王女様は落ちこぼれを疑う
翌朝、俺は早起きしていた。
……いや、正確には「早起きさせられていた」。
学園の寮は規則正しい。起床の鐘が鳴る。放置すると、巡回の先輩が容赦なく叩き起こす。前世の会社よりは人道的だが、睡眠の自由という概念はここにも存在しないらしい。
「……異世界でも結局こうか」
ぼやきながら顔を洗い、制服を着る。制服は黒を基調にした詰襟タイプで、胸に学園章。生地がやたら良い。前世ならスーツ代で泣いていたが、ここでは支給だ。そこだけは評価したい。
廊下に出ると、すでに寮生がぞろぞろ移動していた。皆、昨日の“事件”の話題で持ち切りだ。
「水晶を壊したって本当か?」
「測定不能って、伝説級だろ」
「近づくなよ、呪われるぞ」
……やっぱり噂になってる。
俺は空気のように歩きたいのに、歩くたびに視線が追尾してくる。これ、会社でトラブルを解決した翌日の「神谷、ちょっといい?」地獄と同じやつだ。放っておけば、絶対に仕事が増える。
(まずは“期待値を下げる”が最優先だな)
社会人の危機管理スキルが脳内で起動する。
・周囲に「使えない」と思わせる
・上層部に「扱いづらい」と思わせる
・優秀な人間の背後に隠れる
つまり、落ちこぼれムーブ。徹底していく。
——と、曲がり角で不意に足が止まった。
そこに立っていたのは、昨日の銀髪少女。
レティシア。
真っ白に近い銀髪が朝の光を反射して、やけに眩しい。彼女の周囲だけ空気が整って見えるのは、王族オーラとかいうやつだろうか。周りの生徒が微妙に距離を取っているのも分かる。
俺は咄嗟に視線を逸らし、すれ違うルートを取ろうとした。
「レイジさん」
呼ばれた。はい終了。
逃げ道がない。俺は観念して振り向く。
「……おはようございます」
「ええ、おはようございます」
丁寧に返すのが怖い。礼儀正しい人ほど、追ってくる。前世でもそうだった。こちらが丁寧にすると、「この人は仕事を頼める」と判断される。
「昨日の件、体調は大丈夫ですか?」
心配する声色。しかし瞳は鋭い。優しさと観察が同時に来てる。
「大丈夫です。寝たら回復しました」
「……そう」
レティシアは一歩近づき、声を落とした。
「あなた、魔力を抑えていましたね」
「いえ」
「抑えていました」
断定。怖い。
俺は笑って誤魔化す。社会人スマイル。万能防御。のはずだったが、レティシアは笑わない。
「昨日、あなたの魔力は“整って”いました。暴走ではありません。制御に失敗したならもっと乱れます」
「……詳しいんですね」
「王族ですから」
さらっと言う。破壊力が高い単語だ。
王族。つまりこの世界の頂点。関わってはいけない。絶対に。
「本当に大したことじゃなくて……たまたま、装置が弱かったとか」
「王国規格の最新型が、弱いわけないでしょう」
正論で刺してくる。やめてくれ。
「ねえ、レイジさん。私、お願いがあります」
「……お願い?」
「放課後、模擬戦をしてください」
来た。最悪の提案が来た。
模擬戦=実力がバレるイベント。
会社で言えば「ちょっとこの案件、手伝って」だ。断ったら面倒、受けたら地獄。どっちに転んでも損。
俺は即座に“角が立たない拒否”を探す。
「えっと……自分、昨日入ったばかりで、まだ……」
「初心者なら、なおさら良いです。安全に確認できますから」
「確認って……」
「あなたが、本当に初心者かどうか」
にこり。笑顔なのに圧が強い。
(この人、優しそうに見えて戦闘民族だ……)
