選ばれた理由
夜襲から一夜明けた。
森の朝は静かだった。
あれほどの戦闘があったとは思えないほど、鳥の声が戻り、朝霧が地面を覆っている。
だが拠点の空気は重かった。
誰もが理解している。
——あれは偶然ではない。
焚き火の跡の周囲では教師たちが低い声で話し合っていた。結界は昨夜より強化され、警戒班の人数も倍になっている。
完全に“訓練”の雰囲気ではなかった。
ガルムが伸びをする。
「体バキバキなんだけど……」
「生きてるだけマシ」
ミーナが即答する。
俺は少し離れた場所で装備を確認していた。
手袋型魔導具。
昨夜から反応が消えない。
微弱な振動。
まるで何かに呼応しているようだった。
(まだ近くにいる……)
森の奥。
あの巨狼。
いや、それ以上の何か。
「眠れなかっただろ」
声。
振り向くとカイルが立っていた。
「顔に出てる」
「そっちもだろ」
「まあな」
軽く笑う。
だが目は真剣だった。
「昨夜の件、教師たちはかなり警戒してる。遠征中止も検討されてるらしい」
それは当然だ。
学生が関わるレベルを超えている。
カイルが続ける。
「それでも調査は続行するらしい。理由、分かるか?」
「……原因が分かってないからだろ」
「正解」
つまり。
危険でも進むしかない状況。
その時、教師の一人がこちらへ来た。
「神谷レイジ。学園長から通信だ」
……嫌な予感しかしない。
◇
簡易通信陣。
魔法陣が地面に展開され、光が立ち上がる。
そこに映ったのは、学園長だった。
だがいつもの穏やかな表情ではない。
真剣そのもの。
「無事で何よりだ」
「はい」
「昨夜の報告は受けた。……そして確認したいことがある」
視線が鋭くなる。
「君、戦闘中に何か“感じなかったか”?」
核心だった。
普通の報告では出ない質問。
俺は少し迷った。
だが隠しても意味がない気がした。
「……見ました」
教師たちが顔を上げる。
「映像のようなものを。巨大な黒狼と、封印のような魔法陣を」
通信越しに沈黙が落ちた。
学園長の目が細くなる。
「やはりか……」
小さく呟く。
「やはり?」
俺が聞く。
学園長はゆっくり言った。
「その現象は、通常の人間には起こらない」
空気が冷える。
「記録魔術は“共鳴対象”にしか反応しない」
意味が理解できなかった。
「つまり……」
学園長がはっきり言う。
「君はあの封印と、同質の魔力を持っている可能性がある」
心臓が強く鳴った。
同質。
黒狼と。
封印と。
俺が?
前世の記憶が一瞬よぎる。
過労死。
暗闇。
そして黒い光。
学園長が続ける。
「レイジ君。君の転生は——偶然ではないかもしれない」
言葉が重く落ちた。
世界が少しだけ変わる音がした気がした。
選ばれた理由。
それが、静かに姿を現し始めていた。
「……偶然じゃない?」
思わず聞き返した。
通信陣の向こうで、学園長は静かに頷いた。
「断定はできない。だが記録魔術が反応したという事実は重い」
周囲にいた教師たちも言葉を失っている。
誰も否定しない。
つまり、それほど異常な現象なのだ。
「通常、記録術式は“術者と同系統の魔力”にのみ反応する」
学園長の声が低くなる。
「君が見た映像は、ただの過去ではない。共鳴だ」
共鳴。
胸の奥がざわつく。
昨夜見た光景が脳裏に蘇る。
崩れた都市。
光の鎖。
黒い狼。
そして——自分を見た“あの視線”。
「……あれは、何なんですか」
俺の問いに、学園長は少しだけ目を伏せた。
「王国でも完全な記録は残っていない」
予想外の答えだった。
「古代災害級存在。通称“黒獣”と呼ばれている」
空気が凍る。
教師の一人が思わず声を漏らした。
「伝承の……?」
学園長は頷く。
「数百年前、王国成立以前に現れた存在だと言われている。複数の都市を滅ぼし、最終的に“封印された”」
背筋が冷える。
昨夜見た映像と一致する。
「封印は完全だったはずだ。しかし——」
視線がこちらへ向く。
「最近の異変と、君の転生時期が一致している」
心臓が強く跳ねた。
偶然ではない。
そう言われているのと同じだった。
「……俺が原因だと?」
否定してほしかった。
だが学園長は首を横に振る。
「違う。原因ではない」
そして、ゆっくり続けた。
「鍵である可能性がある」
言葉の意味が重すぎた。
沈黙が落ちる。
遠くで鳥が鳴いた。
現実感が薄れる。
カイルが横で腕を組む。
「つまり、あの黒狼はレイジを認識している?」
「可能性は高い」
学園長が即答した。
「昨夜の襲撃も、拠点全体ではなく特定地点への圧力だったと報告されている」
……俺のいた位置。
完全に一致する。
頭の中が整理できない。
転生して、学園に来て、戦って。
全部が偶然だと思っていた。
だがもし。
最初から繋がっていたとしたら?
