王都アルヴェイン
王都アルヴェインは、遠くからでも異質だった。
学園を出発して三日。
街道を進み続けた馬車の窓から、それは突然姿を現した。
巨大な城壁。
白銀色の石で築かれた壁は地平線の端まで続き、まるで山脈のようにそびえている。
その内側から無数の塔が空へ伸びていた。
魔導塔。
騎士団本部。
貴族区画。
そして中央。
雲を貫くほど高い王城。
「……でかすぎない?」
ミーナならこう言っただろうな、と自然に思う。
実際、口に出したのはノアだった。
「資料で見てましたけど……本物は全然違いますね」
彼女は窓に張り付くように外を見ている。
普段おどおどしているのに、こういう時は子供みたいだった。
騎士団の先導が速度を落とす。
王都正門。
高さ二十メートルはある巨大な門。
完全武装の騎士が並び、入都検問が行われている。
だが王女の旗を見た瞬間、全員が剣を胸に当てた。
「王女殿下、ご帰還!」
門がゆっくり開く。
重厚な音。
そして——
王都の中へ入った。
◇
世界が変わった。
人の数が違う。
石畳の大通りを埋め尽くす人々。
商人。
冒険者。
貴族の馬車。
魔導具の屋台。
空には小型浮遊魔導具が行き交い、建物の壁面には光る広告魔術が映し出されている。
学園都市とは規模が桁違いだった。
「す、すごい……」
ノアが完全に圧倒されている。
俺も同じだった。
前世の大都市に近い。
いや、それ以上に活気がある。
魔法と文明が混ざった世界。
騎士団の馬車は人混みを割るように進んでいく。
周囲の視線が集まる。
王女の紋章。
そして護衛付きの俺たち。
完全に目立っていた。
「歓迎されてる感じじゃないな」
小声で呟く。
実際、視線には好奇心だけでなく警戒も混ざっている。
「王都は情報が早いんです」
セリスが向かいの席で言った。
「もうあなたの話は広まっています」
「どこまで?」
彼女は少し苦笑する。
「“封印を揺らした学生”くらいには」
……最悪だ。
◇
馬車が貴族区画へ入る。
途端に景色が変わった。
静か。
整備された庭園。
白い邸宅。
警備兵。
完全な別世界。
やがて馬車が止まる。
巨大な建物の前。
王城ではない。
だがそれに匹敵する規模。
「ここは?」
ノアが聞く。
セリスが答えた。
「王国魔術院本館です」
石造りの巨大建築。
無数の魔法陣が壁に刻まれている。
この国の魔術の中心。
つまり——
俺の検査の本拠地。
馬車を降りた瞬間。
空気が変わった。
強い魔力の気配。
視線。
上階の窓。
入口の影。
観察されている。
(……歓迎というより実験対象だな)
その時。
入口の階段に、一人の青年が立っているのが見えた。
白銀の髪。
整った貴族服。
腰には装飾剣。
そして、昨日広場で見たあの視線。
少年がゆっくり笑った。
「やっと来たか」
まっすぐこちらへ歩いてくる。
周囲の魔術師たちが自然に道を開けた。
立場が高い。
間違いない。
彼は目の前で止まり、軽く礼をした。
「初めまして、神谷レイジ」
穏やかな声。
だが目は鋭い。
「アルベルト・ヴァルディス。王都騎士学院首席だ」
予感が確信に変わる。
ライバル。
それも——かなり面倒なタイプ。
アルベルトは笑みを深めた。
「君の噂、退屈しない内容だったよ」
そして小さく付け加える。
「本物かどうか、確かめさせてもらう」
王都編は、到着した瞬間から静かに火花を散らし始めていた。
「本物かどうか、確かめさせてもらう」
アルベルトの言葉に、周囲の空気がわずかに張り詰めた。
魔術院の研究員たちが興味深そうにこちらを見る。
完全に見世物だ。
(……到着五分でこれか)
王都らしい歓迎だった。
セリスが一歩前へ出る。
「アルベルト。彼は正式招待客です」
穏やかな声。
だが王女としての圧が乗っている。
普通なら引く。
だがアルベルトは微笑みを崩さなかった。
「もちろん承知しております、殿下」
礼儀正しい。
完璧な貴族の所作。
だが視線は俺から離れない。
「ただ、王都では“実力”がすべてです」
周囲の魔術師が小さく頷く。
どうやら事実らしい。
「噂だけで評価されるのは、本人も困るでしょう?」
否定しづらい理屈。
俺は小さく息を吐いた。
「つまり?」
アルベルトは楽しそうに言った。
「簡単な確認ですよ」
指を鳴らす。
魔術院入口前の広場に魔法陣が展開された。
円形訓練場。
観測結界付き。
完全に準備済み。
……最初からそのつもりだったな。
ノアが小声で言う。
「これ、断れない流れですか?」
「多分な」
セリスが少し困った顔をする。
だが止めない。
王都ではこれが普通なのだろう。
アルベルトが剣を外し、従者へ渡す。
「安心してください。殺傷は禁止結界です」
軽く肩を回す。
「魔力のみの模擬戦」
