8月6日の選択肢
『私が死ぬか、あなたが死ぬか、8月6日までに決めましょう』
人生に置いて、選択肢というものは非常に重要なものだと思う。だからこそ、一時の気の迷いや、揺らぎに任せて判断してはいけない。たっぷりと時間を使って、自分の意志で、決めなくてはならないのだ。
―――例えそれが、誰かを傷つけることになったとしても。
8月6日の選択肢
私の人生はそれなりに順調だと思う。優しい家族に恵まれて、仲の良い友達に囲まれて、私を愛してくれる彼氏まで出来た。私は、良い人生の選択肢を選んできた。自分でも、それは実感している。
「華織、聞いとんの」
ふと、耳元で聞こえた、関西弁の少し残る口調の声に、真横を見上げた。少し心配そうに眉を下げながら、私の顔を覗き込むのは、私を好きだといってくれた、彼氏である鳴海だった。
「聞いてるよ。なに?」
「眉間にシワ、よってる。なんでそんな怖い顔しとるん」
最近、同じように心配されることが多い。それはきっと、こんなくだらないことを頭の中で考えているからだろう。
「ごめん。大丈夫」
「・・・・・・なんか困ってんなら、俺にちゃんと相談してな」
「うん。ありがと」
鳴海は優しい。告白された時から、ずっと。私を大切にしてくれている。今の環境に、世界に満足しているはずなのに・・・どうして私は、あんな事を考え込んでしまうのだろう。選択肢の可能性なんて、考え込んでいたら無限ループだ。考えるのはもうよそう。
夏休みに入り、友達と会わない日が続くと、なんだか急に寂しくなる。家族としか会えないのが不満わけじゃない。ただ、いつもの日常がすぐ側になくて、落ち着かないだけなのだ。しかし、この8月6日、何故か"誰か"にメールで呼び出された。まあ久しぶりの学校だし、私を呼び出した相手も気になるしと足を進め、なんとなく屋上の扉の前まで来てみる。いつもなら開いていない扉が、少し押しただけで開いてしまった。
「え・・・・・・」
何故開くのかはわからない。でも、本当になんとなく、私は屋上へと足を踏み入れた。
「・・・・・・あ」
先客がいた。・・・でもそれは、普通に屋上でひなたぼっことか、そういう雰囲気ではなかった。元々この屋上は、フェンスの位置が低く、危険なため立入禁止になっている。フェンスを越えれば、下に真っ逆さま、つまり、飛び降り自殺が出来てしまうわけである。そして、私と目が合ったその先客は―――フェンスの外側に立っていたのである。
「一之瀬さんだ」
先客・・・もとい天宮美月さんはニコリと笑った。何故フルネームなのかといえば、私は彼女と特に面識がないからである。一回だけ同じクラスになったけれど、話したことはなかった。
「・・・危ないよ、天宮さん。何してるの」
「大丈夫よ。それに、ちょっと外側に出た方が景色が綺麗に見えるわ」
いつもなら、私は。後々面倒な事になるであろう自殺シーンなど、見て見ぬふりで立ち去るのに。この日の―――8月6日の私はすこぶるおかしかったようで。さようなら、なんて動く天宮さんの唇を見て、何故か思わず彼女の腕を掴んでいた。
「・・・っ!」
馬鹿だ、私。こんな低いフェンスなんだから、落ちる人を掴んだら自分も一緒に落ちるに決まってるのに。やけに落ちるスピードが遅く感じる。ああ、私死ぬのかな。ぼんやりとそんなことを考えて、静かに目を閉じた。
***
――7月28日――
ねえ、起きて一之瀬さん。面白いものが見られるよ。
頭に響くように聞こえてきた声に飛び起きる。すると、目の前にはにっこり笑う天宮さんの姿と一面の青空が広がる屋上。どうして私は、天宮さんと屋上にいるんだろう。さっき天宮さんの手を掴んで、一緒に落ちたはずなのに・・・。
「ねえ一之瀬さん。今日がいつかわかる?」
「は・・・・・・え、8月6日、でしょ」
「ふふ、不正解よ」
天宮さんは何故か楽しそうだ。というか、8月6日が不正解って・・・意味わかんない。
「不思議よね、一之瀬さん。私たち、あそこから落ちたはずなのに」
「・・・!」
やっぱり、落ちたんだ。夢なんかじゃなかったんだ。
「もっとびっくりすることにね―――今日は7月28日なのよ」
「7月、28日・・・?」
私はおうむ返しのように天宮さんの言葉を繰り返した。屋上から落ちた今日は、8月6日。天宮さんが言った日付は、7月28日。9日も戻ってる・・・?
