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選ばれた理由



夜襲から一夜明けた。


森の朝は静かだった。


あれほどの戦闘があったとは思えないほど、鳥の声が戻り、朝霧が地面を覆っている。


だが拠点の空気は重かった。


誰もが理解している。


——あれは偶然ではない。


焚き火の跡の周囲では教師たちが低い声で話し合っていた。結界は昨夜より強化され、警戒班の人数も倍になっている。


完全に“訓練”の雰囲気ではなかった。


ガルムが伸びをする。


「体バキバキなんだけど……」


「生きてるだけマシ」

ミーナが即答する。


俺は少し離れた場所で装備を確認していた。


手袋型魔導具。


昨夜から反応が消えない。


微弱な振動。


まるで何かに呼応しているようだった。


(まだ近くにいる……)


森の奥。


あの巨狼。


いや、それ以上の何か。


「眠れなかっただろ」


声。


振り向くとカイルが立っていた。


「顔に出てる」

「そっちもだろ」

「まあな」


軽く笑う。


だが目は真剣だった。


「昨夜の件、教師たちはかなり警戒してる。遠征中止も検討されてるらしい」


それは当然だ。


学生が関わるレベルを超えている。


カイルが続ける。


「それでも調査は続行するらしい。理由、分かるか?」


「……原因が分かってないからだろ」


「正解」


つまり。


危険でも進むしかない状況。


その時、教師の一人がこちらへ来た。


「神谷レイジ。学園長から通信だ」


……嫌な予感しかしない。



簡易通信陣。


魔法陣が地面に展開され、光が立ち上がる。


そこに映ったのは、学園長だった。


だがいつもの穏やかな表情ではない。


真剣そのもの。


「無事で何よりだ」


「はい」


「昨夜の報告は受けた。……そして確認したいことがある」


視線が鋭くなる。


「君、戦闘中に何か“感じなかったか”?」


核心だった。


普通の報告では出ない質問。


俺は少し迷った。


だが隠しても意味がない気がした。


「……見ました」


教師たちが顔を上げる。


「映像のようなものを。巨大な黒狼と、封印のような魔法陣を」


通信越しに沈黙が落ちた。


学園長の目が細くなる。


「やはりか……」


小さく呟く。


「やはり?」

俺が聞く。


学園長はゆっくり言った。


「その現象は、通常の人間には起こらない」


空気が冷える。


「記録魔術は“共鳴対象”にしか反応しない」


意味が理解できなかった。


「つまり……」


学園長がはっきり言う。


「君はあの封印と、同質の魔力を持っている可能性がある」


心臓が強く鳴った。


同質。


黒狼と。


封印と。


俺が?


前世の記憶が一瞬よぎる。


過労死。

暗闇。

そして黒い光。


学園長が続ける。


「レイジ君。君の転生は——偶然ではないかもしれない」


言葉が重く落ちた。


世界が少しだけ変わる音がした気がした。


選ばれた理由。


それが、静かに姿を現し始めていた。



「……偶然じゃない?」


思わず聞き返した。


通信陣の向こうで、学園長は静かに頷いた。


「断定はできない。だが記録魔術が反応したという事実は重い」


周囲にいた教師たちも言葉を失っている。


誰も否定しない。


つまり、それほど異常な現象なのだ。


「通常、記録術式は“術者と同系統の魔力”にのみ反応する」


学園長の声が低くなる。


「君が見た映像は、ただの過去ではない。共鳴だ」


共鳴。


胸の奥がざわつく。


昨夜見た光景が脳裏に蘇る。


崩れた都市。

光の鎖。

黒い狼。


そして——自分を見た“あの視線”。


「……あれは、何なんですか」


俺の問いに、学園長は少しだけ目を伏せた。


「王国でも完全な記録は残っていない」


予想外の答えだった。


「古代災害級存在。通称“黒獣”と呼ばれている」


空気が凍る。


教師の一人が思わず声を漏らした。


「伝承の……?」


学園長は頷く。


「数百年前、王国成立以前に現れた存在だと言われている。複数の都市を滅ぼし、最終的に“封印された”」


背筋が冷える。


昨夜見た映像と一致する。


「封印は完全だったはずだ。しかし——」


視線がこちらへ向く。


「最近の異変と、君の転生時期が一致している」


心臓が強く跳ねた。


偶然ではない。


そう言われているのと同じだった。


「……俺が原因だと?」


否定してほしかった。


だが学園長は首を横に振る。


「違う。原因ではない」


そして、ゆっくり続けた。


「鍵である可能性がある」


言葉の意味が重すぎた。


沈黙が落ちる。


遠くで鳥が鳴いた。


現実感が薄れる。


カイルが横で腕を組む。


「つまり、あの黒狼はレイジを認識している?」


「可能性は高い」


学園長が即答した。


「昨夜の襲撃も、拠点全体ではなく特定地点への圧力だったと報告されている」


……俺のいた位置。


完全に一致する。


頭の中が整理できない。


転生して、学園に来て、戦って。


全部が偶然だと思っていた。


だがもし。


最初から繋がっていたとしたら?


