへ」


三波は本当に嬉しそうに笑った。いい表情をしてる。


「三波後輩、顔が赤いな」

「そんなことを言わないでください。赤くなんかありません」


 主張通りにいかない。言葉と反対にもっと赤くなる。いつまでも熱が引かない子供みたいだ。本当にアンバランスな魅力であふれている。


「千之先輩は意地悪ですね。今の私は恥ずかしくて死んでしまいたいぐらいで。もしかしたら息絶えてしまうかもしれません。あのバクバクした感じがやってきましたし。これは最初の時と同じですね。千之先輩と話したあの時と。本当に心臓がおかしいと思います。まるで心臓に菫の花を咲かせてるような気分です」

「菫?」


 思いもよらない意外な単語に驚く。そして、ポケットにある菫の造花を触った。無意識の行動だ。


「今、三波後輩は菫って言ったよね」

「はい、言いました。菫です」


 間違いではない。菫の造花をもう一度触ってしまう。


「千之先輩、私は菫の花が好きなんですよ。他に睡蓮、蝸牛、雀、鶏とかも好きだったりしますが。キャスケット帽やメビウスの輪なんかも同様ですね。特にメビウスの輪はあれです。表側だと考えていたら、裏側にひっくり返ってる。その感じが素晴らしいと思います。これは私の常識が常識でないという暗示みたいで。後、狐の嫁入りやボールライトニング現象も好き。世界五分前仮説や哲学的ゾンビも好んでますね」


 三波はハイの状態が続いてるらしい。かなりの早口で話す。


「ただ、菫の花に勝る存在はありません。私は花言葉も名前の響きも全て気に入ってます。そのせいか、こんなことを思うんですよ。心臓に菫の花が咲くような病気で死にたいと。ロマンチックというよりシュール。なぜ、そう考えるのか? 本当に自分でも不思議に思うんですが。って、私はかなりおかしなことを言ってますね」


 たしかに飛び抜けて不思議な表現だと思う。おかしいと言ってもいい。ただ、今の僕には瑣末な話。もっと大事なことがある。


「まあ、今に始まったことじゃないし」

「千之先輩。それはひどいです」


 三波が頬を膨らます。


「今のは言わなくていいことだと思いますよ」


 さらに背も向ける。機敏に歩いてフェンスへ体を預けた。踵を返して戻ってくる気配はない。今は絶好の機会だ。


「あそこには、地元で有名なハイキングコースがありますよね」


 三波が南西の方角を指差す。そこは小高い山。その奥に山々の稜線が見える。


「そして、もっと向こうには大きな山々が屹立してるじゃないですか。それを見て思うんです。あの山々が見えなければいいと。あの山々がどこまでも続く地平線を阻害しています。それが本当に残念でなりません」


 三波の話はまだ続いてる。でも、その話が左から右とへすり抜けていく。なぜなら、意識が他にあるせい。僕の意識は菫の造花をこっそり渡すことでいっぱいだ。もちろん、こっそりに理由はない。単に恥ずかしいだけ。


「千之先輩? どうしたんですか?」

「いや、なんでもないよ」

「そうですか?」


 僕が不審な挙動をしてたせいだろう。危うく勘付かれそうになった。これがもし翠だったら、気づかれたかもしれない。そこは三波と翠の違いだ。


 ともあれ、さりげなく三波の隣へ立つことに成功。後は三波の制服のポケットに造花をすべりこませるだけ。とにかく、慎重な動作で作業を開始。まるで手を繋ぐタイミングを窺う恋人みたいでおかしい。


「あ、千之先輩」

「な、何だね。三波後輩」


 おもわず、大声が出てしまった。三波が話しかけてきたせいだ。ついでに、手を引っ込めそうになる。でも、それが功を奏したらしい。見事に上手くいった。制服のポケットへきれいにすべりこんだ。


「で、急にどうしたんだよ」


 僕はイタズラを成功させた子どもの心境で聞く。油断するとあれだ。表情がほころびそうになる。平常心を保つのが難しい。


「しかも、物悲しそうな顔をして」

「いえ、悲しくはないですよ。ただ、もうこんな時間なんだと思いまして。本当にあっという間でした。時間が短く感じましたね。不思議なことに」


 三波が高価そうな腕時計を見てつぶやく。


「私、そろそろ帰らなくてはいけません。下校時刻ですしね。ここで千之先輩と話すのは本当に楽しかったです。でも、時間は貴重で大切なんですよ。定められた時間は厳守すべきだと思います。どんな事情であったとしても」