「それとね、聞いて一之瀬さん」
「・・・・・・なに?」
さっきからやけに楽しそうな天宮さんに少し苛立ちを覚える。私のそんな気持ちにも気づかず、彼女は私の手をぎゅっと握る。
「この夢世界、私たちのどちらかが死ねば出られるんですって」
―――は。
「・・・・・・何言ってんの」
「ふふ、怒らないでよ一之瀬さん」
そんな馬鹿げた話はいらない。どうして私はこんな幻覚の中にいるのか。こんなお遊びには付き合っていられない。
「幻覚なんかじゃないわ。私たちは生と死の間をさ迷ってるのよ」
天宮さんの顔から笑みが消える。冷たく鋭く重苦しい目に冷や汗が背中を伝う。天宮さんは私に背を向けて屋上の下を眺めながら話す。風に声を乗せるように。
「神様はちょっと変わってるみたいね。私たち二人のどちらかだけの命を繋げようだなんて。まあ、本来なら二人とも死んでいるんだから、一人生られるだけでも運が良いことだけれど。でも残酷よね。一之瀬さん・・・・・・生きたいでしょう?幸せな人生だもんね。すべて良い選択で進んできた人生。私にはない・・・幸せな人生」
天宮さんは事の全てを説明してくれている。軽いジョークも織り交ぜながら。だけど・・・言葉の節々に棘があって。その鋭い憎悪は私に向けられていた。
「ね、一之瀬さん。―――私が死ぬか、あなたが死ぬか、8月6日までに決めましょう」
こうして私と彼女は、7月28日から8月6日までの9日間をやり直すという、死ぬ前にしてはケチ過ぎるご褒美を神様からもらった。もう、幻覚だとは言い訳が出来なかった。確かに彼女が手を握った箇所にくっきりと爪痕が付いていたからだ。私は一体何をしたというのだろう。ろくに関わったこともない彼女に怨まれるような、何かを。ぼーっと空を見上げて考える。私は・・・どんな選択をしたら良いのだろう。
***
どのくらい時間が経っただろうか。天宮さんはとっくに屋上からいなくなっていて、立入禁止の領域には私しかいなかった。今だぼうっと空を見上げていると、急に屋上のドアが開いて、思わず肩を震わせた。
「あ・・・!」
その人物は私を見つけるなり、心底安心したような顔をした。
「やっと見つけた・・・」
鳴海だ。
「今まで何しとったん。授業も出てないから焦ったんやで」
鳴海は私の隣に腰を下ろすなり私を抱きしめる。久しぶりのような感覚に、嬉しさと悲しさを感じた。
「探した」
「ごめん」
「超、心配した」
「・・・ごめん」
「もう急にいなくならんで」
「うん・・・・・・ごめんね」
涙が零れた。もしかしたら鳴海と過ごせるのは、この9日間だけかもしれない。もう会えないかもしれない。
「え、ちょ・・・どうした・・・?!」
「鳴海・・・っ」
考え始めたら、また無限ループ。止まらなくなって涙が溢れる。鳴海が慌てて私の頭を撫でてくれる。優しい手の平に温もりを感じた。
「落ち着いた?」
「うん」
しばらくして涙は止まり、もう次の授業も始まったのでこのまま屋上でサボり。そんなサボりにも鳴海は付き合ってくれる。
「理由は聞かんけど、溜め込むんやないで。話したくなったらいつでも話して言うたやんか」
ふわりと微笑みながら言われる言葉に力が抜ける。話してしまいたくなる。でも、いくらなんでも非科学的過ぎて言えない。
「・・・・・・鳴海は、」
だから、これだけ。これだけ聞いておきたい。
「私がいなくなったら、悲しむ?」
私がもしも死ぬことになったら。いや、私が死ななくても私は重い罪悪感に捕われつづけるのだと思う。それでも・・・聞いておきたかった。
「当たり前やろ!そんなん言わんで、心臓に悪い・・・!」
「ごめん」
うれしい。・・・うれしい、なあ。もう後悔なんてないように思えてしまうから不思議だ。それでもやっぱり、死は怖い。
「・・・あ、華織。一つ聞きたい事があったんやけど」
なに?と首を傾げると、鳴海は不思議そうな顔をしながら言った。
「お前、天宮美月と知り合いやったっけ?」
