偽装婚約は本当の幸せな婚約になるまで
その日、私は婚約者のジェラール様のお招きで、王都の有名なカフェに馬車で向かった。
お店までついてきていた執事が子爵家のソフィーだと告げると、お店の人に案内された。
一階はざっくばらんな人が訪れるにぎやかな階、二階は時間によってはピアノやバイオリンの演奏が楽しめるソファ―ばかりの階、そして三階は商談など大切な話をするための個室が五室用意されている。
三階へ上がる階段も二箇所用意されていて、お店側が気まずい鉢合わせなども起きないように気を遣っている。
私が一人で案内された個室に入ると、すでにジェラール様は入室されていた。
立ち上がって、窓から外の景色を見ている。
「ごきげんよう。よほど落ち着かないようですわね」
「うん、本当のことを言えばそうなんだ。もっと、堂々とできていればサマになるのにと僕も思うよ」
ジェラール様は苦笑しながら席についた。
「すでにお茶やケーキは注文してある。この二年間でソフィーの趣味も学べたつもりだしね」
「ええ、信頼していますわ」
私も柔和に微笑む。
ほとんど時を置かずして、二人分の茶器が運ばれてきた。
そのタイミングもお店側が図っていたのだろう。
ドアが閉められて、私たちは完全に二人きりになる。
「ソフィー、この二年間、本当にいろんなことがあったね」
「二年というか、三年近くじゃありません? 入学のかなり前から婚約しましたわよ」
「そうだね。それで、学園生活二年目もそろそろ中盤だ。ついに期限が来たね」
じっと、ジェラール様は熱っぽい視線で私を見つめた。
「偽装婚約の期間は満了した。この婚約の破棄の時期だ。その……ソフィー、君はどうする?」
私はどう答えるか決めていた。
「その答えはジェラール様がなさってください」
私も緊張はしていたけど、落ち着いた態度を演出できていると思う。
「この二年間、婚約を破棄するための理由もストックしておこうと、あなたの落ち度や問題点も探そうとは思っていました。でも、見つかりませんでしたわ。それでは婚約破棄を申し出ることもできないでしょう?」
「こんな時だけど、ありがとうと言っていいのかな?」
「その前に、ジェラール様の答えをお聞きしたいですわね」
「僕のほうの答えは決まってる」
ジェラール様は気持ちを落ち着けようとカップに手をとった。
茶器がかたかたと鳴った。
こんなに緊張されているジェラール様は初めてかもしれない。
私は答えを待ちながら、この二年以上の日々のことを思い返していた。
とても楽しい偽装婚約だった。
◇
「困ったことになった……」
その日、お父様は屋敷中をうろちょろと歩き回っていた。
私が見かねて質問すると、驚くべき答えが返ってきた。
「クラメール伯爵家のヘクター君がソフィーに婚約を申し込もうとしているという話を聞いたんだ……」
自分でも表情が曇ったのがわかった。私の態度でお父様も私が拒絶しているのがよくわかったようだ。
「だよなあ。ヘクターという人物の評判が最悪なのはワシももちろん知っている。あくまでも噂だが、十二、三の頃から色町で見かけたなんて話も聞いている。親の教育も行き届いてないし、結婚してもろくなことにならんのはわかりきっている」
「でも、この家は子爵家で、そのうえたいした伝統もありませんし、クラメール伯爵家の希望を断るなんてできるんでしょうか?」
「だから、困っているんだ。はっきり申し込まれてから断っては、向こうを敵に回してるようになる……」
しばらくお父様は歩き続けて、ぴたっと立ち止まった。
「そうか……。こんな方法もあるか……。だが、多少の傷がつく……。でもやらないよりは……」
「何を思いつきましたの?」
「偽装婚約だ」
そう、お父様は言った。
「いや、婚約自体は正式なものだ。ただ、双方の婚約者同士が結婚する気がないまま、婚約するという点では一種の偽装だな」
「どういうことです?」
「お前は来年、学園に入学する。学園生活二年目の真ん中あたりで婚約を解消してくれる殿方を見つけられればちょうどいい。それなら性格の不一致とかいった理由も自然だし、偽装にも見えんだろう」