周囲がざわめき始める。
「騎士学院首席だぞ」
「例の学生と戦うのか?」
完全に観客が集まり始めた。
(逃げても面倒になるだけか)
俺は前へ出た。
「時間は?」
アルベルトが笑う。
「三分でどうでしょう」
短い。
つまり本気で試すつもりだ。
結界が起動する。
淡い光が円を囲む。
ノアが不安そうに袖を掴んだ。
「無理しないでくださいね」
「暴走しない範囲でやる」
それが一番重要だった。
結界内へ入る。
向かい合う。
アルベルトの雰囲気が変わった。
さっきまでの社交的な空気が消える。
研ぎ澄まされた戦士の目。
(……強いな)
直感で分かる。
今までの学生とはレベルが違う。
彼が言う。
「先に言っておきます」
構えながら。
「僕は手加減が苦手です」
「助かる」
俺も構える。
余計な遠慮は不要。
合図もなく。
アルベルトが消えた。
速い。
次の瞬間、横から衝撃。
反射的に後退。
風圧だけで結界が揺れる。
観客がどよめく。
「速すぎる……!」
追撃。
連続魔力斬撃。
無駄がない。
完全な実戦型。
(なるほど……王都基準か)
避けながら観察する。
呼吸。
重心。
魔力の流れ。
アルベルトが笑う。
「避けるだけですか?」
「様子見だ」
「余裕ですね」
次の攻撃が来る。
だが今度は読めた。
半歩前へ。
攻撃の内側へ入る。
アルベルトの目がわずかに開く。
初めての予想外。
魔力を最小出力で放つ。
衝撃。
彼が数歩下がる。
観客がざわめく。
「押した!?」
「首席が!?」
アルベルトが楽しそうに笑った。
「……いい」
魔力が一段上がる。
空気が震える。
本気モード。
(来るな)
だがその瞬間。
手首の安定装置が淡く光った。
ノアの波長。
暴走しないように、静かに制御されている。
頭がクリアになる。
視界が広がる。
アルベルトが突撃。
全力の一撃。
俺は——
真正面から迎えた。
アルベルトの剣が振り下ろされる。
速い。
重い。
そして正確。
観客席から息を呑む音が聞こえた。
普通なら避けるしかない一撃。
だが——。
俺は半歩だけ踏み込んだ。
真正面。
最短距離。
アルベルトの瞳がわずかに揺れる。
予想外。
衝突の瞬間、魔力を一点に集中させる。
最大出力ではない。
暴走しないギリギリ。
制御された一撃。
ドン——ッ!!
衝撃波が結界を震わせた。
石畳がひび割れる。
光が弾ける。
数秒、互いに押し合う形で止まる。
そして。
アルベルトの足が、半歩後ろへ滑った。
静寂。
観客が凍りつく。
王都騎士学院首席が——押された。
アルベルト自身が一番驚いていた。
「……なるほど」
小さく笑う。
力を抜き、距離を取った。
「もう十分だ」
結界が消える。
試合終了。
ざわめきが一気に広がった。
「本当に互角だぞ……」
「いや、今のは……」
「学園の学生って聞いたぞ?」
評価が一瞬で変わるのが分かった。
アルベルトが剣を受け取り、こちらへ歩いてくる。
敵意はない。
むしろ楽しそうだった。
「謝ります」
軽く頭を下げた。
「試すような真似をしました」
「気にしてない」
本音だった。
彼は笑う。
「安心しました。噂は誇張ではなかった」
そして小声で言った。
「王都では、強さが信用になります」
その意味がよく分かった。
さっきまでの視線が変わっている。
警戒から——興味へ。
セリスが近づく。
少しだけ安心したような表情。
「歓迎します、王都アルヴェインへ」
形式的な言葉。
だがどこか誇らしげだった。
ノアが駆け寄る。
「だ、大丈夫でしたか!?」
「問題ない」
彼女のブレスレットが淡く光っている。
暴走が起きなかった理由。
改めて理解する。
一人では制御できない力。
だが今は違う。
アルベルトがノアを見る。
「その装置……共鳴制御か」
鋭い観察眼。
「なるほど。だから安定しているのか」
すぐに理解したらしい。
さすが首席。
そして彼は少しだけ真剣な顔になった。
「忠告しておきます」
周囲に聞こえない声。
「王都には、僕より強い人間が何人もいます」
軽く視線を上へ向ける。
魔術院の塔。
王城の方向。
「そして彼らは、君を歓迎しないかもしれない」
予想していた言葉だった。
だが不思議と恐怖はない。
むしろ。
ようやくスタートラインに立った感覚。
魔術院の扉が開く。
内部から強い魔力の気配が流れ出す。
研究者たちが待っている。
封印。
転生。
黒獣。
すべての答えに近づく場所。
ノアが小さく言った。
「……音、強くなってます」
王都に入ってから、ずっと。
つまり。
ここに“何か”がある。
俺は一歩踏み出した。
王都アルヴェイン。
世界の中心。
そして運命が交差する舞台へ。
物語は、さらに大きな渦の中へと進み始めた。