―――天宮美月。今一番聞きたくない名前だった。彼女の名前を聞いた途端、一気に現実に、この馬鹿げた人生のやり直しをしていることに引き戻される。
「なんで、天宮さん」
「いや、特に意味はないんやけど。お前がここにおるって教えてくれたんは天宮だから」
天宮さんが・・・?一体、どうして。あの人、何かおかしい。私を見ている?もしかして、隙あらば私を殺そうとしてる、とか・・・。
「・・・考えすぎか」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
とりあえず天宮さんには気をつけよう。といっても、元々あまり関わりはないけど。こうしてドタバタとした7月28日は終わりを告げた。
***
――7月29日――
朝、いつものように登校すれば、鳴海がおはよ、と声を掛けてきて、それにおはようといつも通り返す。クラスメイト達にも朝の挨拶をして席についた。しかし・・・私はある違和感に気づく。それは決して良いものじゃなくて。何か、鋭く突き刺さるような視線を感じてそっと顔を上げれば―――教室の隅で、天宮さんは私をじっと見ていた。
「・・・っ、」
なんで、いるの・・・。私は顔を俯かせた。怖いと、思った。本当に私を殺すタイミングを伺っているんじゃないのかと思わずにはいられない。
「華織・・・?顔色悪いで、平気か?」
「う、うん。私、ちょっと保健室行ってくる」
「・・・送る」
鳴海は心配そうに顔を歪めて、私の腕を引いた。私は鳴海に引っ張られるがまま、保健室にたどり着いた。
「大丈夫か?ちゃんと休むんやで」
「ふふ、先生が見ているから大丈夫よ、西山くん。またお昼休みにでも一之瀬さんに会いに来なさい」
まるで保護者のように私に言い聞かせる鳴海に、保健の先生は可笑しそうに笑った。その光景に私も思わず吹き出してしまった。
鳴海が去った後、保健の先生に寝てなさいね、と促され、私は静かに目を閉じた。ああ、あの気分の悪さはどこへやら、私はすっかり回復してきていた。・・・ある声に起こされるまでは。
「一之瀬さん、一之瀬さん。起きて」
・・・!この声・・・!
「あ、天宮さん・・・っ」
「ふふふ、おはよう」
嫌だ。怖い。切れ長の目が静かに細められる。
「ね、私があなたを見ていたの、気づいた?」
やっぱり見られていたのか。小さく頷けば天宮さんはまた楽しそうにころころと笑った。
「あなた、私があなたを殺そうと思って、タイミングを伺ってると思ってるでしょう」
「っ、なに、言って・・・」
「そんな怯えなくても良いのよ。―――私は実際に過ごした7月29日と同じ行動をしているのだから」
は・・・?私には、その言葉が理解できなかった。だって、私には今まで天宮さんとの関わりはなかった。だから、天宮さんが日常的に私を見ているなんておかしい。やり直しをしている今ならまだしも。
「私はね、あなたをずーっと見てたのよ」
背筋が凍りつくようだった。大きな恐怖と、重苦しい憎悪がのしかかる。人形のように笑う彼女から放たれる気のようなものは、酷く邪悪で。その憎悪などは全て私に向けられていて。私はじり、と後ずさった。
「あなたが"おはよう"って言うとね、西山くんはすぐにあなたの元に掛けていくわ。クラスのみんなも、あなたにおはようを言いに席を立つ。でも私は近づけない。私はみんなに嫌われてるから。私があなたに近づいたら、みんなが私を鋭く睨む。でもあなたは、そんな私と話してくれた事があったのよ。覚えている?」
つらつらと語る天宮さんに首を横に振ると、天宮さんはでしょうね、と少し悲しそうに眉を下げた。
「入り口の近くにいた私に、あなたは迷わずおはようと言ってくれた。誰も、近づかない私に、みんなが大好きなあなたが」
そういえば噂で聞いたことがある。"天宮美月は変人だから、近寄らないほうが良いよ"なんて噂。とてもくだらない噂でも、一度広まってしまえば定着してしまう。誰もが彼女ときちんと話もせずに変人だからと決め付ける。そうやって彼女は三年間、過ごしてきたんだ。私は噂を気にするタイプではない。でも、助けるタイプでもないんだ。
