婚約破棄の現場で男を紹介してもらったら、案外当たりでした
私――クララ・エヴァンスは、伯爵家の長女だ。
但し、生まれたのは五番目。
七人兄弟のうち、女は私ひとりで、結果的に長女というだけである。
他は全員、男だ。
見た目はまあ、普通に可愛いらしい。
少なくとも社交界で「顔が原因で縁談が来ない」などと言われたことはない。
ただし、性格が問題だった。
「……クララ、本当に大丈夫なの?」
母はよく、そう言っていた。
長男に爵位を押し付け、早々に隠居したがっている両親は、私のこともそれなりに可愛がってくれている。
けれど、成長するにつれ――どうにも兄たちに似てきた私の口の悪さと気の強さに、若干の不安を覚えているらしい。
「平民相手でもいいのよ。支援もするし。だから……ね?」
要するに「結婚できる?」という心配だ。
失礼な話である。
とはいえ、私自身も結婚願望がないわけではない。
あと一年半で学園を卒業すれば、一般的には婚約者と結婚する流れになる。
その婚約者――
アレックス・ヴァルターに、私はある日、学園のガゼボへ呼び出された。
最近やたらと素っ気なかったくせに、今さら何の用だ。
そう思いながら向かえば、そこには彼と、見知らぬ女がいた。
――は?
嫌な予感がした瞬間、アレックスは女の肩を抱き、堂々と宣言した。
「クララ。お前とは婚約破棄をする。お前の気の強さには愛想が尽きた。
俺はこのマリナを愛している。
だから、彼女と婚約する!」
…………はぁ?
頭の中が一瞬、真っ白になる。
いや、違う。怒りで真っ赤だ。
(浮気じゃん。これ。殴る? 殴っていい?)
(ていうか、そのドヤ顔も、女のしたり顔も、心底ムカつくんだけど)
――残念だったな、みたいな空気、出さないでもらえる?
別にあんたのこと、好きでもなんでもなかったし。
喉元まで出かかった言葉を、私は大きく深呼吸して呑み込んだ。
物心ついたころ、母が言っていた。
「感情で動くときほど、まず呼吸なさい」と。
「……わかりました」
私は令嬢の微笑みを浮かべた。
浮気ヤローなんて、惜しくもない。
「婚約破棄、受け入れます。ただし、家同士で決めたことですもの。
そちらの家長から、正式に我が家の家長へご連絡を」
「ああ、それはもちろんだ。もう父上には伝えている」
「それから!」
私は一際大きな声を出した。
「あなたの知っている、婚約者のいない“いい男”を紹介してください」
――沈黙。
呆気に取られているのが、手に取るようにわかる。
まさか、今しがた婚約破棄を宣言した相手に、男を紹介しろと言われるとは思わなかったのだろう。
だが、こちらも切実なのだ。
私は伯爵家の長女とは言えど五番目の子。
爵位持ちと結婚しなければ、平民になる。
平民になるのが嫌なわけじゃない。
平民の友人だっている。
なんなら、性格的には平民の方が合ってるんじゃない?
と思ったこともある。
けれど、三番目の兄が言っていた。
「価値観の違いという溝は、グラーヴェン海峡より深い。
特に結婚は契約だ。金の価値観が違えば、命を削られる」と。
――怖すぎる。
できることなら、少しでも価値観の近い相手がいい。
お金もあった方が困らないのは事実だから、できれば貴族で。
先に反応したのは、アレックスの腕に絡みつくマリナだった。
「いい男……いるかしら……」
……おや?
言外に「この人のそばに」と聞こえた気がして、私は内心で首をかしげる。
「こ、婚約者に男を紹介しろだなんて、非常識だ!」
「いや、今破棄したじゃない。
女連れで婚約破棄しに来た人に言われたくないんだけど」
「ふふっ、確かに」
……おやおや?
「お前はそんなに男に飢えているのか!?」
「飢えてるっていうか、普通に困るでしょ。
卒業後に探すのは現実的じゃないし」
「それは、そうよね」
「たしかに」
……おやおやおや?
元婚約者と、その新しい婚約者が、揃って納得した。
「……まあ、紹介してやらんでもないが。
お前はなあ、性格がな……」
なんだとコラ。
「お前の気の強さに打ちのめされない男がいるかどうか。
お前が男だったら、女の子見つけやすかっただろうに」
うるさいわ!
