封印対策室始動
王城北門は、普段の静けさが嘘のように慌ただしかった。
重装馬車が三台、整列している。王家紋章が刻まれた遠征用車両で、外装には複数の防護術式が走っていた。騎士たちが物資を積み込み、魔術師が転移安定装置の最終調整を行っている。
空気は冷たい。
だがそれ以上に張り詰めていた。
レイジが到着した時には、すでにリヒトとリーナが装備確認を終えていた。リヒトは遠征用の軽量鎧へ換装し、背中には長剣と短槍を同時装備している。完全に実戦仕様だった。
「遅れてないな」
「ギリギリな」
リヒトは頷いた。「問題ない。時間通りだ」
ノアも駆け寄ってくる。厚手の外套に身を包み、普段より少し重装備だ。共鳴観測装置には新しい補助結晶が追加されている。
「寒冷地用に調整しました。共鳴感度、少し上がってます」
「頼もしいな」
そう言うと、彼女は少し照れたように笑った。
その横でユリウスが大量の資料箱を抱えている。「現地解析用の触媒、観測結晶、予備式典装置、あと非常食……」
リーナが呆れ顔で言う。「遠足じゃないんだからさ」
「解析は命綱だぞ」
軽口を交わしながらも、全員の動きは速い。緊急出発であることを誰もが理解している。
やがて重い足音が近づいた。
振り向くと、王女セリスが数名の近衛を伴って現れた。
遠征前の見送り。
全員が自然と姿勢を正す。
「急な任務変更、申し訳ありません」
セリスは穏やかな声で言った。
「ですが北方反応は看過できません。皆さんに王国を代表して向かっていただきます」
リヒトが敬礼する。「任務了解済みです」
セリスは次にレイジを見る。
昨日の玉座の間とは違う、少しだけ個人的な視線。
「神谷レイジ。あなたが外へ出ることで、王都内部の均衡も動きます」
「……分かってます」
「それでもお願いする理由は一つです」
彼女は静かに言った。
「あなたにしか出来ないからです」
重い言葉だった。
だが不思議と嫌ではなかった。
責任としてではなく、信頼として渡された感じがしたからだ。
セリスはノアにも向き直る。「共鳴観測者としての役割は非常に重要です。無理はしないでください」
「はい」
小さく、しかし力強い返事。
最後にセリスは全員を見渡した。
「無事の帰還を」
短い言葉。
だが王家として最大限の激励だった。
鐘が鳴る。
出発合図。
リヒトが振り返る。「全員搭乗!」
馬車へ乗り込む。
内部は思ったより広く、中央に魔導安定装置が設置されている。移動中の魔力乱流を抑えるためのものらしい。
扉が閉まり、振動が伝わる。
ゆっくりと馬車が動き出した。
王城北門を通過する瞬間、レイジは窓越しに振り返った。
巨大な城壁。
高くそびえる塔。
つい昨日まで“異世界の中心”だった場所。
だが今は、背後へ遠ざかっていく。
ノアが小さく呟く。「……音、変わりました」
「どう変わった?」
「王都の音が遠くなって、代わりに北が強くなってます」
胸の奥が同時に脈打つ。
ドクン。
ドクン。
確実に近づいている。
リーナが地図を広げる。「まず第一転移門まで半日。その後は雪原移動。魔物遭遇率高いから覚悟してね」
ユリウスがぼそっと言う。「できれば研究対象だけにしてほしい……」
「無理だな」
即答だった。
馬車は王都を抜け、白い平原へ向かう街道へ入る。
都市の喧騒が消える。
風の音だけが残る。
そして――
突然、共鳴装置が強く光った。
ノアが息を呑む。「反応、急上昇……!」
同時に、遠くの空がわずかに歪んだ。
雪原の彼方。
黒い影が一瞬だけ空に浮かび上がる。
幻のように。
だが確かに存在した。
レイジの胸が激しく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
頭の奥に、かすかな声が響いた気がした。
――来い。
思わず目を見開く。
今のは幻覚ではない。
確信だけが残る。
リヒトが低く言う。「……どうやら歓迎されてるらしいな」
誰も笑わなかった。
王都編は終わった。
ここから先は未知の領域。
封印鍵の旅が、今、本当に始まったのだった。
作戦室に表示された北方地図は、王都周辺とはまったく違う様相をしていた。
白。