前世の上司にもいた。笑顔で期限を詰めてくるタイプ。あれに似てる。
「……分かりました。安全な範囲で」
受けた。しまった。だがここで断ればもっと深掘りされる。とりあえず“弱いフリをして負ける”方向に持っていけばいい。
レティシアは満足そうに頷いた。
「では、今日の授業後に。場所は第二演習場です」
「了解です……」
俺が返事をした瞬間、周囲のざわめきが増した。
「え、レティシア殿下が話しかけた?」
「殿下、模擬戦? あいつと?」
「水晶破壊の新入生……」
ああ、もう。目立ちたくないのに、目立つイベントを自分で増やしてどうする。
(落ちこぼれ計画、初日から破綻しすぎだろ)
そう嘆きながら教室棟へ向かうと、講堂の前に掲示板が設置されていた。人だかりができている。
俺は嫌な予感を抱きつつ、近づく。
掲示板には大きな紙が貼られ、そこに太字で書かれていた。
《仮クラス分け》
来た。運命のクラス分けだ。
人混みの隙間から覗き込むと、まず目に飛び込んできたのは最上位。
Sクラス——王国の天才が集うクラス。
その最上段に、当然のようにあった名前。
《レティシア・アルセリア》
なるほど、殿下は殿下枠でS。分かりやすい。
そして俺の名前は——
探す。
探す。
……あった。
《レイジ・カミヤ F》
よし。
よしよしよし。
最高だ。望んだ通りの落ちこぼれクラス。安全地帯。責任が薄い場所。教師からの期待値も最低。ここから静かに暮らせる。
「F……? あの水晶破壊のやつが?」
「測定不能なのに落ちこぼれ?」
「逆に怖いだろ……」
周囲がざわつくが、関係ない。評価はF。これでいい。
俺は掲示板から離れようとして——背後から、聞き慣れた声がした。
「やっぱりFに入れられたのね」
振り向くと、レティシアがいた。
(なんでいつもタイミングがいいんだこの人)
レティシアは掲示板を見上げ、納得したように頷く。
「未測定扱い、でしたものね」
「ええ。たぶん、妥当です」
俺は全力で“妥当な落ちこぼれ”を演じた。目は泳がせ、声は弱く、姿勢は少しだけ猫背。社会人の演技力は伊達じゃない。
しかしレティシアは小さく息を吐いた。
「演技、下手ですよ」
「……え?」
「あなた、落ちこぼれを演じています。なぜ?」
痛いところを一瞬で突いてくる。怖い。実家が権力の人間は観察眼も鋭いのか。
俺は言葉を探した。正直に「働きたくないから」と言うのはやめた方がいい気がする。学園最強王女の前で「努力したくないです」は、嫌われるというより理解されない。
だから、社会人テンプレ。
「目立つのが苦手で」
「昨日、目立っていましたけど」
「……たまたまです」
レティシアは少し考えるような顔をした後、意外にも柔らかく言った。
「大丈夫です。私も、目立つのは好きではありません」
「……殿下が?」
「はい。“期待”は重いですから」
その言葉だけは、胸に刺さった。
期待は重い。責任は重い。前世で潰れた理由がそれだ。
俺が返事を返せずにいると、レティシアは少しだけ微笑んだ。
「だからこそ、あなたが隠しているものが気になります。放課後、約束ですよ」
言い残して去っていく。
俺は額を押さえた。
(落ちこぼれクラスに入れたのに、結局トップに目をつけられてる……)
ここから先、どう転んでも平穏ではない。
だがまだ、勝ち筋はある。
放課後の模擬戦で、完璧に弱く負ける。
それで「やっぱり落ちこぼれだな」と思わせる。
そしてレティシアの疑念を解く。
——よし。やるしかない。
