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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第一章 『ネガティブハッピー・バイオレットエッジ』
10/77

9

「困ったな。三波後輩」


 僕は顔をしかめて言う。


「それはあんまりじゃないか。僕は雨が好きなんだけどさ。でも、雨に惑わされてるようだよ」


 ただ、その言葉には勢いがない。すぐに反論が返ってきそうな弱さ。内実、僕自身もその言葉を深く思ってない。とりあえず否定したい気分。それだけだ。そうでないとやり切れない。


「いえ、そんなことはないです。千之先輩は雨を祝福してくれる讃美歌のように聞いてましたから」

「そうかな。それが大きな問題だったような」

「大丈夫です。その理由は教えられませんが。それに雨は素晴らしいじゃないですか。特に霧雨なんか素敵だと思います。反対にスコールは情緒がないですよね。あれは水の塊だと思います」

「たしかにそうだ」


 その考えは正しいと思う。スコールが雨だとしたら切ない。


「ただ、幼馴染の女の子はこんなふうに言ってたな。雨は天ぷらの揚げる音にしか聞こえないって」

「そうですか。もちろん、その考え方もあって然るべきです。解釈に正しさはないのですから。たとえば、ある側面から見れば正義という事柄があります。でも、べつの側面から見れば正義ではありません。そういう事柄と同様なのです。ともあれ、私は千之先輩を見て一つの事実に気がつきました。それは自分の分身を見てる感覚だということ。自分と重ね合わせてたのかもしれません」

「もしかしたら、同じことを思ったのかもしれない」


 僕もすかさず追従。都合がいいと思うが言わずにはいられない。そんな衝動が体内を駆け巡る。


「三波の話を聞いてみてさ。いいや、やり取り中に感じた可能性だってある。ああいう変わったタイミングでのやり取りだからね。とにかく、心が躍ったんだ。僕とやり取りをした相手はどこか似ている。それは形とか性質でなく。もっと本質的な何かで。そこが似通っている。つまり、どこまでも続く相似だと思わせる確信があったんだ」

「そうですか」


 三波は僕の言葉に頷く。


「千之先輩も同じように思ってくれたんですね。それを聞けた私は本当に嬉しいです。本当に本当に。ものすごく嬉しい。嬉しさを表現するのも困難なくらいに喜んでます」


 と、ここで三波が立ち上がる。何の前触れもなく突然。さらに、スカートのプリーツを払って歩き出す。あの有名な山の稜線が見える方向へ。ゆっくりゆっくりと。時間をかけて歩いていく。


 僕はその後ろ姿を見つめている。ただなんとなく。いや、なんとなくではない。見つめずにはいられなかった。不思議なことにそうしないといけない気がした。惹きつけてやまない引力に促されてる。間違いではない。


 やがて、三波が屋上のフェンスへたどり着く。そこで急に振りかえった。くるりと。尼そぎの髪が不規則に揺れ動く。なのに、乱れた髪はすぐ戻る。


「千之先輩!」


 三波はこだまの反響を期待するように叫ぶ。大声で叫ばなくてもいい。声は確実に聞こえるのに。距離はそんなに離れてないんだ。だから、これは単なる照れ隠しだろう。どうしても声帯をめいっぱい使って叫ばなくてはいけない。相手の鼓膜を過剰に震わせなくては。きっと、そんな心境だと思う。


「聞こえますよねー」

「うん。聞こえる。しっかり聞こえているよ」

「そうですかっ。良かったです」


 三波が満足げに頷く。


「では、私の嬉しさを表現したいと思います。たとえ、それが酔狂な振る舞いだとしても、やらずにはいられないのですから」


 そして、三波は空へ向かって手を広げた。雨上がりの空。メタファーの雲がぽつぽつと散らばってる。飛行機雲もあった。今は夕日がすごくきれい。オレンジと茜。その中間くらいの色彩。逢う魔が時という言葉が不釣合いなほどに美しい。見事に映えている。


 三波は相変わらず両腕を伸ばす。今にも千切れそうなくらいに。その上で楽しそうに踊る。くるくる。くるくると。不思議な動きで魅了していく。三波が示すのは嬉しさの証明。でも、その両手は必死で何かをつかもうとしているみたいだ。そう。何か。もちろん、僕には分からない。とはいえ、それが鳥や雲とかではない。おそらく、希望や夢といった抽象的な概念を追いかけてるんだろう。


 僕は三波のいた所にまで駆け寄っていく。それも迅速に素早く。まるで三波が知らない遠くへ去ってしまう気がしたせいだ。いわゆる、手の届かない悠久の彼方へ。そんな場所へ身を隠す雰囲気があった。