だからきっと、天宮さんだったからおはようと声を掛けたのではなく、ドアの前にいたから、クラスメイトだと思って挨拶したのだと思う。私はそこまで出来た人間ではないのだ。
「私、すごく嬉しかった。でもね、同時に憎くて憎くて堪らなかった」
「・・・どうして、それしか関わりのない私の事が憎いの?」
接点はたったそれだけ。それなのに私は、気分が悪くなるほどの憎悪や憎しみを向けられている。それがなぜなのかわからなかった。そして彼女は、私の質問にくすくすと笑う。
「だって、私が嫌われるようになったその引き金を、引いたのはあなただもの」
「え・・・・・・」
悪口は嫌いな性分で、言った覚えはない。彼女に直接何かしたわけでもない。私には全く見当がつかない。
「一年生の、7月28日の昼休みよ」
天宮さんに言われて、私はゆっくりとその日の事を思い出す。あれは確かあの日だ。
――一年生、7月28日――
『でさぁ、華織はいつ鳴海くんに告んの』
『はぁ?告らないし』
最近、鳴海の事が気になってきた。でも私から告る気なんてさらさらなくて。自分に自信があるとかじゃないけど、自分から言う勇気なんてなかった。
『まぁ時間の問題かもねぇ。鳴海くんもどーせ華織が好きだよ。ってか明らか、確実』
『冷やかしやめろ』
なんて、どうしようもない恋ばなをしながら笑っていると、ふと友人が、思い付いたように呟いた。
『そういえば、天宮さんも鳴海くんが好きらしいよ』
『天宮さん?このクラスの?』
『まあ鳴海くんモテるかんねー。うかうかしてると取られるよ、天宮さん美人だし』
『美人じゃなくて悪かったな』
確かに天宮さんは美人だ。あんまり喋ったことはないけど。考えながら友人に悪態をつけば、友人はけらけらと笑った。
『はぁ・・・。天宮さんなんで鳴海好きになったんだろ。天宮さんならもっと合う人いるでしょ』
焦りと、羨ましさから何気なく言ってしまった言葉。それに友達も、だねーなんて笑って。
『なんか捕まえやすそうな男捕まえて遊んでるって噂もあるけど』
『わ、それはダメだね』
そう、何気なくポロッと出た言葉は、
――現在、7月29日――
「あなたから、あなたの友達へ。あなたの友達から沢山の友達へ、知り合いへ、学校中へ。私の噂は広がった。あなたはもちろん、あなたが引き金を引いたなんて自覚もないままにね」
私の言葉がきっかけになって。どんどん噂は広まって。彼女の傷を深くしたのだろう。私は、あの時どうしてあんな事を言ったのだろう。
「あなたにわかる?友達に、親に、先生に蔑むような目で見られる気持ちが。西山くんに・・・・・・冷めた目で見られる気持ちが」
そっか、この憎悪の半分は、"鳴海の彼女"である私に向けられたもの。残りの半分は、原因を作ったあの日の私に対してのもの。やっと、わかった。彼女が私を怨む理由が。
「・・・・・・っ」
「ふふ。別に良いけどね。怒ってないから」
そう言って、天宮さんは保健室から出て行った。私は、動くことが出来なかった。冷や汗がぽたりと落ちる。私は・・・・・・彼女を死に追い込んだ原因なのだ。取り返しのつかないことをしてしまった。大きな選択を、失敗してしまったのだ。
「っ、どうしよう・・・!」
もう、やり直したって償えない。天宮さんに、一生消えない傷を付けてしまった。私はベッドの上で、布団を被りうずくまった。ぐるぐると頭が回る。何も考えられない。怖い。どうしよう。溢れるのは、何から生まれたかわからない涙。冷や汗と混ざって、何がなんだかわからない。ただ、ただ、私は哀しかった。
***
――8月4日――
「急に呼び出してごめんね、天宮さん」
私は天宮さんを屋上に呼び出した。私の決意を、伝えるために。何日も悩んで、泣いて、苦しくなりながら考えた結論を。あと、2日になってしまったけど。
「私―――私が、死のうと思うの」
「え・・・?」
