学園外遠征、出発
遠征当日。
まだ太陽が昇りきらない早朝、学園中央広場にはすでに多くの生徒が集まっていた。
普段の授業とは違う緊張感。
重装備の生徒。
整列する教師。
待機する大型魔導馬車。
学園が“戦闘機関”であることを初めて実感する光景だった。
「朝早すぎだろ……」
ガルムが大あくびをする。
全身には新しい防具。昨日支給された大型盾を背負っている姿は、もう完全に前衛兵だ。
ミーナは眠そうな目で指輪型魔導具を調整していた。
「私まだ起きてないんだけど……」
「起きろ。外は寝不足で死ぬぞ」
俺が言うと、ミーナが嫌そうな顔をした。
「その言い方リアルすぎる」
俺も装備を確認する。
黒い手袋型魔導具。
装着すると周囲の魔力の流れが薄く見えるようになる。
視界が整理される感覚。
便利だが、慣れると危険なタイプの装備だ。
(頼りすぎるな……)
広場の前方では教師たちが隊列を組んでいた。
その中央に、学園長。
そして——。
Sクラスの姿もあった。
カイルがこちらに気づき、軽く手を上げる。
「また一緒だな」
「できれば別任務がよかった」
俺は正直に言う。
カイルが笑った。
「遠慮するな。今回は守ってやるよ」
「余計なお世話だ」
軽口だが、敵対感はもうない。
Sクラス戦を経て、妙な信頼関係が生まれていた。
その時、広場が静まる。
学園長が前へ出た。
「諸君、本遠征は訓練であると同時に調査でもある」
声が広場全体へ響く。
「最近、周辺魔物の行動に異常が確認されている」
ざわめき。
「通常は出現しない領域での活動、群れの増加、そして——」
一瞬、言葉を止める。
「統率行動の可能性」
空気が重くなった。
魔物は基本的に本能で動く存在。
統率。
それはつまり——知性。
学園長は続ける。
「無理はするな。異常を確認した場合、即座に撤退を優先せよ」
教師たちが頷く。
本気の警戒だ。
出発準備が始まる。
生徒たちは班ごとに馬車へ乗り込む。
俺たちFクラス三人も指定された車両へ向かった。
中に入ると、予想外の顔があった。
「お、来たか」
カイル。
そしてSクラスの二人。
同乗らしい。
「……混成班か」
俺が呟く。
魔導士の男子が頷く。
「実戦想定だ。クラスの壁は関係ない」
合理的だ。
ミーナが小声で言う。
「安心なのか不安なのか分かんない」
ガルムは嬉しそうだった。
「最強と一緒とか最高じゃん!」
馬車が揺れ始める。
出発。
学園の門がゆっくり開く。
高い石壁の外。
俺は初めて見る景色を目にした。
広がる森林。
未舗装の道。
遠くに見える山脈。
学園という安全圏の外側。
本物の世界。
カイルが窓の外を見ながら言った。
「ここから先は、失敗すると普通に死ぬ」
軽い口調。
だが冗談ではない。
ミーナが小さく息を飲む。
ガルムは逆に笑った。
「燃えてきた!」
俺は窓の外を見続ける。
心臓が少し速い。
恐怖か。
期待か。
多分、その両方。
そしてその時、手袋型魔導具が微かに反応した。
ピリ、と指先に感覚が走る。
(……?)
森の奥。
一瞬だけ、異質な魔力を感じた気がした。
気のせいかもしれない。
だが本能が告げていた。
今回の遠征は——
ただの訓練では終わらない。
こうしてFクラスとSクラスの混成部隊は、学園の外へと踏み出した。
物語は、ついに“世界”へ広がり始める。
馬車が学園を離れてから、およそ一時間。
舗装された道はいつの間にか消え、揺れが大きくなっていた。
窓の外には深い森が続く。
木々の密度が増し、光が地面まで届かない場所も多い。空気が少し冷たい。学園周辺とは明らかに違う“野生”の匂いがした。
ガルムが窓に顔を近づける。
「なんか静かすぎないか?」
確かに。
鳥の声が少ない。
風の音も弱い。
森なのに、生き物の気配が薄い。
カイルも同じことを感じたのか、表情を引き締めた。
「……止まるぞ」
次の瞬間、馬車が急停止した。
外から教師の声。
「全班、降車準備! 周囲警戒!」
空気が一変する。
訓練モード。
俺たちはすぐに外へ出た。
森の中の開けた場所。
教師たちが円形に配置され、生徒を守る形を取っている。
バルド先生がこちらへ来た。
「予定より早いが、ここから徒歩だ」
「何かあったんですか」
俺が聞く。
先生は短く答えた。
「気配が変だ」
やはり。
俺の手袋型魔導具が微かに反応している。
一定ではない魔力の揺らぎ。
……不自然。
隊列が組まれる。
前衛、中央、後衛。
ガルムは自然に前へ。
ミーナは中央寄り。
俺は全体を見渡せる位置へ移動する。
Sクラスも同様に配置についた。
カイルが小声で言う。
「違和感、感じるか?」
「感じる」
俺は即答した。
「魔力の流れが乱れてる」
カイルが少し驚いた顔をした。
「そこまで分かるのか」
答えず前を見る。
森の奥。
何かがいる。
だが姿が見えない。
教師が手を上げる。
「停止」
全員が止まる。
沈黙。
風が木を揺らす音だけが響く。
——その時。
ガサッ。
右側の茂みが揺れた。
ガルムが盾を構える。
「来るぞ!」
飛び出してきたのは狼型の魔物。
灰色の体毛。
赤い目。
通常種“フォレストウルフ”。
だが——。
「数が多い!」
一体ではない。
二体。
三体。
五体。
さらに奥から影が現れる。
群れ。
教師が指示を飛ばす。
「迎撃! 生徒は連携維持!」
戦闘開始。
ガルムが前へ出る。
盾で突進を受け止める。
衝撃音。
「重っ!」
ミーナが爆発魔法を放つ。
一体が吹き飛ぶ。
だが。
倒れない。
すぐ立ち上がる。
「硬くない!?」
「おかしい……」
普通の個体より耐久が高い。
そして動きが統一されている。
まるで指示を受けているように。
(統率……?)