「つまり、二年後に婚約破棄する前提で婚約者を決めろと……?」
「もちろん、相手の家にも婚約する殿方にもすべて伝えるぞ。でなければ、その家に恨まれることになってしまう」
「そんなふざけた話に付き合ってくださる家がありますかしら……。私の側はクラメール伯爵家の縁談を回避できますけれど……」
「望まない縁談を持ち込まれそうになっている令息も探せば見つかるだろう。そこはワシが血眼になって探す!」
お父様は本当に王都の様々な貴族の情報を集めて、これはという家を見つけた。
それがセリーヌ伯爵家のジェラール様だった。
誕生日は向こうが三日早いだけの同い年。
長身で金色の髪が美しい、まさしく童話の挿絵で見る貴公子。
それがセリーヌ伯爵家の屋敷で初めてお会いした時の感想だった。
「ジェラールです。カールした髪、よく似合っていますね」
「これ、実はくせっ毛なんです。カールしているように見えるようにしているだけで。ジェラール様のようにかっこいい方に言われても恥ずかしいだけですわ……」
「そんなことないですよ。とても魅力的です。ですが……その魅力のせいで、面倒なことに巻き込まれそうという話ですから、ソフィーさんも喜べないのかもしれませんが」
そのジェラール様の言葉で、すべてを知っていて私とお会いしてくれているのだとわかった。
そのあと、私とジェラール様はセリーヌ伯爵家の庭園を二人で散歩した。
「実は、僕のところにも侯爵家から縁談の話が来るかもという話で。マルグリットという女性の名前はご存じですか?」
「ダノー侯爵家のマルグリット様ですわね。その……暴力令嬢と有名な……」
気に入らない従者がいればすぐに頬を叩き、ひどい時には足で蹴り倒すという。
いくら高給でもそんな人間には仕えていられないと退職する従者が多く、補充のために出自も怪しい人間を従者として雇うので、また不手際を起こして令嬢が暴力を振るって辞めさせるという悪循環になっているとか。
「それを止めるには先に縁談を決めるしかない……と思っていたんですが、婚約破棄前提で婚約だけしてくれとは申しづらいですよね。相手のとらえ方次第では侮辱とみなされます。そこにソフィーさんの話が聞こえてきまして」
私は思わず笑ってしまった。
「こんな完璧な組み合わせってあるでしょうか? 私たちなら心置きなく婚約して婚約破棄できますわね」
「僕と婚約してくださいますか? 婚約破棄を前提として」
「ええ、こちらこそ。でも一つだけお願いがございます」
「何でしょうか?」
「あまりにも二人がよそよそしければ、ダノー侯爵家やクラメール伯爵家にバレて嫌がらせを受けてしまうかもしれません。できるだけ破棄までの間は婚約者同士振る舞っていただけませんか?」
とくに私の家は子爵家だ。クラメール伯爵家だけならともかく、ダノー侯爵家なんかに意地悪をされたら破滅しかねない。
「わかりました。来年、お互いに学園生活に入ってもできるだけ楽しそうに過ごしましょう」
そううなずいてから、ジェラール様はこう尋ねた。
「今からソフィーと呼んでいいですか?」
「もちろんですわ」
ジェラール様は少し迷ってから、そっと右手を差し出した。
私はその手を握った。
偽装婚約だから、抱擁はやりすぎだ。
同盟ということで、手だけを握らせてもらった。
◇
この二年以上の期間でいろんなことがあった。
このカフェの三階も紹介してくれたのはジェラール様だった。
ジェラール様はずっと偽装婚約の私を本物の婚約者のように扱ってくれたし、仮に本物の婚約者がいたとしてもほかの女性のことをわずかでもほのめかすようなことはしなかった。
だから、本当に楽しい思い出ばかり。
でも、だからといって、これは偽装婚約だ。最初から期限は決まっている。
終わりが前提だから私たちは楽しく過ごせたのかもしれない。
お父様からは、
「表立っては無理だろうが、偽装婚約が終わった後の婚約者のことも少しは考えておいてくれよ。お前はいきなり婚約者がいない立場になるんだからな」
などと心配される始末だった。
実を言うと、新しい婚約者のことはわざと考えないようにしていた。