償えるわけじゃない。私が死んだからって、私がしたことが許されるわけじゃない。でも、天宮さんに生きてほしい。これ以上天宮さんに辛い思いをしてほしくない。
「ま、待って」
珍しく焦ったように天宮さんが私の腕を掴む。悲しそうな、顔をしていた。
「私は・・・・・・あなたに死んでほしくてあんなこと言ったんじゃないわ」
「・・・死んで許されるとは思ってないよ。ただ、残りの人生を生きるべきなのは天宮さんだと思うから」
「違うの!!」
天宮さんの悲鳴にも似た声に、私は目を見開いた。ぎゅうっと天宮さんが私の手を掴む力を強める。
「・・・死なないで・・・・・・一之瀬さん・・・!」
「?!」
なんで、そんなこと言うの。
「私は!私は・・・!あなたに死んでほしくない!お願い!8月6日まで、私と友達でいて・・・!」
「天宮、さん・・・?」
昨日の冷静に憎しみを語った天宮さんとはまるで違う。涙をぽろぽろと流して私にしがみつく様は小さな子供のようで。あまりの変わりように驚くしかなかった。
「自分でも、わからないの。すごくあなたが憎いの。原因のあなたが。西山くんと笑ってるあなたが。でも、"おはよう"って言われたとき、死ぬほど嬉しかった。でも、保健室で苦しみ悩むあなたを見るのが楽しくて。でも、あなたが死ぬのはいやで・・・っ」
彼女の感情はごちゃごちゃだった。まるで散らかった部屋のように、どこにどんな感情があるのかわからない。
「・・・・・・わかった。わかったから、泣き止んで」
そんな彼女を見て、"脆い"と思った。酷く壊れやすくて、触れたら崩れてしまいそうで。でも、離れると飛ばされしまいそうで。私は何者かもわからない感情に取り付かれたようだった。情ではない。ライクでもラブでもない。友愛でも愛情でもない。名前をつけるには時間がかかりそうな、感情。彼女の頭を撫でると、彼女は安心したようにまた涙をゆっくり流す。
「私が友達になれば、天宮さんの気が少しでも晴れるの?」
「・・・・・・ええ」
「そっか、わかった」
天宮さんはその場に体育座りをして顔を俯かせた。顔は見えなかったけど彼女はどこかうれしそうで。それからの私は、彼女と過ごすようになった。
――8月6日――
彼女といると、私と彼女には沢山の接点があったことに気づいた。
「委員会一緒だ・・・体育祭の実行委員も一緒だし、修学旅行のご飯のグループも一緒だ・・・」
些細な接点が多かった。でも、確かな接点。今まで全く気づかなかった。
「私ね・・・・・・」
ふと、天宮さんが呟いた。机に座る天宮さんに振り向けば、にこりと笑った。そして、声に出さずに、屋上、と呟いた。今日は、8月6日。どちらが生きるのか・・・決めなきゃいけないとき。選択を、迫られるとき。天宮さんは、どうしたいのだろう。天宮さんは・・・どうするつもりなのだろう。
「私は多分、あなたが羨ましかったんだと思う。なにもかもいい選択をして、いい人生に変えられてしまうあなたが。そして・・・憎かったんだと思う。あなたがいい選択をする度に、私は悪い選択をしなければいけなくなったからあなたが幸せになればなるほど、私は不幸になっていった」
天宮さんは、屋上に着くなり、吐き出すように一気にそう呟いた。前にも聞いた話だ。
「人には無限の選択肢がある。無限の可能性がある。きっとこの世のパラレルには、あなたが私のようになっていった世界もあるのよ。私とあなたが全く接点がないことも。西山くんがあなたと付き合わない世界も―――・・・」
彼女は永遠に答えの出ないような話を進める。彼女の世界は、無限ループ。ぐるぐると考えが廻っていて、そして。
「私には、西山くんがすべてだった・・・っ」
―――鳴海を軸に廻っている。
「ごめんね、天宮さん。謝ったってどうにもならないけど・・・・・・鳴海に想いを伝えることを、出来なくさせたのは私だよね」
彼女はただ、最初から。鳴海が好きなだけだったんだ。女子特有の嫉妬という感情に負けた彼女は、きっと女友達を失ったのだろう。美人だけど、誰も寄せつけなかった天宮さん。彼女は一人で、戦っていたんだ。悪い噂が広がったって、決して自分を曲げない強い意思で。それなのに私は・・・何気ない一言で、彼女の世界を壊した。