ほぼ全面が雪原で覆われている。
王国北方――旧王国グランディア領域。現在は正式な統治が及ばない半放棄地帯であり、魔物活動が活発な危険区域として知られている場所だった。
リーナが低く口笛を吹く。「いきなりハードだな。新人歓迎にしては重すぎる任務じゃない?」
「歓迎ではありません」
エリシアが即答する。
「時間がないんです」
投影図が拡大される。
赤く点灯していた封印反応のうち、一点だけが異様な強度を示していた。
脈動している。
まるで生き物のように。
ユリウスが指先で波形を操作する。「北方遺跡の反応が、昨日から急激に増幅してる。計算上、このままだと三週間以内に封印干渉現象が発生する」
「干渉現象ってのは?」
リーナが聞く。
「簡単に言うと、封印の外側に中身が滲み出る」
室内の空気が冷えた。
ノアが小さく呟く。「……黒獣」
ユリウスは否定も肯定もしなかった。
「正確には不明。でも同系統の反応だ」
リヒトが腕を組んだまま言う。「つまり、放置すれば第二の王都襲撃になる可能性がある」
「はい」
エリシアが頷く。
「だからこそ封印鍵が必要です」
視線が自然とレイジへ集まる。
責任というより、役割。
レイジは地図を見つめながら聞いた。「距離は?」
リーナが答える。「馬車と転移門併用で三日。ただし最後は徒歩。雪原は転移座標が安定しない」
三日。
王都から完全に離れることになる。
ノアが少し不安そうに言った。「王城地下の封印は大丈夫なんでしょうか」
エリシアは静かに答えた。「現在は安定しています。むしろ問題は“外”です。封印は一つではない」
ユリウスが補足する。「世界規模のネットワーク構造だからな。どこかが崩れれば連鎖する」
つまり。
王都を守るには、外へ行かなければならない。
リヒトが決断するように言った。「遠征隊を編成する。最小人数で高速移動。目標は調査と安定化、戦闘は回避優先」
リーナが笑う。「回避できる相手ならいいけどね」
その言葉に誰も否定しなかった。
エリシアが新しい画面を開く。
遠征編成表。
隊長:リヒト
封印鍵:神谷レイジ
共鳴観測:ノア・セレス
戦闘支援:リーナ・ヴェルグ
解析担当:ユリウス・ヘイン
完全な固定チーム。
レイジは思わず苦笑した。「逃げ場ないな」
リーナが肩を叩く。「諦めな。もう国家案件の中心だよ、あんた」
ノアも小さく笑うが、すぐ真剣な顔へ戻る。「でも……音が変なんです」
全員の視線が集まる。
「北方の反応、強いんですけど……怖いというより、“懐かしい”感じがします」
沈黙。
ユリウスが興味深そうに目を細めた。「共鳴観測者の感覚か……興味深いな」
エリシアは少し考え込む。
「封印鍵と同調する存在……あるいは、同系統の封印かもしれません」
レイジの胸が小さく脈打った。
ドクン。
理由は分からない。
だが確かに引かれている感覚がある。
まるで向こう側から呼ばれているような。
リヒトが手を叩いた。「感覚の話は現地で確認だ。出発は明朝。各自準備に入れ」
任務が決まった瞬間、作戦室の空気が変わった。
議論から行動へ。
リーナはさっそく装備確認を始め、ユリウスは資料束を抱えてぶつぶつ計算を始める。エリシアは王城通信端末へ報告を書き込み、リヒトは遠征許可印を押していく。
国家が動く速度。
レイジはその中心に立っていた。
ノアが小声で言う。「……遠征、初めてですね」
「ああ」
「少し怖いです」
正直な声だった。
レイジは少し考え、答えた。「俺もだよ」
するとノアは少しだけ安心したように笑った。
その時。
作戦室の魔導通信装置が突然赤く点滅した。
警告音。
全員が振り向く。
エリシアが操作すると、空中に緊急映像が投影された。
雪原。
吹雪。
そして――
巨大な黒い影。
遠距離観測装置の映像だった。
何かが雪中からゆっくりと起き上がっている。
人型ではない。
獣でもない。
異様に長い影。
映像が歪み、ノイズが走る。
ノアが震えた声で言った。
「……音、同じです」
レイジの胸が強く脈打つ。
ドクン。
ドクン。
封印結晶と完全一致。
ユリウスが低く呟く。「反応、予定より早いぞ……」
リヒトが即座に命じた。