今そんな正論、聞きたくない。
まぁ、見つけといてやる。
そう言われて、この日は解散になった。
数日後。
「いい男が見つかった。男前だぞ」
と、アレックスから連絡が来た。
――やった!
期待に胸を膨らませ、再びガゼボへ。
そこには、元婚約者と元婚約者の現婚約者。
そして私と、私に元婚約者が紹介してくれる婚約者候補がいた。
……ややこしいな!
目の前の婚約者候補は、なんというか……
眼鏡をかけた、野暮ったい男だった。
背はアレックスより低く、細身でひょろっとしている。
うん。
金輪際、男が言う「俺の友達男前」は信じない。
ていうか、こんな友達いたっけ。
彼は緊張した様子で自己紹介をした。
「ルーカス・ベルナーです。子爵家の嫡男で……趣味は読書です。将来は文官を志しています」
なるほど。意外性は全くない。
だが、誠実さは伝わってきた。
アレックスとマリナは、
「一回デートでもしてみたら。後は若いもの同士で」
そう言って去っていった。
ウザいな、アイツラ。
その日以降、何度かルーカスと顔を合わせた。
学園内で会うと、彼は必ずこちらに気づき、少し早足で近づいてきて挨拶をする。
「おはようございます、クララ様」
「ええ、おはよう」
最初の頃はそれだけだった。
けれど、何度目かのとき、彼は小さな包みを差し出してきた。
「その……よろしければ」
中身は焼き菓子だった。
素朴だが、なかなか美味しい。
「……ありがとう」
その次に会ったときは、本だった。
「以前、読書がお好きだと仰っていましたよね」
あー……うん。
思わず頷いちゃったやつね。
彼が持ってきたのは冒険譚だった。
展開が早く、ハラハラドキドキ。
その日は、気づけば夜更かしをしてしまった。
(……悪くない)
そう思い始めた頃、初めての正式なデートの日が来た。
私は久しぶりに気合を入れて身支度をした。
鏡に映る自分を見て、少しだけ満足する。
待ち合わせ場所に現れたルーカスは、明らかに「頑張った」格好をしていた。
正直、洗練されているとは言い難いが――悪くはない。
「今日は、よろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ」
カフェでお茶をして、その後は街を歩いた。
何でも、私の好きなものを知りたいとか。
食べ歩き。
小物店。
古書店。
「これ、面白そうですね」
「その本、私も気になってたの」
会話は途切れない。
口論も、意地の張り合いも、ない。
(……これが、デート?)
正直に言おう。
とても楽しかった。
今までの婚約者――アレックスとは、外出すれば必ずと言っていいほど喧嘩になった。
一日に三回、四回は言い合いになるのが当たり前だった。
それが、今日は終始穏やかだった。
(疲れない……)
それが、何より衝撃だった。
これが、デートか...。
それから数週間。
ルーカスと過ごす時間は、変わらず穏やかだった。
けれど、ふとした不安が頭をもたげる。
(……この人、もしかして嫌なことを我慢してるだけじゃ?)
彼は優しい。
だが、優しすぎる。
私の気の強さに、本当は辟易しているのではないか。
それを言えないだけではないか。
友人に相談しても、返ってくるのは曖昧な言葉ばかりだった。
「大丈夫じゃない?」
「嫌なら、もっと態度に出ると思うけど」
――いまいち安心できない。
そこで、私はある人物を呼び出した。
マリナ・ルーシェ。
元婚約者の、現婚約者だ。
学園近くのカフェ。
向かいに座ったマリナは、相変わらず朗らかに笑っていた。
「それで? 何を聞きたいのかしら」
私は少しだけ迷ってから、率直に切り出した。
「率直に聞くけど……あなたは、どうしてアレックスと婚約したの?」
「あら、本当に率直ね」
マリナはくすくすと笑う。
私の友人にはいないタイプだ。だからこそ、聞いてみたかった。
「理由は、とても単純よ」
彼女は迷いなく言った。
「単純で、それからチョロそうだったから」
「……は?」
思わず、間抜けな声が出た。
マリナは構わず続ける。
「私の父はね、いつも難しい顔をしていたの。
母や私のことをどう思っているのか、今でもよくわからないわ」
淡々とした声だった。
「気がついたら浮気していて、でもその浮気相手といるときも幸せそうじゃなかった。