ジェラール様との婚約中に新しい人を探しても、絶対にジェラール様と比べてしまう。それは新しい人に対しても、あまりにも失礼だ。
相手への敬意が何もない婚約は必ず失敗する。
あのクラメール伯爵家のヘクター様、ダノー侯爵家のマルグリット様のように。
私とジェラール様が偽装婚約をした後に、あの二人がなんと婚約したのだ。
きっと上手くいかないだろうと思っていたが、実際にその通りになった。
色町に通っていることを知ったマルグリット様が激高して、ヘクター様の顔を相当傷つけたのは有名な話だ。
浮気もダメだが、同じ貴族にケガを負わせれば、それは法で裁かれかねない。
当然、婚約は解消になったが、そのあと、ヘクター様は顔に傷がついたことを恥じてか、いよいよお金で好きになってもらえる色町のほうに入り浸って、さすがのクラメール伯爵家も外聞が悪すぎると廃嫡を検討しているという。
一方、マルグリット様も暴力的なのは悪い霊でも憑いているせいだと言われて、極めて厳格なことで知られる修道院に送り込まれてしまった。
修道院でどんな厳しい教育を受けたのか、彼女は腕の骨を折るケガをしたという噂が聞こえていた。
私もジェラール様も、お互い、自分に目をつけてきた危険人物はすでに退場してしまっていた。
だから偽装婚約も本当は半年ほど前から不要になってはいた。
それでも偽装婚約が続いていたのは、少なくとも私はこの関係を続けていたかったからだ。
そう、私はこの二年以上の間、ジェラール様の婚約者として過ごせて幸せだった。
でも、これは仮のもの。当初の目的も、自分たちの身を守るためのもの。ジェラール様にほかに愛する人がいても仕方がない。
「それじゃ、ジェラール様、お答えを聞かせてください」
ジェラール様は緊張を抑えるためか、お茶を少しだけ飲むと、ふところから小さな木箱を取り出した。
「あら? 木箱?」
まったく予想していなかった。
偽装婚約をどうするかの答えを待っていたので、まさかアイテムが登場するなんて考えもしていない。
ジェラール様は木箱を開ける。
そこには花をデザインした髪飾りが入っていた。
「ソフィー、この髪飾りを君に贈りたい」
「え、ええ……ありがとうございます……。そ、それで、お答えは……」
「偽装婚約を破棄しよう」
ああ、つまり、私との婚約はなかったことになるわけだ。
仕方ない。この話を持ちかけたのは私の家のほうだ。
「そうですか。これまで本当にありがとうございました。ジェラール様、新しい婚約者の方ともお幸せに」
「えっ? ソフィー、何を言っているんだい?」
「? いえ、婚約破棄ということでしょう? 悲しいですけれど、私の家が提案したことですから、受け入れますわ」
「違う、違う! 偽装婚約を破棄する――つまり、本当の婚約にしようということさ! 別れる相手にプレゼントなんてしないよ!」
おそらく私はしばらく間の抜けた表情になってしまっていたと思う。個室で本当によかった。
そのあとに、目に涙が浮かんできた。
「それって、私と婚約してくださるということですか……?」
「厳密には婚約はずいぶん前から済んでいるから、婚約を継続しようということだけどね。僕の人生で一番長い時間を過ごしたのがソフィー、君だ。これからも君と一緒に歩んでいきたい」
「よかった……。私もジェラール様とは別れたくなかったから……」
ジェラール様は立ち上がり、泣きじゃくる私のところに行き、肩をぽんぽんと撫でた。
「ごめんなさい、今日でもう終わりかもしれないと思っていたから、感情の変化が激しく……。嬉し涙なんです」
「実は僕も断られたらどうしようもないなと思って、すごく怖かった」
二人とも臆病になっていたということか。
なにせ、本来は婚約破棄を確認する場だったのだもの。
「もう、どこに出しても恥ずかしくない婚約者なんだから、僕の胸で泣いてくれていいよ」
私は小さくうなずいて、ジェラール様の胸に顔をうずめた。それから、そっと抱擁した。
偽装婚約だから、手をつなぐことまでしかしたことがなかった。
私たちがついていたウソはこれで終わりだ。
◆終わり◆