そう決意して、俺はFクラスの教室へ向かった。
Fクラスの教室は、校舎の端っこにあった。Sクラスが「景色の良い最上階」なら、Fクラスは「風通しの良い倉庫の隣」だ。要するに、扱いが雑。
扉を開けた瞬間、空気が荒れているのが分かった。机は少し斜め、椅子はガタつく。壁にはいつ貼ったか分からない注意書きが黄ばんでいる。だが俺にとっては、ここは天国だった。
(期待値が低い場所ほど、生きやすい)
社会人の鉄則だ。
「お、見ない顔。新入りか?」
声をかけてきたのは、筋肉が服を着てるみたいな男子だった。髪は短く、目はギラギラ。たぶん脳筋枠。
「レイジです。今日から」
「俺はガルム! よろしくな! Fでも気合い入れていこうぜ!」
……Fで気合いを入れるのはやめてほしい。だが笑顔で頷く。敵を作らない。これも鉄則。
「おい、ガルム。新入りに絡むな」
今度は女子の声。振り向くと、背の低い少女が腕を組んでいた。赤毛のツインテール。瞳が鋭い。制服の襟が少し崩れてるのに、威圧感は強い。
「ミーナだ。変なのが来たら爆破していいって先生に言われてる」
「言われてないだろ!?」
「言われてる(気がする)」
危険人物だ。しかも“爆破”は比喩じゃなさそう。
ミーナは俺を上から下まで見て、鼻で笑った。
「へぇ。あんたが例の“水晶割り”?」
「……たまたま」
「たまたまで水晶割るのは、だいぶ終わってる」
言い返す気力が湧かない。終わってるのは前世からだ。
席に座ると、周囲の生徒たちがちらちら見てくる。噂の新入生、という扱い。だがSクラスのような羨望ではなく、Fクラスらしく「面倒は勘弁」という視線が混じっていた。
教員が入ってきて出欠を取り、軽いガイダンスが始まる。内容は予想通りだった。
「Fクラスは補習が多い。遅刻欠席は即ペナルティ。成績が上がらなければ退学もある」
退学。響きが重い。だが俺にとっては、会社の“評価面談”よりはまだマシだ。あれは退学ではなく、精神が退職する。
授業は魔力基礎。魔力の流し方、呼吸、イメージ。ここは意外に理論的で、俺には合っていた。AIやプログラミングと似ている。入力と出力、制御とフィードバック。
(ただ、俺の魔力は……多すぎるのが問題なんだよな)
加減を間違えればまた何か壊す。だから授業中は“最小出力”を意識した。自分の中でダイヤルを回して、一番弱い位置に固定するイメージ。
結果。
「カミヤ、お前……魔力の流れ、細すぎないか?」
「……すみません」
「……いや、これはこれで、逆に珍しいな」
先生が首を傾げる程度には、弱者っぽく見えたらしい。よし。
続いて魔法の実技。火の初歩、“灯火”を出す。
みんなが小さな火球を浮かべる中、俺も手のひらに灯す。弱く、弱く、ロウソク程度。ミーナが鼻で笑う。
「しょぼ。風で消えるぞ」
「消えた方が安全だろ」
「何その人生観」
ミーナは指を鳴らし、ド派手な火球を作ってみせた。教室の温度が一気に上がる。先生が慌てて止める。
「ミーナ! 出力を下げろ! 下げろって言ってるだろ!」
「え? これでも下げてる」
「上げるな! 今は上げるな!」
このクラス、平和とは別方向で賑やかだ。
午前の授業が終わり、昼休み。食堂に向かう途中でも、俺は何度か視線を感じた。廊下ですれ違う上位クラスの連中が、面白半分にこちらを見てくる。
「Fに落ちた測定不能」
「結局ハッタリだったんじゃね?」
「いや、逆に怖いだろ」