「もう、良いの。そういわれたら・・・あなたにそんな顔されたら、私は何も言えないわ。西山くんが好きだったけど・・・同じくらい、あなたが大好きだったから・・・っ」
「なんで・・・私なんかを好きなの。天宮さんの世界壊したのに!関わりもないのに!」
「でも、あなたは私の憧れだった」
じわりと滲んできた涙が、ぽつりと落ちる。不思議と泣いているのは私で、天宮さんは眉を下げて淋しそうに笑っているだけだった。
「あなたがいなかったら、あなたがあの時おはようって私に笑ってくれていなかったら・・・・・・私はきっと、あの時死んでた。屋上から真っ逆さま。誰にも知られず、死を惜しまれることもなく、死んでたと思う」
そんなの、覚えてない。何気ない日常の一部で、天宮さんだと思って挨拶をしたわけでもないのに。
「だから私、あの日―――8月6日にあなたを呼び出したの。誰から来たのかわからないメール、あったでしょう?本当に来てくれるとは思わなかったけど・・・あなたは来た。ただ、あなたが見ていてくれればそれでよかった。なのにあなたは・・・・・・私の手を掴んだ。一緒に落ちるなんて、馬鹿じゃないの、って思った。それで私は願ったの」
――一之瀬華織を救ってください、ってね。
天宮さんは笑った。何故、私に笑顔を向けるのだろう。その笑顔で私に何を伝えようとしてるのだろう。
「私の、我が儘に付き合ってくれてありがとう」
―――さよなら。
ふわりと、落ちる。また、同じ場所から。彼女の細い体は、いとも簡単に下へと落ちていく。私の伸ばした手は、今度は届かなくて。何も掴めなかった私の手は、空を掻いた。
「天宮・・・さん・・・っ!」
私は、悲しいのだろうか。自分が生きられるのに。私は、彼女を大切に思っていたのだろうか。大した関わりもなかったくせに。私は選択を誤ったのだろうか。・・・いや、むしろ。大きな選択をしたのだ。それの代償があまりに大きくて・・・。
ぐるぐると考えていたが、私の思考はやがて停止した。
「・・・・・・り・・・・・・!」
微かな声に、目を開けた。
「華織・・・!目、覚めたのか?!」
白い天井。大好きな人達の顔。ぐるりと見回すと、外には青空が広がっていた。
「よかった・・・。あなた、9日も目を覚まさなかったのよ」
「・・・・・・天宮さんは?」
「天宮?天宮って、誰や?」
―――え?
お母さんに頭を撫でられながら問えば、お母さんも鳴海も不思議そうな顔をした。
「・・・お前、8月6日に急に倒れて・・・ずっと目、覚まさへんかったんやで」
鳴海が泣きそうな声で私に言う。遠慮がちに握られた手を、ぎゅっと握り返した。
「・・・・・・っ」
涙が、とめどなく流れる。
「え、華織?そんなに泣いてどうしたん?!どっか痛いんか?!」
「違う・・・違うの・・・っ」
―――彼女は、いたのに。
それからしばらく泣き続けて。いつの間にかお母さん達は帰っていて。鳴海はずっとついててくれた。やがて面会時間が終わって、やっと自分の思考が落ち着いてきた。看護婦さんの見回りが終わったのを良いことに、私は部屋の窓を開けて月を眺めた。真ん丸の満月は、すごく明るくて、電気がなくても外や部屋が見渡せた。
「どうして・・・天宮さんの事を、みんな知らないんだろう」
お見舞いに来てくれた友達も、家族も、もちろん鳴海も、天宮さんの事を知らなかった。いや、いないことになっていた。そんな人は、最初からいなかったのだと。どうして?だって、彼女は確かに私の記憶の中にいた。
―――一之瀬さん、あなたとはね、
ふと、彼女の声が聞こえた。聞こえるはずないのに。でも、怖いとかそんな感じはしなくて。
―――ちゃんと友達になりたかった。
ああ、彼女は、友達がほしかったのだろうか。誰か、理解者が欲しかったのかもしれない。そんな自問自答に答えるように彼女の声が頭に響く。