結局、何事もなかった顔で家族の元に戻ってきて……今も一緒に暮らしてる」
彼女は肩をすくめる。
「その点、アレックスは感情がわかりやすいでしょう?」
確かに。
顔にも声にも、全部出る。
「褒めたら喜ぶし、相談したら一緒に悩む。
悲しいときは、ちゃんと悲しい顔をする」
マリナは穏やかに微笑んだ。
「貴族としては、少し頼りないかもしれないけど……
私は、わかりやすい人のほうが安心できるの」
なるほど、と思った。
「チョロいから、甘えたら頑張ってくれるしね」
そう言って、彼女は楽しそうに笑った。
「その性格のせいで、あなたとは衝突したんでしょうけど」
はい。衝突ばかりでした。
「……たしかに」
あのまま結婚していたら、きっと毎日、喧嘩していた。
マリナはカップを持ち上げ、静かに言った。
「私はね、長く一緒にいるなら、何より安心を取るわ」
その言葉が、胸にすとんと落ちた。
――安心。
今、隣を歩くルーカスといるときに感じるもの。
マリナは、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「あなたには悪かったけれど……
正直、あのまま結婚しても上手くいくとは思えなかったわ」
反論できなかった。
「凄く、参考になったわ。
良かったら……今度、またお茶しましょう」
「ええ、ぜひ」
そうして私たちは、穏やかに別れた。
その日の夕方。
ルーカスと、学校終わりに街を歩くことになった。
期間限定のスパイシーラムチョップが屋台で出ていると聞いたら、行かない理由がない。
前の婚約者――アレックスには、
「淑女が人前で肉にかぶりつくなんて」
と顔をしかめられたものだが、今回は違う。
というか、ルーカスのほうから誘ってきたのだから、遠慮は不要だろう。
他愛もない話をしながら歩く。
それにしても、家同士の婚約ではない場合、どうやって関係を進めるものなのだろう。
今日、マリナから聞いた言葉が、頭の中で何度も反芻される。
――長く一緒にいるなら、安心。
今、隣を歩くルーカスといると、不思議と落ち着く。
沈黙が気まずくならない。
変に身構えなくていい。
ただ、いまだにルーカスが私をどう思っているかがわからない。
ラムチョップ屋台に向かっていると、後ろから声をかけられた。
「お、クララじゃん」
振り返ると、図体のでかい、いかにも軽そうな男。
「げっ」
「なにその反応。久しぶりじゃん。なにしてんの、こんなところで」
「別にいいでしょ」
「つか、男? アレックスじゃねーじゃん! なに!? 浮気!? やるー!」
がっしりとした太い腕に、勝手に肩を組まれた。
「違うわよ! あいつとはもう婚約解消してます!」
「まじで!?」
男は大声で笑った。
「振られちゃったかー。まあ、お前気ぃ強いからな!
耐えられる男、なかなかいないだろ! ドンマイドンマイ!」
……ムカつく。
否定できないのが余計に腹立つ。
「行き遅れたらさ、ちゃんと面倒見てやるよ。
まあ、行き遅れるだろうけどな!」
そんなからかう声に、手をきつく握りしめる。
殴っていいかしら。
すると――
「あ、あのっ!」
弱々しいけれど、はっきりした声が割り込んだ。
「肩、離してあげてください!」
「ん?」
男は、自分の腕を見る。
私はその腕を、汚いものでも触るようにつまんで、自分の肩から外した。
「ひでーな」
男は慣れたように笑っている。
……本当に腹立つ。
それにしても、並ぶとひどい。
どう見ても、ライオンと子猫だ。
肩が解放されたのを確認してから、ルーカスは一歩前に出た。
私と男の間に割り込む。
「クララ様は、気が強いのではありません」
真っ直ぐな声。
「自分の信念を、しっかり持っていらっしゃるんです!」
……ん?
「僕は、そこが凄いと思っています」
待って。
「自分の意見を相手の立場にかかわらず、きちんと伝える姿勢は素晴らしいですし、憧れています!」
「ちょっと……!」
止めようとしたが、ルーカスは止まらない。
私がどれだけ努力してきたか。
どれだけ自分の考えを曲げずに立ってきたか。
どれだけ尊敬しているか。
顔が、熱い。
というか、絶対赤い。
横で聞いていた男は、必死に笑いを堪えていた。
「もう本当にストップ!