「……三波後輩」

「どうしたのですか? 千之先輩」

「いや、本当になんでもないんだ」


 これはとんでもない錯覚。幻想的な風景に飲まれたせいかもしれない。


「そうですか?」


 三波がクエスチョンマークを浮かべてる。


「なんでもないなら千之先輩、聞いてください。私はこんなに嬉しかったんですよ」


 自分でも酔狂なことをしたと分かっているんだろう。三波の頬は紅潮してた。


「ところで千之先輩。先ほどの質問の趣旨を変えてもいいですか?」

「質問の趣旨?」

「そうです。太陽と月のどちらかに神様がいた方がいいか。その話の続きになりますね」

「ああ、うん。構わないよ」

「ありがとうございます。それでは言いますよ。千之先輩はこの世界で太陽と月を選ぶならどちらを選びますか? もちろん、神様が存在するとかは関係なしです」


 三波の蒼い瞳が心を射抜く。答えを熱心に欲してる姿勢だ。


「そうだなあ」

「はい」

「太陽と月か。だったらね。……たぶん、月を選ぶと思う。三波後輩の好きな月を」

「千之先輩。それは本当に本当ですか? 心の底からそう思ってます?」


 三波が疑いの視線を向けてくる。しかも、やけに挑戦的な視線だ。藪睨みかわいいとしか思わないけど。


「なんで、ここまで疑わしく思われるか分からないな」


 僕はただぼやくしかない。 


「分からないですか。ならば、仕方がありませんね。これは懇切丁寧に言うことでもありませんし。言わなくてもいいことだってあるのです」

「そうかい。三波後輩がそう思うなら仕方がないな」

「はい、そう思ってくれれば幸いです。ちなみに、私が疑う根拠はありますよ。それは日本とトルコの両国にこんな言い伝えがありますので。とりあえず見てください」


 この言葉のあいだにも素早く用意してる。ペンとポストイットを。どうやら、新しい絵を描くらしい。などと思ってるうちに作業が終了。すぐに完成した。一つはシンプルに四角形と円。この配置は日本国旗。もう一つは四角形に月と星。これはどこかで見たことがある。流れからしてトルコ国旗か。


「ところで、千之先輩は人類皆兄弟という言葉を聞いたことありますか? 人類皆兄弟。なんかとんでもない博愛主義ですよね。ただ、博愛主義なんて本当に存在しているのでしょうか。仮に存在していたら、ものすごく恐ろしい話ではないか。そんなふうに時々考えてしまいます。ああ、この話は関係ないですね。私は兄弟の話を引き合いに出そうと思っただけでして」

「兄弟ね。それがどんなふうに関係してくるんだ?」


 僕は話を戻すようにあいづちを打つ。単純に言い伝えの興味が湧いている。


「はい。そうでしたよね。まずは私の描いた国旗を見てください。言い伝えでは日本人とトルコ人は兄弟だというのを証明してるんですよ。国旗が兄弟の証を表していると。一説では言語文化、歴史、芸術などの類似という有力な信憑性もありますが」


 三波が力説する。でも、この時点ではさっぱり把握できない。


「僕にはさ、何が何だかさっぱり分からない」


 国旗に共通点があるように思えない。似てる。似てない。それ以前の問題だ。しいて挙げるとすれば、太陽と月と星で自然界の象徴を表してるくらいか。なので、僕はそのことを指摘してみる。すると、三波は破顔一笑した。


「そうです。千之先輩。この二つの国旗はそこが由来になってます。言い伝えはこうですね。月を追って、西へ流れたのがトルコ人。太陽を追って、東へ向かったのが日本人。トルコ人は刺激を求めた。日本人は安定を求めた。私の母親は何度もその話を繰り返してくれました。ただ、よく意味が分かりません。月が刺激で太陽が安定。おかしいですよね。そもそも、刺激と安定は対比すべき問題でないような。タロットカードみたいに分かりやすい解説があればいいんですが」

「そうだね。たしかによく分からない。太陽と月と日本とトルコ。それに刺激と安定か。まあ、そこが問題ではないみたいだけど。三波後輩はあれか。僕が日本人だから太陽の方を選ぶのかもしれない。そんな心配をしていたってことだよね」

「いえ、けっしてそうではありません」


 明確な否定。


「単に、私がどう伝えればいいのか分からないだけです。私の想いが明確な言葉で表現されていませんので。ただ、私は千之先輩が月を選ぶという確信を抱けません。それだけは理解してるんです」