噂が勝手に育っている。まずい。噂は放置すると“公式設定”になる。会社でもそうだ。「神谷は何でもできる」がいつの間にか「神谷に全部振ろう」になる。二度と同じ過ちは繰り返さない。
(放課後の模擬戦で、噂を“雑魚”に上書きする)
それが今日の最重要タスクだ。
食堂は広い。貴族用の席、一般生徒用の席、そしてFクラスが集まりやすい端の方。俺はガルムとミーナに挟まれて座った。ガルムは肉料理を山盛り、ミーナは甘いパンを三つ。
「なあレイジ、今日の放課後さ。殿下と模擬戦するって噂、マジ?」
ガルムが目を輝かせる。こういう“見世物”が好きなのは、どの世界も同じらしい。
「……マジ」
「すげぇ! 俺も観に行っていいか?」
「いいけど、期待しないで」
俺は“雑魚”を演じる。観客がいるほど都合が良い。派手に負ければ、噂は一気に落ちる。
ミーナがパンを頬張りながら言う。
「負けるなら、ちゃんと負けろよ。中途半端だと余計に目立つ」
「……分かってる」
「分かってない顔だな」
こいつ、妙に勘がいい。
午後の授業は武術基礎だった。木剣を使う。俺は前世では剣を持ったことなどない。だが転生後の身体が“覚えている”感覚があった。足運び、間合い、重心。身体が勝手に最適解を探す。
(これ、やばいな……)
下手に動いたら“強そう”が漏れる。
だから俺はわざとフォームを崩し、タイミングを遅らせた。先生に注意される程度に不器用を演じる。ガルムは逆に褒められている。よし、俺はガルムの影に隠れる。
授業が終わる頃には、外は少し夕方の色になっていた。廊下に出ると、どこからか視線の密度が上がる。
観客だ。
(……集まり始めてる)
第二演習場へ向かう途中、俺は自分に言い聞かせた。
・絶対に本気を出さない
・一撃で負ける
・言い訳はしない
・“やっぱりFだな”を確定させる
そうすれば、レティシアも納得する。納得して、興味を失って——くれたら最高なんだが。
第二演習場の前に着いた時点で、人がすでに輪を作っていた。上位クラスの制服も混じっている。ガルムもミーナも、いつの間にか後ろにいる。
そして輪の中心に、銀髪の王女が立っていた。
レティシアは俺を見つけると、静かに頷いた。
「来てくれたのですね」
「約束なので」
俺は礼儀正しく答えた。礼儀は大事だ。相手が王族ならなおさら。
レティシアは木剣を手に取り、真っ直ぐ構える。姿勢が美しい。無駄がない。周囲が息を呑むのが分かる。
「ルールは簡単です。木剣と魔法、どちらも使用可。ただし致命傷は禁止。降参か、場外か、戦闘不能で決着」
「了解」
俺も木剣を握る。軽い。だが手のひらが少し汗ばむ。前世でのプレゼンより緊張している気がする。いや、プレゼンは命までは取られない。
審判役の教員が手を上げた。
「——始め!」
次の瞬間、レティシアの踏み込みが“速すぎた”。
(え?)
距離が一気に詰まる。剣先がまっすぐ俺の喉元へ——いや、違う。喉元“ぎりぎり”を狙っている。危険を感じさせて、反応を引き出すための一撃。試されている。
身体が勝手に動きそうになった。最適解で避ける身体。だがそれを出したら終わる。
俺は“遅れて”避けた。
剣先が制服の襟をかすめ、風が頬を撫でる。観客がどよめく。
「おお……避けた!」
「今のは危なかったぞ……」
危ないのは計画だ。
レティシアは一度距離を取り、淡々と言った。
「……今の反応、やはり初心者ではありませんね」
「たまたまです」
「たまたま、で避けられる攻撃ではありません」
詰めが鋭い。俺は内心で叫ぶ。
(頼む、疑うなら疑うで、さっさと諦めてくれ……!)