これ、兄だから!」
指さす。
落ちる沈黙。
その沈黙を破ったのは、兄ヴィンセントの豪快な笑い声だった。
ルーカスは、ぽかんと固まった。
そして、みるみるうちに真っ赤になる。
「……お兄さん?」
「おう」
兄は楽しそうに笑う。
「こいつが結婚できなかったら、兄として面倒見るつもりだったけどさ」
ニヤリ。
「必要なさそうだな!
あー面白い。親父とお袋に報告してこよー!」
そう言い残して、兄は本当に嵐のように去っていった。
……最悪。
よりにもよって、こんな場面を見られるとは思わなかった。
いや、兄的には最高だったのかもしれないけど。
その場に残されたのは、私とルーカスだけ。
気まずい沈黙。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいだ。
「……勘違いして、すみません」
先に口を開いたのは、ルーカスだった。
深く、深く頭を下げる。
「でも、言ったことは本気です。
それと……ずっと言いだせませんでしたが、僕は、アレックスの友人じゃありません」
「え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「アレックスが、あなたの新しい婚約者を探していると聞いて……
自分から、立候補しました」
……なるほど。
そういえば、アレックスとルーカスが一緒にいるところを見た記憶がない。
紹介の場にいた、あの一度きりだ。
「さっきの言葉、本気よね」
私は、ルーカスを見上げる。
近くで見ると、やっぱり華奢だ。
体格も、声も、兄たちとは比べものにならない。
「私は気が強いし、面倒な兄弟があと五人もいるけど……
本当にいいの?」
試すつもりはなかった。
ただ、確認したかった。
この人は、どこまでわかった上で、ここに立っているのか。
ルーカスは、一瞬だけ目を見開いた。
「……ごっ、五人」
声が裏返りかけている。
やっぱり驚くよね。普通。
でも、彼は視線を逸らさなかった。
「……僕は、これからも貴方と一緒にいたいです」
そう言って、苦笑する。
「自分の意見をはっきり言えるあなたを、凄いと思いました」
「場の空気に流されないところも、自分が納得できないことを、ちゃんと納得できないと言うところも」
一つひとつ、言葉を選ぶみたいに。
「……恋をしました」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「だから、一緒にいたいんです」
――そういえば。
数日前、商会の帰りにアレックスに聞いたことがある。
「ねえ、なんでルーカスのことをわざわざ男前なんて言ったの?」
「男前だろ、あいつ。
自分から“お前みたいな猛獣女との婚約”を望むんだぞ?
男前にもほどがあるだろ!」
……失礼な話である。
だが、今なら少しだけ意味がわかる気がした。
ルーカスは逃げない。
目を逸らさない。
ああ、なるほど。
(これは……男前だわ)
私は、思わず笑ってしまった。
一年半後。
卒業パーティーの日。
ルーカスは、この一年半で少し背が伸びた。
兄たちに揉まれ、私と過ごす時間も増え、話し方も以前よりはっきりしている。
まじめな性格もあり、成績優秀。
王宮文官への内定も決まっている。
相変わらず細身だが、最近は
「早く捕まえとけばよかった」
という女子の声もちらほら聞く。
用意を済ませ待ち合わせ場所へ向かうと、彼の前に一人の少女が立っていた。
彼の眉尻が、困ったように下がっている。
私は、ため息をひとつつき、彼の腕に自分の腕を絡めた。
「私の可愛い婚約者に、何か用かしら?」
少女は、はっとして言葉を失う。
「用がないのなら、パーティーの入り口はあちらよ」
少女は名残惜しそうにルーカスを見るが、彼は困った顔のまま何も言わない。
やがて、少女は去っていった。
「……助かりました」
「ありがとうじゃないの?」
「ありがとうございます」
彼は、私のドレスを見て口を開く。
今日は彼も、洋服に着られることなく着こなしていた。
「いつもきれいだけど、今日は特に。
とても……とても、綺麗です」
「ありがとう。あなたも素敵よ。
それより、あれくらい自分で追い払いなさい」
「努力します。今日もかっこよかったです」
「ふん」
付き合い始めてから、「かっこいい」と言われるのも悪くなくなった。
私がラムチョップにかぶりつくのを、一緒に楽しんでくれるところ。
私に合いそうな本を、真剣に探してくれるところ。
そして何より、この人が放つ、安心できる空気。
私は、それに恋をしている。
今は、来年の結婚式に向けて準備中だ。
近い未来きっと意見がぶつかることはあるだろう。
でも。
私はこの人と、一緒に歩いていきたい。
安心できる未来を。