背筋が冷える。
手袋が強く反応した。
森の奥。
もっと強い魔力。
「……まだいる」
俺が呟いた瞬間。
狼たちが一斉に後退した。
不自然なほど綺麗な動き。
全員が警戒を強める。
静寂。
そして。
森の奥の影が、ゆっくりと姿を現した。
巨大な狼。
通常種の倍以上の体格。
黒い体毛。
異様に静かな赤い瞳。
周囲の魔力が歪む。
教師が低く言った。
「……上位個体」
ガルムが息を飲む。
ミーナの声が震える。
「訓練ってレベルじゃなくない?」
その巨狼は、生徒たちを順番に見回し——
最後に、俺を見た。
はっきりと。
知性のある視線で。
(……まずい)
直感が告げる。
これは偶然の遭遇じゃない。
“観察されている”。
そして次の瞬間。
巨狼が低く唸った。
群れが再び動き出す。
本当の戦闘が、始まろうとしていた。
巨狼が一歩、前へ出た。
それだけで空気が変わる。
周囲のフォレストウルフたちが左右へ散開し、半円を描くように隊列を作った。
——明らかに統率されている。
教師の一人が低く呟く。
「……あり得ん。魔物が陣形を取るなど」
バルド先生が即座に叫ぶ。
「防御陣形! 生徒は中央維持!」
全員が動く。
ガルムが盾を構え、前線へ。
Sクラスの魔導士が防護魔法を展開。
ミーナが詠唱準備に入る。
だが俺の視線は、巨狼から離れなかった。
(見ている……)
ただ襲うためではない。
観察している。
試している。
そして次の瞬間、巨狼が吠えた。
低く、長い咆哮。
同時に狼群が突撃する。
「来るぞ!!」
衝突。
牙と盾がぶつかる音が森に響く。
ガルムが踏ん張る。
「数多すぎる!」
左右から回り込もうとする個体。
Sクラス剣士が高速で斬り払う。
だが倒しても、すぐ次が来る。
連携が異常に良い。
ミーナが爆発を放つ。
「これでも倒れないの!?」
通常種なら一撃の威力。
なのに動きが鈍るだけ。
教師が叫ぶ。
「後退準備! 長期戦は危険だ!」
判断は正しい。
だが。
巨狼が動いた。
一直線に前へ。
目標——中央。
つまり。
俺たち。
「ガルム、止めろ!」
「任せろ!!」
盾で受ける。
衝撃。
ガルムの体が数歩後退する。
「……重すぎる!!」
力が違う。
完全に別種。
巨狼の瞳が細くなる。
そして再び、俺を見る。
(……やっぱりか)
こいつの目的は戦闘じゃない。
確認。
“誰が中心か”。
背筋が冷える。
このままでは崩れる。
俺は深く息を吸った。
思考補助手袋が強く反応する。
視界が整理される。
魔力の流れ。
味方の位置。
敵の動線。
全部が線で見える。
(……いける)
「全員聞け!」
自然と声が出た。
戦場全体に響く。
「前衛は下がるな! 左右を開けろ!」
教師が一瞬驚くが、止めない。
ガルムが叫ぶ。
「従え! レイジの指示だ!」
迷いが消える。
隊列が変わる。
狼群が中央へ流れ込む。
「ミーナ、地面狙え!」
「了解!」
爆発。
地面が崩れ、小さな窪地ができる。
狼たちの足が乱れる。
「今、右側集中!」
Sクラス魔導士が即座に魔法を重ねる。
連携成立。
狼群の流れが偏る。
巨狼が低く唸る。
初めて、計算が崩れた反応。
「ガルム、押し返せ!」
「おおおお!!」
盾突進。
巨狼が半歩下がる。
その瞬間。
教師陣が一斉攻撃を放つ。
魔法と斬撃が集中する。
爆発音。
煙。
静寂。
数秒後。
巨狼はゆっくり後退した。
撤退。
群れも同時に引く。
森の奥へ消えていく。
追撃はしない。
まるで目的を達成したかのように。
戦闘終了。
誰も動かなかった。
そして。
教師の一人が呟く。
「……生きている」
緊張が一気に解ける。
ガルムが座り込む。
「マジで死ぬかと思った……」
ミーナも地面に寝転ぶ。
「訓練じゃないじゃんこれ……」
バルド先生がこちらを見る。
真剣な目。
「……今の指揮、誰の判断だ」
全員の視線が集まる。
逃げ場なし。
俺は小さく息を吐いた。
「全体が崩れそうだったので」
先生は数秒黙り、頷いた。
「……助かった」
その一言で、周囲の空気が変わった。
教師たちの視線。
評価。
理解。
もう隠せない。
カイルが肩を叩く。
「やっぱり君、指揮官だな」
否定できなかった。
森の奥を見る。
巨狼が消えた方向。
手袋がまだ微かに震えている。
(あれは……偶然じゃない)
誰かが、何かが。
こちらを試している。
こうして初遠征は、ただの訓練では終わらなかった。
そしてこの遭遇が——
学園すら知らない“異変”の始まりだった。