 たしかに時間は貴重で大切。取り戻すことはできない。


「今日は楽しかったよ。三波後輩」

「私もです。千之先輩。本当に楽しい時間をありがとうございました」

「こちらこそ」


 三波と話した時間はほんの少しに過ぎない。人生を二十四時間でくくれば一瞬といってもいい。コンマとかも計測できないと思う。でも、短い時間での充実度合いは大きく違う。それも時間という概念があやふやになるくらいに。


「やっぱり、時間を費やすというのはあれですね。命を削ってる感じがします」

「命を削ってる感じか。不思議な考え方だな」


 返事をしつつも今日の出会いを思い出す。ついでにきっかけも。これは思い返す時があるだろう。それだけ印象的な出来事だった。特に今日の会話は感慨深い。ポストイットでのやり取りが遠い昔のようだ。


 思考を止めて三波の方を向く。相対してる。僕は三波を見た。三波も僕を見た。互いになんとなく見合わす。続く言葉はない。言葉以外で伝わるだろうか。そんなことはないと思う。いや、あるかもしれない。可能性を捨ててはだめだ。


 三波は笑わっていない。表情を引き締めてる。蒼い瞳が僕を射抜く。ざっくばらんな尼そぎの髪が風で動く。彼女はトルコのハーフで異邦人。可愛い系ではない。きれい系の美少女だ。それも美少女という言葉が陳腐だと思えるくらいに。後、不思議な考えを持っている。独特で何物にも形容しがたい思考。


 三波は相変わらず表情を変えない。今度は笑うのはいつなのか。急にそんなことを思う。でも、それは彼女が菫の造花に気がついた時かもしれない。たとえば、三波がふいに制服のポケットへ手を入れて違和感を抱く。何かと取り出して菫の造花を見つける。そして、自分の好きな菫に表情を緩める。などと想像すれば楽しい。


「三波後輩」

「何ですか?」

「僕はさ、毎年五月に折り紙で菫の造花を作るんだ」

「え? 折り紙? 菫の造花? そんなことができるんですか?」


 三波が目を見開いて驚く。


「そうだよ。できる。折り紙で菫の造花。もちろん、フラワーアレンジメントの域まではいかないよ。あれは別世界の技。こっちは折り紙だしね。ただ、菫の造花作りは今年で三年目。完成度は年々高くなってる。技巧に凝らした菫の造花ならなんなく作れるよ。だから、それを見てもらいたいんだ。いや、折角なのでプレゼントしたいと思ってるかな」

「えっと、私にプレゼントしてくれるということになりますか?」

「うん。そういうこと。友好の証ね。ちなみにいつの披露かは分からない」


 僕は段々と照れくさくなってくる。


「でも、楽しみにしておいてよ」

「はい、千之先輩」

「いつか渡すから」


 嘘も甚だしい。口元に注意すれば、すぐばれるのに。


「私、楽しみに待ってます。しかも、私の大好きな菫の花で。本当に嬉しいですよ。ありがとうございます」


 礼を言いつつも笑顔を取り戻す。おかげで、僕の想像は外れた。ただ、それはこの上もなく良いこと。なのに、僕は不思議な想いでいっぱいになる。胸中に去来する感情。とめどもなくあふれていく。タガが外れたというか。堰き止めてあるつっかえが取れた感じだ。この不可思議な想いは誰にも伝わらない。否、伝わることはない。相手に好意を抱く感情とも少し異なる。また、無邪気な親愛感でもない。想いを再分解させて、再構成し直しても違うと言い切れる。


「千之先輩。あの、これからも屋上で会ってくれますか?」


 三波が緊張しながら聞いてくる。なので、僕はゆっくりと答えた。


「うん。当たり前。雨の日に会おうか。やっぱり雨の日がいい」

「はい。分かりました」


 笑顔で頷く。こうして新しい約束が交わされた。


「本当にそろそろここを去らないとな。下校のチャイムがなるからさ」

「そうですね」


 三波は何度も腕時計を見てる。時間が相当気になるみたいだ。でも、今は時間に気を取られてくれればいい。だって、まだ気づかなくていいのだ。そうすれば、僕の不思議な多幸感は持続する。いつまでも続いていく。そして、僕はこんな瞬間が長く続いてほしいとも思う。続くと忘れたままでいられる。僕の心の片隅に潜んでいる罪障、無力、喪失といった負の感情。それはこの世界の因縁を必要以上に意識しないことにも繋がる。だから、僕は必死に願ってる。いや、もしかしたら祈ってるかもしれない。三波がずっと時間に気を取られていますように。まだ気づかないでくれますようにと。

第一章終了。

千之先輩へたれ。三波後輩かわいーな。うん。翠はキャラがまだ弱いかも。

よしっ。タイトルは『不思議系の彼女にしておく』にしよう。え? つまり、翠がんばれということでして……。

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