「今後の指示を伝える」


学園長の声が戻る。


「遠征は継続。ただし神谷レイジは単独行動を禁止。常に上位生徒または教師と同行せよ」


「了解です」


即答するしかなかった。


通信が途切れる直前。


学園長が小さく言った。


「……恐れる必要はない」


珍しく柔らかい声だった。


「選ばれた理由は、災いとは限らない」


光が消える。


通信終了。


沈黙。


教師たちがそれぞれ動き出す。


だが俺はその場から動けなかった。


選ばれた理由。


使命。


黒獣。


全部が急に現実味を帯びてきた。


その時。


耳元で、かすかな声がした。


『……見つけた』


誰もいない。


風もない。


だが確かに聞こえた。


低く、遠い声。


俺だけに。


背筋が凍る。


手袋が強く震えた。


森の奥。


何かが目覚めつつある。


そしてそれは——


確実に、こちらへ近づいていた。




『……見つけた』


その声は、確かに耳元で響いた。


だが周囲には誰もいない。


森の音。

風の揺れ。

遠くの会話。


全部が普通なのに、その一言だけが異物のように残っていた。


「……今、何か言ったか?」


隣のカイルが聞く。


「いや」


即答したが、声が少し硬かった。


カイルは数秒こちらを見ていたが、それ以上は追及しなかった。


「顔色悪いぞ」

「寝不足だ」

「それだけじゃないだろ」


鋭い。


だが説明できる内容ではない。


俺は視線を森の奥へ向ける。


手袋型魔導具の震えが強くなっている。


昨夜より近い。


確実に。


(……来てる)



遠征拠点では撤収準備が始まっていた。


予定変更。


教師たちは奥地への進行を中止し、より安全な観測地点へ移動する判断を下したらしい。


だが緊張は解けない。


誰もが“何かが起きる”と感じていた。


ガルムが荷物をまとめながら言う。


「なあレイジ、昨日からずっと狙われてない?」


「気のせいだ」

「絶対違うだろ」


ミーナも頷く。


「私も思ってた。あのボス狼、完全にあんた見てた」


否定できない。


だが言葉にすると現実になる気がした。


その時。


手袋が強く発光した。


ビリッ、と電流のような感覚が走る。


視界が一瞬揺れる。


そして。


また声。


今度ははっきりと。


『……器』


心臓が止まりそうになる。


周囲の音が遠ざかる。


時間が遅くなったような感覚。


『長い眠りだった』


低く、重い声。


怒りでも敵意でもない。


ただ——存在そのもの。


『お前は……違う』


違う?


何が?


問い返そうとした瞬間。


地面が震えた。


ドン。


衝撃。


全員が顔を上げる。


森の奥。


木々が大きく揺れている。


教師が叫ぶ。


「全員警戒態勢!」


次の瞬間、空気が歪んだ。


巨大な魔力の波。


昨日の巨狼とは比べ物にならない。


圧力だけで息が詰まる。


ガルムが膝をつく。


「……なんだ、これ……」


ミーナも顔を青くする。


「魔力……重すぎる……」


教師たちが結界を展開する。


だがそれでも震えが止まらない。


そして。


森の奥の影が、ゆっくりと姿を現した。


黒。


圧倒的な黒。


巨大な狼の輪郭。


だが完全な実体ではない。


半透明。


霧のような存在。


黄金の瞳が開く。


そして。


直接、頭の中に声が響いた。


『封印は、弱まっている』


全員が硬直する。


だが理解した。


この声は——


俺以外には聞こえていない。


巨狼の視線が真っ直ぐ向く。


俺へ。


『だから目覚めた』


足が動かない。


恐怖ではない。


圧倒的な“理解されている”感覚。


『お前は鍵』


学園長の言葉が蘇る。


鍵。


共鳴。


転生。


全部が繋がる。


『だが——まだ未完成』


巨狼の姿が揺らぐ。


結界が強く光る。


教師たちが魔力を注ぎ込んでいる。


存在が維持できなくなっているらしい。


消える直前。


最後の言葉が響いた。


『成長しろ、人の子』


光が弾ける。


圧力が消えた。


森に静寂が戻る。


誰も動けない。


ただ俺だけが理解していた。


今の存在。


あれは敵でも味方でもない。


封印された“何か”。


そして。


俺を知っている。


遠征は、完全に新しい局面へ入った。


神谷レイジはただの転生者ではない。


世界の封印に関わる“鍵”として、選ばれていたのだから。

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