 これは何かの暗喩なのか。暗喩だとしたらなんだろう。伝えたい内容が不明瞭だ。でも、なぜか心に染み入ってくる。まるで心の中を浸食していくように。


「あ」


 いきなりの出来事だった。ふと氷解したのだ。不思議なことに。話の核心部分がおぼろげにつかめる。たぐるように引き寄せていく。


「やっぱりあれだよ。先ほどの言葉は前言撤回だ」


 僕は空を見上げて言う。でも、景色と色彩がきれいなだけ。何も教えてくれない。ロールシャッハテストやメタファーでは分からない。


「えっと、なにをですか?」

「そう思うなら仕方がないって発言」

「え? え?」


 三波が困惑している。でも、僕は意に介さない。正面から三波を見つめておく。


「三波後輩」

「は、はい」


 なぜか、三波は急にあたふたしだす。これは予想外の動揺。動揺かわいい。対して僕の方は落ち着いてくる。それも信じられないくらいに。相手の動揺が大きく作用しているんだろう。不覚にも心理的優位を感じてしまった。


「あ、あの、いきなりどうしたんですか? 千之先輩」

「ああ、いきなりだったね」


 ただ、それは仕方がないこと。僕はこうしなくてはならなかった。いや、こうするべきだった。押さなくてはいけないエンターキーは間違いなくプッシュすべきであろう。つけなければならない松明に火を灯すのと同様に。これは僕の中で膨れ上がる癇癪玉。それを抑えられなかった結果だ。赤、橙、黄、青、藍、紫。何色でもいい。たくさんの種類がある。そんな色取り取りの癇癪玉。その彩色された癇癪玉が四方八方に弾けていく。パパンっと。こいつらは屈折と反射を繰り返す。そして、最後に拡散して消えていく。


「たしかにいきなりだった。でも、そんなのは関係ないことなんだ。僕はね、三波後輩にどうしても聞きたいことがあるんだから」

「ええっと、それはなんなのですか?」


 三波はびくびくしながら尋ねてきた。なんだか弾劾裁判の被告人みたいだ。魔女でもなく罪も罰も犯してないのに。もちろん懺悔だってしなくていい。


「つまり、三波後輩がなんで疑わしく思ったのかを知りたい。いや、すでに知っているかもしれないな。誰だってそんな確信みたいのが勝手に芽生えてくるよね。根拠のない確信。要するに、今の僕がその状態なんだよ。いつもは良くない方面でそういうことが起こりえる。で、それがとんでもない勘違いだったりしてさ。でも、今回ばかりは絶対に違う。だから、君の言葉で懇切丁寧に語ってほしい。言い伝えがどうとかでなくて」

「そ、それはっ」


 言いにくそうに口ごもってしまう。


「やっぱり言えないです。第一、私は言いませんって言ったじゃないですか。後、言わなくていいことだとも言いました。私から吐露すべきことではありません」


 三波が頬を膨らまして抗議する。本当に余裕がない。切羽詰っている感じだ。


「そうかな」


 なので、僕は分かりやすくとぼけた。白々しいにも程がある。


「そうですよ。これはあらかじめ決まっているんです」

「へぇー。でも、そんなふうに宣言してもだめだよ。僕がどうしても聞きたいんだから。それもはっきりと明確な言葉で。僕だってさ、重力に身を任せた意味の分からないダンスを踊りたいんだぜ。嬉しさの表現としてとびっきりおかしなダンスを」

「わ、私の嬉しさの表現をそんなふうに思ってたんですね」

「あ、うん。そこはごめん」


 頷くと急に涙目へ変わる。涙目かわいい。僕が見たい三波の表情だった。


「うう、仕方がないですね。本当は言いたくないのですが。私がそう思った理由は一度しか言いませんよ」

「うん、分かった。しっかりと聞くよ」

「しっかり聞かなくていいです。もっと恥ずかしくなっていたたまれなくなるので。だからですね、私はちゃっちゃと話してしまいます。千之先輩だってその方がいいでしょう」


 ここで深呼吸を始める。スーハ―スーハー。何度も繰り返す。途中でラマーズ法に変わっていたが気にしない。べつにツッコミする場面でもないから。


「ち、千之先輩」


 三波が僕を呼ぶ。どうやら、覚悟を決めたらしい。僕を正面に見据える。やはり、蒼い瞳が強く射抜く。やけに目立つ三波の瞳。瞳の奥では自分の姿が見え隠れする。


「まず、最初に前置きします。この話は仮定であって、私の意志に反してるかもしれないということ。もう一人の私が適当にしゃべったと思ってくれるのが理想ですね。いいですか?」

「まあ、分かった。それでいいよ。あまり分かっていないけどそうしよう」

「そうですか。ありがとうございます。では、話しますね」


 三波の白い喉がごくりとなった。

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