―――あなたじゃなきゃだめ。・・・あなたが良いの。あなたと、友達になりたかった・・・。
「なんで?」
どうして私にこだわるの。思わず声に出る。何度聞いてもわからない。挨拶をしたなんて、それだけの理由でこだわるはずないでしょう。
―――ここの世界に私は、いないの。始めからね。
「え・・・?どういう、こと・・・?」
―――私は別の世界・・・つまり、この世界と似てるけど違う世界、パラレルワールドの世界から来た天宮美月。この世界以外では、あなたと私は親友なのよ。
意味が、わからない。パラレルワールド?無限ループの?あの、限りない可能性の世界の話?また、ぐるぐると混乱する。
―――この世界のあなたにも、私に気づいてほしかった。私を必要としてほしかった。・・・親友になってほしかった。でも、この世界のあなたは幸せに満ち溢れていて・・・・・・私が近づいたら、弾き返された。私は、不幸になった。
「この世界とかパラレルワールドとか・・・!もう、良いじゃん・・・・・・なんなの、天宮さん。私ばっかり、天宮さんが死んで悲しい!」
―――ふふ。嬉しい。もう、それで充分よ。
―――あなたはそういう人よね。どの世界でも、そういう人なのよ。それなのに私は・・・・・・くだらない欲望であなたとの糸を断ち切った。私はあなたとの繋がりを、勝手に壊して、勝手に繋げようとしたのよ。
「くだらない・・・欲望?」
もしかして。
―――・・・どの世界でもね、西山くんは私の恋人だった。あなたはそれをいつでも応援してくれて・・・私は幸せに満ちていた。でも、この世界は違った。私は、あなたとの繋がりを求めてこの世界に足を踏み入れたのに、西山くんが私の恋人じゃないことが気に入らなくなった。死んだのは、きっとこの代償ね。
どの世界でも、鳴海の恋人だった天宮さん。それがこの世界では私が恋人で。天宮さんはきっと、混乱したと思う。全く違うパラレルワールドだったから。でも、私は・・・それは普通のことだと思う。人間は欲望の塊なのだ。好きな人と関わりのない世界が気に入らないのは当たり前で。友情より愛情が勝ってしまうのも当たり前なんだ。
―――ねえ、ごめんね・・・っ、ごめんね、華織・・・・・・!私を、許して・・・。あなたと、友達でいられないなんて耐えられない。今更遅いけど、どうして私は西山くんを選んだんだろうって後悔するの。
でも、彼女は・・・天宮さんは、最後には友情を選んだ。私はそれが、無償に嬉しかった。だから私は、どの世界でもこの人と親友なんだと納得できた。
「ばか・・・許すもなにも、私達は親友でしょ・・・!」
違う出会い方をしたかった。親友として笑い合うような関係になりたかった。もっといろんなことを話したかった。
「どの世界でも、美月は私の親友だよ・・・・・・!」
だから。
―――・・・ありがとう。
君のことは、絶対に忘れない。
例え、この世界に君を知る人がいなくても。
存在しなくても。
私は君の、1番の親友だから。
「ここなん?」
「うん」
花束を置く。お墓という立派なものはないけれど、ここは彼女の居場所。
「天宮美月やったっけ?華織の昔の友達かなんか?」
不思議そうに私に聞きつつも、ちゃんと花束を置いてくれる鳴海に小さく笑いながら、大きく頷いた。
「私の1番の親友」
「・・・・・・亡くなったん?」
「うーん・・・ちょっと違う。"いなくなった"っていうか・・・"いなかった"っていうか・・・」
ますます鳴海が不思議そうな顔をする。なんでもない、と言えば、少し不満そうに鳴海は口を尖らせた。
「私、」
「ん?」
この世界では、美月じゃないけど。この世界だから、私なんだ。
「鳴海を好きになれてよかった」
「っ・・・?!」
鳴海の顔が真っ赤に染まるのを横目に見ながら、私は静かに目を閉じた。
美月、ありがとう。
君のおかげで、大切なことに気づけた。
君には、もらってばっかりだ。
だから、
どうか別の世界では、君の力になれていますように―――・・・
遠くの世界で、
君が綺麗に笑った気がした。
END