「出発を前倒しする。二時間後、王城北門集合!」
緊張が一気に走る。
準備期間は消えた。
遠征は――今、始まる。
王城北門は、普段の静けさが嘘のように慌ただしかった。
重装馬車が三台、整列している。王家紋章が刻まれた遠征用車両で、外装には複数の防護術式が走っていた。騎士たちが物資を積み込み、魔術師が転移安定装置の最終調整を行っている。
空気は冷たい。
だがそれ以上に張り詰めていた。
レイジが到着した時には、すでにリヒトとリーナが装備確認を終えていた。リヒトは遠征用の軽量鎧へ換装し、背中には長剣と短槍を同時装備している。完全に実戦仕様だった。
「遅れてないな」
「ギリギリな」
リヒトは頷いた。「問題ない。時間通りだ」
ノアも駆け寄ってくる。厚手の外套に身を包み、普段より少し重装備だ。共鳴観測装置には新しい補助結晶が追加されている。
「寒冷地用に調整しました。共鳴感度、少し上がってます」
「頼もしいな」
そう言うと、彼女は少し照れたように笑った。
その横でユリウスが大量の資料箱を抱えている。「現地解析用の触媒、観測結晶、予備式典装置、あと非常食……」
リーナが呆れ顔で言う。「遠足じゃないんだからさ」
「解析は命綱だぞ」
軽口を交わしながらも、全員の動きは速い。緊急出発であることを誰もが理解している。
やがて重い足音が近づいた。
振り向くと、王女セリスが数名の近衛を伴って現れた。
遠征前の見送り。
全員が自然と姿勢を正す。
「急な任務変更、申し訳ありません」
セリスは穏やかな声で言った。
「ですが北方反応は看過できません。皆さんに王国を代表して向かっていただきます」
リヒトが敬礼する。「任務了解済みです」
セリスは次にレイジを見る。
昨日の玉座の間とは違う、少しだけ個人的な視線。
「神谷レイジ。あなたが外へ出ることで、王都内部の均衡も動きます」
「……分かってます」
「それでもお願いする理由は一つです」
彼女は静かに言った。
「あなたにしか出来ないからです」
重い言葉だった。
だが不思議と嫌ではなかった。
責任としてではなく、信頼として渡された感じがしたからだ。
セリスはノアにも向き直る。「共鳴観測者としての役割は非常に重要です。無理はしないでください」
「はい」
小さく、しかし力強い返事。
最後にセリスは全員を見渡した。
「無事の帰還を」
短い言葉。
だが王家として最大限の激励だった。
鐘が鳴る。
出発合図。
リヒトが振り返る。「全員搭乗!」
馬車へ乗り込む。
内部は思ったより広く、中央に魔導安定装置が設置されている。移動中の魔力乱流を抑えるためのものらしい。
扉が閉まり、振動が伝わる。
ゆっくりと馬車が動き出した。
王城北門を通過する瞬間、レイジは窓越しに振り返った。
巨大な城壁。
高くそびえる塔。
つい昨日まで“異世界の中心”だった場所。
だが今は、背後へ遠ざかっていく。
ノアが小さく呟く。「……音、変わりました」
「どう変わった?」
「王都の音が遠くなって、代わりに北が強くなってます」
胸の奥が同時に脈打つ。
ドクン。
ドクン。
確実に近づいている。
リーナが地図を広げる。「まず第一転移門まで半日。その後は雪原移動。魔物遭遇率高いから覚悟してね」
ユリウスがぼそっと言う。「できれば研究対象だけにしてほしい……」
「無理だな」
即答だった。
馬車は王都を抜け、白い平原へ向かう街道へ入る。
都市の喧騒が消える。
風の音だけが残る。
そして――
突然、共鳴装置が強く光った。
ノアが息を呑む。「反応、急上昇……!」
同時に、遠くの空がわずかに歪んだ。
雪原の彼方。
黒い影が一瞬だけ空に浮かび上がる。
幻のように。
だが確かに存在した。
レイジの胸が激しく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
頭の奥に、かすかな声が響いた気がした。
――来い。
思わず目を見開く。
今のは幻覚ではない。
確信だけが残る。
リヒトが低く言う。「……どうやら歓迎されてるらしいな」
誰も笑わなかった。
王都編は終わった。
ここから先は未知の領域。
封印鍵の旅が、今、本当に始まったのだった。




