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商鞅  作者: 紅茶
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第三章 システム・アップデートと沈黙の再会

 システム(国)のアップデートは順調だった。

 順調すぎて、怖いくらいだ。

 俺が実装した「法」という名の新しいOSは、驚異的な処理速度で秦という国を書き換えていった。

 農民は死に物狂いで畑を耕し、兵士は首狩り族のように敵を殺す。なぜなら、そうすれば「爵位」という目に見えるスコアが加算され、サボれば「刑罰」というペナルティが即座に執行されるからだ。

 単純明快。利益と恐怖による完全な管理。

 結果、秦はわずか数年で、周辺諸国が震え上がるほどの強国になった。

 ただ、バグ(不具合)が一つだけあった。

 ユーザー(国民)からの評判が、最悪なのだ。

 道ですれ違う人々は、俺の顔を見ると幽霊でも見たかのように目を逸らし、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 無理もない。

 俺はこの前、法律を破った太子の教育係――公子の鼻を削ぎ落としたからな。

「王族だろうが例外エラーは許さない」

 その断固たる処置は、国中に「本気」を伝播させたが、同時に俺を「血も涙もない怪物」として定義づけてしまったらしい。

 でも、それでいい。

 俺が求めているのは人気投票の票数じゃない。国家という機械の稼働率だ。

 そして今、その稼働率は目標値に達した。

 俺は執務室の窓から、整然と区画整理された咸陽かんようの街を見下ろし、懐の割符を取り出した。

「……そろそろ、いいだろ」

 舞台は整った。

 最高権力者である左庶長の地位。広大な屋敷。使いきれないほどの財産。

 俺は筆を執り、魏にいる彼女へ手紙を書いた。

 その文面は、我ながら行政文書のように素っ気ないものになってしまったけれど、行間には最大限の「ドヤ顔」を込めたつもりだ。

 一ヶ月後。

 俺の屋敷の前に、一台の馬車が到着した。

 部下たちが直立不動で整列し、張り詰めた空気が漂う中、俺はわざと普段着で門まで出迎えた。

 馬車の扉が開く。

 現れたのは、旅の埃をまとってはいるものの、記憶の中にある色彩と何一つ変わらない姿。

 茶色いお団子頭。少し勝気な瞳。

 メイだ。

「……うわぁ」

 それが、彼女の第一声だった。

 メイは馬車から降りるなり、俺の屋敷を見上げ、整列する兵士たちを見て、最後に俺を見た。

公孫こうそんさん……あんた、本当にやっちゃったの?」

 その口調は、感動というよりは、呆れとドン引きが半々といったところか。

「約束しただろう。俺は嘘をつかない」

 俺は近づき、かつて渡した割符の片割れを見せる。メイも懐から、古ぼけた木片を取り出した。二つを合わせると、ピタリと噛み合う。

「……マジかぁ。あのニートがねぇ」

 メイは信じられないといった様子で、俺が着ている高級な絹の服をつまんだ。

「しかも何この服。肌触り良すぎて気持ち悪い。似合わなーい」

「似合わないは余計だ。これでも左庶長、この国で一番偉い役人なんだぞ」

「はいはい、すごいすごい」

 メイはケラケラと笑う。

 その笑顔を見た瞬間、俺の中で張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ気がした。

 この数年、俺は常に武装していた。論理武装と、文字通りの武装で。

 一瞬の隙も見せられない戦場のような日々の中で、この遠慮のない軽口だけが、俺を人間に戻してくれる。

「さぁ、入ってくれ。積もる話もある」

 俺は彼女を屋敷の中へと招き入れた。

 魏のシェフを引き抜いて作らせた、最高のご馳走を用意させてある。驚く顔が見たかった。

 だが、廊下を歩きながら、メイの足がふと止まった。

 彼女の視線は、庭の手入れをしている庭師に向けられていた。

「ねぇ、公孫さん」

「ん? なんだ」

「あの人、なんで額に刺青いれずみがあるの?」

 俺は視線をやるまでもなく答えた。

「ああ、彼は軽犯罪を犯した。黥刑げいけいといって、額に罪人の印を刻む罰だ。だが、労働力としては優秀だから、こうして屋敷で雇ってやっている」

「……じゃあ、あそこの門番の人が、片足を引きずってるのは?」

「あれは剕刑ひけい。足を斬る罰だ。逃亡未遂の罪だったかな」

 俺は何でもないことのように説明した。

 合理的で、慈悲深い処置だ。殺さずに仕事を与えているのだから。

 だが、メイは青ざめた顔で俺を見ている。

「……何それ」

「何って、法だ」

「再利用って言った? 人間よ?」

「人間だからこそ、ルールが必要なんだ。痛みを知らなければ、同じ過ちを繰り返す」

 俺の言葉に、メイが一歩、後ずさりしたような気がした。

「ねぇ、来る途中、街を見てきたわ」

 メイの声が震えている。

「道は綺麗だし、泥棒もいないみたいだった。でもね、誰も笑ってなかった。みんな、怯えてた。道端で立ち話をしただけで、誰かに聞かれてるんじゃないかって、キョロキョロ周りを見てた」

「それは秩序が保たれている証拠だ。私語や噂話は生産性を下げるノイズだからな」

「ノイズ……」

 メイは悲しげに俺を見つめる。

 その瞳の色は、俺が期待していた「称賛」でも「愛」でもなく、まるで理解不能な化け物を見るような「恐怖」に近いものだった。

「公孫さん。あんた、あたしを呼ぶために国を作ったって言ったわよね」

「ああ、そうだ。お前が安心して暮らせる、完璧な場所を」

「……ここは、安心できないわよ」

 メイは静かに、けれどはっきりと言った。

「息が詰まりそう。こんなの、国じゃないわ。巨大な牢屋よ」

 ガチャン、と俺の中で何かが音を立てた。

 せっかく組み上げたパズルの一ピースが、決定的に噛み合わない音。

 俺は、間違ったことをしただろうか?

 いや、論理的には正しい。魏のような腐敗した国より、犯罪のないこの国の方がずっと幸福なはずだ。

 それなのに、なぜ彼女は泣きそうな顔をしているんだ?

「……ご飯、冷めちゃうわね」

 気まずい沈黙を破るように、メイが無理やり笑顔を作った。

「そうだな。行こう」

 俺たちは歩き出す。

 物理的な距離はゼロになった。

 けれど、心の距離は、魏にいた時よりも遥かに遠くなってしまった。

 俺が完璧なシステムを作れば作るほど、人間らしい彼女との間には埋められない溝ができる。

 これこそが、俺の人生最大の計算違い(バグ)だったのかもしれない。

 その夜の食事は、豪華な味付けのはずなのに、砂を噛むように味気なかった。


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