「今後の指示を伝える」
学園長の声が戻る。
「遠征は継続。ただし神谷レイジは単独行動を禁止。常に上位生徒または教師と同行せよ」
「了解です」
即答するしかなかった。
通信が途切れる直前。
学園長が小さく言った。
「……恐れる必要はない」
珍しく柔らかい声だった。
「選ばれた理由は、災いとは限らない」
光が消える。
通信終了。
沈黙。
教師たちがそれぞれ動き出す。
だが俺はその場から動けなかった。
選ばれた理由。
使命。
黒獣。
全部が急に現実味を帯びてきた。
その時。
耳元で、かすかな声がした。
『……見つけた』
誰もいない。
風もない。
だが確かに聞こえた。
低く、遠い声。
俺だけに。
背筋が凍る。
手袋が強く震えた。
森の奥。
何かが目覚めつつある。
そしてそれは——
確実に、こちらへ近づいていた。
『……見つけた』
その声は、確かに耳元で響いた。
だが周囲には誰もいない。
森の音。
風の揺れ。
遠くの会話。
全部が普通なのに、その一言だけが異物のように残っていた。
「……今、何か言ったか?」
隣のカイルが聞く。
「いや」
即答したが、声が少し硬かった。
カイルは数秒こちらを見ていたが、それ以上は追及しなかった。
「顔色悪いぞ」
「寝不足だ」
「それだけじゃないだろ」
鋭い。
だが説明できる内容ではない。
俺は視線を森の奥へ向ける。
手袋型魔導具の震えが強くなっている。
昨夜より近い。
確実に。
(……来てる)
◇
遠征拠点では撤収準備が始まっていた。
予定変更。
教師たちは奥地への進行を中止し、より安全な観測地点へ移動する判断を下したらしい。
だが緊張は解けない。
誰もが“何かが起きる”と感じていた。
ガルムが荷物をまとめながら言う。
「なあレイジ、昨日からずっと狙われてない?」
「気のせいだ」
「絶対違うだろ」
ミーナも頷く。
「私も思ってた。あのボス狼、完全にあんた見てた」
否定できない。
だが言葉にすると現実になる気がした。
その時。
手袋が強く発光した。
ビリッ、と電流のような感覚が走る。
視界が一瞬揺れる。
そして。
また声。
今度ははっきりと。
『……器』
心臓が止まりそうになる。
周囲の音が遠ざかる。
時間が遅くなったような感覚。
『長い眠りだった』
低く、重い声。
怒りでも敵意でもない。
ただ——存在そのもの。
『お前は……違う』
違う?
何が?
問い返そうとした瞬間。
地面が震えた。
ドン。
衝撃。
全員が顔を上げる。
森の奥。
木々が大きく揺れている。
教師が叫ぶ。
「全員警戒態勢!」
次の瞬間、空気が歪んだ。
巨大な魔力の波。
昨日の巨狼とは比べ物にならない。
圧力だけで息が詰まる。
ガルムが膝をつく。
「……なんだ、これ……」
ミーナも顔を青くする。
「魔力……重すぎる……」
教師たちが結界を展開する。
だがそれでも震えが止まらない。
そして。
森の奥の影が、ゆっくりと姿を現した。
黒。
圧倒的な黒。
巨大な狼の輪郭。
だが完全な実体ではない。
半透明。
霧のような存在。
黄金の瞳が開く。
そして。
直接、頭の中に声が響いた。
『封印は、弱まっている』
全員が硬直する。
だが理解した。
この声は——
俺以外には聞こえていない。
巨狼の視線が真っ直ぐ向く。
俺へ。
『だから目覚めた』
足が動かない。
恐怖ではない。
圧倒的な“理解されている”感覚。
『お前は鍵』
学園長の言葉が蘇る。
鍵。
共鳴。
転生。
全部が繋がる。
『だが——まだ未完成』
巨狼の姿が揺らぐ。
結界が強く光る。
教師たちが魔力を注ぎ込んでいる。
存在が維持できなくなっているらしい。
消える直前。
最後の言葉が響いた。
『成長しろ、人の子』
光が弾ける。
圧力が消えた。
森に静寂が戻る。
誰も動けない。
ただ俺だけが理解していた。
今の存在。
あれは敵でも味方でもない。
封印された“何か”。
そして。
俺を知っている。
遠征は、完全に新しい局面へ入った。
神谷レイジはただの転生者ではない。
世界の封印に関わる“鍵”として、選ばれていたのだから。