レティシアが剣を上段に構え直す。
「次で、はっきりさせます」
空気が変わった。
——ここからが本番らしい。
俺は木剣を握り直し、“弱く負ける”という難易度の高い戦いに挑むことになった。
レティシアの構えが変わった瞬間、空気の密度が一段階重くなった。
さっきまでの一撃は“確認”。今のは“本気に近い動き”だと直感で分かる。剣先がわずかに揺れ、足運びが静かになる。無駄な力が消え、代わりに圧だけが残った。
観客のざわめきが止まる。
(まずいな……)
俺の計画は「適度に弱く見せて負ける」だった。しかし相手が本気寄りになると、話が変わる。中途半端な動きは逆に違和感を生む。
レティシアが踏み込んだ。
速い。
先ほどより明確に速い。地面を蹴る音がほとんど聞こえない。剣が斜めに走り、視界を横切る。
本能が叫ぶ。
避けろ。
身体が最適解を選ぼうとする。だが俺は半歩だけ遅らせた。ぎこちなく後退し、ギリギリで受ける。木剣同士がぶつかり、乾いた音が響いた。
「……っ!」
腕に衝撃が走る。重い。見た目以上に力が乗っている。
観客がどよめく。
「受けたぞ!?」
「Fクラスだろあいつ!」
レティシアの瞳が細くなる。
「やはり……」
二撃目が来る。今度はフェイント混じり。上段から振り下ろすと見せて、途中で軌道を変える。完全に実戦型だ。
俺はわざと反応を遅らせ、剣を弾かれる。
ガン、と木剣が地面に落ちた。
「——そこまで!」
審判の声が響く。
一瞬、静寂。
そして観客から声が上がる。
「なんだ、やっぱり普通じゃん」
「避けただけか」
「水晶は偶然だったんだな」
よし。
完璧だ。
理想的な評価。“ちょっと反応が良いだけの一般生徒”。これ以上でも以下でもない。
俺は肩で息をしながら苦笑した。
「……参りました」
拍手が少しだけ起きて、すぐに散る。興味が失われていくのが分かる。人は“圧倒的”でなければすぐ飽きる。これが狙いだった。
しかし。
レティシアだけは、剣を下ろさなかった。
彼女はじっと俺を見ている。
嫌な予感。
「レイジさん」
静かな声だった。
「あなた、今……三回、最適な回避を捨てましたね」
心臓が跳ねた。
(見てたのかよ……)
観客には分からない微妙な動き。だが彼女は全部見抜いている。
「偶然です」
「偶然ではありません」
断定。
彼女は一歩近づき、小さな声で続けた。
「あなたは“負け方”を選んでいました」
図星すぎて反論できない。
沈黙が落ちる。
周囲には聞こえない距離で、レティシアはさらに声を落とした。
「なぜ、そこまで隠すのですか?」
俺は少し考えた。
正直に言うべきか迷ったが、嘘を重ねてもこの人には通じない気がした。
だから、半分だけ本音を出す。
「……頑張りすぎると、疲れるからです」
レティシアが瞬きをした。
「疲れる?」
「期待されると、責任が増えるでしょう。責任が増えると、自由が減る。……前は、それで失敗したので」
完全な説明ではないが、嘘でもない。
彼女はしばらく黙っていた。
やがて、ふっと表情が柔らかくなる。
「……分かる気がします」
意外な言葉だった。
「王族は、生まれた瞬間から役割が決まっています。強くあることを求められる。逃げ場はありません」
その声音には、ほんの少しだけ疲れが混じっていた。
俺は初めて、この人を“王女”ではなく“同じ側の人間”として見た気がした。
「でも」
レティシアは微笑む。
「だからといって、力を隠し続けるのは難しいですよ」
「……でしょうね」
もうバレている時点で手遅れ感はある。
彼女は木剣を戻しながら言った。
「今日の勝負、私の負けにしておきます」
「いや、普通に俺が負けましたけど」
「いいえ。目的を達成したのはあなたですから」
意味深なことを言う。
観客に向き直り、レティシアは高らかに宣言した。
「勝者、レイジ・カミヤ!」
一瞬、時間が止まった。
「……は?」
「え?」
「今なんて?」
ざわめきが爆発する。
俺は固まった。
(いやいやいやいや待て)
計画が全部逆方向に転がった。
レティシアは小声で言う。
「安心してください。理由は“私の判断ミス”にしておきます。あなたの力は、まだ秘密です」
守ってくれているのか、巻き込んでいるのか分からない。
観客は困惑しながらも、王女の言葉を否定できない。結果として、“Fクラスの新入生が王女に勝ったらしい”という曖昧な噂だけが残った。
最悪だ。
弱者認定どころか、謎の存在になっている。
人が散り始め、夕焼けが演習場を染める。
レティシアは最後に振り返った。
「レイジさん」
「はい」
「あなた、面白い人ですね」
それだけ言って去っていった。
残された俺は空を見上げた。
異世界転生二日目。
平穏に暮らす計画は、完全に崩壊した気がする。
(……どうしてこうなるんだ)
だが心のどこかで、ほんの少しだけ。
前世では感じなかった“生きている実感”があった。
こうして、落ちこぼれを装う元社畜の学園生活は、静かに——そして確実に、波乱へ向かって動き始めたのだった。




